聡美スマイル 再び

女子100m平泳ぎ決勝後、最高の笑顔とガッツポーズを見せる鈴木聡美(写真:アフロスポーツ)

一発選考の厳しさ

競泳のリオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権が東京辰巳国際水泳場で開催されている。昨日で大会3日目を終え、厳しい選考基準をクリアし、続々と五輪代表が決まっている。夢舞台に立つには、今大会で日本水泳連盟が定めた派遣標準記録を決勝で突破し、2位以内に入った選手が代表権を獲得できる。派遣標準記録については、五輪の決勝進出を見込めるラインで、2012年1月1日~2015年8月31日の世界ランキングをもとに作成された。競泳の五輪選考は、一発勝負だ。

どんなに経験を積んでいるベテランでも、良い記録を出して勢いのある若手でも、この一発勝負の独特な雰囲気にのまれる選手も少なくない。日本のエース萩野公介(東洋大学)でさえも、初日に行われた400m個人メドレーで代表権を獲得した後、「怖かった。」と口にした。

極限の緊張感で持ち味を出す

厳しい選考会で、最高の笑顔とガッツポーズを見せたのは、女子100m平泳ぎ決勝で、1分06秒72で2位に入り、2度目の五輪代表権を獲得した鈴木聡美(ミキハウス)だ。

彼女の持ち味である積極性が出た素晴らしいレースだった。印象的だったのは、前半の折り返しタイムだ。スタートから、ライバルたちを一気に引き離し、31秒08で折り返した。鈴木の50m平泳ぎのベストタイム30秒96からすると、驚異的なラップタイムだ。この記録に会場が沸いた。課題としていた後半、渡部香生子(JSS立石)にトップを譲ったが、最後の最後まで粘り切って、五輪の代表権を獲得してみせた。

苦しい4年間

リオデジャネイロ五輪代表を決めた鈴木だが、ここまでの道は想像以上に苛酷だった。「鈴木は終わった」そう囁かれることも少なくはなかった。大学の後輩にあたる彼女を見守り続けてきたが、こんなに苦しい4年はなかっただろうと思う。

4年前のロンドン五輪で日本女子としては史上初となる1大会3つのメダルを獲得。その活躍と美貌からシンデレラガールと呼ばれ、パワー溢れるガッツポーズや弾ける笑顔が多くのファンを魅了し、注目を集める存在となった。しかしロンドン五輪翌年から、彼女に異変が起こった。国際大会でも勝つことが出来ず、国内でさえも負けることが多くなった。昨年は日本代表からも落選。インタビューエリアでは、涙を流す彼女の姿があった。

ロンドン五輪の呪縛

五輪メダリストとして追われる立場となった彼女は、背負っているものの大きさにあらためて気づいた。五輪メダリストとして競技を続けることは、様々なプレッシャーと向き合わなければならない。常に周囲の目にさらされる。覚悟はしていたが、想像以上に彼女を苦しめた。

「自分で抱え込みすぎて、プレッシャーを力に変えるどころか、プレッシャーをプレッシャーでしか考えられなくて。メダリストだから記録出さなきゃ。代表に入らなきゃとか」五輪メダリストと言われることも嫌になった時期がある。

4歳から水泳を始めて21年。順風満帆に進み、大学4年で五輪のメダルを手にした彼女にとって、初めての大きな挫折だった。「大学入ってからスタミナがついて負け知らずで、ずっと来ていました。五輪が終わってからは、周りからの頑張ってをプレッシャーでしか受け取ることしかできなかった。それは自分の泳ぎにも繋がらなかったですし、苦しくて。無駄な考えが多かったです」と自己分析していた。

負けることで見えた一筋の光

昨年、日本代表から落選したことで見えてきたものがある。「本当に大きな何かを失ったけど、新たに客観的に自分を見つめ直せるのかなと思いました。私のメンタル強くないんだなって。人並みと言いますか。強くないし、弱いんだなって」挫折の経験は、自分自身の弱さを受け入れ、向き合うことに繋がる。それはとても苦しくつらい作業だ。しかし自身と向き合い、弱さを認め、受け入れたとき、それまで以上の強さを手にすることが出来る。

「大学を卒業し、社会人になってから一人で考え行動して、それを有言実行できて当たり前だと自分の中で概念を作り上げて。助けてもらうということを忘れていました。相談することが怖くて、一歩踏み出せないのがありました」五輪前は、周囲に愚痴も相談も自然に出来ていたが、五輪での活躍が、彼女本来の「自然」を奪ってしまった。リオデジャネイロ五輪前年に、そのことに、気付けたことは大きな意味を持つ。

気持ちの整理が出来た彼女は、再び4年に一度の夢舞台へ降り立つために、1日1万メールの泳ぎ込み、徹底した食事の管理も行ってきた。足腰強化のため、両足にそれぞれ0.5キロの重りを装着し、山登りや生活を送った。自分が出来る最大限の努力で追い込んできた。そのトレーニングが不安や迷いを拭い去ってくれた。

レースで掴み取った自信

しっかりとしたトレーニングが出来たことで、心身共に充実した状態で、リオデジャネイロ五輪代表選考会へ乗り込んだ。しかし一発選考の緊張感から、100m平泳ぎ予選では思ったような泳ぎが出来なかった。ライバルたちは、予選から好タイムをマークする中で、「緊張で腕が震えるような泳ぎだった」と反省を口にした。鈴木最大の持ち味であるスピードが活かされていないレースだった。選考会の独特な雰囲気の中で、自分自身のレースを貫くことは、とても難しい。

しかし鈴木は、準決勝で勝負に出る。自分自身を奮い立たせ、思い切ったレースを仕掛けた。前半は日本記録を上回るペース31秒35で折り返すことが出来た。極限の緊張感の中で自分のレースを貫くことができたのだ。「決勝の一本は本気の本気で臨みたい」そう語った準決勝直後の彼女の表情を見て、驚いた。すべてが吹っ切れた勝負師の顔に変わっていたのだ。思わず、3つのメダルを獲得した4年前のロンドン五輪を思い出してしまった。一回のレースで、ここまで人間は変われるのかと思うくらいに。

ここで勝負が決まったと言っても過言ではない。準決勝は、決勝のシュミレーションとして泳ぐトップスイマーも多い。そこで良い泳ぎ、レース展開が出来ることで自信を掴みとると同時に、ライバルに精神的なプレッシャーをかけることも出来る。「正直、前半から行くのは怖かったです。失敗したら・・・って。でも準決勝でチャレンジ出来たから、決勝へ向けて覚悟が決まりました」と決勝後、笑顔で振り返った。

メダリストではなく、チャレンジャーとして

この4年間で彼女が経験できたことは、水泳人生だけではなく、これからの人生においても宝物になるだろう。勝って学ぶことは大切なことだが負けて学ぶことは、それ以上に意味のあることだ。

決勝を泳ぎ終えた彼女は、「本心から喜べたのは、ロンドン五輪以来かも」そう言って笑った。その顔は一点の曇りもなく、メダリストの顔から、チャレンジャーの顔に変わっていた。鈴木の本当のチャレンジは、ここからだ。