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岸田首相襲撃事件で再燃した「犯人の思う壺」論、どこがどう間違っているのか

郷原信郎郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
(写真:アフロ)

4月15日に、和歌山市で選挙演説中の岸田文雄首相が、手製の爆弾のようなもので襲撃される事件が起きた。昨年の7月8日、安倍晋三元首相が選挙演説中に自作銃で銃撃されて死亡する事件が起きてから9か月余りで、選挙演説中に現職の首相が襲撃される事件が起きたことは、社会に衝撃を与えた。この事件を我々はどう受け止めるべきか、そこには多くの困難な問題がある。

安倍元首相銃撃事件は、首相退任後も大きな政治的影響力を保持していた政治家が突然亡くなったということに加えて、事件の動機・背景に関連して様々なことが明らかになり、それが日本の政治、そして社会に極めて大きな影響を及ぼした。

山上徹也容疑者(既に起訴されているので「山上被告」)の犯行の動機は、母親が旧統一教会にのめりこんで多額の献金をし、それによって家庭が崩壊したことへの恨みを、旧統一教会と関係が深いと思われた安倍元首相に向けたものだった。

この事件を機に、旧統一教会をめぐる問題に大きな関心が集まった。

とりわけ自民党の政治家と旧統一教会との関係に注目が集まり、連日大きく報道された。

そして、反社会的な活動を繰り返してきたとされる旧統一教会に対して解散命令請求をすべきだという声が高まり、それまで一度も使われたことのなかった宗教法人法に基づく質問権も行使され、旧統一教会の被害を救済する立法も成立した。

統一教会への恨みによる殺人という刑事事件を機に、その犯罪者が意図していた方向に、その問題提起を受けた形で世の中が動き、その動きがどんどん活発になっていった。このような、安倍元首相銃撃事件以降の社会の動きに関して、「犯人の思う壺にするな」ということが声高に言われていた。

私はそれを「犯人の思う壺」論と言って、Yahoo!ニュース【“「統一教会問題」取り上げるのは「犯人の思う壺」”論の誤り】などで批判してきた。

その安倍元首相銃撃事件から1年も経たないうちに、今度は現職の首相を狙った襲撃事件が起きたことで、また「犯人の思う壺」論が、声高に唱えられるような状況になってきている。

犯罪者の意図を実現するような方向に社会が動くと、模倣犯が現れて、同じような犯罪が繰り返される、だから犯罪の動機・背景は一切取り上げるべきではない、というのが「犯人の思う壺」論の人たちの主張だ。

彼らは今回の事件について、

安倍元首相銃撃事件の際に、山上容疑者の犯行の動機に関して、統一教会問題などを取り上げ、自民党と統一教会の関係を問題にしたことで、「犯人の思う壺」になった。それが、今回の岸田首相襲撃事件という模倣犯につながった

と言っている。

それが果たして正しいのかどうか。

刑事事件における「同種犯行の防止」と犯罪の動機・背景の報道

重大な犯罪が発生した場合、それがどう報じられ、社会の反応はどうあるべきなのか、犯罪の背景になった事象に我々はどう目を向けるべきなのか。犯罪を防止することと、犯罪の背景にある問題に目を向けていくことの、両面から考えなければいけない問題だ。

犯罪には通常何らかの動機がある。まったくの衝動的、偶発的犯罪というのでない限り、何らかの意図で犯罪が行われるのが大部分だ。殺人事件であれば、例えば被害者に対する恨みが動機になって「人を殺す」という行為が行われ、恨みを抱く相手が死亡する、それによって、その犯罪の最大の目的が実現されることになる。

そして、殺人事件に関する動機が報じられることによって、動機の背景に、被害者の側にも落ち度があったとか、批判・非難されるべきことをしていた、という事情があったことが明らかになることもある。それは、殺人の犯罪者にとって、もう一つ別の形で犯罪の目的を実現することにもなる。

日々、様々な刑事事件の報道が行われることは、そういう犯罪が実際に起きていることについて、世の中に警鐘を鳴らす面もある。

しかし、事件の詳細が報じられることは、犯罪の抑止、再犯防止、模倣犯の防止にマイナスになる面もある。

特に、政治家を狙った襲撃事件、テロのような事件が起きた時に、その原因・背景や政治家の側にどういう問題があったのかを報じることは、犯罪者の目的を実現することになり、それが同種の犯行を招く可能性を高める。だから社会は、犯罪の動機・背景には一切反応するなという考え方が出てくる。

犯罪に関しては、世の中がその犯罪の発生を知ること自体が重要な社会の要請だ。それと同時に、模倣犯を含めて同種の犯罪を抑止することももちろん重要な要請だ。犯罪と社会の関係は、この両面から考える必要がある。

犯罪を抑止するために、主としてその行為の責任に見合う厳正な処罰を行い、それによってその犯人が再犯を行うことを防止する、それを「特別予防」という。そして、犯罪者を処罰することによって、同じような犯罪が繰り返されることを防ぐことを「一般予防」という。これが、犯罪を抑止する基本的な手段だ。

そして、犯罪の動機・背景が報じられ、犯人が問題にしたかったことが取り上げられて意図のとおりになると、その分、一般予防の効果を弱めるだけでなく、同じような結果を狙う犯罪を誘発する可能性がある。そこで、もし、犯罪者の意図を一切実現させてはならない、その目的が達せられる方向、犯人の意図する方向には一切反応するなというのであれば、一切殺人事件の報道などは行わず、粛々と裁判をやって犯罪者を処罰すればよいということになる。しかし、果たしてそれが、刑事事件の報道として、それに対する世の中の反応として正しいと言えるだろうか。

それは、その国の社会で一般的に犯罪報道がどのように行われているかということも関係する。

安倍元首相殺害事件や岸田首相襲撃事件に関連して、ノンフィクションライターの窪田順生氏は

海外では、このような事件が起きた際に、テロ実行犯や集団無差別殺人犯などの人柄や、犯行にいたるまで考え方、思想などはなるべく報じないように「自制」をするのが常だ。

アメリカでは「No Notoriety(悪名を広めるな)」という団体が発足して、その名の通り、事件を起こした人間にフォーカスせず、有名人にしない事件報道をメディアに求めている。模倣犯やさらに過激な犯行の「呼び水」になるからだ。

と指摘している(【山上被告を「同情できるテロ犯」扱いしたマスコミの罪、岸田首相襲撃事件で言い逃れ不能】)。

「No Notoriety」は2012年、銃乱射事件の被害者の両親が始めた運動で、テロというよりも、銃の乱射などによる大量殺戮を防止するための運動とされている。

軍保有の物を除いても3億丁を超える銃が存在し、人口100人当たりの銃所有数は120.5丁、2022年1月から5月末までの間に、銃による死亡者は8031人、負傷者は15119人に及び、発砲事件は231件発生しているというアメリカ(【相次ぐ銃撃事件、なぜ米国では銃規制が進まないのか?】)と、犯人が数か月にわたる作業で散弾銃を自作し、山中で試射を繰り返した末に行った銃撃が、警備体制上の不備等のいくつかの偶然が重なって安倍元首相に銃弾が命中した事件、管の中に火薬などを詰め込んだパイプ爆弾が投擲され、岸田首相や聴衆が退避後に爆発した事件という二つの元首相、現首相を狙った事件が続いたという程度の日本とは、殺人、テロの脅威のレベルが全く違うので、同列に論じるのは適切ではない。

しかも、陪審制の歴史が長いアメリカでは、もともと、事件報道が陪審裁判に与える影響が強く意識されており、刑事事件の発生時に事件の内容についてはある程度報道されるものの、被疑者が捜査機関によって特定された後は、事件の「動機」「背景」についての報道は、ほとんど行われないようだ。

アメリカでは、司法手続や陪審制と表現の自由との関係で、1976年の連邦最高裁のNebraska Press事件判決で基本的に後者が優先され、報道機関が把握している事実関係の報道を裁判所が禁止することはできないとされているが、それ以前の取材制限命令については頻繁に発せられ、裁判所侮辱による処罰や拘束ということも生じ得る。それもあって、法廷で明らかにされたことは別として、被疑者の犯人性や、犯人であることを前提にするような不確かな報道が行われること自体がほとんどないというのが実情のようだ。

そもそもアメリカでは、事件報道で「人格報道」を行うこと自体が、テレビや代表的な新聞等ではほとんど行われないという点で、被疑者が逮捕された途端に、生い立ちや人物像も含めた人格報道が氾濫する日本とは、前提条件に大きな違いがあるということを見過してはならないと思う。

日本のように、一般的には、殺人事件などの場合、犯人が逮捕されると、犯罪の動機・背景、犯人の生い立ち、性癖まで報じられること自体が異常なのであり、それを容認し、一方で、政治的目的による犯行の場合だけ、動機・背景を一切報じるなという話は通らない。

「犯人の思う壺」論は、外国との比較を持ち出しても、それによって正当化されるものではない。

安倍元首相銃撃事件後の「統一教会問題」をどう見るか

安倍元首相銃撃事件後の日本の社会の反応に関して、その背景となった統一教会問題が大きく取り上げられたことに特に問題があるとは思えない。

本来、統一教会問題は、それ以前に世の中で問題にされ報じられるべきであったのに、それが異常に問題にされてこなかったことの方が問題だ。

あの銃撃事件以降、世の中の多くの人が「統一教会問題」を具体的に認識した。

高額献金、霊感商法的なもの、マインドコントロールにかかった状態で全財産を収奪された人たち、宗教2世3世の問題など、いろいろな深刻な問題が発生していることについて、元首相銃撃事件という犯罪が発生したことが契機となって、社会的に重要な事実を知ることになったというのは、我々が受け止めなければいけない一つの事実だ。

それ以前にあまりに社会が、そしてマスコミが、その問題に対して目を向けてこなかったことをまず反省すべきだ。そのうえで、知るべきことは知り、報じるべきことは報じ、そしてそれに対して行うべき対応は社会としてしっかりやっていかなければならない。

もちろん、マスコミには、統一教会問題が大きな社会的な関心を集めたから、これをやればやるほど視聴率が稼げるというような安直な動機で統一教会問題に追従するという動きも確かにあったと思う。しかし根幹のところにある、これだけ重大な社会的問題をもっともっと社会が目を向けて報じるべきだという地道な活動を続けてきた、例えば鈴木エイト氏や全国弁連の弁護士の人たちなどの活動すら、あの事件までは社会に知られていなかった。そのことをまず反省しなければいけない。

そういう意味で、安倍元首相銃撃事件に対する社会の反応に大きな問題があったとは言えない。

今回の岸田首相襲撃事件についても、安倍元首相銃撃事件の模倣犯だと言って、動機になったと思われる選挙制度の問題など一切論じるべきではない、という「犯人の思う壺」論を声高に唱えている人がいるが、根本的に間違っているように思う。

岸田首相襲撃事件をどう受け止めるべきか

今のところまだ木村容疑者は完全黙秘ということで犯行の動機等詳しいことは全くわからない。ただ、これまで報じられたところでは、木村容疑者は日本の選挙制度に大変不満を持っており、被選挙権が自分にないことが憲法違反だと主張し、国賠訴訟を起こしている。それが動機になったのではないかと言われている。

そういう木村容疑者の動機と推測される選挙制度の問題について、日本では国会議員の衆議院が25歳、参議院が30歳、地方議員が25歳、知事が30歳、首長も知事以外だと25歳、と被選挙権に制限がある。今回改めて海外の選挙制度で被選挙権がどう扱われているのか、供託金制度がどのようになっているのか調べてみたが、日本の現行制度は、国際的にみてかなり特異だということがわかった。

まず被選挙権年齢だが、多くの国が18歳以上、選挙権年齢と被選挙権年齢が変わらない。

アメリカは国会議員が下院が25歳、上院が30歳で日本の衆議院参議院と同じだが、アメリカの場合も、地方の政治家、公職者については21歳と低い年齢が定められている。

供託金制度は、最近は殆どの国で廃止されており、韓国はまだ供託金制度を維持しているが、それも国会議員で500万ウォン、日本円で約45万円、それと比べると日本の選挙制度は本当に特異だということは間違いない。

私は、これまで公職選挙法に関する問題は、記事やYouTubeでも取り上げてきたし、公選法改正の提案などもしてきた。その私ですらこの問題に気付いていなかったわけだから、国民の大部分に知られていなかったと思う。

このことに関連して、4月21日の朝日新聞朝刊で、【首相襲撃、余波で中傷 選挙制度改正求める人へ「容疑者と同じ」 団体が声明「暴力、断固反対」】という記事が出ている。

これは、上記の日本の選挙制度の問題を社会的運動として指摘していた人がいて、それが今回の首相襲撃事件の木村容疑者と同じことをやっているではないかといって誹謗中傷されていることを報じる記事だ。

これまで言ってきた「犯人の思う壺」論からすると、今回の事件を機に日本の選挙制度の問題を指摘するとか、そういう動きを紹介することは「犯人の思う壺」だ、ということになり、この朝日のような記事を出すこともけしからんということになる。

しかし、犯罪の抑止ということと、犯罪を契機にその背景にあるものを社会として認識し、それを受け止めてしっかり世の中を良い方向に持っていく、これは同時実現していかなければならない問題だ。今回、木村容疑者がどのような動機で岸田首相を襲撃し、その犯罪がいかに厳正に処罰され、同様の犯罪を防止していくかということと、その背景にある問題をどう認識し、どう対応していくのかとは別の問題だ。我々は、この選挙制度の問題について、日本の民主主義を本当に機能させるためにも、制度を改めることに取り組んでいくことが必要だと思う。

日本の公職選挙の現状と、それをどう是正していくか

統一地方選挙の後半戦で市町村議会議員選挙や首長選挙などが行われたが、市町村長、市町村議会のかなりの部分が無投票で、選挙が行われずに決まってしまった。

これで地方自治を含めた民主主義が機能していると言えるのだろうか。

今回の事件を機に、被選挙権年齢と供託金制度の問題に気づき、それを検討していくことは重要である。しかし、それに関する木村容疑者の主張を正当なものと評価すべきかどうかは別の問題だ。

木村容疑者は、参議院議員の被選挙権が30歳以上であることに不満を持ち、そのために昨年7月の参議院選挙に立候補できなかったのは「年齢による差別」だとして憲法違反を主張しているようだ。

しかし、日本では1925年の普通選挙制度開始当時から25歳以上という定めがあり、その後に制定された日本国憲法でも、44条は当該資格を法定事項としており、同条も14条も「年齢」を差別禁止の対象として掲げていないので、違憲の主張は難しいだろう。

供託金について国際比較を行う際には、日本の場合、本来候補者が負担すべきポスター代等を公費負担とするかわりに、公費負担枚数以上のポスター等を禁止するなど、貧富の差によって選挙運動に不公平が生じないように、選挙が半ば公営で行われていることとの関係を無視することはできない。特に、国政選挙の場合、政見放送が公費で行われることも300万円という高額の供託金制度が維持される理由の一つだろう。

そのような選挙の公費負担が、果たして、国民の政治参加の場としての選挙の機能を高めているのかどうかを、改めて考えてみる必要がある。公費負担があったとしても、それだけで当選できるほど、選挙運動の機会が公平になるわけではない。そうであれば、むしろ、選挙の公費負担も供託金も大幅に下げて、立候補自体がしやすくなるようにすべきではなかろうか。

被選挙年齢に関しては、木村容疑者のように、国政選挙権での被選挙権、供託金を問題にするより、当面は、若者にとってもっと身近な地方議員選挙における被選挙権の制限を撤廃することの方が現実的だ。それは、若者の政治参加にとって意義があるだけでなく、地方議員の人材を確保するという面でも、有益だろう。

20歳前後の人も含めて、若い世代の人たちが被選挙権を与えられて、どんどん地方レベルの政治に参加することが重要なのではないか。それを阻んでいるのが被選挙権の制限、供託金による制限ではないか。

木村容疑者の犯罪は、その刑責に応じて厳正に裁かなければいけないし、同様の犯罪が繰り返されないようにいろいろ対策を講じ、要人警護も考えなければならない。

しかし、岸田首相襲撃事件の発生を機に、明らかに国際的にも特異な日本の選挙制度を改めていくこと、地方も含めた民主主義を機能させていくことにも、まったく別の問題として取り組んでいくべきだ。

安倍元首相銃撃事件、岸田首相襲撃事件という、要人を狙った犯罪が相次いだことを、日本社会がどのように受け止め、どのよう対応していくか、ある意味で日本社会は岐路に立っていると言える。

郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

1955年、島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『歪んだ法に壊される日本』(KADOKAWA)『単純化という病』(朝日新書)『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。

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