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「統一教会問題」での“二極化”、加計学園問題の「二の舞」にしてはならない。

郷原信郎郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
(写真:ロイター/アフロ)

安倍晋三元首相殺害事件に端を発した旧統一教会の反社会的活動や同団体と政治の関わりに対する批判は、連日、マスコミでも大きく取り上げられ、大きな社会問題になりつつある。岸田文雄首相は、大幅な内閣支持率の低下に狼狽したのか、当初、9月だと言われていた参院選後の内閣改造・党役員人事を、急遽前倒しして8月10日に行った。

この内閣改造は、岸田首相自身が、

「新たに指名する閣僚だけでなく、現閣僚、副大臣を含め(旧統一教会との)関係を点検してもらい、結果を明らかにした上で適正に見直すことを指示したい」

と述べて行ったものであり、「統一教会問題」による自民党への批判をかわす狙いであることは明らかだった。

しかし、ちょうど組閣と同じ日、旧統一教会側が外国特派員協会で記者会見を行い、田中富広会長が、

「当法人は、過去にも『霊感商法』は行ったことはない」

「2009年以降コンプライアンスを徹底し、被害・トラブルは激減している」

などと実態とかけ離れた「正当化」「開き直り」を一方的に行ったことで、逆に、旧統一教会側への批判は一層高まっている。

また、「一切非を認めない教団側」に対して、なぜ「関係見直し」を行うのかも明らかにせず、一方的に、「議員個人の点検と見直し」を求める岸田首相の姿勢は、完全に宙に浮いており、何のための内閣改造だったのかわからない事態になっている。

こうした中、改造内閣発足直後から、新閣僚の統一教会との関わりが次々と明らかになり、経済再生担当大臣に留任した山際大志郎氏に至っては、組閣後の記者会見で統一教会との関係の点検を岸田首相に報告せず、組閣に臨んでいたことを自ら明らかにして批判が集中するなど、新内閣は発足早々から、厳しい批判を受ける状況になっている。

岸田首相が、殺害事件から間もなく、前のめりに閣議決定した「安倍元首相国葬」に対しても、安倍氏自身が統一教会への関与の中心になっていたことが明らかになったこともあって、世論調査では反対が賛成を大きく上回っている。

安倍元首相殺害事件という「一つの刑事事件」によって生じた日本政治の混乱は、抜き差しならない状況になっている。

「犯人の思う壺」論へのこだわり

こうした中、いまだに続いているのが、安倍元首相殺害事件という刑事事件発生を機に旧統一教会への批判が拡大していることに対する、社会の受け止め方をめぐる根本的な意見対立だ。

【“「統一教会問題」取り上げるのは「犯人の思う壺」”論の誤り】で、山上徹也容疑者が旧統一教会に対する「恨み」を晴らす動機で安倍晋三元首相の殺害に及んだことを契機に、旧統一教会への批判が高まり政治家との関係等に社会的注目が集まっていることに対して、「山上容疑者の思う壺」だとする見方が「間違っている」ことを指摘した。

山上容疑者の殺人行為は決して是認されるものではなく厳罰が科される。それによって、同種犯罪、模倣犯が抑止される。そのことと、この事件を機に、カルト的宗教団体である旧統一教会の活動やその被害、政治家の関わり等に注目し、社会としてどう対応すべきかを議論することとは、別の問題だ。旧統一教会がカルトではなく、政治家が関わること、選挙で応援を受けることも問題はないと考えるのであれば、それを具体的に指摘して反論すればよい。

このような私の見解に対して、多くの方が共感し、賛同してくれたが、一方で、「山上容疑者の思う壺」論に固執し、「共犯者」などという言葉を持ち出す人までいる。

池田信夫氏は、【前記記事】の引用ツイートで、

すでに「思う壺」になっている。郷原さんも紀藤さんも山上徹也の目的を実現するロボットだ。

などと述べたり、【テロに「意味」を与えるマスコミはテロリストの共犯者】と題するアゴラ記事を出すなどしている。

このような見解が全く論外であることについては、【前記記事】で述べたことに尽きている。

池田氏は、7月25日に、私のYouTube番組《郷原信郎の「日本の権力を斬る」》で【「アベガー」批判・池田信夫氏と、安倍政治の「光と影」、殺害事件について“徹底討論”】と題して対談(7月26日公開)を行った際にも、私の意見に同意し、

「彼ら(旧統一教会)が反社会的な行動をやったことについてはきちんと整理しなければいけない」

「与野党が(旧統一教会を)支援するようなメッセージを出していたこと」に対しても、はっきりと「軽率だ」と述べている。

それが、このところは、すっかり「犯人の思う壺」論の急先鋒になっている。

しかも、このような意見は、池田氏だけではない。

爆笑問題の太田光氏が、8月7日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)で、

「そもそも、この問題、きっかけがテロであったことをマスコミはもう少し自覚しないといけない」

「テロによってわれわれが動き出したっていう自覚を持たないと。こうすれば社会が動くって思う人が潜んでいる」

などと述べた。社会学者の古市憲寿氏も、旧統一教会批判に対して、

「山上容疑者の目論みどおりになってしまう」

(8月8日の『めざまし8』(フジテレビ系))と述べるなど、いまだに「犯人の思う壺」論に拘り続ける人は少なくない。

少し考えれば間違っているとはわかるはずの「犯人の思う壺」論に、拘り続ける人が、今なお多いことの背景に、安倍元首相殺害事件の直後には比較的抑制的だった野党側の政権批判の姿勢が、ここへきて、統一教会問題への与党自民党批判の高まりを受けて、にわかに、それを政権に対する攻撃材料にしようとする姿勢が強まってきていることがあるように思える。

野党・マスコミなど、自民党に批判的な勢力が、統一教会と自民党議員との関係を持ち出して政権批判を行う。それに対して、反論材料としての「犯人の思う壺」論が持ち出され、対立が一層激しくなるという現在の状況は、第二次安倍政権時代の、安倍支持・反安倍の「二極化」に近い構図になっている。

統一教会の名称変更問題

安倍元首相殺害事件の犯行動機に関連して、旧統一教会をめぐる問題がマスコミで取り上げられるようになった頃から、名称変更が問題視されている。2015年に、「世界基督教統一神霊協会(略称:統一教会)」から「世界平和統一家庭連合(略称:家庭連合)」に名称変更したことで、1990年代に、霊感商法や合同結婚式等の問題を起こした「統一教会」の名称を使用しなくてもよくなり、その後の入信勧誘がやりやすくなったとされているからだ。そしてそのことに関して、当時の文科大臣であった下村氏の関与が取り沙汰されるようになった。

この問題に関して、2020年12月1日に、元文科省事務次官の前川喜平氏が、鈴木エイト氏のハーバービジネスオンラインの記事を引用したツイートを引用して

《1997年に僕が文化庁宗務課長だったとき、統一教会が名称変更を求めて来た。実体が変わらないのに、名称を変えることはできない、と言って断った》

とのツイートを投稿している。

鈴木エイト氏は、7月20日、前記YouTube番組《郷原信郎の「日本の権力を斬る!」》の対談【鈴木エイト氏に聞く「旧統一教会に関する『確かなこと』」】(7月22日公開)の中で、統一教会の名称変更問題について、次のように述べている。これは前川氏が引用した2020年の上記のハーバービジネスオンラインの記事とほぼ同じ内容だった。

2015年になって急に名称変更が認められた。その時に僕は知り合いの編集者から連絡があり、「永田町で大変な噂になっているよ」と。「名称変更に当時文部科学大臣の下村博文さんが文化庁に圧力を掛けた」という噂が駆け巡っているという話を聞いた。

これが仮に事実だとしたら、道義的に問題ですよね。そこから僕は取材を始めて、いろいろ調べていく中で、統一教会の関連紙の「世界日報」というメディアがあるのですが、そこの月刊誌「VIEW POINT」という月刊誌がありまして、そこの表紙を下村さんがたびたび飾っていると。

直前2年間で3回ほど、中にインタビュー記事なりが載ったのです。近年、その直前の2年間で3回も載ったのは下村さんだけ。大臣執務室に世界日報の記者、幹部を招き入れた。こういう形でインタビューを録っているわけです。これはかなり近しいと。

そのあと、これは内部情報なのですが、下村博文さんの後援会「博友会」の中に統一教会の信者がいるという情報を得ました。政治資金収支報告書を見ると。翌年2月に世界日報の当時の社長から献金を受けていることが載っていました。

このあたりのことから、永田町で噂になっていることもそれなりの確度がある情報なのかな、ということで一つの情報として置くようにしました。

ただ、そこだけを取り上げるとこれは単なる噂なので。当然文化庁に下村文部科学大臣から圧力が掛かりましたという文書が残っているわけではないので、当然そこは分からないですよね。

下村さんも、当時僕は「週刊朝日」でこのことを追っていた時に取材してもノーコメントで何も返事はしなかったのですが、今回このような騒ぎになって初めて「自分は関与していない」ということをツイートしていたのですが、だからといってそういうことがなかったとは言えない。これは「下村さんが圧力を掛けました」と「決定事項」として出したわけではありませんが、「一つの疑惑」としておいておくという材料としてあります。

前川氏の前記ツイートは、自らが文化庁宗務課長だった1997年の時点で、統一教会の名称変更の動きに対して、「実体が変わらないのに、名称を変えることはできない」と言って認めなかったことを明らかにすることで、2015年に統一教会の名称変更を認めたことの不当性を印象づけるものだった。それは、鈴木氏が取材で明らかになっていた統一教会と下村氏との親密な関係と、「文科大臣として、統一教会の名称変更に関与した疑い」を関連づけようとするものだったと考えられる。

この前川氏のツイートに着目して、名称変更の問題を最初に取り上げたのが7月22日の日刊ゲンダイのインタビュー記事だった(《前川喜平・元文科次官が明かす「統一教会」名称変更の裏側【前編】》)。

ここで、前川氏は、1997年の時点での統一教会の名称変更への文化庁宗務課長としての対応について、次のように説明している。

手続き上の説明をすると、認証の対象は宗教法人の規則です。社団法人などで言えば、定款にあたるもの。宗教法人の規則の中に必ず名称を記さなければならず、名称変更にあたっては規則を改めて認証する必要があるのです。宗務課がどう対応したかは、ツイートした通り。組織の実体が変わっていなければ、規則変更は認証できない。そう判断し、申請を受理しなかったのです。申請を受けて却下したわけではありません。水際で対処したのです。

教団側が名称変更を求めた理由は、「世界基督教統一神霊協会」とは名乗っておらず、「世界平和統一家庭連合」として活動しているから、ということでした。

霊感商法で多くの被害者を出し、損害賠償請求を認める判決も出ていた。青春を返せ裁判などもあった。「世界基督教統一神霊協会」として係争中の裁判もあり、社会的にもその名前で認知され、その名前で活動してきた実態があるのに、手前勝手に名称を変えるわけにはいかない。問題のある宗教法人の名称変更を認めれば、社会的な批判を浴びかねないという意識はありました。

ここで、前川氏は、1996年9月に施行された「改正宗教法人法」との関係にも言及し、法改正はオウム真理教による一連の事件を受けた動きで、全国的に活動する宗教法人の所轄庁を文部大臣とし、文化庁が実務を担うことになり、宗教法人をより注意深くチェックして慎重に対処し、怪しい教団を認証しない考え方へ大きく変化した中で、統一教会が名称変更の認証を求めてきた。文化庁文化部宗務課でも、統一教会は、信者が引き起こした刑事事件はいくつもあり、教団側が敗訴した民事裁判もたくさんあるので、公序良俗に反する宗教法人として解散させることはできないものか、公共の福祉の侵害や宗教法人の目的逸脱などの規定を適用できないものか内部で検討したが、当時は厳しいとの結論に至ったことを明らかにしている。

そして、

「こうした経緯からも、統一教会が求める名称変更を文化庁が認証したのは、方針の大転換だったのです。20年近く押し返してきたわけですから。第2次安倍政権下の2015年8月のことで、僕は事務次官に次ぐ文科審議官のポストに就いていました。」

と述べて、疑惑の矛先を、2015年の下村文科大臣時代の統一教会の名称変更の認証の方に向けた。

【前編】はここで終わり、前川氏は、25日東京新聞の取材に応じ、26日に、【旧統一教会、19年越しで名称変更のなぞ 下村文科相在任中に突如実現】と題する記事が出され、28日には、ほぼ同じ内容の日刊ゲンダイのインタビュー記事【後編】が出されている。

そこでは、文化庁が統一教会の名称変更を認証したことについて

事前に担当課長の文化部宗務課長が説明に来たことは覚えています。「今まで申請を受理しない方針でやってきたのに、なぜ認証するのか」と聞いたはずなのですが、肝心の理由はよく覚えていない。やらざるを得ない事情があったはずです。

と、当時、担当課長から説明を受けたことを明らかにしている。

そして、下村氏が、統一教会の名称変更について公開した回答(11日付)

《文化庁によれば、「通常、名称変更については、書類が揃い、内容の確認が出来れば、事務的に承認を出す仕組みであり、大臣に伺いを立てることはしていない。今回の事例も最終決裁は、当時の文化部長であり、これは通常通りの手続きをしていた」とのことです》

を引用し、

統一教会に関しては長年維持してきた方針を大きく転換するわけですから、間違いなく大臣まで上げますよ。まず担当課長である宗務課長が上司の文化部長に相談。文化部長にしても自分限りで判断できる内容ではありませんから、次長に上げ、さらに長官に上がり、最終的に大臣にお伺いを立てる。下村さんは了解を与えたと思います。

もっとも、これはボトムアップだった場合の話。何らかの政治的圧力がなければ名称変更の認証には踏み込まないはずですが、その圧力が大臣からかかっていた可能性は十分にあります。

と述べて、この時、文科省が、統一教会の名称変更を認めたのは、政治的圧力によるものであったことを、直接の体験に基づく証言ではないが、ほぼ「断言」している。

そして、7月29日には、毎日新聞でも、【旧統一教会の名称変更、異例の大臣事前報告 文化庁、受理の経緯】と題して、ほぼ同じ内容の記事が出された。

これらの前川氏の話を内容とする一連の記事によって、統一教会の名称変更時に文科大臣だった下村氏の関与の疑いを指摘されたことを受け、下村氏は、8月4日、毎日新聞の取材に、旧統一教会の名称変更申請を文化庁が認めたことについて、

「今となれば責任を感じる」

と述べた。一方で、

「当時は名称変更もほとんど報道されなかった。「担当者から『受理しなければ(行政上の)不作為として法的に訴えられ、負ける可能性がある』と報告があった」

「政治的圧力や、大臣としてそういうふうにしたということは全くない」

などと述べたとされた。

そして、8月5日には、国会内で、立憲民主党と共産党の「合同ヒアリング」が行われ、前川氏が呼ばれ、統一教会の名称変更の問題について、2015年の日刊ゲンダイ、東京新聞、毎日新聞等で述べた内容の話を行った。

「加計学園問題」との共通点

このような統一教会の名称変更の問題は、第2次安倍政権時代の「加計学園問題」とは、構図が極めてよく似ている。

加計学園問題では、2016年、「安倍一強」と言われる安倍内閣への政治権力の集中の中で、安倍首相と親密な関係にある加計考太郎氏が経営する加計学園の獣医学部新設が認められたことが、国からの不当な優遇だったのではないかが問題とされた。

一方、統一教会の名称変更問題は、統一教会が名称変更の認証申請の話を文部科学省に持ち込んだ1997年以降、文科省が、申請を受理して来なかったのが、2015年に一転して受理され、認証されたことに、文科大臣の意向など政治の圧力が働いていたのではないかが問題とされている。

加計学園問題では、「安倍首相の指示・意向が示された事実があったか否か」について、仮にその事実があったとしても、安倍首相がそれを認めることはあり得ないし、その指示・意向を直接受けた人間がいたとしても、それを肯定することは考えられない。直接的な証拠が得られる可能性は、ほとんどないに等しい。

統一教会の名称変更問題についても、大臣が直接それを指示したかということは絶対に当事者でないと分からないことなので、直接的な証拠が出てくる可能性は極めて低い。

そういう意味で、二つの問題は、「政治家の関与」を主題とする限り「疑惑は疑惑のままで終わる」という点で共通している。

一方で、二つの問題は、いずれも文科省に関連する問題であり、「政治家の関与の疑惑」を追及する側で大きな役割を果たしているのが、「元文科次官の前川氏」であることも共通している。

しかし、前川氏の説明にも、「1997年の時点で、名称変更の申請を水際で処理した」との説明と、2015年の名称変更の際の政治的圧力について断言していることとの関係など、疑問な点がないわけではない。

1997年の時点で名称変更の「申請を受理しなかった」のは、受理すると名称変更を認証せざるを得なかったからだろう。そうだとすれば、2015年の時点でも、申請を受理するかどうかが最大の問題であり、受理してしまえば、文科省側として、名称変更を認めないのは困難だということになり、認証するかどうかに文科大臣の意向が働く余地はない。

疑問が残るとすれば、それまで、18年間にわたって、名称変更を「水際」で撥ね返されてきた教団側が、2015年には、訴訟をも辞さない態度の申請をしたことに、文科大臣などによる「政治的手引き」があったのかどうかだ。しかし、この点は、政治家と教団側との関係の問題であり、前川氏自身も、そのように推測する根拠は持ち合わせていないはずだ。

いずれにせよ、在任中に取り扱った案件についての対応の中身を明らかにするという、形式上は国家公務員法上の守秘義務違反にもなり得る「告発的意図での発言」という、中央省庁の事務次官の要職にあった者にとって稀有な行動であるだけに、追及される側の危機対応の混乱を招き、疑惑を一層深める結果になる。そういう面でも、今回の問題と「加計学園問題」とは共通している。

最大の問題は政権側と野党側の対応の「拙劣さ」

そして、追及する野党側も、追及される与党側も、いずれの対応も拙劣であり、それが不毛な論争につながる。その結果、国民の政治不信が一層高まることになる。

加計学園問題では、「総理の御意向」についての文書が新聞にリークされたことに対して、安倍内閣側は、内閣府側の文書・資料を全く示さず、菅官房長官が「法令に基づき適切に対応」と言って文科省の文書についての再調査を拒否し続けるなど、拙劣極まりない対応を続け、内閣への信頼失墜、支持率の急落を招いた。

今回の統一教会の名称変更問題についても、下村氏は、当初、

「文化庁によれば、大臣に伺いを立てることはしていない。今回の事例も最終決裁は、当時の文化部長」

などと他人事のようなツイートをしたが、上記のとおり、それを前川氏に逆手にとられたため、下村氏は、その後、認証の前後に報告を受けていたことを認め、その際、「今となれば責任を感じる」などと、非を認めるかのような発言まですることになった。それによって疑惑が深まったことは言うまでもない。

加計学園問題に関しては、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論など、多くの重要な論点があった。しかし、実際の野党の追及は、野党合同ヒアリングを開催し、前川氏の証言に依存する「一本足打法」で、「安倍首相自身の関与・指示があったのではないか」と問い続けるだけの不毛な国会論争を繰り広げた。

しかし、安倍政権側の対応の拙劣さもあって疑惑は収まらず内閣支持率は急落。しかし、野党の姿勢も、逆に国民からは「批判のための批判」と見られて批判の受け皿にならず、「支持政党なし」が急増するという異常な状況となった。

今回の統一教会の名称変更問題についても、立憲民主・共産の合同ヒアリングに前川氏を呼び、文科大臣時代の下村氏の関与について公開の場で話を聞くなど、加計学園問題と同様の展開になりつつある。

名称変更の経過からすると、文科省側に、何らかの政権への忖度が働いていた可能性は否定できないし、下村氏の言動からすると、直接関与していたことも考えられないわけではない。しかし、それらが直接の証拠によって明らかになる可能性が極めて低いことは、加計学園問題での安倍首相の関与の問題と同様だ。野党が、そのような追及に拘ることでは、加計学園問題と同じ轍を踏むことになりかねない。

このような「加計学園問題」を彷彿とさせるような野党側の姿勢への反発から、政権支持者側が「統一教会問題」を政治問題化すること自体への反対の「理屈」として持ち出しているのが「犯人の思う壺」論なのである。

「統一教会問題」の真相解明と被害救済を

90年代に、霊感商法・合同結婚式等のカルト的活動で、信者の経済的破綻・家庭崩壊等の悲惨な被害を生んできた統一教会が、その後、どのように変化し、今、どのような実態になっているのか、ほとんど明らかになっていない。

関連団体が「平和連合」などという言葉を使った活動を行っていても、それは、日本人信者がマインドコントロールの下で収奪された資金によって賄われたものではないか、との疑念は払拭されていない。

そのような教団の活動の実態の解明と被害者の救済に取り組むことが、教団と深い関わりを持ってきた自民党にとって、そして政治全体にとっての最重要課題のはずだ。教団側も、「本気でコンプライアンスに取り組んでいる」と言うのであれば、これまでの活動と信者からの献金の実態を自ら明らかにし、被害者の救済に積極的に協力するのが当然だろう。

「時の政権や有力政治家の関与」をめぐる国会論争に終始し、政権への疑惑が高まって内閣支持率は低下し、一方で野党の支持も低迷し、政治不信ばかりが高まるという「愚」を繰り返す一方、統一教会と信者・、被害者の関係については何の変わりもない、というのでは、山上容疑者にとっても、全く「思う壺」ではない。

今も続く信者や信者二世の被害の実態を明らかにし、その救済を図ること、そして、その「統一教会」に政治家がどのように関わってきたかを明らかにし、戦後の政治、社会に纏わりついてきた「負の遺産」を解消することが、安倍元首相殺害事件という誠に不幸な出来事を、本当の意味で社会に活かすことにつながる。それこそが、国民の多数の反対を押し切って「国葬儀」を行うこと以上に、安倍晋三氏という政治家の真の弔いになるのではなかろうか。

郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

1955年、島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『歪んだ法に壊される日本』(KADOKAWA)『単純化という病』(朝日新書)『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。

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