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「日産公判分離せず」の理由と「日本版司法取引」「法人処罰」の“複雑な関係”

郷原信郎郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
(写真:ロイター/アフロ)

 カルロス・ゴーン氏、グレッグ・ケリー氏と、法人としての日産自動車が併合起訴された金融商品取引法違反の事件について、平成最後の平日の4月26日夕刻から東京地裁で行われた裁判官・検察官・弁護人の「三者打合せ」の場で、裁判所は、公訴事実を全面的に認める日産の公判と全面否認するゴーン氏らの公判と分離せず、日産についてもゴーン氏らと共通の証拠で事実認定する方針を示した。このことによって、検察は「ゴーン氏無罪判決阻止の最後の拠り所」だった「日産の法人事件の早期有罪決着」という「策略」が打ち砕かれることになり、日産も、公訴事実を全面的に認めているのに、ゴーン氏・ケリー氏と検察との全面対立が繰り広げられる公判に巻き込まれることになった。それが、検察にとっても日産にとっても「衝撃」であること、そして、日本の刑事司法の“激変”をも予感させる出来事であることを、平成の最後の日の記事【「日産公判分離せず」が検察と日産に与えた“衝撃”~令和の時代に向けて日本の刑事司法“激変”の予兆】で述べた。

 10連休も終わり、令和時代の日本が本格的に動き出したが、今のところ、日産・ゴーン氏事件が話題に上ることはほとんどなく、改元とともに、平成最後の重大問題だったはずのこの事件が世の中の関心から遠ざかっているように思える。

 しかし、ゴーン氏逮捕の背景に、日産とルノーの経営統合の問題があり、そこに経産省など日本政府も関わっていたこと、日本を代表する自動車会社の一つである日産が社会的にも極めて重要であるからこそ、今回のゴーン氏の事件が発生したことは、もはや否定し難い事実となっている。その日産が、今回の裁判所の方針決定により、ゴーン氏らとともに、法人として刑事裁判の被告席に立たされ続けることが、同社の経営や経営体制に重大な影響を生じることは避けられない。6月末に開かれる日産の定時株主総会に向けて、ルノーなどの動きにもつながる可能性もある。

 それに加え、この事件の今後の展開によって、今回の事件での検察の動きの原動力ともなった「日本版司法取引」の今後に、そして、日本における法人処罰の運用にも大きな影響を与えかねない。今回の裁判所の方針決定が、どのような趣旨で、どのような理由によって行われたのか、「司法取引」と「法人処罰」の関係から解説することとしたい。

裁判所の方針決定は「法人処罰」特有のものなのか

 「日産公判分離せず」の方針が決まったことを伝える記事のうち、産経は

関係者によると、裁判官は「日産の法的責任は代表取締役だったゴーン、ケリー両被告の行動によるので、別々に判断するのは適切ではない。」として分離しないと決めた。

と報じ(【ゴーン被告公判、分離せず 9月撤回、年明けも】)、朝日は、   

下津裁判長は、「司法取引が本格的に争点になる、初めての事件。証人の証言の信用性は慎重に判断したい」と発言。「日産の法的責任は2人の被告について判断しないうちは決められない。」と述べた

と報じている(【ゴーン前会長の公判、日産と分離せず審理へ 時期は未定】)。

 これらの記事によると、裁判所の方針決定の理由は、

(1)法人としての日産の刑事責任は、ゴーン氏ら行為者についての事実認定と切り離して判断できない

(2)司法取引に関する問題が裁判の争点になるので、証人の証言の信用性について慎重な判断が必要

ということになる。 

「日産公判分離せず」の判断は「法人処罰の問題」によるものではない

 仮に、日産の公判が分離されなかった主たる理由が(1)で、それが「法人処罰は行為者個人の処罰に従属するもので、行為者と切り離して独立して処罰の判断をすべきではない」という趣旨だとすれば、今回の方針決定は、「法人処罰特有の問題」と見ることができるということになる。その場合は、影響は法人処罰の事例だけに限られるし、弁護側が指摘した「フェアトライアルの問題」との関係もあまり大きくないということになる。検察としては、今回の裁判所の方針決定に関して、このような理由を強調したいところであろう。

 しかし、それは、確立された判例に基づく法人処罰の「理論」に反する。しかも、最近の実務の傾向は、法人を独立して処罰の対象とする傾向を強めており、それを主導してきたのは法務・検察である。「法人処罰は行為者個人の処罰に付随するので独立して処罰の対象とはならない」などと今更言えるわけがない。

 日本の法人処罰は、特別法の罰則の中に設けられている「両罰規定」の、「行為者を罰するほか、法人に対しても本条の罰金刑を科する」という規定に基づいて行われる。「行為者について犯罪が成立し、その犯罪について、法人側に選任監督上の過失がある場合に法人が処罰される」というのが確立された判例であり、訴訟手続上も、「被告会社」として、公判に出廷する義務があり(通常は法人の代表者が公判に出廷する)、被告人である行為者とは独立した立場で訴訟活動を行う。被告法人の公訴事実の認否は、行為者たる被告人の認否とは別に行われ、行為者の「犯罪の成否」についても、「選任監督上の過失の存否」についても、争うことができる。

 したがって、行為者たる被告人が公訴事実を全面的に否認し、被告会社の方は全面的に公訴事実を認めている場合に、被告会社の公判を行為者の公判とは切り離して、被告会社に有罪判決を出すことは十分に可能なのだ。 

「法人処罰」に関する最近の状況変化

 もっとも、法人処罰が行為者処罰とは独立したものであるという考え方は、あくまで、「法人処罰に関する刑法上の理論」であり、古くから日本で行われてきた法人処罰の実際の運用は、必ずしもそうではなかった。日本での法人処罰は、法人の役職員個人が行為者として処罰される場合に「付随的」に行われるものに過ぎず、法人に対する罰金の上限も、昔は個人の上限と同じ500万円程度だった。90年代から、独禁法等でようやく「行為者個人と法人との罰金額の上限の切り離し」が行われ、数億円への引き上げが進められていったが、それでも、外為法の10億円が最高であり、法人に対して数百億円、時には数千億円もの罰金が科されることもある米国などとは大きく異なる。しかし、そのような日本における法人処罰の実務は、最近になって大きく変わりつつある。

 2015年3月に発覚した「東洋ゴムの免震装置データ改竄事件」では、同年7月、東洋ゴム子会社の法人のみを起訴し、役員ら10人は起訴猶予となり、法人に対しては、罰金1000万円の有罪判決が言い渡されて確定した。

 2017年の電通違法残業事件で、東京地検は、過労自殺した新入社員の当時の上司ら3人の労働基準法違反を認定したうえで、不起訴処分(起訴猶予)とし、法人としての電通を同法違反罪で略式起訴した。電通については、代表取締役社長が被告会社代表者として出廷して裁判が開かれ、罰金刑が言い渡されて確定した。

 これらの事案は、いずれも、行為者が処罰されず、法人だけが処罰された例である。

 そして、2016年5月に成立した刑訴法改正で日本版司法取引が導入されたことによって、法務・検察が、法人処罰を独立のものとして取り扱う傾向を強めてきた。法務省側は、法案審議の過程で、「法人」にとって、その「役職員」の刑事事件は「他人の刑事事件」であり、法人自体も司法取引の対象となることを明確に説明してきた。

 そして、2018年に改正法が施行され、日本版司法取引の初適用事案となった「三菱日立パワーシステムズ」の外国公務員贈賄事件では、同社と東京地検特捜部との間で、法人の刑事責任を免れる見返りに、不正に関与した社員への捜査に協力する司法取引(協議・合意)が成立し、社内調査によって捜査に協力した法人は処罰を免れ、役職員のみが起訴され、有罪となった。この事例では、法人が自社の事業に関して発生した犯罪について積極的に内部調査を行って事実を明らかにし、その結果に基づいて捜査当局に協力することが法人の責任を軽減するものと評価されたのであり、まさに法人の行為を独立して評価する方向の運用の典型と言える(【「日本版司法取引初適用事例」への“2つの違和感” ~法人処罰をめぐる議論の契機となる可能性】)。

 このように、法務・検察主導で、法人処罰を行為者処罰から独立したものとして取り扱おうとする傾向は、司法取引の導入もあって、もはや不可逆的なものとなっており、徐々にではあるが日本の社会にも浸透しつつある。

 そのような法人処罰の運用を前提にすれば、ゴーン氏・ケリー氏を行為者として、日産自動車が法人起訴されている今回の事件では、法人としての日産は、ゴーン氏らとは独立した立場の「被告会社」であり、被告人と同様の権利が与えられ、訴訟活動を行うことができることは明らかだ。日産が第1回公判で公訴事実を全面的に認め、ゴーン氏・ケリー氏が否認した場合には、公判を分離し、日産の公判では検察官請求証拠が「同意書証」として採用されて、早期に有罪判決が言い渡されるというのが、従来の刑事裁判実務から想定される「当然の対応」であった。ところが、裁判所は、その「当然の対応」を行わないことにした。それは、「法人処罰と行為者処罰の関係」で説明することはできないのであり、やはり、上記(2)の「司法取引」をめぐる問題が主たる理由であることは明らかだ。

「日産公判分離せず」の方針と司法取引をめぐる問題

 本件は、初適用となった上記の三菱日立パワーシステムズの事件に続いて2例目の日本版司法取引の適用事件である。日本版司法取引の導入に関する刑訴法改正案の国会審議の過程で、司法取引による供述には、自己の処罰が軽減されることを目的として、他人を引き込むための虚偽供述が行われる危険性があることが問題にされ、様々な議論が行われた。私も、国会審議の過程で、参考人意見陳述において、この問題を指摘した(平成27年7月1日衆議院法務委員会)。

 本件の金商法違反の件で検察と司法取引を行ったとされているのは、ゴーン氏の秘書室長を務めていた人物であり、この秘書室長の供述について、一般的な意味の虚偽供述のおそれが問題になるのは当然だが、本件をめぐる司法取引の問題は、その秘書室長の供述だけの単純な問題ではない。

 そもそも、事件の発端は、日産が社内調査の結果を検察に提供したことにあり、その後、日産は、検察と「二人三脚」のような関係で全面的に協力し、検察官立証のための証拠を共同して作り上げてきた。前記の三菱日立パワーシステムズの前例からすれば、その法人としての日産も、検察との司法取引により法人起訴を免れていてもおかしくないが、なぜか法人起訴されている(それが、日産についての有罪判決確定で、ゴーン氏らの無罪判決を阻止しようとする検察の策略である可能性については【検察の「日産併合起訴」は、ゴーン氏無罪判決阻止の“策略”か】)。

 また、日産の西川社長は、「ゴーン氏の退任後の役員報酬の支払の合意」についての文書に署名しているとされている上、直近2年分については、CEO社長として有価証券報告書を作成提出したものであり、本来虚偽記載の第一的責任を負う立場にあるにもかかわらず、刑事立件すらされていない。そこには、西川氏と検察との「ヤミ司法取引」の疑いがある(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。

 下津裁判長が「司法取引が本格的に争点になる」と言っているのは、上記のような、本件における日産と検察との関係全体が「司法取引」的であることを意味しているものと考えられる。日産と検察の「合作」のような形で作られた証拠によって、法人としての日産の犯罪を立証すること自体に問題がある。また、西川氏が起訴されないまま、ゴーン氏らだけが起訴されていることも重大な問題とならざるを得ない。このような複雑な「司法取引」の構造を抱えた今回の事件については、日産だけを分離するのではなく、また、日産と検察の「合作」による証拠によってではなく、証人尋問で証言の信用性を慎重に判断した上で、ゴーン氏らの刑事責任とともに日産の刑事責任を判断すべきと考えたのであろう。まさに、弘中弁護士が、4月2日の記者会見で指摘した「フェアトライアルの観点」からの判断だと言える。

「最大の武器」を失った特捜検察

 従来の刑事裁判では、被告人が公判で公訴事実を認めると、検察官請求の書証がすべて採用されて裁判がすぐに終わり、判決が出るというのが原則だった。最近では、裁判員裁判では、書証によらず証人尋問で事実認定が行われることが多くなり、裁判員裁判ではない事件でもそのような傾向が徐々に広がりつつあるようだ。

 しかし、特捜事件では、「人質司法」に加えて、以下のような構図があったために、被告人がいくら争っても有罪判決を免れられなかった。

 自白しない限り身柄拘束が続くという「人質司法」のプレッシャーによって、共犯とされた者のうち少なくとも一人が自白し、公判で公訴事実を認めれば、検察官調書どおりの事実認定で有罪判決が出される。その判決を出したのと同じ裁判官が、同じ事件について他の被告人に無罪判決を出すことは、まずない。別の裁判官であれば、無罪判決が出ることもあり得るが、その場合は、検察官が必ず控訴するし、殆どの場合、控訴審で逆転有罪判決が出され、司法判断の統一性が図られる。その結果、特捜事件では、無罪を争っても、結局、この「人質司法」と「自白事件の有罪確定」の組み合わせによる「蜘蛛の糸」に絡み取られ、いくらもがいても有罪判決から逃れることができない、というのが、従来の特捜事件の構図だった。

 今回の裁判所のような姿勢が一般化していけば、特捜検察は、「共犯自白事件の有罪確定による無罪判決阻止」という、自らの責任で逮捕・起訴した者を確実に有罪に追い込むための「最大の武器」を失うことになる。

 こうして、「検察の正義」の象徴であった特捜部の事件における「検察中心の刑事司法」の構造は、音を立てて崩れようとしている。それは、無理筋の事件で強引にゴーン氏・ケリー氏を逮捕したことの結果であり、この事件での勾留延長請求却下、早期保釈決定、そして、今回の「日産公判分離せず」という裁判所の判断は、本来、あるべき裁判所の姿勢が示されたに過ぎない。しかし、「検察幹部」は、未だに、今回の事件が海外から注目を集めたことで、裁判所が「外圧」に屈したという、身勝手な反発をしていると報じられている。検察幹部にとっては、今回の事態を客観的に受け止めることができないようだ。

 このような「検察幹部」が、今回の「日産公判分離せず」の裁判所の方針決定を、「フェアトライアルの観点」と切り離すために、無理やり「法人処罰」の問題に関連付けようとすることも考えられなくはない。しかし、そのような受け止め方は、せっかく、司法取引導入とともに進展しつつあった日本の法人処罰の活性化の流れに水を差すことになりかねない。それによって、法務・検察が、組織を挙げて実現させた「日本版司法取引」の企業社会への浸透も阻害することになりかねない。

 日産・ゴーン氏事件の今後の展開が、日本の刑事司法の在り方そのものに重大な影響を生じることは避け難い。法務・検察当局は、その事態を正面から受け止めるべきだ。「司法取引」と「法人処罰」の複雑な関係を念頭に置きつつ、今後の公判に向けての動きを注視していく必要がある。

郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

1955年、島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『歪んだ法に壊される日本』(KADOKAWA)『単純化という病』(朝日新書)『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。

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