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安倍氏国葬、「献花に2万人超」は本当に”驚くほど多い”のか?

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
一般献花に訪れる人々(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

・一般献花に25,889人が訪れる

 27日に執り行われた安倍元総理大臣の国葬における一般献花者の数は、28日午前の松野官房長官の会見によると「最終的に25,889人」だったと発表された。27日の速報値では23,000人程度とされたが最終的にはそれよりも約1割強増えた格好である。

 これだけ多くの人々が長い列を作り、安倍元総理への弔意を示しているのは驚きである―。数キロにわたる東京都心部の献花者の行列を観て、多くのメディアや言論人が「驚き」のニュアンスを語った。海外メディアもこの行列を報じた。BBCは「国民の6割が(国葬に)反対しているが、ふたを開けると長蛇の列だったのは驚き」というニュアンスで報じた。

 献花に2万人超という数字は本当に”驚くほど多い”と言えるのだろうか。結論から言えば私は、数えきれない政治集会に参加した経験から、この数字になんら驚きを感じない。行列も「驚くべき」長さであるとも思わない。かつて実行された保守系の集会は、ネット動画で告知しただけで東京に1万人超が集まり、27日と同じように都心部で長蛇の行進が生まれたからである。日本のみならず海外のメディアまでもが「健忘症」に陥ってしまったのだろうか。

 むろん、国葬での一般献花は政治的意志を示すとは限らないし、献花者が必ずしも政治的に保守であり自民党支持層であるとも限らない。不幸にも選挙活動中に倒れた故人への純粋な弔意で訪れた人は少なくないであろう。しかし「安倍元総理のやることなすことすべてが気に食わない」という人は、原則的にこの献花の列に加わっていないと考えるのが自然である。

・かつて1万人規模の催事は普通

日比谷公園大音楽堂 (日比谷野音)。フォトACより
日比谷公園大音楽堂 (日比谷野音)。フォトACより

 今をさかのぼること2012年夏、電通とフジテレビが「偏向左翼メディア・企業」であると主張し、東京のお台場に10,000人を超える支持者が集まった。この集会は二つの民間政治団体が主にネット動画で呼び掛けたもので、周辺地区での行進も付帯した。これに呼応した人々の数は最終的に約11,000人~12,000人であった。

 同年の冬、すなわち2012年11月には第二次安倍政権樹立を目指し、きたる同年12月16日の衆院選挙での自民党勝利を熱望した保守派の大集会が日比谷野音を貸切って行われた。この集会は銀座方面での行進をセットにしていたが、参加者は約8,000人(9,000人とも)だった。奇遇なことにこの集会には後に命を落とすことになる安倍氏が来賓挨拶し、スピーチを行っている(当時私も、安倍氏の後に登壇して演説した)。思えば歴史の皮肉ともいえよう。この呼びかけもネット動画が主であった。

 2012年末に衆院選挙での圧勝を経て第二次安倍政権が誕生すると、保守派による集会は一旦下火になった。待望の第二次安倍政権が誕生したことによる安ど感が、街頭に出る足を鈍らせたのである。

 しかしながら第二次安倍政権が誕生して5年目の2017年5月3日(憲法の日)に挙行された日本会議主催(共催として民間憲法臨調、美しい日本の憲法をつくる国民の会)の『第19回公開憲法フォーラム』は、日本国憲法施行から70年という節目の年であり、安倍総理自身が会場にビデオメッセージを送るというサプライズ的積極姿勢(現役総理大臣・自民党総裁が同会にビデオメッセージを送ったのは史上初めてであった)を見せたため、第二次安倍政権下で最大規模の保守派集会となった。

 この集会には東京会場(東京都平河町の砂防会館大ホール)だけで1,150人が参加した。それだけではなく、大阪、仙台、鹿児島、群馬、沖縄など全国40か所の会場で同時中継がなされた。全てを合算するとその参加者は2,000以上ないし3,000人前後と推察される。

 このように保守派の集会は、街頭での行進(行列)が伴う場合を含めて、往時10,000人程度の参加者が見られることは何ら珍しいことではない。繰り返すように、国葬での一般献花は政治的保守を意味するものでは必ずしもないが、前述の通り「安倍元総理のやることなすことすべてが”絶対に”気に食わない」という人は参加しない場合が多いと思われるから、比較対象として援用しても差し支えなかろう。

「献花に2万人超」という数字と物理的な行列を見て、「驚き」とか「日本国民の中に実は国葬に賛成する人も多かった」というニュアンスで報道するのであれば、前述したそれも「電通を反日企業と思っている日本人が実は多かった」とか「次の選挙で安倍再登板を願う日本人がこれだけいるのは驚き」と伝えても良いはずだが、当時そういった報道は一切なかった。私が「健忘症」としたのはこのためである。要するに切り取り方、報道する側の視点の問題であり、2万超という数字は「平常運転」」とも「驚き」ともどちらでも解釈することができる。

 ましてや、今回の国葬は安倍元総理が亡くなってから早い段階で岸田総理が実行を表明したもので、国葬日程が9月27日と発表されたのは2022年7月22日である。日程が公表されてから2ヵ月以上が経過しており、その賛否両論がテレビ・ラジオ・新聞でさんざん取り上げられ、結果的に嫌というほど9月27日の国葬はアナウンスされていた。にもかかわらず、「最終的に25,889人」という数字は、私には極めて少ないものに映る。

 前述の通り、1万人を動員した保守系民間団体は、テレビ・ラジオ・新聞に原則まったく頼ることなくほぼネット動画のみでこの数を達成した。約2ヵ月の大々的な、しかも政府によるアナウンスの結果がこの数字(せいぜいこれらの2倍程度)とは、私にしてみればかなり寂しいものを感じる。「これだけの人が!」「これだけ大勢の人が!」という割には、もちろんコロナ禍もあり平日だったことも大きく加味しなければならないが、特段の驚きを感じない。これで驚くというのならば、やはり「健忘症」的傾向があるのではないか。

 直近の参議院選挙全国比例で自民党は約1,826万票を獲得した。くどいようだが一般献花の列に加わることはイコール自民党支持を意味しないものの、「25,889人」はこの自民党票の「約0.14%」にすぎない(正確には、0.142%)。もっと来られても良かったのではないかというのが正直な感想である。

・数字から客観的な判断、分析を

 ちなみに9月27日に国葬反対を訴える反対派の行進等が行われたが、こちらの参加者は500人とも2,000人ともいわれる。仮に中間をとって1,200人程度だったとしても、一般献花の1/20程度である。だが「反対派の参加者が賛同者よりもより少ない」ことを以て、「国葬はサイレントマジョリティの賛成意志が示された」とはならない。好むと好まざるとにかかわらず、結果的に政治的イシューの文脈で語られるにあらゆる催し物は、その現場を訪れる数において、開催に賛同する側の方が明らかに多い。

 前掲の電通とフジテレビ集会では、目立った反対派は3人ぐらいだった。日比谷野音での大集会における明確な反対派の抗議は、私が視認した限りでは10人ぐらいだった。主催者側は参加してほしい、の一心でその全力を投じて盛んに広報し、多くの人は賛同の意味を込めて拡散するので、これへのカウンターは常に賛同者よりも圧倒的に劣後するのである。何かを開催したときの反対派の結集は、常に賛同者よりも少ない。

 人々は、現下で展開される出来事の刹那的な数字や物理的行列にすぐ反応し、「驚きだ」と言う。過去を振り返り過去と照らし合わせ、冷静に判断すれば「通常運転」に過ぎなくとも、何か新しい潮流が生まれている―、とか、実際には多くの人の心理は違っている―、などという分析は大抵の場合間違いであるとなるはずだ。漠然としたアンケートなどではなく、今回の一般献花はきちんと数字が出ているので、冷静かつ客観的な評価が求められよう。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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