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保守派に見放された菅政権の1年

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
第二次安倍政権下に於ける菅義偉氏(当時官房長官)(写真:ロイター/アフロ)

 保守派にとってみれば、2020年9月、電撃的な安倍晋三前総理辞任劇から総裁選を経て組閣した菅義偉政権は「安倍政権の正統的後継者」として一挙に期待を集めた。ところがその期待は長くは続かず、いつの間にか保守派は菅政権を見限り、2021年9月3日の菅総理が退陣表明を発する「前」の段階から、高市早苗前総務大臣に一挙に支持が集まり、同退陣表明後は安倍前総理も総裁選に於いて高市氏を支持する流れとあって、現在保守派の支持はほぼ高市総理・総裁待望論で圧倒されている。

 安倍政権の路線を継承するとして始まった菅政権は、いかにして保守派の期待を集め、また見放されていったのか。1年間の動向を振り返る。

1)菅総理が読み違えた保守派の期待

 安倍政権の路線を継承するとして始まった菅政権は、約7年8か月に亘った安倍政権が退陣したことで「安倍ロス」状態となった保守派の期待を一身に受けた。菅政権は安倍政権の金融緩和路線、構造改革路線を踏襲すると謳い、これを政権の目玉とした。しかし保守派の期待する「安倍政権の継承」とは、金融緩和や構造改革というよりも、「安倍政権的な国家観」の継承であった。つまりそれは、靖国神社参拝(歴史観)や中・韓に対する対決的姿勢、所謂左派メディアとの対決姿勢、または強力な憲法改正への熱意であった。菅政権発足の初手の段階で、菅政権が思い描く「安倍路線の継承」と保守派の期待には大きな食い違いがあった。

 菅政権発足に併せて文藝春秋から加筆の上で再版された『政治家の覚悟』には、例えば安倍前総理が『美しい国へ』で披瀝した保守的な国家観の発露や憲法改正への熱情は極めて薄く、保守派の歓心を買うるであろう部分は僅かに対北朝鮮(朝鮮総連)政策ぐらいのものであった。強力な保守的世界観を披歴する安倍前総理に対し、菅総理の保守色はかなり減退し、保守派にとってこの内容は「幻滅」に近い内容ですらあった。

 しかし菅政権発足直後、保守派が菅を「安倍政権の正統なる継承」と見做す事件が起こった。日本学術会議の推薦する新会員候補6名の任命拒否-所謂「日本学術会議の任命拒否問題」である。学術会議から推薦されたにもかかわらず任命拒否された6人は、所謂「安保関連法」や「特定秘密保護法」に反対姿勢の強いメンバーとされるや、たちまち保守派はこの拒否について諸手を上げて政権側に立ち賛同した。端的に言えばこの拒否問題は、その委細を度外視して、「菅内閣が進歩的価値観を拒否した」とうつり、所謂左派学者や左派メディアとの対決姿勢の前衛として認知された。

「日本学術会議は反日学者の巣窟」というレッテル(?)が右派的ネット言論を寡占し、この時の保守派は『政治家の覚悟』で謳われた菅総理自身の無色に近いイデオロギーを実際的に保守側に補強するものとしてその支持最高潮に達した。やはり菅総理は保守派が敵視する「左派・進歩主義者」と戦う政治的前衛だと確認されたのである。

2)しぼむ保守派の期待

 しかしこの任命拒否問題への関心が「一応」一段落するや、特段菅政権が保守派の歓心を買う行動やリップサービスを行うことは無かった。第二次安倍政権では、安倍前総理が政権発足後1年に当たる2013年12月26日に靖国神社を参拝した。これは当時、小泉純一郎元総理以来7年ぶりの出来事であったが、この第二次安倍政権における現職総理大臣の靖国参拝が以後、保守派による安倍政権支持を決定的なモノにしたのに対し、菅政権は成立直後の2020年10月の靖国神社における秋の例大祭に「真榊(まさかき)」を奉納しただけで、翌2021年4月の春の例大祭でも同様に「真榊」を奉納するにとどまった。保守派が期待する政治家・宰相に対する国家観の最も重要なリトマス試験紙は、第一に靖国神社参拝である。一向に靖国に行こうとする気配のない菅総理に対し、保守派は「真榊」を奉納するだけで最も重要な参拝をしないのではないか、という疑念を抱かせるに十分であった。

 加えて2021年5月3日の憲法記念日にあって、菅総理は保守派が主催する改憲派集会(民間憲法臨調、美しい日本の憲法をつくる国民の会共催)にビデオメッセージを送り、「コロナ禍にあって、緊急事態条項など憲法の見直しが必要である」旨ビデオメッセージを送った。このビデオメッセージの形式は安倍前首相も同じ方式を取っていたのだが、保守派にとっては総じて菅総理の憲法改正意欲は安倍政権と比して相対的に低いものと映った。何故なら安倍前総理は、総理就任早々から「憲法改正の先頭に立つ」と記者団等のインタビューに積極的に応えていたのに対し、菅総理にはそういった積極性が見えにくかったからである。

 特に決定打だったのは、2021年4月19日における米誌ニューズウィークによる菅総理へのインタビュー報道である。ここで菅は、「われわれは何度か改正を試みてきたが、現状では非常に難しいと認めなければならない。国会で可決されなければならないので、政権の考えで簡単に変えられるようなものではない」(2021年4月19日,産経新聞)と憲法改正を事実上あきらめた、ともとれる発言を発した。憲法改正を金科玉条の如く叫んできた保守派にとって、技術的に改憲がいかに不可能であっても、それを率直にいう事は禁忌であった。第二次安倍政権では、こういった弱腰姿勢は漏らさず、「次の参院通常選挙で改憲発議に必要な2/3を得る」を常に合言葉にした。安倍前総理の憲法改正への熱情と、菅総理のそれとは比べようもなかった。このころから、菅政権に対する保守派の期待は、潮が引くように退潮していった。

3)オリンピック開催と窮地の菅政権

東京五輪パラリンピック開会式
東京五輪パラリンピック開会式写真:長田洋平/アフロスポーツ

 菅政権の強力な意向で開催された東京五輪の開会式(2021年7月23日)で、保守派による菅政権への期待は徹底的に粉砕された。開会式に於いて今上天皇からの開会宣言の際、天皇陛下の隣に座っていた菅総理が不起立のままだったことについて、保守界隈から「菅は不敬である」との大ブーイングが起こったのであった。事の真相は、天皇陛下が開会宣言をする直前に流されるはずだった「ご起立ください」という場内アナウンスが準備不足(?)のため不徹底であったこととされるが、とにもかくにも天皇の開会宣言に際して菅総理が当初不起立のままであったことは事実であり、これが「皇室への畏敬の念」を宰相としての資質の大きな要素として判定している保守派からは徹底的な顰蹙を買った。これによって保守層からの菅政権への期待・支持は完全に離反した。

 保守派とそれを支持するネット上の右派的勢力は、飲食店をはじめとする中小自営業者が多い傾向にある。菅政権で飲食店を過度に締め上げたことなどの実際経済的な都合においての皮膚感覚としての反発も多いところであったが、保守派が当初「安倍政権の継承者」として期待した菅政権が、保守派が理想とする「安倍政権的国家観、イデオロギー」を全く踏襲しない宰相であると判明するや、保守派からの菅政権への期待はまるで剥離する様に離反していった。

 第二次安倍政権は、たとえそれがリップサービスに過ぎなかったとしても、「日教組!日教組!」などという国会での揶揄や、「こういう人たち(野党)に負けるわけにはいかないんです」などの反政権・進歩勢力への敵対姿勢、または進歩系メディアへの敵愾心を都度入れ込むことによって保守派からの求心力を不動のものにしてきた。このような刹那的な保守派へのリップサービスは、仮に対露北方領土交渉が後退しても、尖閣諸島に於いて中国公船の領海侵犯が激増しても、実際は保守派の意に沿う対外政策をしなくとも「保守派にリップサービスをしておく」という一点のみに於いて保守派からの熱狂的な支持を得ることに最後の最後まで成功したのである。

 そのような意味で安倍晋三前首相の保守派に対する「操縦術」は極めて高度のものであったが、菅政権にはそれが全くと言ってよいほど無かった。それは端的に、菅総理個人に保守派が好むイデオロギーが初手から存在していないことが要因であり、保守派に対し「たとえ空疎空論でもよいから保守的なイデオロギーをバラまいておく」という戦術的側面が欠損していたからである。そうこうするうちに菅政権は完全に保守派から見限られ、「より(保守的)国家観が明瞭」であるとする高市早苗氏に支持が集中する帰結となったのである。

 菅政権1年間の失敗とは、端的に言えば「安倍路線の継承」を謳っておきながら、保守派の想定する安倍的イデオロギーを全く踏襲しなかったことに尽きる。安倍的イデオロギーを完全に首肯する人々の存在は現実社会では少数ではあるが、実際にはそれが中道、中道右派に与える「空気感」は殊更大きい。安倍政権は、極端な右のイデオロギーを盤石にすることによって、その「空気」に依存する中道の有権者の意識を、「微温的に政権支持に改造する」という雰囲気を、有権者の皮膚感覚のみならず既存大メディアの側にも作り上げることによって数多の国政選挙で勝利してきた政権である。

 そのためには、まずは極端な右のイデオロギー、つまり現下の保守派の支持を盤石にしなければならないが、菅政権はそれにほぼ初手から失敗した。1年で終わるであろう菅政権の短命の理由は、極端な保守的イデオロギーを自身の賛同勢力に改宗できなかったという一点に於いて、良くも悪くも菅政権発足直後から運命づけられていたと言えよう。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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