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この国の気持ち悪さの正体-潔癖社会と日本人(後)-倉田真由美(漫画家)×古谷経衡(文筆家/評論家)

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
倉田真由美氏と筆者(古谷経衡)

潔癖社会―人間の過ちを許さず、人間や社会の姿に完璧を求める風潮。不道徳への過度な糾弾。身体的健康への過度な信仰と礼賛…。本来指弾されるべき社会的不正義は置き去りにされ、”どうでもよい””些末な”事象だけがクローズアップされ、石礫を投げられる社会。不倫へのバッシング、自己責任の大合唱、愚行権への干渉…。いつから日本と日本人はこんなに気持ち悪くなったのか。時代を斬る対談1万5000文字(後編)。>前編はこちら

倉田真由美(くらた まゆみ)

1971年福岡県生まれ。一橋大学商学部卒。代表作に『だめんず・うぉ〜か〜』(扶桑社)、『もんぺ町ヨメトメうぉ~ず』(小学館)、『婚活迷宮の女たち』(ダイヤモンド社)など多数。

古谷経衡(ふるや つねひら)

1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒。代表作に『愛国商売』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)など多数。

倉田氏と筆者
倉田氏と筆者

・民主的自意識も比例して零落するニッポン

古谷:私は子どもの頃、―90年代中盤ぐらいまでですが、日本はアジアで一番進んでいる大国だと思っていました。実際統計上そうだったじゃないですか。GNP(当時)にしても一人当たりGNPにしても。

倉田:そうでした。

古谷:一人頭GNPで言えば、アジアでは日本が約3万ドル。次がシンガポールの2万ドルぐらい。あとは全部比較にもならないほど貧乏。経済力もアメリカの次点だった訳ですよね。実際「経済大国」とか自画自賛してGNPで世界2位だったわけですから。それが2000年代になってみるみると落ちていきました。まず一人頭GDPでシンガポールと香港に抜かれる。次いで北欧と豪州に抜かれる。最終的には米英独仏に抜かれる。いま、G7で日本より下なのはかろうじてイタリアくらい。あっという間にジャパンアズナンバーワンから6/7位ですよ。しかも問題なのは経済力の後退だけではない。人権意識も比例して停滞しているような気がするのですがいかがでしょうか。

倉田:人権意識。確かにそうですね。

古谷:去年(*2019年、蔡英文政権下)アジアで初めて同性婚法案ができたのは台湾じゃないですか。私は日本でできると思っていたんです。なぜなら繰り返すように、私は子供のころ、日本がアジアで最も進んだ大国だと思っていたからです。日本が経済で一番進んでいるということは、人権意識も比例して進んでいるのである、と。だからLGBTの分野でも日本がアジアで最も先駆けて寛容な社会になるに違いないと。そうなるはずだと思っていたら、あっという間に台湾のほうが進んでいます。

倉田:残念ながらそうですね。

古谷:日本ではアイヌ民族は居ない、アイヌはそもそも先住民族ではない、などという歴史修正主義やトンデモ論がまかり通っていて政府がアイヌ政策に対してパブリックコメントを募集したら、ネット右翼から大量に「アイヌは存在しない」「アイヌは先住民族ではない」という差別抗議が来たという事で問題になりました。台湾の蔡英文政権は高砂族などの先住民族に対して、先住性を認め、更に台湾総統として過去に蔑視政策が存在したことをも認め、公式に謝罪をしています。あと、蔡英文も支持母体の民進党もハッキリと「脱原発」を掲げ、「台湾では原発やめます」と言っているわけです。ところが日本の右翼とか保守派が勘違いして蔡英文再選(2020年)で勝手連的に応援に行って台北で大はしゃぎしたわけですが、蔡英文と民進党は日本の右翼とは政策が180度違うリベラルなんですね。間違っても「LGBTに生産性はない」とか言う人たちではない。なんかもう、この20年で日本国家の経済も人心も後退して幼稚化して堕落してしまった感じ。その代わり前編でも述べましたように、妙な感じの、いわゆるイスラム法みたいな男尊女卑的道徳意識(当のイスラム法は女性の保護を謳っている)が跋扈している。要するに道徳的潔癖ですよ。叩きやすい不道徳や汚物を徹底的に叩く、というふうに向かっていると思うんです。

・跋扈する自己責任論、生活保護バッシング

倉田:そう。叩きやすいやつを叩きます。あと、例えば貧困からはい上がれない人に対して自己責任という言葉は2000年代ぐらいに突如として流行りましたよね。

古谷:あれは、小泉政権のときに起こったイラクにおける、日本人3人人質事件(*2004年4月)の中から起こってきた議論ですね。

倉田:そうか、あれのときですね。

古谷:はい。

倉田:あの時代に突如、すごく世間が「自己責任」を言うようになったけれども、現在ではそれを飛び越えて、そういう「自己責任」に対する疑問もなくなって、「自己責任」が自明の事、当たり前のこととして受容している人が多くなっている。自分もその貧困の一員なのに、それは仕方のないことなんだ、というふうに考えている。自身が貧困線にいるのに、「甘えるな」みたいなことを自分で自分に言い聞かせるわけですね。

古谷:いわゆる「貧困は甘え」論ですね。

倉田:そうそう。少し前の話題になりますが、堀江貴文氏(ホリエモン)の話です。とある会社に勤めている人がずっと月収が14万円のままである―、と。その状態が何年も継続している。それで日本が終わっているみたいなことを言ったときに、堀江氏がそれに対して「日本が終わっているんじゃなくて、おまえが終わっているんだよ」と言ったのです。そのことが記事になっていたのです。そこで、その記事を読んでいる読者のコメント欄を参照してみたのです。案の定「日本ではなくお前(自分)が終わっている」といって堀江氏に大挙同調しているわけです。でも、現実社会にも近い考え方を結構いっぱい思っている人がいるのです。いわゆる新自由主義的な発想というか。結局、自己責任でチャンスをつかめない方が悪い。成功しないお前が悪い、お前の努力が足りないだけ。みたいな。しかし世の中にはチャンスをつかみたくともつかめない構造の中にいる人は大勢いるのです。

古谷:いつも思うのですが、社会には個人の能力や実力を生かす無限のチャンスが転がっており、自分の貧困や苦労は社会のせいではなく、単にそのチャンスをつかまない自分自身の怠惰である、みたいなことを言う人に言いたいのです。じゃあ、あなたが1930年代にドイツやポーランドでユダヤ人に生まれたら同じことが言えますか、と。そう思いませんか?

倉田:なるほどね。しかし、たぶんそういうことを言っても、彼らは「いや、でも今は現代の日本だから(状況が違う)」と言って返すでしょう。でも、本当に社会のせいで這い上がれない人はいるのです。本当にどうしたってままならないという人もいる。そういうことに対して実に思いやりがないというか、自分も犠牲者の側なのに、そのことに気付かないままでいたりするとがとても怖い。でも、そういうことを言っても同意してくれる人は少ないなと、思ってしまう。

古谷:少なくなっていくかもしれませんね。

倉田:だってやっぱり耳障りがいいでしょう。そうやって継続して勝利してきた人の言葉は。しかし勝者が居るという事は敗者が居るという事でもあるし、努力しても全員が勝利するわけではない。そのあたりに思い至らない世の中は嫌だし、そういう社会の仕組みそのものにも問題があるんだということをみんなもう少し考えてほしい。自分1人が勝ち上がることに注力しすぎる風潮がありますよね。近年とみに強くなっていると思います。

古谷:やっぱり生活保護というのは甘えだとか、欲張りだとかという理屈もそのあたりから発生しているんでしょう。そもそも生活保護は国民固有の権利なので。憲法に書いてある生存権なので、何でそれを主張することが甘えなのか私は理解できませんけど。

倉田:本当に、生活保護受給も裏でやっぱりズルをしている、自分の払った税金をタダで持っていっている、ぐらいに思っている人がいるんですよね。

古谷:確かに不正受給をしている人はいますが、率で言ったら、ゼロ・コンマ何パーセント。

倉田:ほんと、そうですよね。

古谷:不正受給者はいます。ゼロとは言わない。しかし繰り返すように生活保護受給そのものが生存権なので。生きる権利なので。それは日本国民である以上は生活保護を受ける権利があるし、在日外国人も準拠しますというのも「国からカネを貰っている」とかじゃなく、受け取る権利を行使しているだけですからね。でもこれも、要するに叩きやすい構造の中に内包されている訳ですよね。生活保護受給者は何かと弱い立場ですから、叩きやすいわけです。だからお笑い芸人の河本準一さんの母親の不正受給問題とか、自民党の片山さつき議員を筆頭に「国民総バッシング状態」だったのです。でももっと巨大な税金を湯水のごとく使っている在日米軍への「思いやり予算」の無駄とか不備についてはダンマリ。攻撃の基準が訳の分からないものなんですよ。

倉田:その瞬間、瞬間のね。

古谷:そうです。怖いですね。

倉田:怖いです。単発的な「正義」は。だから一本筋が通っていないので、Aの不倫は許さないけれども、Bのケースでは許すと。そういうことになる。

・行き過ぎた嫌煙運動

イメージ(フォトAC)
イメージ(フォトAC)

古谷:全く異常です。まさに恣意的に攻撃基準が選定され、叩きやすいところを一斉に叩いてつぶして、粉みじんにするまで許さない。で、粉みじんになったらまたバッタの大群のように次の獲物を求めて移動する。民間だけではなく、役人もこういった風潮に追従していると思いませんか。顕著なのはタバコだと思うんですよ。

倉田:タバコは叩きやすいと思います。でも、法律で喫煙は禁止されていないですよね。

古谷:もちろんそうです。喫煙は自由権の範疇だから。

倉田:そうなの。でも、今すごく変なことになっていますよね。法律で規制されたり、禁止されていないのに、「でもこれは駄目」とか。一回じかに目撃したことがあるんですが、あるお店である女性が、「ちょっとタバコやめてほしい」「タバコやめてもらえませんか」と喫煙者に言っているのです。でも、クレームの相手は禁煙席ではなく、喫煙席に座っていたのです。

古谷:…意味が分かりませんが?

倉田:え?って思うじゃないですか。

古谷:そうですよね。

倉田:でも、だったらあなた(クレームを言う側)が席を移動すればいい話じゃない。だってそのために禁煙席と喫煙席が分離されているわけですから。

古谷:タバコを吸う権利と吸わない権利というのは両方均等な自由権ですからね。

倉田:そうですよね。喫煙権と嫌煙権はどちらかに軽重のつけられない同等の権利のはずです。

古谷:もちろんそれは話し合って、タバコを吸っている人がやめる選択もあるわけですが。

倉田:あります。

古谷:クレームを言う側、つまり嫌煙権を行使する本人が退室するという選択もある。両者同じく自由権の範囲内でフィフティー・フィフティーのはずなんですが、タバコを吸っている人の権利が5でタバコを吸わない人の権利が95になっている、というような片務的な状況になっています。

倉田:双方が話し合ってね、喫煙側が「だったら消しますね」、みたいに言えれば円満解決する。これだったら良いのでしょうが…。

古谷:それが本来ですよ。

倉田:しかし実際は、タバコの副流煙を吸わない権利みたいなものがあって、あまりにもそれが声高に言いやすい世の中になっている。

・放射線と「酒害」には鈍感

古谷:まさに恣意的な基準で叩きやすい攻撃対象がたばこであって副流煙なのでしょうね。私ね、本当に異常だなと思っているのは、タバコ問題には根本2つあると思うんですよ。1つは医学的な実証データに基づく嫌煙権。2つ目は道徳的な、要するに叩きやすいからタバコを吸っているやつとか会社とかを攻撃すると。1つ目の科学的なデータに基づく受動喫煙が悪いからやめてくださいというのは、これはWHOで発がんリスクがあると認定されているから、これは全く正しい意見だしそれは認めます。実際、私タバコ吸いませんから特にそう思います。それはいろんな臨床データでも分かっている。しかしながら、だったら同様に規制しないといけませんよね。健康に害があるものを。福島はどうなっています?国と東電は海洋に汚染水を放出する計画を進めています。大方の放射性核種は取り除きますとか言っていますが、環境濃縮(*生物の食物連鎖によって放射性物質等が次第に高次に濃縮されていくこと)についてはメカニズムが良く分っていない。あれはいいんですか。危険じゃないんですか。発がん因子にはならないんですか。おかしくないですか。

倉田:いまだアンコントローラブル、という見方が常識的でしょうね。

古谷:あと、WHOの基準で同じように発がんリスクがある、健康被害があると言っているお酒はどうですか。「ストロング酎ハイ9%」は誰でも買えるんですよ。私は世界をいろいろと、もちろんそんなに全部行っていないけれども、だいぶ行ってみて、「9%」なんてどんな国でも売っていないですよ。だいたいアルコール度数は高くて5.5%、平均で4.5%ぐらいじゃないですか、酎ハイという飲み物は。

倉田:あれはさすがに最近問題になっていませんか。

古谷:なっていますが、堂々と売っています。いまだ堂々と。健康に害があるからやめろという立論をするんだったら、酒害はどうですか。お酒の害です。これは全く肝臓、膵臓、食道、咽頭、口腔等に影響がありますから。これも同じじゃないですか。受動まで含めて問題だと言うんだったら、酒席で勧められたお酒だって「受動酒害」であり、なんなら路上で酔っ払ってげろを吐いたおっさんの悪臭も「受動酒害」ですよね。これを断固抹殺する権利だって堂々と主張しないといけませんね、ということを言わないんですよ。言っている人もいますが。他国での酒類販売はだいたい夜9時~10時で終わっていますよね。一部の国際的観光地などの例外を除いて。ところが、タバコだけはもう駄目。何を言っても何をやっても全部ダメ。このアンバランスはなんぞや。

倉田:だってやっぱり「国家のスポンサー様(酒税)」だから。

古谷:いや、だからそこからおかしいじゃないですか。

倉田:そうなんですよ。そういうところは本当に「え?」というような日本の仕組みを見るにつけ、おかしなことになっている。

・「愚行権」問題…その行き着く先は

古谷:『健康帝国ナチス』(ロバート・N・プロクター著、草思社)という本があって、面白いのですが、それはナチスというのは実は極めて健康的で潔癖な社会を目指していたのだ―という本です。なにせナチスは横暴だから、健康とかはあまり関係ないと思うじゃないですか。実は全く逆で、がん検診とか、お酒、タバコ、とにかく健康に悪いものは全部禁止の推奨をしたんですよ。

倉田:そうなんですか?

古谷:そうなんです。ナチスは実は健康帝国だったという話なんです。ヒトラーはベジタリアンなんですよ。お酒もタバコもやらいのですよ。なぜと言うと、酒とかタバコは外部から取り入れられる不純なものだから、自分の純潔が汚れるという考え方なんですね。だからナチスそのものが、自然の土とか森林とか、農業に関しては有機農業を推奨しているんですね。だからナチスというのは全ドイツ国民に対して健康推奨と禁酒ウィークとか禁煙週間というのを出すんです。あと、がん検診とかも国民に積極的に推奨したのです。汚いもの、汚濁したもの、不浄なものはすべて「ドイツ的ではない」として排除したのです。

倉田:そうなのですね。

古谷:だから、純血なドイツ人は病気になってはいけないという考え方なのです。それは落後者なのです。だから、そうならないためにそういう不純なものを外部から入れないで、不純なものを早く発見して除去する。これを人間にまで当てはめたのがユダヤ人迫害や障碍者、ジプシーやロマの排除です。彼らはドイツ国内にある不浄で汚染されたものであるから除去=ホロコースト等して取り除く。そうすればドイツの純潔が保たれる。異常な発想ですが事実ナチはそれをやったのです。結局のところ、潔癖というのは排外の思想なんです。異物を外に出すことによって秩序を取り戻す。

倉田:なるほど。

古谷:これは全く今の日本社会と似ているのではないかと思う。

倉田:本当にそうだし、今思いましたが、実は健康であるということですら実は不健康な人というのは絶えずいるわけです。これはどういうことか。体に悪いみたいに言われているものも取り入れると不健康になっていくということは医学的に正しくとも必ずしも人生観として正しいのか、という話です。これも久坂部羊さんという作家が『日本人の死に時』という本を書かれたのですが(久坂部羊著、幻冬舎)、とにかく長生き=善というものでもないということです。

古谷:確かにそうですね。

倉田:その本の趣旨としては、長く生きるのは全然よくないと。今日も生きていた、今日も生きていたと言いながら目が覚めるたびにがっかりする老人もいっぱいいる。実はうちの祖母もそうだったのです。まだ死んでいなかった…と朝起きてがっかりする。要するに人生観の違いです。この世の中は長生きしたいと思っている人ばかりではない。ということは、実は体に悪いと巷間言われていることを好きなように実行して、まあまあの早さで死ぬという選択肢は、意外と悪いことではないのかもしれない。

古谷:体に悪いことをすること「すら」も自由権ですから。「愚行権」とも呼ばれますが。

倉田:ほんと、そうですね。

古谷:で、実はその医学的には確かに体に悪いんだけれども、それが例えば本人のやる気につながるというのが重要なのですよね。それこそその手の本はもう山のようにあるわけですね。だから、タバコを吸うという愚行をあえて選択して、それによって寿命が例えば12年縮まるよと言っても、「それでいいです」と言う人の意志や権利をこの社会は軽視しすぎている。

倉田:そういう価値観を肯定する人はいっぱいいますよね。

古谷:権利が一方であるわけじゃないですか。自由権・愚行権というのが。

倉田:そうだ。

古谷:タバコを吸わなかったら何歳まで生きるかなんて、人生は一択なので「吸った人生」と「吸わない人生」を両方経験することは絶対にできないのだから、要するに分からないのです。

倉田:案外さ、タバコを吸わなかったらストレスにやられてもっと早く死んでいた可能性もあるかもしれませんね。

古谷:私はタバコ吸いませんからそれはわかりませんけれども(笑)、「〇〇をしなかったら」なんていう別の世界線での寿命なんて永久に分からないのだから、リスクを甘受するならもう、いくら愚行をしてもよいでしょう、あなたの勝手です、と思います。私いつも言われるんですよ。もっと健康的な生活をしなさいとか、割と酒とかガブ飲みするタチなので「やめなさい」とか言われるんですが、私はいつ死んでもいいんですよ。だって、それは自由権・愚行権の範疇ですから。

倉田:そうだよ、自由だよ。

古谷:愚行権です。愚かな行いをする権利。

倉田:自由社会の掟ですね。

古谷:清廉潔白に何事にも潔癖で健康にいいことをして、100歳まで生きる「人生100年」という言葉が私は大嫌いなんです。それに輪をかけて、もう罪も何も起こさない。超道徳的で100年静かに生きます、というのが社会の目指す模範的人生なのだとしたら、もうそんなものは人間じゃない。機械です。漫画版『風の谷のナウシカ』でナウシカが言うところの「肉塊」です。〇〇的人間の姿が目指すべき生き方なんだ―というのは非常に設計的で実際のところ非人間的です。生命とは完璧に清浄な存在などではなく、汚濁の中に瞬く光だ、とナウシカは言って超古代人の考え出した設計的人間計画(卵)を巨神兵に焼かせて破壊します。綺麗でまぶしくてキラキラした完璧な存在など人間ではなく、人間存在とは汚れて濁ってどうしようもなく愚かしい存在であると。でもそれこそが人間であるとナウシカは言うのです。いま、こういった生命のもつ活力―、しかしその反面として必然的に抱え込む「汚れている側面」とか「愚かな側面」というのを除去しようという運動が日本社会にみられます。それは端的に言って生命力の低下であり、生きる力の後退だと思います。日本社会というのがある種の生物なのだとしたら、汚物を排除し出来るだけ道徳的に勤め、潔癖であろうとすればするほど死に向かっているように思えてなりません。

倉田:私は死ぬまで愚かなことを選択肢から排除しない人生を送りたいと思います。(了)>前編はこちら

(注)本文中の写真は特記事項の無い限り、筆者が撮影したものです。

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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