被差別部落への差別発言はなぜ起こるのか~長谷川豊氏の差別発言をめぐって~

あってはならない差別(写真はイメージです)(写真:ペイレスイメージズ/アフロ)

1】無知と偏見、間違った教育からくる差別認識

 元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏が、被差別部落への差別を助長する発言をしたとして、部落解放同盟が長谷川氏の所属する日本維新の会の馬場幹事長に抗議文を手渡した。

 5月22日付の毎日新聞記事によるとその詳細は以下の通り。

抗議文によると、長谷川氏は今年2月、東京都内で講演し、江戸時代の被差別民について、身分を示す差別的な呼称で取り上げ「人間以下と設定された人たちも、性欲などがあります。当然、乱暴なども働きます」と指摘。被差別民が集団で女性や子どもに暴行しようとした時、侍は刀で守ったという話をした。(中略)長谷川氏は22日、公式ホームページに「私自身の『潜在意識にある予断と偏見』『人権意識の欠如』『差別問題解決へ向けた自覚の欠如』に起因する、とんでもない発言」と認め、「謝罪するとともに、完全撤回させてください」と陳謝するコメントを掲載した。(後略)

出典:元フジアナの長谷川豊氏が差別発言 参院選擁立予定の維新は処分検討

 このように発言者の長谷川氏自身が認めるように、江戸時代の身分制について、「予断と偏見」を以て語る人はなにも長谷川氏だけではなく、そもそも江戸時代の身分制度への過去における間違った教育からくる誤解を、いまだに引きずっている人に多く散見される特徴である。

 問題となった長谷川氏の講演では、「江戸時代には士農工商の下にエタ(穢多)・非人があり~」と前置きして、上記引用した展開の話が続く。しかしこの、「江戸時代には士農工商の下にエタ(穢多)・非人があり~」という認識自体がそもそもの間違いであり、氏のような被差別部落への差別を助長するような認識と発言の最大の温床のひとつになっているのだ。

2】誤解され続ける江戸時代の身分制度認識が諸悪の根源

筆者作成
筆者作成

 学校教育では、一時期まで江戸時代の身分制度を説明するうえで、「士農工商」の順列があり、その下に「エタ(穢多)・非人」が存在すると説明されていた。そして「エタ(穢多)・非人」は「士農工商」の身分制度で被支配階級である「農工商」の鬱憤のはけ口として「創造された被差別階級である」とも説明される場合があった。

 結論から言うと、これは全くのウソ出鱈目であり、近世史の研究が進むにつれ、これらの記述は大きく修正されつつある。実際の江戸時代の身分制度は、「士農工商」という順列ではなく「士」は支配階級として君臨するが、「農工商」は並列であり、また「エタ(穢多)・非人」は「士農工商の下」に位置付けられるのではなく、別個の身分階層として位置づけられ、支配階級(幕藩体制)に統制・統率され、警察権力やその補助(刑務執行など)としての役割を担っていた。

 そして実際には、「農工商」間には、特段の格差は存在せず、むしろ同一身分間での厳然たる序列が存在した。例えば武士は、「家格」により将軍に謁見できる場所が厳密に指定されていて、同じ武士でも決定的な格差が存在した。

 工=職人、商=商人は、丁稚・奉公人、番頭、親方など、同一身分間での厳然たる差違があった。農に至っては、幕藩体制下にあって地方行政官的役割を担わされる名主クラス(村方三役)から、小作農として小作料を収める零細耕作者、棄農(農業放棄)して大都市部に流れ込む人々まで、決定的な序列が存在した。さらに「農」には、農耕だけではなく流通、金融、林業、鉱業、手工業など様々な職能に従事した人々がいた。農=田畑を耕す農民では無かったのがその実態である。

3】「士農工商〇〇」のウソ

 つまり江戸時代の身分制度とは、「士農工商・エタ(穢多)、非人」という上下関係ではなく、並列的で穏やかな身分制の中で、むしろ同一身分間での格差と序列こそが実相であり、「エタ(穢多)、非人」は「その下」に位置付けられる存在ではなく、別個の職能・階層として特別のものと認識されていた。

 そしてまた、地域や時代によって違うが、「エタ(穢多)」「非人」という同一身分の中にも、厳然たる序列が存在したのである。

 長谷川氏の言う「江戸時代には士農工商の下にエタ(穢多)・非人があり~」というのは、まさに一昔前まで学校教育が江戸時代の間違った身分制度として教えていた観念をそのまま引きずった世界観であり、この誤った江戸期の身分制に対する世界観こそが、被差別部落への差別発言を生む大きな温床となっているのである。

 そしてこの間違った江戸期の身分制に対する理解を、そのまま成人後訂正せず、漠然と「エタ(穢多)・非人」は「士農工商の下」であり、粗野で粗暴な人々だったのではないか、というトンデモ的差別意識が形成されていくのである。

4】「寝た子を起こすな論」の間違い

 被差別部落とその出身者に対する根強い差別は、現在でも存在する。2000年代以降、国や自治体の様々な取り組みによって旧被差別部落とそれ以外の地区との格差は概ね解消されるにいたり、教育の現場で被差別部落問題(同和問題 注=同和とは同胞融和の略)を教えるのは、かえって差別への「悪い意味での興味」を惹起させるのではないかという危惧から、「寝た子を起こす論」というのが沸き上がった。

 結論から言って、筆者は今回の長谷川氏の無知蒙昧な発言を通して、この「寝た子を起こすな論」は完全に間違いであると思った。歴史に無知な人間が、ネット上でいくらでも情報発信できる時代、苟も国政政党から出馬経験がある人物が、こうした差別発言を行うことは断じて許されない。こうした差別発言を二度と繰り返さないためにも、差別の歴史について正しい歴史教育を早くから実行することは、絶対に必要である。

5】差別はまだ終わっていない

 江戸時代、「別個の職能・階級」として認識されていた「エタ(穢多)・非人」は、幕藩体制が崩壊し明治国家になると、四民平等の観点から1871年(明治4年)の解放令「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」により、書類上は他身分と「同等」となった。この時、「解放」された人々からは、明治天皇を称える提灯行列が沸き起こったという。

 しかし、旧「エタ(穢多)・非人」とされた人々の本当の「解放」までの闘いは、むしろここから始まるといってよい。江戸期にある種の警察権、刑務権や皮革産業の担い手として特権的な地位と報償を与えられていた旧「エタ(穢多)・非人」は、なまじ解放令によってその特権を失い、急速に近代化から取り残され、困窮していく。

 加えて江戸時代から残る封建的な人々の価値観は、明治国家下でもそう簡単に変わるものでは無く、職業差別、結婚差別などが平然と横行し、ありとあらゆる意味で実際の「四民平等」とは程遠い状況にあった。

 こうした中、1922年(大正11年)、京都・岡崎公会堂で全国水平社が結成され、かの有名な「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ」の水平社宣言が高らかと謳いあげられることになる。

 が、本格的な意味での被差別部落問題の解消は、第二次大戦後、池田勇人内閣における「同和対策審議会」(1960年)の設置を待たなければならず、被差別部落地区の劣悪なインフラ改善や人権救済は、続く佐藤栄作内閣における「同和対策事業法」(1969年)の立法からようやくスタートするのであった。

 このような差別との永い闘いの歴史は類書に譲るが、近代日本の負の遺産である被差別部落とその差別問題について、もはや「無知でした」は許されないし、通用しない。そして「無知」であるなら、そのことを軽々に例に出したり公で喋るべきではない。(了)

筆者注*「エタ(穢多)・非人」という言葉の使用は、本来、あってはならない身分差別を肯定し、差別を助長するものとして使用が憚られるが、本稿では長谷川氏の発言とその背景に基づき、この問題を広く公論に問うべきものとして、あえて歴史的用語の一環として使用している。