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平成最後に「保守」とは何かを考える。(上) 倉持麟太郎(弁護士)×古谷経衡(文筆家)

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
倉持麟太郎氏と古谷経衡

*この対談は「立憲的改憲って何ですか?護憲派の限界」に続きます。

・あなたはネトウヨだったんですよね?

倉持:古谷さんは、保守畑というか、ネトウヨ発でその界隈を歩いてきたわけじゃないですか。

古谷:ネトウヨ畑、保守畑をね。

倉持:そうそう。そういう中で、ネトウヨの人たちとの関係というのは、多分ネトウヨだった時とか、ネトウヨな自分っていないんですか。

古谷:私は、著述家の菅野完(すがのたもつ)さんから、「古谷さん、ネトウヨのエリートコースを歩んだね」と言われて、確かにそうだと思いました。

 私の世代の、倉持さんも同世代ですけれども、ネトウヨのエリートコースって、まず原体験的に98年の小林よしのり氏の『戦争論』を読んでいますよね。

 私の場合、その前から軍オタ趣味とか、軍艦プラモとかはありましたが。私的に一番大きかったのは架空戦記の影響です。檜山良昭の『大逆転シリーズ』とか、荒巻義雄の『旭日の艦隊』とかを読んで少年時代ものすごい影響を受けた。

 あと、かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』を読んで、対米自立・自主独立という観念が根底にあります。その後、大学に入るのが2001年で、2チャンネルに「ネオ麦茶」だとかが出てきてまだ、ネット空間にはカオス状態の匂いが立ち込めていました。その時はまだ、ネトウヨみたいな人はいなかったんだけれども、その後に、『諸君!』を読みだしたりして保守論壇にもコミットしていくわけです。

倉持:へー、私はそういう思想的な道程を歩いてないからよくわからないけど、『諸君!』の末期ですか。

古谷:そうですね。『諸君!』の休刊(廃刊)は2009年ですから。いわゆる保守論壇みたいなものに触れつつ、ネットでやや保守的な、当時の宮崎哲弥的なことを、言ったり好むようになっていったという感じでは、後のネトウヨの、いわゆる前期ネトウヨというのが自称としては正しいかと。結局、ネットに書いているものを取捨選択していたわけだから、ネトウヨだったんじゃないですかね、私自身。前期ネトウヨってみんなそうなんです。だから小林よしのり氏の影響で、高校時代に西尾幹二氏の『国民の歴史』を読みましたよ。こ~んな分厚いやつ。

倉持:俺も読んだ。小林よしのり氏のゴー宣や戦争論もかなり読みましたよ。ちょうど高校生のときにね。

古谷:読んだでしょう。高校生の時、私も読んだんですけれども、いま読んだら、もちろん少なくない部分、YP(ヤルタ―ポツダム)体制打破のイデオロギーの一方からあの戦争を見過ぎな瑕疵もあると思うし、「これって単に渡部昇一史観の漫画化じゃね?」と思うところも確かにある。でもやっぱり当時は、いわゆる戦後民主主義の流れの中で反米保守という、いわゆる新右翼というものが出てきて、90年代ってその流れが確実にあるんですよね。

 それがストレートに言論で達成できないから、架空戦記というあくまで「SF」で日本が勝ったみたいなことにするみたいな、それに少年の私はカタルシスを覚えていたのですよ。だから、やっぱり軍オタ、ミリタリーオタで右というのは、まあ、自己評価として妥当な評価ですよね。

 でも、私がネット右翼界隈や保守論壇界隈に本格的に入り出したのが、2000年代の後半なんですね。そうすると、そういう畑から来た人間、要するに最初の前期ネトウヨからすると、驚くほど後発の連中は何も知らんのです。それでゲロを吐きそうなほど醜悪なレベルで韓国(人)に対して差別的なんです。

 これは小林よしのり氏も言っていると思うんですけれども。だって、韓国人ってかつて大日本本帝国の同胞だったわけでしょう。満州族もそうだけれども。スローガンだけで実現はしなかったけど、まさに五族協和の精神ですよ。一緒に大東亜戦争を戦ったのに、なんで今のネトウヨは韓国人を過剰に差別するのか、という怒りがある。

・ネット右翼界隈に踏み込んでみたら、トンデモと陰謀論とデマしか無かった・・・そして懺悔

古谷:だって、原爆を落としたのはアメリカでしょうという、そこ(反米)がすぽっと抜けて、嫌韓と嫌中しかないんですよね。後期ネトウヨは。それで、話も知的水準も。知的水準と言ったら失礼だけれども、全然知的な会話が出来ない。話が通じないんですよ。

 例えば、西尾幹二氏の講演会に行くじゃないですか。そうしたら、せっかく水戸学の話をしているのに、ガーって老人たちが寝ていて、「でもね、皆さん、やっぱり支那人というのは嘘つきなんですよ」と言ったら、かぱっと起きて、ワーッと飛び起きる。

 その程度のレベルなんです。でも、私もそういう彼らの、保守でもなんでもないただの差別とデマ野郎みたいな実相を、馬鹿じゃないんでその界隈に2~3年いたら分かるわけです。いや、今考えたらそこを理解するのに2~3年もかかったのだからやっぱり馬鹿なのかもしれませんけど(笑)。

 ところが、彼らがデマとトンデモ陰謀論とヘイトしかない、と分かっても、それを自分の功名心のために利用しちゃったんです当時。囓ったばかりのやっつけ編集業とか、頼まれるがまま寄稿文も山のように書いていたし。2010年の地震の前夜ぐらいって、今なんか、保守雑誌が隆盛している、というけれども、比較にならないほど、もっと当時はありましたよ。

 今、休刊している右傾雑誌や右傾ムックだっていっぱいあった。あと、ヘイト本が今売れているって、ケント・ギルバートくらいしか売れていなくて、当時はヘイト本なんて、中小零細からみんな出してた。大手はやらなかったけれども、中堅どころなんてみんなやっていたし、私もタイトルだけはヘイト本と見られてもしょうがないような本も書きましたしね。そういう論考も書きました。

 ネット右翼や保守論壇の馬鹿さ加減というのを分かっていた上で、取りあえず、タイトルだけ嫌韓にすればなんでも書けるという時代があったんです(2009年~2013年)。

 だから、私も人のことが言えたものではなくて、そういうことを分かりつつも、ライターとして、また、物書きとして、とにかく多産したい。世に出たいためには、取りあえず韓国を悪く言っておけば、映画評でもアニメ評でもなんでも受けるんですよね。

 映画評を本当に書きたいと思ったら、せいぜいキネマ旬報しかないんです。しかし参入障壁が高すぎて入っていけないんですよ。だから韓国の映画評ということで、一応韓国をディスっておきながら、なんでも書けるという時代が、今もちょっとありますけれども、当時は殊更あったんですね。

 そういうのを私は利用したんですよ。はっきり言って利用しました。今考えたら、本当に馬鹿だったと思う。私も当時20代だったので、信念や原則より功名心や承認欲求が勝ったのだと思います。だから、それの後悔というか、もっと言えば懺悔が、私は現在に至る中でも強烈にある。

 だから多分、ネトウヨ批判、あんなのは本当の保守じゃないというふうに、今にして声高に言うのは、私自信への諫めでもあるんです。というのが私の正直な告白です。

倉持:戦争論についての見解の違いはあるのと、「瑕疵」とか渡部昇一史観云々てとこは説明が必要だと思うけども、古谷さんの変遷は興味深い。でも、今度は左翼的なマインドにふれすぎなんじゃないの(笑)

古谷:いや私は完全な保守主義者で左翼ではありませんよ。人間の理性を信用せず、歴史や経験に価値判断の重きを置き、社会を漸次的に改良していくことをを良とする―。これが本来、E・バークが唱えた保守主義で、これになぞらえれば私は完全な保守主義者です。

・クロスしてカオス化する「保守」と「リベラル」

古谷:さて前回倉持さんとは、ネット右翼と法律関係について対談して頂きました。今回はちょっとネトウヨとはやや離れますが、国家観とかお伺いしたいなと思っていて。

 倉持さんどういう立場かというのは、いろんなところで言われているかもしれませんが、私自身、やっぱり、私は自分のことを前述のように「保守主義者」ないし「保守」だと思っているんです。保守というのは、中国と韓国と朝日新聞が嫌いだとか、そんな馬鹿なことじゃなくて、E・バークの考えに基づく原義の保守主義者なのです。

倉持:いわゆる革新は人間存在の廉潔性を信じ、理性で世界を把握して、ドラスティックに変えることができる!っていうものですからね。保守はそうじゃないと。私も、革新的な思想には与することはできません。

 だって、人間の可謬性や不完全さが出発点ですから。しかも、後でも触れますが、“リベラル”を纏った革新的思想は、結局は排除や同調圧力を惹起する危険性があり、リベラルな価値観と衝突すらするのです。

古谷:そうですね。だって、理性に任せたフランス革命はどうなったかというと、結局、独裁者(ロベスピエール)がまた出てきて、また王制が復興して、ナポレオンが出る。最初のフランス革命で王様をギロチン切って、あそこまで急激に理性の瞬発でやったものが、反動になっちゃったという事実があるわけで、結局、やっぱりE・バークの言ったことは、私は概ね正しいと思う。世の中の熱狂とか躁状態を常に冷ややかに、斜めに見る態度。そういうのが保守の姿勢ですよ。

 だから保守というのはイデオロギーじゃなくて、どっちかというと、これは石破茂さんとも話したんですが、物事を「嗤(わら)う」。社会の改革とか、社会がキラキラしてなきゃなんないから、みんなで頑張ろうみたいなもの、理性主義みたいなものへの懐疑。口偏の「嗤う」ですよね。

 結局、人間なんて馬鹿じゃないの、みたいな感じで、斜に構えて見る。それ自体がやっぱり保守であって、保守的姿勢なんじゃないかと、それはそのとおりですという話に石破さんとはなったんですが、それでいくと私は、全然人間の理性とか信用していなくて、やっぱり猫が一番信用しているんで(笑)。

 多分、すごい保守だと思うんですけれども。そうじゃない風に「保守」という言葉を使っている方も、大変いるし、逆に言うとリベラルというのは、自由主義のことであって、そんなこと言ったら全員、一部を除いて、私だってリベラルだし。

 なんでリベラルと言われるふうになったのかなというと、それは当然、冷戦が終わって、ソビエトがなくなったからです。彼らはもともと、「革新」と言われていたわけです。彼ら自身では言っていないけれども、マスコミ的には革新勢力と言われていたのが、今、共産党の志位さんが、「私たちリベラル勢力の結集です」と言っているわけですよ。

倉持:そうなんですよ。日本だと言葉の定義がおかしいんです。リベラリズムにも、リベラルコミュニタリアン(リベラルな共同体主義)からリバタリアニズムまで、幅が広いものの、全体と個人であればまずは個人の自由をどう確保するかを考えようというのが通奏低音なはずです。しかし、今の日本では、自称“リベラル”とか言いながら、自分の考えと違うと排除したり、同調圧力をかける。その最たるものが共産党でしょう。

 だから、共産党って、まったくリベラルじゃないですよ。リベラルな価値を実現するために、革新的な改変を求めるのか、保守的に漸次的に物事を把握するのか、つまり、リベラルと保守概念は対立関係にないんじゃないか。こういう考え方はできるはずです。いわゆるリベラル・ホーク(リベラルなタカ派)という呼び名がありますが、これなんかそうですよね。

 先ほど述べたリベラルな共同体主義なども、リベラルが「リベラル原理主義」ではいられないことを示す思想だと思います。私は革新的な世の中の把握や改変は全く与しませんし、現在の主権のない状態など、個人の自律を我が国が語る前提を欠いていると考え、自主独立を志向しますから、リベラル・ホークだと思っています。

 いま話に出たように、このあたりのリベラルを共産党が使っちゃうあたり、広告戦略的になりすぎてないか、と、首をかしげるところです。

古谷:全くそうですよね。それは右側もそうなんだけれども思いますし、今、マスコミは平気で、立憲民主党も社民党も、リベラルと自称しているし呼称しているし、そう報道されていますよね。それは政治的左派であって、リベラルかどうかというのは、ちょっとよく分かりません。

倉持:私も全く同じですね。感覚として。立憲民主党なんか、最近の政策見ても、憲法に対する態度を見ても、第二社会党ですよ。護憲が立憲、左翼がリベラルと、看板を変えただけでは、リベラルや立憲の価値を毀損してしまうと思います。

古谷:ねえ。完全に先祖返りです。しかも社会党の矮小版ですな。

倉持:結局、冷戦が終わって、革新が革新と言えなくなったでしょ。

古谷:革新という言葉が使えなくなったんですよ。

倉持:そう。それでリベラルに変わったし、護憲があまり受けなくなったから、立憲に変わったんですよ。

(撮影:上月茶奈/一社)日本政策学校)

*この対談は「立憲的改憲って何ですか?護憲派の限界」に続きます。

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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