政策より血統にこだわる蓮舫叩き~「二重国籍」問題と血統主義~

「二重国籍」問題で会見する蓮舫氏(写真:つのだよしお/アフロ)

 私は蓮舫氏が嫌いだ。政治家としてはもとより、野党第一党党首としての指導力にも大いなる疑問符が付く。この吾人に、政権担当能力があるか否かと問われればNOと言わざるを得ない。

 民主党政権(菅直人)時代、蓮舫は所謂「事業仕分け人」として良くも悪くも一世を風靡した。乗りに乗った氏は、2010年自伝的エッセイ『一番じゃなきゃダメですか?』(PHP研究所)を出版するに至る。そこには、日本がバブル景気に浮かれた1980年代末、氏の若き日における豪放磊落な大学生活が縷々綴られている。

クルマが欲しくなった。日産のフェアレディZを買いたくなったのです。300万円の新しいモデルのフェアレディZを。大学1、2年生のときは、神奈川県の(青山学院大学)厚木キャンパスだったので、幼稚園や初等部から大学へ進んだ仲のいいともだちはみんな、クルマで通学していました。キャンパス内にも学生用の駐車場がありました。(中略)どうしても自分だけのクルマが欲しい。(中略)なんとかクルマを買える方法はないものかと考えを巡らせていたら、なんとクラリオンガール(キャンペーンガール)のオーディションがあった。賞金は300万円。もうこれしかない、私はクラリオンガールに受かるしかないんだ、と思ったんです。オーディションに出た。受かった。(フェアレディZを)買った。ということです。

出典:『一番じゃなきゃダメですか?』(蓮舫著、PHP研究所。括弧内筆者)

 要するに学生の身分でキャンギャルになって芸能界の門戸を叩いた、ということである。蓮舫氏の父はバナナ商の富豪で、父の故国台湾に「帰省」する際にあっては、一家全員で台北にあるプール付き高級ホテルを定宿にしていたというのだから、つまるところブルジョワの令嬢、時勢を謳歌する「リア充」というところになろう。

・バブル期のリア充に説得力なし

 別段私は蓮舫氏の華やかな大学時代を妬んでいるわけではない。が、民進党の党首がこのような青春時代を謳歌している一方、「若者の貧困是正」「若者優先政策」を声高に掲げるのは、なにやらそら寒い。代表になって以降の蓮舫氏は、民進党広報に対して、目指すべき日本の姿を以下の様に回答している。

「生活保護を打ち切られて暮らしていけない、学校に通いたくても通えない、大学を卒業しても奨学金を返せない。このように人生が望まぬ方向に向かったときに「支え合うことのできる」「人を大切にできる」日本です

出典:民進プレス電子版【語る】若い力を生かして、誰もが希望を持てる未来を描きあげる(2017年3月)

 日産のフェアレディ―Z・300万円をキャンギャルの賞金でぽんと買った大学生が、経済苦で大学に通えない現下の若者を憂いてもまったく説得力がない。

 加えて蓮舫氏は、民進党代表になったのち、明瞭な指導力を発揮していない。特に原発政策がその筆頭である。同党最大の支持基盤の一つ、連合傘下の電力総連に配慮して、民進党は「2030年までの原発ゼロ」表明を断念した。

 古典的な労組票に支えられる党内議員への配慮も重なった。自民党との決定的対立軸である「脱原発」を捨てた民進党。労組の票などたかが知れているにもかかわらず、それを切れず身内の事情を優先した蓮舫。氏の党首としての指導力に決定的疑問符が付いた瞬間であった。

・政策ではなく血統批判の奇観

 と、このように私は蓮舫氏を「政策」の観点から全く評価していない。しかし、やおら持ち上がった蓮舫氏の二重国籍疑惑に端を発する一連の騒動は、疑惑から問題となり、ついに蓮舫氏が「台湾籍を放棄した」証明たる戸籍の一部を公開するまでに発展した。ネット上の右派的クラスタから沸き上がった氏の「二重国籍」問題で、氏に批判的な人々の多くは、政策ではなく血統、出自においてその批判を倍加させている。これは奇観である。

 曰く、「蓮舫の父親は台湾人だが、先祖が大陸中国の血統が混ざっているのだから敵性民族の血を引いている」「もし蓮舫が防衛大臣や総理大臣になった際、敵性国民の血を引いているから、中国の味方をするに違いない」云々である。

 所謂「本省人」「外省人」の別なく、台湾の人々は少数民族等を除き、中世の時代に遡れば皆、その先祖に中国大陸の出自を有する。中国王朝の主権が確立されていなかった中世の時代、台湾はスペイン、オランダ、鄭成功(明朝の遺臣)など様々に支配者が入れ替わった。その間、中国大陸沿岸部から渡航してきた私人による私的開墾が進んだ島である。彼らの祖先を遡れば殆どが大陸中国に繋がるのは自明である。

 「3.11」の際、諸外国の中で突出した義援金を送って下すった台湾を普段、日本のネット上の右派的クラスタは「親日・友好国」と持ち上げるが、蓮舫の時に限っては「実は大陸の血が混ざっている」として、「蓮舫=中国」と思想を連結させる。そして「中国は尖閣諸島や歴史認識を巡って日本と敵対する敵国なのだから、その中国の血統が混ざっている蓮舫も敵性議員である」と軽佻に結論付けている者が目立つ。

 これはつまり、「その人物の政治的信条は、その人物の血統によって決まる」という根拠なき血統主義に基づくものに他ならない。そしてその背景には、明らかに「反中・嫌中」という、ネット上の右派的クラスタ一般が普遍的に持つイデオロギーを苗床としていることは疑いようがない。この「二重国籍」問題が、自民党側でも勃発した際、この傾向はさらに顕著になったのである。

・蓮舫は駄目だが小野田はOK

 小野田紀美自民党参議院議員は、2016年秋に米国と日本の二重国籍が発覚し、米国籍離脱の手続きを取ったことを自身で発表した。蓮舫に対しては「敵性国民の血を引いている」とする声が上がる一方で、小野田に対してはそういった声はない。

「日本とアメリカが戦争になった時、小野田は日米どちらの味方をするのか」という問いはほとんど絶無である。政治慣行に従えば与党自民党の議員である小野田の方が総理はともかく、防衛大臣になる可能性はよほど高いが、そのような問いは寡聞にして聞かない。

 無論、「日米同盟があるので愚問」という抵抗もあろう。が、例えば尖閣諸島有事への日米安保適用を重ね重ね日本がいじらしく米国政府に確認しているのを見ればわかる通り、「日中もし戦わば」の事態に米国籍人の去就を確認するのは矛盾ではない。しかし、こういった問いもほとんど起こらない。

 蓮舫氏に対する「二重国籍」問題は、「その人物の政治的信条は、その人物の血統によって決まる」という根拠なき血統主義に基づいている。そしてその血統主義は、「反中・嫌中」の粗悪なイデオロギーを下敷きにしている。

 親米保守をトレースしているネット上の右派的クラスタには、「反米・嫌米」の声はごく少数だから、その攻撃の矛先はアメリカには向かず中国に向かうのも道理だ。「蓮舫は駄目だが小野田はOK」の巨視的解釈は、と言えば、このようにならざるを得ないと思う。

・不可解でダブルスタンダードな読売新聞の社説

 蓮舫と小野田の「差」を指摘するのはネット上の右派的クラスタばかりではない。2017年7月20日の読売新聞社説は、この二者について次のように論評した。

(蓮舫氏が)2004年の参院選公報に「台湾籍から帰化」と虚偽を記載したのは、時効とはいえ、公職選挙法に抵触する。(中略)昨秋に米国籍との二重国籍が発覚した自民党の小野田紀美参院議員は、直後に個人情報を伏せて戸籍謄本などを公表した。米国籍を放棄する手続きも行った。蓮舫氏も迅速かつ適切に対処していれば、ここまで反発は広がらなかったのではないか。

出典:蓮舫氏戸籍公表 後手に回った「二重国籍」対応(読売新聞2017年7月20日、括弧内筆者)

 しかしこの読売新聞の論法は、大きな矛盾をはらんでいる。「時効とはいえ、公職選挙法に抵触する」としておきながら、「蓮舫氏も迅速かつ適切に対処していれば、ここまで反発は広がらなかったのではないか」と結んでいるのである。

 つまり「小野田のように迅速に戸籍謄本を公表すれば、蓮舫批判も少なくて済んだに違いない」と言っているわけだが、違法行為の汚名挽回を「迅速か否か」に求めるのはあくまで道徳やモラルの範疇であって法的根拠はない。

 まるで「迅速に事後処理を行えば脱法行為もセーフ」と言っているように聞こえる。それでは道理が通らないであろう。「迅速にしていればOK」というのに、その行為は「時効」という。そして小野田の戸籍公開は、蓮舫が二重国籍疑惑で火達磨の如きバッシングを受けて後のことであり、順序が違っている。

 蓮舫が先攻で、小野田が後攻である。蓮舫への批判を観て、すわ自身のそれを慌てて点検して是正した(かもしれない)小野田に、時間差のアドバンテージを褒めることはできない。そして小野田の場合、2016年の参議院選挙で初当選した訳で、その前から東京都区議会議員だった訳だが、こちらは、特に参院の方は公選法の時効の範囲内(3年)である。

 区議時代から米国との二重国籍を遮蔽していたのであれば、厳密にはこちらの法的責任にも「時効とはいえ、公職選挙法に抵触する(かもしれない)」等とするべきが妥当だと思うが、こちらに対しては「迅速に公開して偉い」とまるで模範解答の如く褒めるのだ。まことダブルスタンダードの複雑怪奇と言わなければならない。

・血統主義の悲劇~アメリカ政府が謝罪した日系人強制収容政策~

「その人物の政治的信条は、その人物の血統によって決まる」という根拠なき血統主義は、洋の東西を問わず人類の歴史上、様々な悲劇を生んできた。もっとも代表的なもののひとつで、我が国に関係するもので言えば、先の日米戦争勃発時にアメリカ政府が行った日系人への強制収容政策である。

 1941年12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲して日米戦争の火ぶたが切って落とされると、アメリカ国内にいる「アメリカ国籍を持った日系アメリカ人(国民)」が敵性国民と見做されるようになった。

 特に地理的に日本軍の侵攻が危惧されたアメリカ西海岸では、「日本の血を引く日系アメリカ人は、日本の味方をするに違いない」と見做され、西海岸に住む日系人たちは、苦労して築き上げた財産の一切を没収され、着の身着のまま強制収容所に隔離され、監視されることになった。

 すでにこの時、日独伊三国同盟を尊重して対米宣戦布告を行っていたドイツ、イタリア等の枢軸陣営の血統を引くアメリカ人も、アメリカ政府から見ると「敵性国民」に違いなかったが、東海岸に住むドイツ系アメリカ人、イタリア系アメリカ人には一切、このような強制収容政策は施されなかった。アメリカによる日系人強制収容政策は、明らかに日本という血統のみを対象とした明々白々な人種差別であったのである。

「日本の血を引くアメリカ人や、先祖が日本にあるアメリカ人は、日本に同情して利敵行為を働くに違いないー」。この「日本」の部分を「中国や韓国」に、「アメリカ人」を「日本人」に置き換えると、驚くほど現在の我が国におけるネット上の右派的クラスタの世界観と一致する。

 ところが日系アメリカ人たちは利敵行為どころか、進んで「祖国アメリカ」に貢献した。日系人部隊はヨーロッパ戦線に投入され活躍した。利敵行為など無かった。日本が戦争に負けたのが何よりの証明だ。

 無論、このような当時のアメリカ政府の背景には、19世紀から西欧社会で勃発してきた「黄禍論」の影響もあろう。こちらの解説は長引くので割愛するとしても、このアメリカの国策は、明確な差別政策であったとして、戦後、レーガン政権時代において初めて、日系人強制収容被害者に対する公的な謝罪と賠償が行われて決着した。

 戦後アメリカ政府は「その人物の政治的信条は、その人物の血統によって決まる」という根拠なき血統主義を、自らの手で謝罪し、間違っていたと認めたのである。

・血統主義の馬鹿馬鹿しさ

 「その人物の政治的信条は、その人物の血統によって決まる」という根拠なき血統主義の世界は、「日本の血をひくものは、日本の味方をする」という先のアメリカ政府の過ちをトレースする。

 しかしこの世界観では、「純血の日本人から犯罪者や不道徳者が輩出される」という事実は許容しがたい。よって、血統主義を支持する我が国のネット上の右派的クラスタは、犯罪者や不道徳者には常に外部の血が混ざっている、とする。これがいわゆる「在日(コリアン)認定」である。

 それでも犯罪者が出ると、「日本人の血が薄く、半島や大陸の血が濃いから」という純血主義にまで進展する。つまり日本人の血統が濃ければ濃いほど清浄であり、薄ければ薄いほど不浄である、という、1933年から1945年までドイツで政権を担った某党とその党首が盛んに掲げた「アーリア人の血が濃ければ濃いほど理想」とするオカルト的世界観と恐ろしいほどにまで酷似してくる。

 「その人物の政治的信条は、その人物の血統によって決まる」という根拠なき血統主義は、例えばマイク・ホンダ議員の存在によっていともかんたんにひっくり返る。

 マイク・ホンダ議員はアメリカ加州選出の下院議員で、慰安婦問題において日本に辛辣な姿勢を取り、対日謝罪要求決議の旗振り役として、我が国のネット上の右派的クラスタから「反日議員」と揶揄された。

 しかし彼らの血統主義の世界観で言えば、マイク・ホンダが彼のご先祖様である祖国日本に唾をかけるなどとはあり得ないことだ。だから一時期「マイク・ホンダは日系人ではなく朝鮮系だ」というデマまで、ネット界隈ではまことしやかに飛び回った。

 「その人物の政治的信条は、その人物の血統によって決まる」ほど、人間は単純ではない。日本国籍を持っていようと、両親や祖先が「純血」日本人であろうと、またその血が「濃かろうと」「薄かろうと」日本に仇名す人々は大勢いる。またその逆もある。

 血統的に日本人と無関係だが、日本にシンパシーを感じ、日本を「贔屓」にしれくれる外国人は少なくはない。ネット上の右派的クラスタが好む「日土友好―エルトゥールル号遭難事件―」の今日的展開など、まさにその好例ではないか。

・歪んだ戦争観の果てに

 今一度、蓮舫氏の問題に戻ろう。法的問題は、くだんの読売新聞が自ら「時効」と解説したとおりである。他方、本稿前半付近にあげた「もし蓮舫が防衛大臣や総理大臣になった際、敵性国民の血を引いているから、中国の味方をするに違いない」という愚にもつかないトンデモ血統論を今一度振り返ろう。

 まず前提的に民進党が政権党となることは昨今の国政選挙における同党の党勢、および直近の都議会議員選挙の趨勢を観るに明らかに現実的ではないが、ともあれ、「二重国籍者は戦争になったらどちらの陣営に味方するのか」という発想自体、古色蒼然とした国家総力戦時代の発想と言わなければならない。

 国民国家が雌雄を決した総力戦時代であれば、まさしく日米戦争時のアメリカが危惧した通り、「二重国籍やご先祖・ルーツ属性」を持つものが敵性国民になるかもしれない、という「間違った」恐怖が存在することは感情としては理解できる。しかし、例えば我が国のネット上の右派的クラスタが常に想定している「日中もし戦わば」の今日的戦争は、もはや総力戦の様相ではない。

 戦いは空と海、或いは島嶼部とその近海に限定され、戦闘は短期間で終わる。フォークランド紛争の例を持ち出すまでもなく、互いの大部隊が互いの本土で会戦を行うという事態は現出しない。艦隊決戦もない。現代戦は無人化、サイバー化の傾向がより一層顕著だ。いざ戦争となったら、まず間違いなく最初の数日で決着がつく。あとは政治的駆け引きであろう。「どちらの味方をするのか」以前に、個人が旗色を決定する前に戦争は終わる。

 このような「戦争の実際」を理解せずに、まだ現在の我が国におけるネット上の右派的クラスタは、「戦争になったらどちらの味方をするのか」を、(中国や韓国に限った)二重国籍者やそのルーツを持つものに問いかけている。

 彼らの思い描く「戦争」とは、前線の兵士が三八式歩兵銃に銃剣を刺して塹壕から突撃していき、銃後の国民は婦女子に至るまで勤労奉仕として軍需工場で働き、総力戦に貢献するというものだ。

・「血統より政策」当たり前の”理”

 このような古色蒼然とした戦争観があるからこそ、「戦争になったらどちらの味方をするのか」という問いが生まれてくる。「戦争」とか「軍事」の当世事情を何も知らないのだ。単なるネット上の右派的クラスタに限らず、自称評論家等と名の付く吾人からすら、このような世界観が開陳されるのだから、私はつくづく我が国における防衛教育の後進性を憂うものである。

 その国の国民世論は、常に直近の戦争に左右される―とは有名な言である。アメリカはイラク戦争の後遺症に苦しみ、インドは印パ戦争や中印戦争の戦訓を踏まえている。常に国民は、直近の戦争に左右される。

 我が国・日本におけるそれは、いまだ七十年前の日米戦争、第二次世界大戦がそれなのだ。仕方が無いとはいえ、そろそろ「戦争」イメージのアップデートが必要なのではなかろうか。

 本稿冒頭の告白に戻ろう。私は蓮舫氏が嫌いだ。政治家としても信頼がおけぬ。しかしそれは蓮舫が大陸中国の血を引くからとか「時効」となった法的疑義についてが故ではない。純粋に氏の「政策」を言動で判断した結果だからである。「血統より政策」。こんな当然のことが、なぜ理解されぬのか理解に苦しむところである。