五輪ゴルフの最終日、単独首位のザンダー・シャウフェレ(米国)から1打差の単独2位で臨んだ松山英樹は、序盤はなかなかスコアが伸ばせず、一時は5打差まで引き離されたが、9番から徐々に盛り返し、ついにはシャウフェレに1打差まで迫った。

 金メダルの可能性は大いにあった。しかし、終盤はせっかく作り出したバーディーチャンスをことごとく逃がし、金メダルが遠のき、銀メダルも「ほぼ無い」と悟り、72ホール目のバーディーパットを外した時点で、銅メダルを競い合う7人によるサドンデス・プレーオフへ突入。

 そのプレーオフも、1ホール目でボギーを喫して脱落し、終わってみれば、金銀銅すべてのメダルを逃した。

「悔しいです。結果がすべてなので。メダルが獲れなかった以上は、、、、」

 語尾を濁した「、、、、」には、きっと「自分自身で評価できるものはない」といった意味合いの言葉が隠されていたのだろうと思う。

 メダルを逃がし、表彰台に上がることは叶わず、霞が関カンツリー倶楽部で「君が代」を聞くことはできなかった。

 悔しさでいっぱいの松山は「結果がすべて」だと言った。その通り、アスリートは結果がすべてであり、ゴルフも結果がすべてであることは確かだ。

 だが、メダル獲得を逃したからと言って、松山の五輪での戦いに評価できるものが無かったのかと言えば、「決して、そんなことはない」と私は言い切る。

 チーム・ジャパンを率いる丸山茂樹ヘッドコーチは「立派だったと思うけどね」と松山の健闘を讃えた。

 その通り、松山は立派な戦いぶりを披露したと私も思う。何が立派だったかと言えば、7月上旬にコロナ陽性となり、10日間以上の自主隔離生活を経て、大急ぎで帰国し、コロナ感染後に実戦経験を1度も踏まずして、ぎりぎりセーフの滑り込みで五輪に挑むことになったその状況に、真っ向から向き合い、取り組んだ彼自身のコロナ禍との戦いぶりが、何より立派だったと私は思う。

 コロナ感染が判明した当初は、頭痛や吐き気もあったという。長期間の隔離生活から社会復帰すれば、健康な人でも最初は違和感を覚えるだろうが、松山はその違和感を覚えながら五輪という未知の大舞台に上がった。

 日本のファンと日本ゴルフ界の大きな期待を背負いながら、体調も万全な状態には戻らず、時間的余裕はなく、実戦経験も練習もできず、それでも彼は霞が関にやってきた。

 練習が解禁になった前週の土曜日から開幕前の水曜日までの5日間、本当は体力気力も低下しているはずなのに、それでも彼は猛暑の中でクラブを握り続けた。

 いざ試合が始まると、スイングには明らかに違和感を感じていることが見て取れた。頻繁にテークバックをトップの位置あたりで止めて、仕切り直してはショットし、打つと同時に手を離す姿からは苦悩と苦戦が見て取れた。

 そんな中でもスコアを作り出し、2日目、3日目とリーダーボードを駆け上がり、日本の人々に夢と希望を持たせてくれた。

「松山、金メダル取れるかな?」

 そんな会話が日本中のたくさんの家々の中で交わされたなら、あるいはゴルフ場やゴルフ練習場で交わされたなら、それだけでも松山が頑張った意味は十分あったのではないだろうか。

 コロナ禍に見舞われている今の世の中で、日本人初のマスターズ制覇を成し遂げ、日本に再びゴルフブームを巻き起こす先鞭をつけた松山が、肝心の東京五輪の直前にコロナ陽性となったことは、運命の悪戯と言うよりも、それが彼に授けられた「仕事」「定め」だったように思えてならない。

 コロナ感染を経験した松山が、それでも必死に頑張って五輪ゴルフを戦った姿、メダルに迫った姿は、このコロナ禍でいろんな形で苦しんでいる人々への「頑張れ」というメッセージにきっとなってくれたのだと私は感じている。

 せっかくならメダルとともに、そのメッセージを伝えることができれば、それが最高の締め括りになったのだろう。だが、それが叶わず、「結果がすべてなので、、、」と唇を噛み締めた松山が、その悔しさをバネにして、さらに頑張る姿を人々に見せることまでが、運命の神様が描いたビッグなシナリオなのではないだろうか。

 だから、メダルが獲れずとも、松山の戦いは「立派だった」「大いに意義があった」と、あらためて思う。

 アスリートは結果がすべてであり、ゴルフも結果がすべてではあるが、松山が「彼自身のコロナ禍」と向き合い、戦い抜いた霞が関での9日間は、メダルは獲れずとも、大勢の人々に夢と希望を与えてくれたのではないか。

 そういう五輪の戦い方は、コロナ禍でコロナを経験したオリンピアンだからこそ、大きな意義があったのだと私は思いたい。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】