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松山英樹に続け!アジア・パシフィック・アマを制し、マスターズへの切符を手に入れた金谷拓実の歩みを遡る

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
ジュニア時代の金谷拓実と当時指導していた岸副哲也コーチ(写真提供/岸副氏)

シンガポールのセントーサGCで開催されたアジア・パシフィック・アマチュア選手権(10月4~7日)で、2010年と2011年の松山英樹に続く、史上2人目の日本人チャンピオンが誕生したことは、とてもうれしいビッグニュースだ。

東北福祉大学2年生の金谷拓実(20歳)が最終日に65をマークし、2位に2打差の通算13アンダーで初優勝。金谷は来年のマスターズと全英オープンにアマチュアとして出場する資格を手に入れた。

そのニュースを耳にして、まず思い出したのは、松山英樹が最初に挑んだ2011年マスターズのときのことだ。

あのときの松山は、今の金谷同様、やはり東北福祉の大学生だった。ゴルフ部の阿部監督に引率され、オーガスタにやってきた松山は、トッププロたちばかりの“スターの世界”に、いきなり飛び込み、まず開幕前に会見場に呼ばれた。

当然ながら、会見というものに不慣れだった松山は、ひどく緊張して、表情はガチガチ。質問に対する返答も、短い一言を口にするのがやっとという感じで、ぎこちなかった。

だが、会見のような堅苦しい場所ではなく、オーガスタの土と芝の上に戻った途端、松山は心底うれしそうな表情で生き生きと球を打っていた。

いざ試合が始まってからも「緊張はしなかったです」と度胸の良さを最初から最後まで見せ、そして栄えあるローアマに輝いた。

もちろん「失うものは何もない」という気持ちで挑めるアマチュアだからこそ、いろんなものを背負って戦うプロたちより気が楽という面は、あったのかもしれない。

だが、夢にまで見たマスターズに初めて出て、美しいオーガスタの舞台に初めて立って、「全然、緊張しなかった」と言い切ったあのときの松山は、他の誰とも比べようのない何か独特な雰囲気をすでに醸し出していた。

【金谷は「面白い子供」だった】

今回の金谷の勝利のニュースを知って、思わず、そんな7年以上も前の松山の姿を思い出したのだが、もう一度、話を金谷に戻そう。

昨秋の日本オープンで金谷がやはり東北福祉大学の先輩に当たる池田勇太と堂々と優勝争いを演じたとき、私は金谷のプレーぶりを初めて目にした。

最終的に優勝は先輩・池田のものとなったが、金谷は敗れたとはいえ、彼には何か強いものが備わっているなと思えた。漠然とではあったが、そんな「何か」が感じられた。

いきなり金谷拓実という選手に対して強い興味を覚えた私は、日本オープン終了直後、小学2年から高校卒業までのジュニア時代の金谷を広島で指導していた岸副哲也コーチにすぐさま連絡を取り、金谷の当時のことを根掘り葉掘り取材させてもらった。

ゴルフを始めた当初から、マスターズを目指し、強い意志を抱いていたという(写真提供/岸副氏)
ゴルフを始めた当初から、マスターズを目指し、強い意志を抱いていたという(写真提供/岸副氏)

「当時、広島の練習場には10名ぐらいのジュニアが来ていましたが、拓実くんは自分の世界に入り込む面白い子供でした」

岸副コーチのその一言を聞いたとき、「ああ、やっぱりねえ」と、妙に納得させられた。

自分の世界――これが、何より大事なのだと思う。これが作り出せるかどうか。しかも、ほとんど無意識のうちに、だが何らかの行動は自発的に起こし、そうやって“自分ならではの世界”を作り出せるかどうか。

米ツアーのトッププレーヤーたちを眺めていると、彼らは間違いなく、それぞれの“自分の世界”を作り出し、その中に身を置くという作業にとても長けている。

“自分の世界”を作って、どうするか?

その中で、自分の戦い方を考えたり、立ち直り方を考えたり、攻め方を考えたり。やるべきこと、なすべきこと、あるいは、やらざるべきことを考えたり。

いわば、自問自答のための環境と言えるのかもしれない。そして、考えるのみならず、考え出したことを実行に移し、目標へ向かって突き進んでいく。

そういう作業の繰り返しが、1つ1つ小さな成功を生み出し、その集大成として、いつかビッグな成功を収めることができるのだと思う。

【ジュニア時代の“金谷の世界”】

さて、岸副コーチが明かしてくれたジュニア時代の“金谷の世界”とは、果たして、どんなものだったのか?

「拓実くんは、ゴルフを始めてすぐ、自宅の自分の部屋の壁に、『マスターズに行く』と書いた紙を貼っていました」

日本アマ優勝時の記念写真。1つ1つ目標をクリアしながら今日まで来た(写真提供/岸副氏)
日本アマ優勝時の記念写真。1つ1つ目標をクリアしながら今日まで来た(写真提供/岸副氏)

さらに、岸副コーチは、こう続けた。

「彼は普通のジュニア用のクラブを持っていましたが、調子が悪くなると、グリップ部分にガムテープをぐるぐる巻きにして補強したプラスチックのクラブを取り出し、それで素振りをしたり、本物のゴルフボールを打ったりしていました。

軽いクラブを振ることで“振り抜き”の感覚を取り戻そうとしていた。そのクラブで本物のボールを打つと、ポコーンという面白い音が練習場に響き渡っていました」

この方法は、岸副コーチが教える以前から、まだ子供たった金谷本人が自分で見出し、実践していたものだそうだ。

「大半の子供が教わったことをやるだけで、おかしくなったらコーチに修正してもらうという感じだった中、拓実くんは違った」と岸副コーチは言い切っていた。

今回のアジア・パシフィック・アマチュア選手権に挑む直前、金谷は岸副コーチとのSNS上のやり取りの中で、マスターズに絶対行くぞという強い意志を示していたそうだ。

それは、金谷のシンガポールでの勝利宣言と言うことができる。

そして有言実行で、本当に勝利を挙げた金谷は、優勝後、「気持ちを落ち着かせてプレーできた」と精神面を穏やかに保てたことと集中力を自身の勝因に挙げていた。まさに“自分の世界”の中で戦って得た勝利だった。

さらには、日本に戻った途端、ジュニア時代から指導してくれた恩師である岸副コーチに、すぐさま報告のメールを送る礼儀や感謝も欠かさない。

優れた指導者、優れた道具、優れたトレーニング技術、素晴らしい環境が揃っている昨今のゴルフ界。プロのみならず、ジュニアやアマチュアのフィールドにおいても、技術力の差はかつてより縮まりつつある。

その中で、最終的に勝敗を分けるもの、運命を変えていくものは、思考力や精神力、姿勢や生きざま。総じて、メンタルタフネスこそがモノを言う。

そういうもので揺るぎない土台を築き、“自分の世界”をしっかり抱き続けられるかどうかが、ゴルファーとしての成否を分けることになる。

金谷の朗報を耳にした今、あらためて、そう確信している。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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