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明治になって最初の大地震・浜田地震から150年、西日本内陸地震に備えを

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
地震調査研究推進本部のホームページより

明治になって最初の大地震

 今からちょうど150年前、まだ、太陰暦だった明治5年2月6日(グレゴリオ暦の1872年3月14日)に島根県西部を浜田地震による強い揺れが襲いました。気象台もなく震度観測も行われていないので、詳細なことは分かりませんが、被害の様子などから、震源は浜田市の沖合、地震規模はM7.1、最大震度は7程度だと推定されています。1週間前から活発な前震活動があったようで、家屋の全潰数は約5千棟で、山崩れが各地で起き、火災も発生しました。犠牲者は約550人に上ります。この地震で、国分海岸の土地が隆起して、国の天然記念物でもある石見畳ヶ浦ができました。

 浜田地震は、明治になって3年半後に起きました。前年の1871年には、廃藩置県が行われ、岩倉具視らの視察団が欧米に派遣されました。浜田地震は、まさに文明開化が始まろうとした年に起き、地震の後、日本の姿は大きく変わっていきました。

文明開化が始まった1872年の日本

 浜田地震が起きた直後、1872年4月3日に東京の銀座で大火がありました。焼失した銀座の跡地には、不燃化のため煉瓦街が作られ、まちの西洋化が始まりました。

 10月14日には新橋―横浜間で鉄道が開通し、10月31日に横浜でガス灯が点灯しました。鉄道とガス灯は文明開化の象徴です。さらに、11月4日には、近代工場の富岡製紙場が操業を開始します。このように、明治になって僅か4年弱で、西洋文明を取り入れることに成功し、本格的な近代化がスタートしました。

 国の体制も整えられました。初めての戸籍調査が行われ、人口が3311万人余であることが分かりました。また、陸軍省・海軍省や、日本初の裁判所が設置され、郵便が始まり、教育面では学制も整いました。

 さらに、福沢諭吉が「学問ノススメ」を世に出し、思想の上でも時代が変わり始めました。この著作は日本人の10人に1人が読んだと言われ、当時の日本人の精神形成に大きな影響を与えました。

 また、この年の11月に、太陰暦が太陽暦に変わることになり、旧暦の明治5年12月3日が新暦の明治6年1月1日になりました。

 まさに、浜田地震は、日本の時代の変わり目に起きた地震でした。

繰り返す西日本の日本海側での地震

 浜田地震以降、西日本の日本海側では繰り返し地震が起きてきました。首都圏を壊滅させた1923年関東地震と、南海トラフ地震である1944年東南海地震・1946年南海地震前後の間には、M7クラスの地震が4回も起きています。1925年5月23日北但馬地震(M7.3、死者2,925)、1927年3月7日北丹後地震(M7.3、死者272)、1943年9月10日鳥取地震(M7.2、死者1,083)、1948年6月28日に福井地震(M7.1、死者3,769)の4地震です。日本は、この間に大正デモクラシーの時代から戦争を始め、敗戦しました。

 最近の約20年間にも、2000年10月6日鳥取県西部地震(M7.3)、2005年3月20日福岡県北西沖地震(M7.0)、2007年3月25日能登半島地震(M6.9)、2016年10月21日鳥取県中部の地震(M6.6)、2018年4月9日島根県西部の地震(M6.1)と多くの地震が起きています。以前の地震発生の様子とは異なるようです。

今後の地震に備え、耐震対策を

 これらの地震の震源域を西から東へと並べると、浜田地震、島根県中部の地震、鳥取県西部地震、鳥取県中部の地震、鳥取地震、北但馬地震、北丹後地震、福井地震、能登半島地震と並んでいます。よく見ると、地震が起きていない隙間があちこちにあることが分かります。

 地震調査研究推進本部は、近い将来の発生が心配される南海トラフ地震について、今後30年間の地震発生確率を70~80%と評価し、平均的な残り時間は十数年としています。南海トラフ地震発生前には西日本内陸の地震活動が活発になると言われます。西日本内陸で、今後さらに地震が発生することもあり得ます。直下で起きる地震では、強い揺れが襲います。改めて家具の転倒防止や家屋の耐震化を進めたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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