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500年に一度の動乱期と感じる今、歴史に学び次なる大災害を乗り越えたい

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

繰り返す超巨大地震

 東北地方太平洋沖では、大・中・小の地震がそれぞれ、500年程度、100年程度、30年程度で繰り返し起きていると考えられるようになりました。津波堆積物調査などから、東日本大震災のようなM9クラスの超巨大地震が、869年、1454年、2011年に起きたことが分かってきました。前二者は、貞観地震、享徳地震と呼ばれます。この前後には、南海トラフ地震や関東地震、富士山噴火、疫病や飢饉なども起き、時代が大きく変化しました。現代も、東日本大震災から10年、新型コロナウィルスの感染が広がる中、南海トラフ地震や首都直下地震、富士山の噴火などが心配されています。

貞観時代の疫病・噴火・地震

 平安時代中期の貞観時代に、疫病が蔓延しました。病死した人たちの霊を鎮めるため神泉苑で御霊会が開かれ、これが八坂神社の祇園祭の発祥となりました。祇園祭は、最後に疫神社での茅の輪くぐりで終わります。この時期、863年に越中・越後で地震が起き、翌864年に富士山が貞観噴火と呼ばれる割れ目噴火をします。この年には、阿蘇山も噴火しました。866年には、応天門の変が起き、藤原良房が摂政に就いて摂関政治が始まります。さらに、868年に播磨国地震が発生し、869年に貞観地震が発生しました。当時は蝦夷との戦が行われていた時期で、東北の拠点・多賀城での津波の様子が日本三代実録に記録されています。翌年の870年に官吏登用試験の方略氏に合格したのが菅原道真です。「弁地震」の問いに対して、道真は、中国で張衡が発明した地震計・地動儀のことを答えて合格します。さらに、871年に震源域近くの鳥海山、874年には九州の開聞岳が噴火しています。

元慶時代・仁和時代にも災禍が続く

 元慶時代になっても災禍が続きます。878年に関東地震が疑われる相模・武蔵地震が起きます。この年には、蝦夷との間での元慶の乱がおきています。さらに880年に出雲の地震が起き、仁和時代になって、887年に京都の地震と南海トラフ地震の仁和地震が発生します。このとき道真は、讃岐国の国司だったので、仁和地震の災害後対応を担ったと想像されます。890年に京に戻った道真は、894年に遣唐使を廃止します。こういった中、日本独自の国風文化が芽生えていきます。

 日本海溝、相模トラフ、南海トラフなどでの海溝型巨大地震や西日本での内陸直下の地震、富士山などの火山噴火、度重なる疫病の中、応天門の変や元慶の乱が起き、宮廷政治の摂関政治が始まり、国風文化と言える宮廷文化が始まりました。

享徳地震とその後の災禍

 室町幕府の力が衰えつつある中、享徳地震が1454年に発生しました。この超巨大地震の17日後には鎌倉で地震があり、さらに17日後に享徳の乱も起きて、関東一円が戦乱に巻き込まれていきました。この後、1459年から、干ばつと台風、大雨洪水、冷害、バッタの蝗害などが重なって各地で凶作となり、疫病も蔓延して長禄・寛正の飢饉が起きました。そして、1467年に応仁の乱が始まり、京の都が焼け野原になります。

 応仁の乱が終わった後も、山城の国一揆や加賀の一向一揆が起きるなど混乱が続き、1493年の明応の政変で、戦国時代に突入していきました。この中、1495年に明応鎌倉地震が起きました。この地震は関東地震の可能性も指摘されています。さらに、1498年に日向灘の地震が起き、続いて、南海トラフ地震の明応地震が起きました。太平洋岸の各地で、津波による甚大な被害が発生しました。さらに、1511年には富士山も噴火しました。この間には、1502年に越後南西部での地震、1510年に摂津・河内の地震、1520年に紀伊半島や京都で被害がでた永正地震なども起き、西日本内陸直下の地震が頻発しました。

 同時期、ヨーロッパでは、大航海時代を迎え、ヨーロッパから中南米に天然痘が、逆にヨーロッパに梅毒が伝わりました。また、1517年にはルターによる宗教改革が始まり、激動の時代となります。日本は、この後、戦国大名が台頭し、安土・桃山の時代へと移っていきました。

東日本大震災と新型コロナ禍を受けて

 東日本大震災から10年が経ち、新型コロナ禍で世界の価値観が変わろうとしています。世界の人口増と気候変動で、食糧難などが予想される中、デジタルトランスフォーメーションやカーボンニュートラルが叫ばれ、従来とは全く異なった世界になることが予感されます。産業革命以降に人類が地球に与えた影響は甚大で、人新世と呼ぶ地質年代まで作り出してしまいました。そんな中、500年前、1000年前と同じように、南海トラフ地震、富士山噴火、首都直下地震などに見舞われたら、一体、どんなことになるでしょうか。

 東日本大震災で問われた科学の限界、津波浸水地からの高台移転、液状化危険度の高い土地利用の回避、高層ビルの長周期地震動問題、再生エネルギー利用と電力の安定供給、首都一極集中の是正と自律分散型国土構造、家屋の耐震化などの自助推進、社会インフラやライフラインの耐震強化、地域コミュニティの再生による共助力向上など、進捗は芳しくありません。あらゆる人が力を合わせるコレクティブインパクトで、本気で防災減災対策を進めていく必要があります。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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