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いまだに続く東日本大震災の余震、長引く超巨大地震の影響

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
気象庁のホームページより

千葉県東方沖での地震

 先週、2020年6月25日4時47分頃に、千葉県東方沖でマグニチュード(M)6.1の地震が起きました。千葉県旭市で最大震度5弱を観測し、東北地方から伊豆諸島にかけて揺れを観測しました。未明の地震で驚いた人も多いと思います。気象庁は、地震発生2時間後に記者発表を行い、2011年東北地方太平洋沖地震の余震と考えられるとの見解を示しました。テレビや新聞でも報道され、まだ余震が続くのかと、不思議に思った人も多いようです。

 気象庁では、今後の地震活動について、「過去の事例では、大地震発生から1週間程度の間に同程度の地震が発生した事例は1~2割あることから、揺れの強かった地域では、地震発生から1週間程度、最大震度5弱程度の地震に注意してください。特に今後2~3日程度は、強い揺れをもたらす地震が発生することが多くあります」と注意を喚起しています。

 私は地震そのものの専門家ではありませんが、地震工学の立場から、本震、前震、余震、誘発地震、余効変動などについて解説したいと思います。

東北地方太平洋沖地震

 東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震は、2011年3月11日14時46分ごろに発生しました。三陸地方にある牡鹿半島を震源としたM9.0の超巨大地震です。1900年以降に発生した地震の中では、世界第4位の規模と言われます。岩手県から茨城県の沖合の長さ約500km、幅約200kmの大きさの震源域で岩盤がずれ動きました。日本海溝近くの浅部で大滑りが生じ、大規模な津波が起きました。

 揺れは、宮城県栗原市での最大震度7をはじめ、宮城県、福島県、茨城県、栃木県で最大震度6強、東京でも震度5強を観測しました。東北地方の平野部や東京湾岸で広域に液状化が発生し、太平洋岸を大津波が襲いました。さらに非常用発電機が停止した福島原発で水素爆発が起きました。また、東京や大阪などの大都市に林立する高層ビルは、長周期の揺れによって大きく揺れました。計画停電もあり、被災地域を中心に広域で社会機能が停止し、日本全体の社会活動が停滞することになりました。

東北地方太平洋沖地震の前震

 東北地方太平洋沖地震の発生の2日前、3月9日11時45分に三陸沖でM7.3の地震が起きていました。最大震度は5弱でした。M7を超える大地震でしたが、誰も2日後の超巨大地震の発生を想像していませんでした。この地震は、東北地方太平洋沖地震が発生したため、前震になり、3月11日の地震が本震になりました。実は、前日の3月10日6時23分にも三陸沖でM6.8の地震が起きていました。本震が起きていなければこれは3月9日の地震の余震ですが、本震の発生によって前震の一つになりました。これらの前震が本震のトリガーになったと考えられます。

 ちなみに、前震とは、本震の発生前に、本震の震源域の中で発生する本震より小さな地震のことです。一方、余震は、本震が発生した場所の周辺で起きる本震より小さい地震のことです。前震が起こらず、本震と余震のみの場合を本震-余震型、前震も発生した場合は、前震-本震-余震型と呼びます。後者には、最大震度7の揺れを連続観測した2016年熊本地震もあります。

東北地方太平洋沖地震の余震

 本震当日に震源域の中で起きたM6以上の大きな余震は、14時51分に福島県沖でM6.8、14時54分に福島県沖でM6.1、14時58分に福島県沖でM6.6、15時6分に岩手県沖でM6.5、15時08分に岩手県沖でM7.4、15時12分に福島県沖でM6.7、15時15分に茨城県沖でM7.6、16時28分に岩手県沖でM6.6、17時40分に福島県沖でM6.0、20時36分に岩手県沖でM6.7と、10回です。

 気象庁の資料によると、東北地方太平洋沖地震の震源域周辺でのM4.0以上の地震の月発生回数は、2011年3月は3,113、4月786、5月377、6月220、7月204です。地震前の10年間の月平均地震発生回数は11.5ですから、本震後の余震活動の活発さが分かります。今でも、本震発生前よりは少し多いようです。

東北地方太平洋沖地震の誘発地震と余効変動

 大きな地震が起きると、震源域の周辺の岩盤にも影響を与え、地震が起こりやすくなる場所や、起きにくくなる場所ができます。その結果、震源域から離れた場所でも地震が起きます。広義の余震ともいえますが、誘発地震といいます。東北地方太平洋沖地震では、翌12日に長野県北部でM6.7の地震と秋田県沖でM6.4の地震が、15日に静岡県東部でM6.4の地震が発生しました。また、震源域のすぐ近くでも、11日14時16分に日本海溝の外側でM7.5のアウターライズ地震が、4月7日に沈み込むプレート内でスラブ内地震が、4月11日に福島県浜通りの井戸沢断層などでM7.0の地震が起きています。

 誘発地震に加え、大きな地震の後には、長期間にわたってゆっくりと地殻変動が進行します。これを余効変動といいます。震源域の断層の周囲で広範囲にわたってプレートがゆっくりと滑り続けることなどで生じます。スロー地震、ゆっくり地震、非地震性滑りなどとも呼ばれます。東北地方太平洋沖地震の余効変動は徐々に減っていますが、未だに続いています。

方丈記にも記された余震の数の減少

 鴨長明が1212年に記した方丈記には、1185年文治地震後の余震活動が見事に表現されています。「かくおびただしくふる事は、暫しにて、止みにしかども、その餘波しばしは絶えず。世の常に驚くほどの地震、二・三十度ふらぬ日はなし。十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四・五度、二・三度、もしは一日交ぜ、二・三日に一度など、大方その餘波、三月許りや侍りけむ。」と、余震を感じなくなるのに3か月もかかったと記されています。この地震は琵琶湖西岸断層帯で起きたM7クラスの地震だと思われます。この地震に比べ遥かに規模の大きな東北地方太平洋沖地震では、9年後に余震があることは全く不思議ではありません。

濃尾地震で分かった余震の起き方

 1891年10月28日に岐阜県の根尾谷断層などでM8.0の濃尾地震が発生しました。内陸直下で起きた過去最大の地震です。この地震のあと、地震学の創設期に活躍した大森房吉が、本震からの経過時間に伴う余震回数の減少を調べました。余震の数は本震の直後に多く、時間とともに減っていきます。だいたい本震から2日後に約2分の1、10日後に約10分の1になります。本震が大きいほど余震が収まるまでの期間が長くなります。余震が分布する場所を余震域と言いますが、本震直後の余震域は本震の震源域とおおむね重なります。余震のマグニチュードは、本震より1程度以上小さいことが多いのですが、余震の震源近くでは、本震で痛んだ家屋が大きく損壊することがあるので要注意です。

 ちなみに、濃尾地震の震源域ではいまだに余震と思われる微小地震が数多く観測されているようです。濃尾地震の約50年後の1945年には、濃尾地震の震源域の南東側でM6.8の三河地震が、1948年には北西側でM7.1の福井地震が発生しました。三河地震は1944年東南海地震の誘発地震とも考えられています。最近では、2004年新潟県中越地震(M6.8)の3年後に2007年新潟県中越沖地震(M6.8)が起きています。

南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)

 南海トラフ沿いでの巨大地震は、駿河湾域から宮崎県沖まで一度に地震を起こすこともあれば、東西の震源域が分かれて比較的短い時間間隔で起きる場合もあります。このため、震源域の一部でM8クラスの巨大地震が起きた場合には、残りの場所で巨大地震が発生する可能性が高まると考えて、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が発表されます。本震発生後に余震や誘発地震が起きやすくなると考え、本震発生後1週間は、特別な対応をすることを定めています。ちなみに、全世界で1900年以降に発生したM8.0以上の地震96事例のうち、3日以内に隣接領域で同程度の地震が発生した事例が10あり、その後の発生頻度は時間とともに減少することが分かっています。

 東北地方太平洋沖地震の隣接する場所では、北海道沖や房総半島沖などで巨大地震の発生が心配されています。南海トラフ地震や首都直下地震をはじめ、海溝型の地震や内陸直下の地震も気がかりです。千葉県東方沖の地震をわがことと受け止め、一つでも地震対策を進めたいものです。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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