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【過去の教訓を未来につなぐ】東日本大震災に加え3月には沢山の地震が発生していた

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:アフロ)

 3月11日に発生した東日本大震災から7年が経ちます。年度末の3月には過去から数多くの地震が発生しています。

3月3日 昭和三陸地震(1933年)

 未明の2時30分頃に起きたマグニチュード8.1の地震で、日本海溝の海側で起きたアウターライズ地震だと考えられています。震源が離れていたので、揺れは震度5程度でしたが、三陸沿岸に来襲した津波によって3千人を超える死者・行方不明者を出しました。1896年明治三陸地震に続く津波で、この地震の24日後の27日に国際連盟からの脱退を表明しました。

3月4日 十勝沖地震(1952年)

 マグニチュード8.2のプレート境界地震で、津波などにより33人の死者・行方不明者を出しました。この場所では、1843年、1952年、2003年と60~80年程度の周期で繰り返すと共に、400年程度の周期でマグニチュード9クラスの超巨大地震が発生すると言われています。前回が17世紀初頭に発生したと考えられることから、昨年末、今後30年以内に7~40%の確率で起きるとの予測が公表されました。

3月7日 北丹後地震(1927年)

 京都北部にある郷村断層と山田断層がずれ動いたマグニチュード7.3の直下地震で、2,925人の死者を出しました。この時期、1923年関東地震、1925年北但馬地震、1930年北伊豆地震と大地震が頻発していました。また、関東大震災の震災手形が不良債権化していて、地震の翌週3月14日の片岡直温蔵相の「失言」をきっかけに昭和金融恐慌を招きました。

3月9日 三陸沖の地震(2011年)

 マグニチュード7.3の地震で、東北地方太平洋沖地震の前震と見られています。今後、巨大地震の発生が予測されている震源域で同様の地震が起きた時、どのように対応すべきか、一石を投じた地震です。

3月11日 小田原地震(1853年)・東北地方太平洋沖地震(2011年)

 3月11日には東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震に加え、幕末の連続地震の先駆けとなった小田原地震も発生しています。小田原地震はマグニチュード6.5と推定される地震です。この年の7月にペリーが率いる黒船が浦賀に来航します。翌年の東海地震と南海地震、翌々年の江戸地震など地震が頻発し、尊王攘夷の嵐に加え、暴風雨、コレラなどで幕府は疲弊し、安政の大獄へと繋がりました。

 発生7年を迎える東北地方太平洋沖地震は、観測史上最大のマグニチュード9.0の超巨大地震で、関連死を含め2万人を超える犠牲者を出した戦後最悪の災害です。巨大津波に加え原発事故によって我が国は窮地に陥りました。

3月12日 長野県北部の地震(2011年)

 東北地方太平洋沖地震の13時間後に発生したマグニチュード6.7の地震で3人が犠牲になりました。巨大地震に伴い、遠隔地でも誘発地震が発生することを周知させた地震です。

3月14日 浜田地震(1872年)

 島根県浜田市周辺で発生したマグニチュード7.2の地震で、死者552人を出しました。明治になって最初の被害地震だと考えられます。

3月15日 秋田仙北地震(1914年)・静岡県東部の地震(2011年)

 秋田仙北地震はマグニチュード7.1程度と推定されており、94名の死者を出しました。活断層の存在が知られていない場所での地震で、強首地震とも呼ばれています。

 静岡県東部の地震は、マグニチュード6.4と規模は大きくはありませんでしたが、想定東海地震の震源域近くでの地震だったため心配されましたが、東海地震とは異なる発震機構で発生した地震であると判断されました。

3月20日 福岡県西方沖の地震(2005年)

 玄界灘で発生したマグニチュード7.0の地震で玄界島を中心に住家が被害を受けました。震度6弱だった福岡市内では窓ガラスが飛散などしました。この地震後2008年に、福岡市は福岡市建築基準法施行条例を改正して、震源の南西延長線にある警固断層周辺の中高層建築物について耐震性能を強化しました。

3月24日 芸予地震(2001年)

 安芸灘で起きたマグニチュード6.7の地震で、震度6弱の揺れでした。呉市などの急傾斜地を中心に、家屋の損壊、ブロック塀倒壊、土砂崩れなどの被害が出ました。

3月25日 能登半島地震(2007)

 能登半島沖で起きたマグニチュード6.9の地震で、輪島市門前町の總持寺祖院周辺を中心に大きな被害がありました。この地震の4か月後には、新潟県中越沖地震が発生しており、日本海東縁から新潟-神戸ひずみ集中帯にかけての地震活動が話題になりました。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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