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東南海地震から73年、次の震災について本当のことを話してみよう

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:ロイター/アフロ)

目を背ける「必ず来る」南海トラフ地震

 今週12月7日に、昭和東南海地震から73年を迎えます。南海トラフ地震は、フィリピン海プレートの運動が止まらない限り、将来確実に発生します。「来るかもしれない」のではなく「必ず来る」地震です。被災者は国民の半数に及び、国難ともいわれる災害を引き起こします。関東大震災の「火災」、阪神・淡路大震災の「家屋倒壊」、東日本大震災の「津波」のすべてを同時に経験する恐れの高い地震です。

 多数の家屋の倒壊、津波の来襲、地震火災と、惨状が重なり、余りの被災者数で避難所に入れない人々が、ヨレヨレの格好で郊外へと歩き、行き倒れの人を助けることもできない。電気、ガス、水道がすべて途絶して衛生状態が極度に悪化、街には強烈な腐臭が漂う。こんな風景が現実のものとなると思われます。

 南海トラフ地震の発生前後には、西日本で内陸直下の活断層地震が頻発し、首都圏を襲う大地震の発生も懸念されます。過去にも100~150年程度の間隔で地震活動期を繰り返し経験し、いつも歴史の転換期となってきました。

南海トラフ地震の本当の姿を見てみよう

 南海トラフ地震で多くの犠牲者を出した1498年明応地震や1707年宝永地震では、現在の人口に換算すると数十万の犠牲者が発生しました。南海トラフ地震での予測死者数32万3千人は最悪の数字と言われていますが、これは直接死のみで関連死を含んでおらず、決して過大とは言えません。予測経済被害は200兆円を超え、国内総生産の4割にも及びます。ですが、この被害額は資産価値に基づく金額です。新築での復興には被害額の倍、国内総生産相当の費用が必要になります。

 過去の南海トラフ地震が起きた時代は、各地が地産地消で自律・分散し、若者が多く共同体意識の強い「生きる力」が大きな社会でした。このため、震災後、新たな社会を築き見事に回復してきました。一方、現代は、首都への一極集中、中央集約型のライフライン依存、高齢化と人口減、多大な債務など解決困難な課題を多く抱えています。次の震災で甚大な被害を出せば我が国は衰退への道をたどる懸念を感じます。

 ですが、現代は、こんな当たり前の「本当のこと」を話しにくい社会になりました。先に行われた総選挙でも震災対策のことはほとんど話題になりませんでした。本稿では、将来の災害に目を背けることなく、南海トラフ地震の本当の姿について考えてみたいと思います。

人口集中がハザードを高める

 明治政府は、殖産興業を進めるため、地方から労働者を集め、工場のある一部地域に人口を集中させる施策を推進しました。さらに、政治や商業がこれらの地域に集まり、東京などの大都市が作られました。元来、我が国では危険を避けた場所に居住地を留めてきましたが、増大する住民の居住地を確保するため、沖積低地や丘陵地に街を広げ、さらに海や池沼も埋め立てて都市を拡大してきました。

 都市の要の主要鉄道は、蒸気機関車の時代に敷設されましたが、ばい煙・騒音・出力不足や、線路の通しやすさなどから、住居のない低地や谷筋を選んで建設されました。このため、危険度の高い場所に駅ができ、その周辺に市街地が形成されました。例えば、日比谷入江を埋め立てた東京の日比谷・丸の内、田を埋めた大阪・梅田、泥江という町の隣にある名古屋駅など、高層ビル群が林立する足元は多くの危険がある場所です。

 明治以降の人間社会が、揺れが強く、液状化しやすく、水害危険度の高い場所に敢えて街を拡大し、ハザードを増やしています。2013年にスイスの再保険会社が公表した自然災害危険度が高い都市ランキングで「東京・横浜」はワースト1でした。関東地震のとき、東京では約7万人の死者を出しましたが、低地が広がる東側の下町での死亡率は西側の山手の約25倍でした。今、その場所には高層マンションが立ち並び、当時の8倍の人たちが住んでいます。2020年東京オリンピック・パラリンピックの会場もその中にあります。

 かつての日本と比べ、大都市の沿岸低地に人口が集中し、自然災害のハザードとエクスポージャーが増大しています。

科学技術をコストダウンに使えば抵抗力が下がるかもしれない

 いくらハザードが大きくても、私たち社会の抵抗力・レジスタンスが大きければ、被害を抑制することができます。ですが、今の時代は、バリューエンジニアリングで代表されるように、最小コストで最大価値を実現することが尊ばれ、そのために科学技術が利用されます。万一、要求する価値の中に、安全という価値観が十分になければ、コストカットのために構造物の躯体が法基準ギリギリまで削られることもあり得ます。

 我が国の建築基準法は、その第1条に記されているように、建築物の構造について最低の基準を定めているに過ぎません。これは、日本国憲法の第25条と29条にある「最低限の生存権を保障する範囲で財産権を制約する」という憲法の趣旨に則った法律だからです。

 多くの建物の構造計算で用いられている許容応力度計算法という方法では、建築物が無被害のときの建物の平均的な揺れとして千ガル程度を想定して、建物の空間を保持し人命を守ることを確認しています。1回の地震のみを想定し、柱や梁が損傷することは許容しています。したがって、地震後の建物の継続使用を保障しているものではなく、複数回の地震や、設計想定を超える揺れに対しては安全性を保障するものではありません。

 一般に、軟弱な地盤や背が高く壁の少ない柔らかい建物では、固い地盤にある壁の多い低層建物に比べ、建物の揺れは大きくなります。また、耐震的な余裕も小さくなりがちです。したがって、多くの建物が現行の最低基準の耐震基準に対してギリギリに設計されていたとすれば、軟弱な地盤に規模の大きな建物が多く存在する駅前市街地では被害が大きくなると考えられます。

 南海トラフ地震では、設計基準を上回る揺れが予想されている地域が多くあります。建物の安全性をどの程度にすべきかについて、設計者任せにせず、建物発注者と設計者との間で十分に議論する必要があると思われます。

債務増大と公助依存で低下する災害時対応力と回復力、科学技術の活用を!

 我が国の消防力は、平時の火災や救急活動に対して整備されており、大規模な災害では消防力が不足します。局地的な災害であれば他地域からの救援が期待できますが、南海トラフ地震のように広域が同時被災する場合には、消防力は圧倒的に不足します。

 災害時には自治体などの公的機関が大きな役割を担いますが、債務増大による人員削減や、緊急車両削減で、災害時の対応資源は減少し続けています。例えば、消防士の数は人口千人に一人程度、救急車の数は人口3万人に一台程度しかありません。大規模災害時には公助には限界があるので、地域の住民が互いに助け合う共助が大切になります。

 ですが、地域の共助力も減退しています。地方では高齢化と若者の減少、都会ではサラリーマンの増加で、消防団の人数が激減しています。とくに、平日昼間の住宅地では、共働き世帯や独居世帯が増えたため地域を守る人の人数が減っています。最近では子供会の活動も低下し、民生委員・児童委員のなり手も減ってきました。その一方で、高齢化で介護が必要な人が増え、受援者と支援者の数のバランスが崩れてきました。

 災害後に逞しく回復するには、個人と社会の「生きる力」が必要となります。個人の精神力と体力に加え、地域社会の助け合いの力が必要です。子供に逞しさを植え付けたり、地域コミュニティ力を育む方策を真剣に考えなければ、防災面だけでなく、防犯や福祉の面でも多くの困難に直面することが予期されます。

 当面は、最新のICT技術を活用して、災害時の情報を的確に把握し限られた資源を最大限活用する方策を考えたり、電気やガス、水道が長期間途絶しても大丈夫なように、自然エネルギーを活用し、太陽光発電や蓄電池、井戸などを備えた自立住宅を増やしていくことが大切だと思います。

 次の世代に、今の豊かな社会を確実にバトンタッチするため、少し言いにくいことも話し始めることが大切と感じ、最近、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)という著作をまとめました。ご興味のある方は一度ご覧ください。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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