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時と場所によって変わる地震被害、悲観的に想像し楽観的に備えたい

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

時間によって異なる被害様相

6年前に起きた2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は、金曜の午後2時46分に発生しました。仙台の天気は、曇りで、最低気温-2.5度、最高気温6.2度、風速は3mでした。比較的、津波から避難しやすい時間と気候でした。

1923年関東地震(関東大震災)は、9月1日、金曜日、11時58分32秒に発生しました。当日は曇りで、残暑が続く日だったようです。この日は、台風が日本海沿岸を進んでいて東京も風が強く、炊事の時間と強風が、甚大な火災被害を生み出す原因となりました。

一方、1944年昭和東南海地震は、12月7日、木曜日、13時15分に発生しました。当日は風も無い小春日和の晴天で、昼食後の時間でした。関東地震と同じマグニチュード7.9の地震で、震源からの距離が概ね等しい東京と名古屋の人口は200万人と130万人でした。ですが、焼失戸数は30万戸と2戸と全く違います。まちの立地や建物の耐震性、戦時下など時代背景も異なりますが、発生時間と天候の影響は無視できないと思われます。

時代によって異なる被害様相

時代によって生活様式は変化します。狩猟を中心とした縄文時代であれば、津波の影響は甚大ですが、地震で壊れるような家屋はなく、自然の恵みの中で過ごす縄文人にとって影響は現代より少なかったと思われます。江戸時代であれば、耐震性のない家屋の倒壊はあっても、安全な所に集落を作り、井戸、かまど、灯明、くみ取り便所、徒歩での移動、地産地消、職住近接などを前提としたので、災害後の生活に大きな困難はなかったと考えられます。電気・ガス・上下水道などのライフラインや交通・通信、堤防などのインフラに頼り、地域間の依存関係が強い中央集約型の高効率な現代社会とは災害様相が大きく異なりそうです。

季節、時間、曜日、天気によって異なる災害様相

もしも、東日本大震災が夏の休日の昼間に起きていたら海辺にいる海水浴客やサーファーはどうなったか、吹雪の冬の深夜に起きていたら避難ができたか、また、阪神淡路大震災(1995年兵庫県南部地震)が朝の通勤時間に起きていたら電車や高速道路の通勤・通学者はどうなったか、勤務時間帯だったら三ノ宮の倒壊したビルの中のサラリーマンはどうなったかなど、季節や時間、曜日によって被害様相の違いを考えることは大切です。

災害は時を選ばずに襲ってきます。例えば、1896年明治三陸地震津波では、夜8時過ぎに津波が襲来しました。当日は旧暦の節句の日で、日露戦争の従軍兵士の凱旋祝賀式典も行われ、多くの人が酒席に参加していました。揺れが小さい津波地震だったこともあり、2万3千人もの人が犠牲になりました。また、2014年御嶽山噴火は、秋の行楽日和の土曜日の昼食時、一年で最も多くの観光客が山頂に滞在する季節・時間・曜日・天候の時に発生し、63名もの死者・行方不明者を出しました。季節・時間・曜日・天候が最悪の組み合わせでした。

季節によって、湿気の多い梅雨時や暑い夏は腐乱などによる衛生問題が、寒い冬は暖房の問題が課題になります。春の災害は相対的には生活環境が良いと考えられますが、秋は地震後の台風の襲来が心配になります。

時間によっても、深夜であれば家屋の耐震性と就寝中の無防備さが、炊事の時間は火災の危険が、通勤時間帯は交通施設の安全性が、昼間であれば勤務地や学校の耐震性と家族との安否確認、帰宅困難問題などが課題となります。

平日か休日でも異なります。休日には、土地勘の無い不案内な観光地を訪れたり、大規模商業施設や集客施設で余暇を過ごすことが多く、群衆行動が課題となります。

天候に関しても、大雨や大雪、暴風などが重なると、災害は複合化します。雪国であれば積雪時は屋根が重く耐震的に不利になり、道路が凍結していると避難にも時間がかかります。台風や吹雪の中を避難するのは困難を極めるでしょう。また、地震との関係が大きい火山噴火も気がかりです。

地形・地勢によって異なる地震災害

同じ大きさの地震が同じ距離で発生しても、地形やまちの有り様で災害の起き方は大きく異なります。例えば、1995年兵庫県南部地震と2016年熊本地震は、直下の活断層がずれ動いたマグニチュード7.3の地震、多くの人が寝ている時間、震度7の揺れと共通点が多いですが、地震の揺れによる直接死者数は5501人と50人と100倍も違います。震度7に見舞われた神戸市などの大都市と益城町・西原村とでは、人口や地域力が全く異なります。同じ兵庫県南部地震でも、家屋倒壊率が同程度だった芦屋市と淡路島・北淡町とでは、芦屋市の死亡率は北淡町の3倍でした。また、芦屋市の中でも丘陵地の高級住宅街と低地の住宅地とでは被害が全く違っていました。

地形によっては、山地では土砂崩れやそれに伴う道路閉塞による孤立、河川閉塞による水没や土石流などが、丘陵地では斜面崩壊が、海辺や河川周辺では津波遡上や堤防の破堤などによる浸水が、沖積低地や干拓地・埋立地では液状化や側方流動などの地盤変状や強い揺れが懸念されます。また、大規模な堆積平野では、長周期地震動による高層ビルの強い揺れやタンクの液面動揺などが問題になります。

また、沿岸部に位置する都会と中山間地の田舎とでは、災害様相は大きく異なります。都会では過密さと効率の高さが災害を波及させやすくなります。軟弱地盤へのまちの拡大とビルの高層化による強い揺れ、家屋の密集に伴う火災の延焼のしやすさ、地下の利用による浸水危険度、ライフライン依存による生活・産業維持の困難さ、高速交通機関を利用した遠距離通勤による帰宅困難問題、食料やエネルギーの他地域依存による災害波及など、多くの課題を抱えています。また、復旧・復興期にも、地域コミュニティ力の弱さや、肉体労働が不得手な3次産業労働者が多いなどが気がかりな点です。

一方で、田舎では、過疎に伴う若年者減少と老齢単身世帯の増加による応受援体制の崩壊、老朽家屋の耐震性などの課題を抱えています。ただし、田畑や井戸なども残っており、自然が豊かで、地域の助け合いの力も大きいので、災害後の対応力は都会に比べ大きいと考えられます。

阪神淡路大震災や東日本大震災では、老齢者の死亡率は若者の5倍程度でしたから、今後、少子高齢化の時代を迎える中、耐震化などの備えの促進が一層重要となります。

地震の起き方によって変わる社会行動

兵庫県南部地震はいきなりの震度7の揺れでしたが、熊本地震では前震の後に本震がありました。熊本地震での全壊家屋数に対する死亡者の比は兵庫県南部地震の10分の1程度でした。熊本地震では、前震の揺れで危険を感じた住民の多くが避難所や車中に避難していたため、本震での死亡者が減じられと考えられます。このように地震の起き方によって、人間の行動が変化しますから、結果として被害も異なってきます。

例えば、切迫が懸念されている南海トラフ地震ですが、過去の地震をみると、震源域全体が同時に地震を起こしたり、別々に起きたりしています。例えば、前回や前々回の1944年昭和東南海地震や1854年安政東海地震のように、先に東側だけで地震が起きたとき、南海地震の予想被災地の人たちはどんな行動をとるでしょうか?

このように、地震の発生そのものは自然の営みですが、土地利用の仕方も含めた社会の有り様が被害を生み出すので、条件によって被害様相は大きく異なります。だからこそ、「悲観的に想像し、楽観的に備える」という態度が必要となります。二度と想定外と言わないために、見たくないことも目を背けることなく、災害被害が少なくなるように社会の在り方を見直し、被害を未然に防ぎたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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