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経営危機。過去の成功パターンに囚われたジョブズ 〜スティーブ・ジョブズの成長物語 ピクサー篇(5)

榎本幹朗作家/音楽産業を専門とするコンサルタント
(写真:ロイター/アフロ)

Appleを辞めたジョブズは、初代Macを作ったじぶんのやり方こそ正しいのだとこだわるあまり、ピクサー社でも経営危機を招いてしまう。百人を超すリストラ候補には、彼の事業を救うことになる天才クリエイターの名前があった───。

音楽産業、エンタメ産業そして人類の生活を変えたスティーブ・ジョブズの没後十周年を記念する集中連載、第十五弾。

■ジョブズの招いたピクサーの経営危機

 ジョブズの号令で、ピクサーの社員は三倍に膨れ上がった。百二十人の営業スタッフを雇い、全国に営業所を置き、新たに創ったピクサー・イメージ・コンピュータを大々的に売りだしたのである。

 そのコンピュータは美しかった。デザインは、敬愛するSonyのトリニトロン・テレビとWalkmanを手掛けたH・エスリンガーの手によるものだ。会社追放の直前、Macのデザインを依頼して縁ができたのである。

 エスリンガーがMacのために用意したデザイン言語、白雪姫を意味する『スノーホワイト』は、二〇世紀の間、ほとんどのパソコンが模倣して世界に白い筐体があふれることになった。

 その頃、Appleによるピクサー買収をスカリーCEO(当時)に訴えたこともある。だがスカリーはCGの将来性を認めず買収しなかった。そしてジョブズを追放したのだった。

 ジョブズのAppleへの怨念は凄まじく、ネクストやピクサーではMacを使っていなかったほどである。Appleの創業を成功に導いたやり方でネクスト社とピクサー社を大成功させてやる。そしてAppleを圧倒して眼にものを見せてくれる…。そう考えていたようだ。

 だが、皮肉なものだ。ピクサーに対する「そのアドバイスはことごとく間違っていた」とキャットムルは振り返る[1]。

 売れなかった。

 ピクサー・イメージ・コンピュータは十三万五千ドル、現在価値に引き直すと一台三千万円以上もした。その上、まともに使いこなせる顧客もほとんどいないのだった。もともと極限を追求する、計算機科学の博士号を持った専門家のために設計されたものだったからだ。

 過去の成功パターンに早くもしがみついた若きジョブズは、一度じぶんが確信したヴィジョンを修正してゆくリーンな経営手法を知らなかった。結果、わずか二年でピクサーは経営危機に陥った。

 一九八八年。カルフォルニアに美しい春が来ていたが、その日の会議は長く、つらいものとなった。どの人間をクビにするか、決めなければならなかったからだ。

 じぶんよりも優秀な人間を雇う。いまできることより、将来できる能力を買って仲間にする。その信念で、キャットムルが集めた最高に優秀な仲間たちだった。だがオーナーのジョブズは、聖域なきリストラを強く求めている───。

「これで終わりか?」

 あらかたクビ切りの検討が終わり、ジョブズがそう言って席を立とうとしたときだった。ちょっと待ってください、と引き止める声がした[2]。

 副社長だった。

■ラセター監督。アロハシャツとブレイクスルー

 ピクサーの副社長は勇気を振り絞って、断固たる決意を見せるジョブズに議題をぶつけた。

 半年後に控えるCGの祭典、シーグラフに出展する短編アニメ『ティン・トイ』の件だった。それはたった今、身を削る思いのリストラをもって作ろうとしているキャッシュとほとんど同じくらいの制作費がかかるのだ。

「ダメだ」

と、一太刀で切り捨て席を立っていれば、ジョブズの復活はなかったろう。そうしてもおかしくない場面だった。だが彼は席を立たず、じっと副社長の情熱を推し量るように説得を聴いていた。

 ジョブズの脳裏には昨年の夏、CGの祭典シーグラフで見た観客の熱狂が浮かんでいた。確かにそれは、ブレイクスルーだった。

 電気スタンドのルクソー親子が机のうえで、サッカーをはじめる。小さいスタンド、ルクソー・ジュニアがはしゃぐあまり、ボールに飛び乗ると空気が抜けてしまい、しょげかえる。

 後にピクサー映画のロゴを飾る、その微笑ましい電気スタンドの短編アニメが巨大スクリーンの上で終わると、観客たちはみな立ち上がり、歓声と拍手が鳴り止むことはなかった。

 立方体がスピンし球体が移動する、まるでニュートン物理学のようだったCGの世界に突如、ストーリーを吹き込まれたキャラが生き生きと演技したのだ。その日、CGアニメーション映画の実現は夢ではなくなった。

「わかるぞ。何が起きたかわかるぞ!」[3]

 恋人とともに沸き立つ会場にいたジョブズは眼を見開いて、そばにいた笑顔がいっぱいのアロハシャツの男にそう叫んでいた───。

 会議室でそこまで思い出したときジョブズは、『ティン・トイ』の制作続行をまくし立てる副社長に言った。

「絵コンテはあるのか?」

 あります、というので全員で見に行くことになった[5]。このときジョブズたちはこの小品がいずれ、大作『トイ・ストーリー』となって会社を上場に導くとは当然、知らない。部屋へ行くと、件の『ルクソー・ジュニア』を創った、アロハシャツの男が陽気な顔で待っていた。

 名をジョン・ラセターといった。(続く

■本稿は「音楽が未来を連れてくる」(DU BOOKS刊)の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

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■ジョブズの招いた経営危機

[1] Schlender, Tetzeli “Becoming Steve Jobs” Chap.5, p.137

[2] ヤング+サイモン『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』 第6章 p.263

[3] Schlender, Tetzeli “Becoming Steve Jobs” Chap.5, p.137

作家/音楽産業を専門とするコンサルタント

寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。2017年まで京都精華大学非常勤講師。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)

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