正しく恐れよ「千人計画」

「千人計画」に注目が集まっているが…。(写真:アフロ)

「千人計画」に関心が集まるが…

 日本学術会議の会員任命拒否が大きな話題となるなか、中国の「千人計画」なる計画に関心が集まっている。

 発端は自民党の甘利明議員のブログのようだ。日本学術会議が千人計画に関与していたとの記載をしており、訂正されている。

 前回の記事でも書いたが、日本学術会議と中国科学技術協会間の協力覚書は高々A4一枚程度の長さのもので、実効性は乏しい。日本学術会議も否定しているし、加藤官房長官も否定している。

そもそも千人計画とは?

 ここで中国の千人計画とは何かをみてみたい。

 上記などによれば、千人計画とは、中国から欧米などに流出した人材を呼び戻す「海外人材呼び戻し政策」の一環とされる。

中国では、文化大革命という知識人にとっては不幸な時代があった。その後トウ小平氏のお声がけで、俗に海亀政策と呼ばれるプログラムが始まり、頭脳流出した中国人研究者総勢100名を、21世紀になるまでに自国に呼び戻そうというものであった。今世紀に入ってから、その延長とも言える、千人計画がスタートした。中央政府によるものと地方政府によるもの、また、頭脳流出している中国人(一部外国人も可)が対象である創新・創業・青年の3種類、および外国人専門家(外專)などの各種プログラムがあり、それぞれが毎年数十名から百名強を10年程度で千人を目指すということで公募選抜し(後略)

出典:中国の日本人研究者便り

 現在このプログラムに関わる者は1万人を超えるとされる。上述の通り、主に中国から国外に流出した研究者の呼び戻しが中心だが、日本人含め様々な国の研究者がこのプログラムに関わっているとされる。

千人計画と知的財産のトラブル

 この千人計画であるが、各国でトラブルを引き起こしている。

 その一つは、アメリカで千人計画に関わっていることを隠し、給料を二重取りしたケースだ。

2020年1月28日、アメリカ司法省は、ハーバード大学の元教授(化学・化学生物学科長)チャーリズ・リーバー氏を起訴した。ノーベル賞候補とも言われた世界的研究者が起訴された理由は、詐欺容疑。同氏は中国・武漢技術大学から研究資金として150万米ドル以上を受け取っていたが、その事実をハーバード大に報告していなかった。

出典:中国「千人計画」とは?アメリカの警戒、国益と学問の自由のジレンマ

 他にも同種のケースが報告されている。

 千人計画に参加するアメリカ在住の研究者が知的財産を盗むのではないかという懸念をアメリカ政府は持っており、2019年には上院が報告書を出している。

近年、連邦政府機関は、中国に帰国する前に機密電子研究ファイルをダウンロードしたり、助成金申請時に虚偽の情報を提出したり、米国の助成金申請時に中国政府から受け取った資金を故意に開示しなかったりした人材採用計画のメンバーを発見しています。(DeepL翻訳)

出典:アメリカ上院報告書

 ほかアメリカ以外でも知的財産がらみのトラブルが発生している。

 知的財産の流出、そして流出した技術が軍事転用される可能性を考えれば、各国で千人計画に対する警戒感が高まっているのも無理はない。

中国に渡る若手研究者

 ただ、トラブル事例をよく見ると、外国の有力研究者をスカウトし、特許などの知的財産を中国で申請してもらうなどの手口が多い。それは深刻な問題であり、日本も対処しなければならない課題であると言えるが、千人計画参加者の中でも基礎研究者、特に若手研究者に関しては、知的財産の問題と切り分けて考えなければならないのではないか。

 というのも、こうした若手研究者は、日本ではやりたい研究ができない、活躍の場がないということで現地に出向いており、受け渡す知的財産を持ってはいないからだ。

研究チームを率いる新任の教授の「平均的な年収は600万円程度で、日本のほうが高い」。将来的には年金制度がより安定しており、人脈もあって共同研究がしやすい日本に戻るつもりだ。

それでも、15人の研究室を率いて豊富な研究資金で自由に研究ができる点は日本にはない魅力だ。研究室の開設費として約1500万円が大学から拠出されたほか、大学、国、地方自治体などの研究費提供プログラムも多く、日本のように資金確保が過大な負担となることもない。

任期も長く、10年契約を結んでいる。「日本では若いうちに自分のラボを持てる機会はなかなかない」と、この教授は言う。

もっとも、頭脳流出の背景には、こうしたプル要因以上に日本国内の就職難というプッシュ要因があるのかもしれない。博士号取得者の就職難が深刻化した世代に当たるこの教授も、国内で必死に就職活動をしたが希望のポストを得られなかったため、自ら応募して中国に渡った。

出典:千人計画で「流出」する日本人研究者、彼らはなぜ中国へ行くのか

 若手研究者の苦境は長らく言われてきたが解消されてこなかった。

 チャンスを求めて外国に渡る者が出るのは当然だ。しかも、基礎研究では論文執筆が全てであり、論文は世界に公開される。

 しかし、現在こうした若手研究者に対するバッシングが起こっている。

「武者修行」を奨励している日本政府

 この10年ほど、「若手研究者の内向き志向」が様々な場で言われ、政府も留学の促進や日本人研究者の海外進出を奨励していた。

しかし、最近では日本からのPost-Doc研究者の留学も、もともと数少ない海外でのPhD取得者も減っているようです。これが最近の多くのアジアの若者が海外留学をするのと比べて、きわめて顕著に違う傾向です。特にグローバル世界に向かって、若手研究者の内向き志向、鎖国志向は困ったことです。

出典:黒川清氏ブログ(2010年)

 グローバル化が重要だ、海外留学は「武者修行」だと、大学生から研究者まで、外国留学を奨励し続けている。

 また、先にあげた若手研究者の苦境に、「職がないなら外国へ行け」という声を多数聴いてきた。

 それなのに、中国にチャンスを求めて行く若手をバッシングするのは矛盾なのではないか。

 科学研究における中国の存在感は日に日に増している。

主要な指標から日本の状況を見ると、研究者数は共に主要国(日米独仏英中韓の 7 か国)中第 3 位、論文数(分数カウント法)は世界第 4 位、注目度の高い論文数(分数カウント)では世界第 9 位、パテントファミリー(2 か国以上への特許出願)数では世界第 1 位である。これらは昨年、一昨年と引き続き同じ順位である。論文数(分数カウント法)では、中国が初めて米国を上回り、主要国中第 1 位となった。注目度の高い論文数では、米国が第 1 位を保っている。

出典:科学技術指標2020要旨

 大学ランキングでも、中国の大学の中には東大や京大より上位の大学もある。

中国はランクイン数が 72校 から 81校 に増加し、その数はアメリカ、日本、イギリスに次いで世界第4位。アジアトップの清華大学と2位・北京大学はそれぞれ23位と24位でした。

出典:THE世界大学ランキング2020-東大は6ランクアップの36位、京大は65位を維持

 戦前はドイツやイギリス、戦後はアメリカと、日本人研究者は世界の研究の中心地に渡り、最先端の知見を身につけてきた。

 現在分野によっては中国が世界の中心となりつつあるなか、中国に渡る基礎科学研究者がいるのは無理はないことだ。

 そもそも科学者はチャンスを求めて国をまたぐのが当然だ。日本人ノーベル賞受賞者の中にも、アメリカなどで研究を続けたものが何人もいる。

 ゲノム編集という画期的な技術を開発し、2020年のノーベル化学賞に選ばれたEmmanuelle Charpentier博士も、職を転々としてきた一人だ。

新しい発見をしたいという衝動と、自由で独立したいという願望が彼女の道を支配してきました。パリのパスツール研究所で博士号を取得した後、5カ国、7都市で生活し、10の機関で働いてきました。(DeepL翻訳)

出典:ノーベル財団サイト

憂うべきは日本の現状

 知的財産をめぐる国と国との争いは綺麗事では済まされない。同盟国日本とアメリカでさえ緊張感がある問題であり、逮捕者なども出ている。

 こうしたなか、中国との知的財産の紛争や、日本の技術が軍事利用される懸念が上がるのは当然だ。

 ただ、その主体は企業の研究者だ。

 リストラやチャンスを求めて中国や韓国、アジアに渡っていった技術者がいる。

 こうしたエンジニアの流出は大きな問題だが、流出すべきものを持ち合わせていない若手基礎科学研究者を、軍事研究に結び付けてバッシングすること、明らかに筋違いと言えるだろう。

 日本も含め、世界各国が外国人の高度知識人材の獲得に奔走しているのは、もちろん慈善事業ではない。自分の国の利益のためにやっているわけだ。高度知識人材が大学の、研究機関のランキングを上げ、人材を育成し、知的財産を生み出す。

 中国だけではない。アメリカが世界中から人材を集める国であることは知られているが、シンガポールや中東の国々なども含め、世界各国で人材獲得競争が起こっている。

 日本とて同じだが、高度人材の受け入れは課題が多いようだ。

 今やるべきことは、外国に人材が引き抜かれてしまった現実、外国では活躍できる人材を国内に止めることができなかった現実を分析し、対策を立てることなのではないか。真に恐れ、憂うべきは、千人計画そのものではなく、自国にいる本来活躍できるはずの人材に活躍の場を与えられなかったことにあるのではないか。

 日本学術会議を批判するとするなら、こうした人材流出に有効な手段を提案できなかったことにこそすべきであり、実効性の乏しい日本学術会議と中国科学技術協会間の協力覚書などは枝葉のことだ。

「外科的アプローチ」で取り除け

米国と同盟国は、中国の知的不正行為を食い止め、中国の科学技術の優位性を維持するための手段を検討しているが、そのような努力が反応的なものではないことも確認しなければならない。その出発点は、なぜこれほど多くの科学者が中国に引き寄せられるようになったのかを問うことではないだろうか。(DeepL翻訳)

出典:China’s Science Talent-Recruitment Program Draws Fresh Attention

 まずは現状を分析することから始めないといけない。

 中国に強い警戒感を示すアメリカだが、その戦略はしたたかだ。

 トランプ政権で対中戦略を主導するポッティンジャー大統領副補佐官は、9月末の会合の中で以下のように述べる。

"ロナルド・レーガン研究所が主催したオンラインイベントでポッティンジャー氏は、安全保障上のリスクがあると判断した中国人に学生ビザを拒否するという政権の方針に言及し、「これは外科的なアプローチだ」と述べた。

"トランプ大統領は、その膨大な数の約1%をターゲットに、軍事関連の中国研究者をターゲットにした行動をとっている。"とポッティンジャー氏は述べた。(DeepL翻訳)

出典:U.S. targets only one percent of Chinese students over security: White House official

 背景には外国人人材に依存するアメリカの科学研究の現実があるのだが、国益を踏まえたリアルな対応だと言える。

米トランプ政権が発足した時から続くデカップリングと一線を画し、米中の研究現場では蜜月状態が続いていた。国際共著論文では、米中の連携件数が突出。オランダ学術情報大手エルゼビアによると、20年の中国の国際共著論文の38%が米国の研究機関の研究者との連携だ。米国の共著論文の26%も中国との連携で、国別で最も多い。

両国の共同研究は、中国だけにメリットがあるわけではない。米国の研究力や産業競争力の強さも支えている。

出典:米研究 危うい中国排除 留学生に依存 中国、「独立」へ着々

 問題があるなら個別に対処すれば良い。しかし残念ながらネット上では、日本学術会議と千人計画の関連や、中国に流出した若手基礎科学研究者も含めて十把一絡げで叩くだけで、現状の分析もしないし、より安全保障上のリスクの高い部分への対応を立てるべきという具体的な議論はあまり耳にしない。

 これでは、外科手術で患部を取り除くのではなく、病気になった人を殺すことになってしまうのではないか。

 表面だけアメリカをまねても怪我をするだけだ。

 研究者が外国に行くことが、送り出した国にも、受け入れた国にも利益をもたらすことは様々な研究で知られている。

 国際共同研究は研究の質、論文引用度をあげる。こうしたことを否定することは、いわば鎖国しろというようなものであり、世界の最先端から外れ、日本の「研究力」はますます低下するだろう。

 無意味なバッシングで時間や人材を浪費することで利益を得るのは誰か、よく考えた方がいい。