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双極性障害(躁うつ病)を正しく知ってほしい~元東大生プロ格闘家・巽宇宙からのメッセージ

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
巽宇宙は双極性障害と向き合いながら歩み続ける(本人提供)

巽宇宙 45歳 元東大生プロ格闘家

 巽宇宙という、なかなか個性的な名前の男を知っているとしたら、結構な格闘マニアかもしれない。

 巽宇宙。45歳。東京大学在学中から総合格闘技修斗のプロとして活躍し、世紀末のニッポンを駆け抜けた。

 引退後は会社員として猛烈に働くが、2007年、うつ病と診断される。2010年に双極性障害(躁うつ病)と分かり、闘病を続けている。

 実は彼は、私の大学時代の同級生だ。

 宇宙(親しみを込めて以降こう呼ばせていただく)は学生時代から格闘技に打ち込む強い男だった。試合を見に行ったこともあるが、リングの上の宇宙は輝いていた

 そんな強い宇宙が、双極性障害で苦しんでいるのを知ったのはここ数年のことだ。

 皆さんは双極性障害のことをどれくらいご存知だろうか。

 以下、日本うつ病学会「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」を参考に、双極性障害について簡単に説明したい。

双極性障害は、「躁状態」と呼ばれる気分が高ぶったとき、「うつ状態」と呼ばれる気分が低下したときが、交代して起こる病気です

出典:日本うつ病学会「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」

 まったく異なる症状が交互に来るのが、この病気の特徴であり、患者自身や周囲を苦しめる。

 「躁状態」とは何か。

  1. 気分が良すぎたり、ハイになったり、興奮したり、怒りっぽくなったりして、他人から普段のあなたとは違うと思われてしまう
  2. 少ししか眠らなくても平気になる(著者注:DSM-V(アメリカ精神医学会のマニュアル)では「睡眠欲求の減少(3時間眠っただけで充分な休息がとれたと感じる)」とされる)
  3. 自分が偉くなったように感じる
  4. いつもよりおしゃべりになる
  5. 色々な考えが次々と頭に浮かぶ
  6. 注意がそれやすい
  7. 活動性が高まり、ひどくなると全くじっとしていられなくなる
  8. 後で困ったことになるのが明らかなのに、つい自分が楽しいこと(買い物への浪費、性的無分別、ばかげた商売への投資など)に熱中してしまう

 といった症状のうち、少なくとも1を含む、4 つ以上(1が怒りっぽいだけの場合は5つ以上)の症状が、1週間以上続き、仕事や人間関係に差しつかえたり、入院が必要になるほどであれば、躁状態とされる。

 「うつ状態」になると

  1. ほとんど一日中憂うつで、沈んだ気持ちになる
  2. ほとんどのことに興味を失い、普段なら楽しくやれていたことも楽しめなくなる
  3. 食欲が低下(または増加)したり、体重が減少(または増加)する
  4. 寝つきが悪い、夜中に目が覚める、朝早く目が覚めるなどの不眠が起こるか、あるいは眠りすぎてしまうなど、睡眠の問題が起こる
  5. 話し方や動作が鈍くなるか、あるいはいらいらして落ち着きがなくなる
  6. 疲れやすいと感じ、気力が低下する
  7. 「自分には価値がない」と感じ、自分のことを責めてしまう
  8. 何かに集中したり、決断を下すことが難しい
  9. 「この世から消えてしまいたい」「死にたい」などと考える

 といった症状のうち、1もしくは2のどちらかを含む 5 つ以上の症状が、2 週間以上続く。

 この「躁状態」と「うつ状態」が繰り返しやってくるのだから、患者さんの苦しみはいかばかりか。

 原因は不明で、遺伝子、環境、性格など、複数の要素が関わっていると考えられている。近年双極性障害に関わる遺伝子が見つかりつつあり、新規治療法の開発に期待が持たれている。

 うつ病の一種というイメージを持つ人がいるかもしれないが、うつ病とは治療法も薬も異なる病気だ。うつ病と間違われ、間違った治療が行われることも少なくない。

うつ病は「うつを良くする」ことが治療目標ですが、双極性障害では、「躁・うつの波をどうやってコントロールするか」が最大の治療目標になるのです。したがって、単なるうつ病と誤解されている双極性障害の方は、適切な治療を受けていないことになります。

出典:双極性障害(躁うつ病)とつきあうために

 双極性障害は100人に1人がかかると言われ、私たち自身、あるいは家族、友人、知人がこの病気にかかることは決してまれなことではない。この病気にかかった人は自死する可能性もある。双極性障害に対する正しい知識を持つことは、現代に生きる私たちすべてにとって重要なことなのだ。

 宇宙は双極性障害と闘っていることをカミングアウトし、自らの経験を伝える活動を行っている。

 出会いから26年。紆余曲折を経て医師となり、情報発信を続ける私が、同級生宇宙に話を聞いた。

出会い

ーー僕らの出会いは1991年に同じクラス(理科2類3組ロシア語クラス)になったことだけど、どうして東大に入ったの?

宇宙東大に入ればなんでもできると思ったらから。もしかして躁だったのかもしれないね。俺躁っぽかっただろ?

ーーそうだね。めちゃめちゃアグレッシブな奴だというイメージだったね。そんな宇宙がどうして修斗の選手になったの?

宇宙:高校時代に伝統派空手を1年くらいやっていた。で、大学に入って少林寺拳法部に入った。全日本で優勝するような部だったからね。けれど思っていたのと違った。型で優勝しているんだよね。納得いかなかった。けれど、練習で極真空手、キックボクシング、ボクシングのルールでやらせてもらってた。それはすごかった。

「ジャパニーズトップチーム」

宇宙:うちの近所、歩いて行けるところに総合格闘技の道場(ジム)があったんだ。そこに週3回通うようになった。そこにNAさん、佐藤ルミナ、秋本じんなどすごい連中がいたんだ。

ーーそれでプロになったんだ。アマチュアからプロになるのっでどうするの?

宇宙:最初はみんなアマチュアだよ。道場は厳しくて、どんどんやめていく。だいたい200人に1人しか残らない。残ってやっていたら、声がかかったんだ。アマで準優勝とかしてたからね。デビュー戦は1995年5月12日。保健学科(現医学部健康総合科学科)を出て教育学部に学士入学した直後だった。膝の靭帯伸ばして練習できなかったけど、当時はポイント制だったからね。東大生そういうの得意じゃん。で、勝った。それからルミナらと別のジム(Kzf)に移籍。ルミナ、俺、植松直哉、火の玉ボーイGその他後々チャンピオンになる選手がいて、ジャパニーズトップチームと呼ばれてた。ジムには毎日通ったよ。一日2回行ったこともあるから、週8回道場に行ったこともあるよ。

不敗街道

現役時代
現役時代

(写真提供:バウトレビュー

 宇宙は引退まで負けなかった(公式記録参照)。

宇宙:今までは上にのっかってパンチすることは許されていなかったんだ。今は当たり前だけど、それが初めて導入されたんだ。大きな転機になったのは池田(久雄)戦(1996年5月7日)だ。47秒TKO。圧勝。これで外国人とやらせてもらえるようになったんだ。外国人はまだノールールわかってなくてね。戦いやすかった。佐藤ルミナたちとアメリカに行ってグレイシー柔術(ブラジリアン柔術)の練習したり、ルミナと2人でブラジルに行って、CGJr率いる、多数の強豪のいるブラジリアントップチームと練習した。ブラジルに行ったときは、ルミナが一人で行くのはきついと言ったので、大学院生で時間をあけられて、カネも持ってた俺が一緒に行ったんだ。

妹の涙

ーー引退までのことを話してくれる?

宇宙:親が辞めてと反対してね。今でも反対しているんだけど、親の中では総合格闘技はヒクソン(グレイシー)がぼこぼこにするイメージなんだ。実際ジョン・ホーキ戦(1997年11月29日)のとき眼窩内壁骨折してね。目が落ちる寸前だった。

 ここで記事を引用しよう。

東京大学の大学院生シューターとして話題を呼んだ巽は1995年5月12日デビュー。無敗街道を突き進み、1999年3月28日には当時ライト級チャンピオンだった朝日昇に挑んだが惜しくもドローで王座を逃す。2000年8月27日には現王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ相手に二度目のチャンピオンシップに挑んだが1R 1'57" ギロチンチョークに沈み、現役生活初めて黒星をつけた。以降フェザー級への転向を表明しランキングにも名を連ね、復活が期待されていたが、結局ノゲイラ戦を最後に一戦もすることなく引退することになった。最終戦績は12戦10勝(4S/2KO)1敗1分、バーリ・トゥード・ジャパン2戦2分。

出典:元東大生シューター・巽宇宙が正式引退表明

宇宙:プロ修斗最後の試合を妹が見に来てね。で、親に電話で「お兄ちゃん死んじゃう!」と言ったらしいんだ…引退届を出したのは最後の試合の1年後なんだけどね。未練はあった。

ーーそのころは会社員だったよね。両立は大丈夫だった?

宇宙:周りからは早く(修斗を)やめろという空気あったけどね。社長がプロレスファンだったのもあって好きにやらせてもらった。木曜午前中は有休とって若手との練習なんかも出たりしてね。会社は引退待ってましたという感じだった。

ーーなんで負けたら引退なの?

宇宙:だって一番じゃなきゃ俺の存在価値ないじゃん。

発症

ーーその後は普通のサラリーマンになったわけだ。

宇宙:普通じゃないよ。むちゃくちゃ働いたよ。ワーカホリックだったね。その時開発した商品は今でもコンビニの定番だよ。でも、上司が変わって、無理な要求されるようになって…毎朝吐くようになったね。

ーーどんな感じ?

宇宙:胃の底からオエっとなる感じだ。何も出ないのにね。だんだん朝だけじゃなくなってきた。それで昇進話も断って部署を移動させてもらった。そうしたら、1日ごとに戻っていったね。今考えると、どこかの時点で躁になっていたんだろうね。3時間しか寝なくても平気だった。その後今の会社に転職した。

診断

宇宙:転職して数か月したら、やっぱり吐くようになってね。妻が心配していい病院探してきてくれて、精神科受診したんだ。そこでうつ病の診断をされたんだ。先生が「巽さん、治りますよ。努力は必ず報われますよ」と言ってくれてね。話聞いてくれたんだ。この先生だと思ってね。それでも体調は戻らず、転職して1年も経たずに3か月の自宅療養となったんだ。

宇宙:復職して何年かして、福島の原発問題があって、節電とかしてたでしょ。僕が事務局やってた委員会でも、昼休み居室のみやる事になった。そしたら、居室とラボを別々に切る事はできないと分って、僕が直接消しに行くことになった。しかも初日なんて、これから巽君が消しに行きます、て放送されるんだよ。僕は自分の胸ポケットに自分のトレーディングカードを入れて、そこに手を当てながら、負けない負けないと思い続けた。''アクティベーション・シンドローム'''(賦活症候群;抗うつ薬の服用開始直後におこる症状。軽躁・躁状態も出現する。双極性障害の患者はなりやすいとされる)によるものだったんだと思う。それで双極性障害と診断されて、リーマス(炭酸リチウム)を飲み始めたんだ。

ーー闘病しながらの仕事、大変だったね。

宇宙:きつかったよ。食べ物も食わなかった。上司が理解ある人だったのでよかった。

入院

キックボクサーとして格闘界に復帰(アマチュアでの第2戦、本人提供)
キックボクサーとして格闘界に復帰(アマチュアでの第2戦、本人提供)

ーーこのころ、キックボクシングで格闘界に復帰したよね。内心大丈夫かなと思ってたけど…

宇宙:そのころ太ってきて、歩いて行けるジムに通ってたんだ。そこで40歳以上の大会があるって声がかかったんだ。それで2連勝(共に1RKO)して、3戦目はプロでやりたいとか言い始めた。結局これで勝ったらプロになることになった。しかも相手は、俺の当時の年齢(42歳)の半分以下で、ノーヘッドギア。俺が双極性障害である事もカミングアウトされる事になっていた。それが急にないという連絡が来た。それで調子がおかしくなって、次の日朝一番でメンタルクリニックに行くと、躁状態で即入院と言われた。パキシル(抗うつ薬)を極量まで飲んでてね。親も飛んできたよ。入院生活は面白かった。当時の脱法ドラッグやってた人が多くてね。退院後職場復帰するのに5か月かかった。

ーーそのあと念願のプロのキックボクサーとしてデビューを果たしたよね。

宇宙:うん。けど16年ぶりのプロ復帰戦は24秒でTKO負けした。それで引退したよ。修斗のときから負けたら辞めると言ってたしね。

ーーそうかあ。でも宇宙の挑戦は僕ら同級生に希望を与えたよ。ところで、ちょっと聞かせてくれる?躁のときにはほかにどんなことしちゃうの?

宇宙:去年の5月だけど、女性関係で80万円使っちゃった。それ以後妻にカードは取り上げられています…

伝えたいこと

ーー今まで辛い話も含めて話してくれてありがとう。読者の皆さんに伝えたいことは何かな。

宇宙:俺は双極性障害の伝道師になりたいんだ。双極性障害はそもそも知られていないんでね。双極性障害になった人には天才が多いんだ。そういうことも含めて、双極性障害のことを知ってほしい。そういう意味で、昔の格闘仲間には助けられてるね。ツイッターで俺の双極性障害のことをツイートしてくれたりしてね。

ーー同僚や家族に双極性障害の人がいたときにどうすればいい?

宇宙:これは永遠の課題だね。うつから躁になるときに安定期がないことが多いんだ。躁になったときには100円ショップで物を買いあさるとか、そういうことをさせてやってほしい。100円ショップで買いあさってもせいぜい数万円だしね。あと、言っておきたいのは、休めるときに休みなさい、ということだね。

ーー奥様はほんと献身的に支えてくれてるね。

宇宙:遠い病院に頻繁に来てくれたり、双極性障害に関する良本を買って来てくれたり、支えられてるよ。

著者注:日本うつ病学会「双極性障害(躁うつ病)と つきあうために」に、双極性障害の人がまわりにいた場合の対処法が出ているので、参照にされたい。宇宙本人も苦しかったと思うが、奥様も相当大変だったと思う。宇宙によりそう奥様に心より敬意を表したい。

終わりに

大学のクラスメートたちとロシア料理店で(2011年)。右端が宇宙。左端は岡田光信氏(アストロスケール代表取締役)。榎木は最前列。
大学のクラスメートたちとロシア料理店で(2011年)。右端が宇宙。左端は岡田光信氏(アストロスケール代表取締役)。榎木は最前列。

 東大生、プロ格闘家、定番商品を開発する会社員…文武両道を地で行き、どちらでも大きな成果を残してきた宇宙。そんな宇宙はいま、双極性障害の伝道師として歩みだそうとしている。

 けれど、トップを目指さなくても、一番じゃなくてもいいなじゃないかなと思う。宇宙自身の言葉を宇宙にかけたい。「休めるときに休みなさい」と。

 また昔のこと、将来のことをゆっくり話そう。

 宇宙への講演依頼は、NPO法人あすぴれんとまで。近々では2017年10月8日(日)13:30から、千葉市生涯学習センター特別会議室で講演を行う。反響大きく残席わずか。参加申し込み、詳細等はあすぴれんとホームページにて。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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