肺腺がんで亡くなる人を減らすために~野際陽子さんの死から考える

(写真:アフロ)

ドラマ出演中の死

 え、まさか…さっきドラマで見たのに…

 最近はまっているドラマ「やすらぎの郷」の予告編で、翌日に野際陽子さん演じる井深凉子が出ることを知ったその日(2017年6月15日)、野際さんの訃報が飛びこんできた。

 81歳。肺腺がんが原因だったという。

 ドラマの中ではランニングをするなど、健康的なイメージで、病気の影を感じさせなかった。それだけに耳を疑った。

 心よりご冥福をお祈りする。

 報道によれば、数年前肺腺がんで肺の摘出手術を受けたものの、昨年再発していたという。

肺腺がんとは?

 厚生労働省の人口動態統計によれば、2015年に気管支及び肺の悪性新生物(がん)で亡くなった人は、男性53185人、女性21159人の計74378人。がんによる死亡の原因の第一位を占める。

 肺がんはいくつかの種類に分けられるが、肺腺がんの割合は高い。

わが国で最も発生頻度が高い組織型である腺がんは、男性の肺がん全体の40%、女性の肺がん全体の70%以上を占めています。

出典:国立がんセンター がん情報サービス

 肺腺がんは、空気と血液がガス交換をする場である肺胞や、気管支を覆っている腺上皮とよばれる細胞などから発生する。扁平上皮癌ほどではないが、たばこが発生に影響を与える。

 治療法は、早期で見つかれば手術で肺を切除する。転移があるなどがんが広がっていたら、抗がん剤や放射線をがん細胞にあてる治療を行う。

 中村獅童さんは、早期に肺腺がんが見つかったので、手術をするという。野際陽子さんは、手術を行ったが、再発した。

劇的に進歩した抗がん剤

 近年、肺腺がんの抗がん剤が劇的に進歩している。肺腺がんでは、どのような遺伝子異常が起こっているのか研究が進み、その遺伝子異常を標的にした抗がん剤(分子標的治療薬)が開発されてきたからだ。これらの分子標的治療薬は、従来の抗がん剤よりよく効く。

 2002年に、上皮成長因子受容体(EGFR)特異的チロシナーゼ阻害薬ゲフェニチブ(商品名イレッサ)が承認されたのを皮切りに、EGFRをターゲットにした新しい分子標的治療薬が開発されてきた。

 また、2007年に現東京大学教授の間野博行博士らが発見した融合遺伝子、EML4-ALKが作り出すEML4-ALK融合型チロシンキナーゼをターゲットにした分子標的治療薬クリゾチニブ(商品名ザーコリ)、アレクチニブ(商品名アレセンサ)も開発された。

 このように、肺腺がんに対する抗がん剤は進歩しているものの、すべての肺腺がんに効果があるわけではない。日本人の肺腺がんのうち、EGFRの異常を持つ割合は45パーセント、EML4-ALK融合型チロシンキナーゼを持つ肺がんの割合は、小細胞がんという特殊ながんを除いた非小細胞がんのなかの4~5パーセントと言われる。

 また、たとえ遺伝子の異常がわかり、こうした分子標的治療薬による治療を受けたとしても、すべてのがんが消えてしまうわけではない。副作用もあり、治療が効かなくなる別の遺伝子異常が出てくることもある。

 何より、肺腺がん以外の肺がんには、これらの薬は効きにくい。

「黒船」免疫チェックポイント阻害剤の登場

 こうしたなか、別の研究から画期的な治療薬が登場した。それが「免疫チェックポイント阻害剤」だ。

 がん細胞は、がん細胞を攻撃する免疫細胞の働きを止めるブレーキの役割を果たす、「チェックポイント」を強制的に働かせることで、免疫からの攻撃から逃れ増え続けることが、京都大学の本庶佑博士らの研究で明らかになった。いわば敵の働きをブレーキをかけることで効かなくしてがん細胞は増え続けるのだ。

 とはいえ、ブレーキは壊れてはいない。ブレーキを踏んでいる「足」をはずしてやれば、またブレーキははずれて免疫細胞が働き出し、がん細胞をやっつけてくれるはずだ。

 そこで開発されたのが、免疫チェックポイント阻害剤だ。現在ニボルマブ(商品名オプジーボ)、ペムブロリズマブ(商品名キイトルーダ)、イピリムマブ(商品名ヤーボイ)が発売されている。

 これらは肺腺がんのみならず多くのがんに治療効果があることが明らかになっており、今後も様々ながんで治療薬として使われることが見込まれる。こうしたことから「夢の薬」と言われることもある。

 ところが、これらは値段がものすごく高い。年間1427万円もかかるという。しかも、効く薬だけに、投与を止めるタイミングが分からない。だからがんがあるかぎり使い続けるしかないと言われている。これでは、医療費で国家が破綻するという意見もある。

効く、効かないを決めるのは病理医

 ただ、期待高まる免疫チェックポイント阻害薬だが、やはりすべての人に効くわけではない。効かない人に投与しては意味がない。

 そこで、分子標的治療薬、免疫チェックポイント阻害薬は、どの患者さんに治療薬が効く、効かないを決めないといけないのだが、それを決めるのに大きな役割を果たしているのが、実は私達病理医なのだ。

 私達病理医が、採取されてきた組織(生検)をがんかがんでないかを診断し、がんだったら、腺がんなのか、違うのかを診断する。その上で、がん細胞に異常な遺伝子が存在しているのか、もしくはその産物であるたんぱく質があるかないかを調べる。大前提として、私達ががんの種類を決めなければ、次に進めないのだ。野際さんのがん細胞も、病理医がみているはずだ。

 2017年2月に発売された免疫チェックポイント阻害薬キイトルーダでは、肺がん(上で述べた非小細胞がんであればよく、腺がんでなくても良い)の生検に十分ながん細胞があるかないかを数え、その上で、PD-L1という、免疫チェックポイントに関わるたんぱく質が存在しているのかを、「免疫組織化学染色」と呼ばれる方法で調べる。

 これを行うのが、病理医に課された仕事なのだ。

 病院によって違いが出てはいけないから、2月以来、メーカー主催の判定法の講座が各地で開催されている。ある特定の病理医が判定するのか、外注検査になるのか、いろいろ違いはあるものの、誰かが判定しないといけないわけだ。

病理医不足で個別化していくがん治療に対応できるか

 がんに効く治療法、薬が見つかるのは患者さんにとって朗報だ。

 ただ、そうなると、どの治療法が効くかを決める人が必要だ。そして決める役割を担うのが病理医であるケースはこれからも増えるだろう。

 ところが、いろいろな場所で散々書いてきたように、病理医は不足している。いまでさえ不足しているのに、これ以上やるべきことが増えたらどうなるのだろうか。

 希望はAI(人工知能)だが、いつ現場に投入されるのか…

 がんの治療法決定に、私達病理医という存在がいることは、是非憶えていただけたらと思う。

 最後に…亡くなる直前まで現役女優だった野際陽子さんの亡くなり方は私にとっては理想だ。私も野際さんのように死にたい。

参考資料

  • 癌の分子病理学 病理診断から標的治療薬検索まで 病理と臨床臨時増刊号 Vol.34 文光堂 2016年
  • 肺癌患者におけるEGFR遺伝子変異検査の手引き 日本肺癌学会 バイオマーカー委員会第3.05版 2016年
  • その他製薬メーカーの資料など