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約半数の会社にいる「働かないおじさん」の生きがいを奪ったのは職場ではないのか

遠藤司SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師
(写真:アフロ)

 5月27日、識学総研に「【“働かないおじさん”に関する調査】約半数の企業に働かないおじさんの存在を確認!?」と題する記事が掲載された。

 組織コンサルティング会社の識学は、全国の従業員数300名以上の企業に勤める20歳~39歳の男女300名を対象とし「“働かないおじさん”に関する調査」を実施した。すると49.2%が、会社に「働かないおじさん」がいると回答した。主な原因としては、45.0%が「仕事への意欲がないから」、41.0%が「年功序列制度で成果を出さなくても給与が上がるから」(41.0%)、26.3%が「仕事を任されないから」と回答している。

 識学には悪いが、筆者はこの調査を高く評価していない。「働かないおじさん」が周囲にいるとする「印象」に関して知ることはよいとしても、若手や中堅社員にその原因まで推し量ることはできないからだ。そして記事には「働かない社員を生まないために、給与査定基準を設けるなど社員のやる気や意欲を引き出す仕組みが必要かもしれません」と書かれている。しかるに、給与査定基準は「やる気や意欲」を長期的に引き出すのには得策ではない。外発的動機づけではなく、内発性に基づいた働き方を重視しなければ、しだいに組織力は低下していく。

 より重要なのは、起きている現象を正しく把握し、その原因を取り除くことだ。まずは参考として、2017年にパーソル総合研究所が実施した「ミドル・シニアの躍進実態調査」では、役職定年を経験した50代のビジネスパーソン300名を対象に調査が行われている。役職定年を迎えると、会議に呼ばれることが少なくなり(41.0%)、社内の情報が入ってこなくなるようだ(35.7%)。また、重要な仕事を若手や中堅社員に譲るようになり(26.7%)、自分にどんな役割が求められているのかも、よく分からなくなる(26.7%)。そして彼らは、新しいことに挑戦しなくなるのである(24.7%)。

 若手や中堅にとって、この結果は他人事ではない。このままでは自分たちも、50代になれば同じような経験をすることになるのだ。さらに調査では、37.7%が仕事へのやる気や動機が低下し、34.3%が喪失感や寂しさを感じ、32.3%が会社に対する信頼度が低下したと回答している。なお調査では、年収のダウン幅の大きさと役職定年後のネガティブな意識変化には、有意な関連がないことが分かっている。識学の想定とは異なり、奪われて困るのは給料ではなく自分の生きがいであり、生きている実感のほうなのだ。

人の生きがいを奪うな

 一律の役職定年ほど愚かな制度はない。役職定年とは、企業内部で部長や課長などの管理職社員が、一定年齢に達したときに役職を外れる人事制度のことだが、その目的や効果として人件費の抑制に加え、組織の新陳代謝を図ることも挙げられる。生理学において新陳代謝とは、生物が生存に必要な物質を体内に取り入れ、用済みとなった古い物質を体外に出す現象をいう。ようするに役職定年は、シニア層を一律に「用済みとなった古い物質」とみなすという、人の多様性を無視した考えに従って行われているのである。

 役職定年者に限らず、日本企業ではシニアは不必要な存在とみなされている。そもそも日本企業では、かねて新卒で採用された若年者は、各自の希望通りの職務を選ぶことができず、会社から任意にあてがわれた仕事に就くしかなかった。企業への全人的所属と全人的参与を求めるがゆえ、副業も禁止されてきた。よって従業員は、自らの人生の目標を自由に設計できず、与えられた職務に従事するしかなくなる。そこで育まれる能力は、必ずしも長期的に価値をもたらす能力ではない。

 かつてはそれでよかった。たとえ「用済み」となっても、会社が人生を丸抱えしてくれるという、暗黙の了解があったからである。我慢して会社に貢献すれば、いずれ役職にも就かせてくれるだろう。いまの仕事にも、それなりに楽しみが見出せた。たとえ機械的労働観によって自己を喪失しても、生活上の問題はなかったのである。

 かくして置かれた環境により、適切に能力を育むことができた者と、そうでない者が生まれる。前者は役職を手にし、後者は平社員のままである。あるいは後者に対しても、誤った年功序列の考えにより、管理職の立場が与えられることも少なくなかった。こうして時代の変化に適応できる有能な役職者と、そうでない役職者に分かれる。若手のいう「上司ガチャ」は、マネジメント能力に応じた昇格が行われず、不適格者を管理職のまま留めおいたことが原因である。

 そして能力に関係なく、一定の年齢になったとき、一律に役職剥奪が遂行されるのである。有能なシニア人材は、それでもなお若手や中堅に頼りにされることもあるが、かつての働きがいには及ばない。能力を磨くことのできなかったシニア人材は、依然として職場で価値を発揮することができず、時を経てますます無用者となっていく。結論として、やる気や意欲を失った「働かないおじさん」たちは、無力感や失望、諦めを生み出す環境が生み出したのである。

シニア人材に武器を与えよ

過去に述べたように、戦後の日本企業では誤った年功序列の考えによって人事が行われてきた。すなわち年功とは、長年の熟練によって得られた技能という意味であり、職務上の高い成果を挙げる能力のことなのである。

 ゆえに本来の年功序列は、年齢や勤続年数に基づく制度ではない。仕事の遂行能力に応じた、実力主義のことなのである。それは成果主義ではなく、はたまたスキルの意味における能力主義でもない。成果は職務と自己の能力とがかみ合うときに最も高められるのであり、ようするに適材適所による人材の最適化と任務の遂行に基づくのが、実力主義である。

 もし新陳代謝を目指すのであれば、事業の再定義から始め、それに適した人材を再配置することで実現することを奨励したい。人は弱みによってではなく、強みによって成果を挙げるものである。強みをもとに人材を要素とみなし、組織をシステム化することで、総合力によるビジネス遂行が実現される。それは短期的な実績を上げるためにと個人間の競争を煽り、相互協力を断ち切るような誤った成果主義とは、真逆の考えである。

 時代は変化し、既存の仕事ばかりでは必要な能力を育むことができなくなった。したがって、能力のないシニア人材には、新しい時代に適応可能な能力を与えるべく、職業訓練を施す必要がある。その意味するところは、たんに座学の研修を実施するのではなく、新規プロジェクトへの参与により、実践の中で能力開発することである。分からない点が多いなか、互いに手を取り合うことで試行錯誤の姿勢が生まれ、心身を働かせることが習慣化される。

 動かすのではない。自ずと動くよう、働きかけるのである。小さな改善でもよい。達成により、自分はまだ会社に必要だと思えるとき、さらに先へと向かいたくなるのが人間の性分というものだ。人間は、生まれながらにして他者に貢献したいと思う本性をもつ。長年の経験により忘れられたその本性を解き放つことができれば、自ずと学習のプロセスを歩むようになる。

 「働かないおじさん」は、自分が周囲からよく思われていないことを知っている。ゆえに有能感も得られず、閉塞感のなかで日々を生きているのである。そういう事情を鑑みて、給与査定などといって彼らに圧力を与える前に、仕事の遂行を通して生きがいを得るための方法を講じたほうがよいのではないか。

SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。多数の企業の顧問やフェローを務め、企業や団体への経営支援、新規事業開発等に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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