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「田舎は仕事がない」は大嘘だが「給料が低い」は事実だ 地方に変革を起こす

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 11月24日、SankeiBizに「「田舎は仕事がない」はウソ 農水省検討会で「複業」実践者が報告」と題する記事が掲載された。

 24日の農林水産省の有識者検討会では、地域おこし協力隊の一員として新潟県十日町市へと赴任し、そのまま定住した小山氏が、「田舎は仕事がない」というのは嘘だと述べた。小山氏によれば、田舎には小さな仕事が多数あって、たぶんお金には困らない。そもそも、年に200万から300万円もあれば、生きていけるとのことだ。

 まったく同感である。地方のみならず、東京であっても、仕事はいくらでもあるし、年収200万もあれば生きていくことはできる。年収200万円だと、所得税や住民税、それから社会保険料などが差し引かれて、手取りはおよそ140万円となる。家賃は5万円もあれば、23区から離れれば、そこそこの部屋に住むことができる。この場合、手元に残るのは月7万円。贅沢さえしなければ、結構やっていけるのである。

 家賃5万というと、田舎の人は高いと感じるのかもしれないが、実際には自動車の維持費等がかからないので、その分の生活費が削減される。自動車の維持費は安くても月2万円程度であるから、同じアパート暮らしであれば、むしろ田舎のほうが生活費は高いくらいだ。また田舎では、ガスは都市ガスではなくプロパンガスであり、水道料金も高めだ。そして田舎では、格安SIMがつながりにくいが、東京では容易につながる。さらにいえば、東京では自宅の周りに色々あって不便しないが、田舎では車で移動しないといけない。こうしてみれば、東京も田舎も、生活コストはさほど変わらないのである。

 ところで、田舎よりも都会のほうが、賃金は高い。よって田舎では、年収200万円が当たり前であるが、都会では少数派である。そして都会では、様々な場面で成長機会が多く、努力をすれば現状を変えることができる。反対に田舎のほうでは、そのような機会が少なく、現状に諦めて生きる者が少なくない。だとしたら、東京などの都会に出たほうが、豊かな人生を送れると判断するのが、合理的となる。

 筆者は何をいっているのか。年収200万でも大丈夫などといっていたら、いつまでも年収は、200万のままだ。だから若い人たちは、かねて農村から離れて都市へと移住し、地方の過疎化が進んできたのである。重要なのは、田舎でも努力すれば、自分の人生を変えられるという希望がもたれることだ。そのような学習機会を用意するのが、農村政策というものではないかと、筆者は主張したいのである。

その年収で大学に通えるのか

 だから地方大学に期待、といいたいところだが、そうもいかないのが実情だ。その理由は、いまや国立大学でも、学費を工面するのが容易ではないからである。

 筆者の居住する三重県を例としよう。年収ガイドによれば、三重県の平均年収は498万1200円。都道府県別ランキングでは、実に7位という好水準である。しかし南部をみれば、志摩市が255万、鳥羽市が257万、熊野市が259万と、300万円を超える市町はみられなくなる。たしかに年収200万円でも、生活はできるようである。

 問題は次の点だ。地図をみれば分かるように、三重県はタテ型の地形をしている。そして、伊勢神宮のある伊勢市は、三重県のちょうど中間に位置する。名古屋から伊勢市までは、近鉄の特急を使っても、1時間半の距離である。ここにあるのが、筆者の所属する皇學館大学だ。国立の三重大学は県庁所在地の津市にあり、どちらかといえば北の方である。

 そして皇學館大学よりも南部の地域には、大学は存在しない。よって、三重県南部の子供たちが大学に通うならば、皇學館大学か、次に近い三重大学しか選択肢がないのである。あるいは、南部の学生たちは、現実的には大学付近に下宿することになる。皇學館大学の初年次納入費は、最も安い文学部で129万円、次が現代日本社会学部の131万円である。国立の三重大学の場合でも、817,800円となっている。そこに下宿費用が加わるのである。

 いまや大学の学費は、ここまで高騰したのである。これでは、たとえ一人の子供を大学に行かせることができても、二人めともなると、やはり厳しくなるであろう。いまの日本には、このような地域がそこら中にある。つまり、当面の生活は問題なくとも、子供の将来のために学費を貯めておくとなると、相当厳しいのが実情なのである。

通信制大学を普及させよ

 地方を救うには、地方に通信制大学を普及させることである。地理的な理由や費用の面で、大学に通えない恵まれない子供たち、あるいは、何らかの都合で高校を出てすぐに働かざるを得なかった大人たちのために、安価で学びの機会を提供するのである。

 とりわけ地方の人たちには、経営やIT、あるいは芸術の知見が求められる。経営やITの知識を用いれば、自分の勤める企業の価値化が実現されるし、いわゆる地域ビジネスを立ち上げることも可能となる。また、アート思考をもつことができれば、創造性が育まれ、既成概念を超えた、ものの見方・考え方ができるようになる。地方に変革を起こし、地方の人びとの収入を上げるには、これらの学びが得られる大学に通うことが、最良の手段と思われる。

 経営とITが一緒に学べる通信制大学には、東京通信大学がある。情報マネジメント学部では、情報技術とマネジメントの実践力を身につけ、情報社会のあらゆるシーンで活躍できる人を育成することを目指している。モデルコースによっては、情報処理士や社会調査士の資格も取得できるから、まちづくりの様々な場面でも大いに役に立つことが期待できる。学費は、4年間で62万円。1年ではなく、4年の合計である。

 芸術が学べるのが、京都芸術大学である。通信制の芸術教養学科では、アートやデザインの優れた実例にふれ、芸術についての考え方や知識を深めて、実際の仕事や生活に応用する方法を身につけることを目指している。学内SNS「airUコミュニティ」を設けているから、全国の学生同士や教員との交流、様々な情報交換を行うことも可能だ。学費は、4年間で73万円。1年ではなく、4年の合計である。

 通信制大学では、スマホやPCなどを用いて、夜間や休日の空いている時間などに、勉強することが可能である。これならば、努力すれば働きながらでも、大学に通うことが可能である。貧しくても、恵まれない境遇であったとしても、自分の人生を自分の手で変えることができるのである。そういう学びの機会を提供することが、日本の少子高齢化を食い止め、過疎地域の経済活性化を実現し、恵まれない人びとに希望を与えるための方法であろうと、筆者は訴えたいのである。

 誤解しないで頂きたいのは、筆者はもはや通学制の大学が必要ないというのではない。通学制の大学には、一人ひとりの学生によりそって言葉を交わし、成長を手助けすることができるという利点がある。しかしそれゆえに、学費が高くなるし、まとまった学生数が見込まれない地域には、進出することもできない。そのような地域や、他の事情で学ぶことができなかった人びとのために、筆者は通信制大学という可能性を広げたいのである。

 よって筆者は、勝手にこれらの大学をPRしている。最近では、手を組むことも画策している。いかなる形であろうとも、見捨てられた人びとには救いの手を差し伸べたいと、筆者は思うのである。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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