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生きがいのある人生を送ることを最優先に考えよう

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 前回、「経験者として言わせてもらうと、過労は人間から人間らしさを失わせる」のなかで、筆者が仕事で体を壊した経験について、また精一杯努力したおかげで仕事に復帰できたことについて、ざっくりと書かせて頂いた。

 筆者が立ち直ることができたのは、もともと復帰に向けたモチベーションが筆者のなかにあったからである。それは、仕事とは何なのか、人生とは何なのかということを問い続けたことによるものであった。筆者は、一般に目的論と呼ばれる考え方を身に着けていたため、復帰に向けて努力することができたのである。

 原因、すなわち問題を生み出すものばかりに目を向ける姿勢が、人の幸せを妨害しているように思われる。原因ではなく、目的に目を向けなければならないのである。

終わりを思い描くことから始まる

 目的地がわからなければ、どこに向かっていいのかがわからない。それゆえ、何のために存在するのか、どうして仕事をするのか、なぜ生きているのかという問いに答えることはできない。

 終わりがあって、始まりがあるのである。人間が何かを行為するとき、それにはつねに「~のために」というものがある。これを目的(エンド)という。目的がなければ、行為は存在しない。したがって、行為の始まりはない。

 人生も同じである。人生を無目的に、単に生きること、あるいは単に楽しく生きることや、不快から逃れるために生きることであると考えてしまっては、人はどこかに向かうことはできない。克服とは、いまを乗り越えてどこかに向かうことである。よって、人生の目的がなければ、打ちひしがれたときに立ち直ることはできないのである。

 人は虚しい勝利を手にすることがよくある。それは、勝つことが目的となってしまい、人生の目的に目を向けていなかったからである。幸せを手にするためには、自分にとって本当に大切なものは何かを問わなければならない。

 筆者の人生の目的は「人が幸せに生きられる日本を実現すること」である。これが何よりも優先される。そのため、立ち直らなければならないという動機が、心の片隅にまだ残っていた。復帰に向けて努力できたのは、筆者のなかに「自分がやるんだ」という使命感があったからである。未来は自分の手で変えるものである。

人のために生きることを選択する

 筆者は会社に恵まれた。人に恵まれた。お客さんや同僚に恵まれた。この人たちのために、この人たちと一緒に、また仕事がしたかった。この人たちをまた、喜ばせたかったのである。それは、自分の人生の目的とも合致していると感じられた。

 仕事とは、お客さんや同僚に「ありがとう」と言われることである。ほめられることではない。「ありがとう」と言われることが重要である。人のために仕事をし、一定の成果を上げることで、感謝される。ここに生きがいがある。生きている実感がある。

 人のために生きることで、自分のために生きることができる。アリストテレスのいうように、人間は社会的動物である。社会のうちにあり、社会のなかで自分のポジションと役割が与えられたとき、人間は人間として生きることができるのである。しかし、一人では大きな成果を上げることはできない。ゆえに協力し、仲間の持ち味を活かしながら、それを達成しなければならない。会社とは、自分の人生の目的を達成する場所にほかならないのである。

仕事を選ぶということ

 何かができないことは絶望ではない。絶望は、本人が絶望だと思うときに、絶望になる。できないということはむしろ幸福なのである。考えてみてほしい。何でもできる人、何でも簡単に手に入る人は、幸福だろうか。困難を乗り越えることで達成感を得られる経験のない人は、幸福だろうか。困難なき人生、それゆえ達成感なき人生は、幸福ではない。

 仕事においては、できるできないに目を向けていても仕方ない。いまを乗り越えた先にある喜びを明確にイメージできるかどうかが重要なのである。重要なのは、明日のための「いま」である。筆者は大学で教える際に、ゼミ生にそれをイメージしてもらうようにしている。「誰に、どう感謝されたいか」を、行動の前にイメージしてもらうのである。行き着く先の姿、成し遂げること、すなわち目的が、人間には必要なのである。幸福かどうかは、自分次第である。

 仕事を選ぶには、自分の目的が仕事によって達成されるかどうかが重要である。あるいは、それはあくまでも理想にすぎないと考えるのであれば、せめて自分の人生の目的は仕事によって妨害されないかを考えることが重要である。仕事は生きがいを実現する唯一の手段ではないのだから。

 あるいは逆に、こうも言えるかもしれない。仕事そのものに生きがいを感じられないならば、より大きな単位である、日常に生きがいを見出そう。日常に感じられないならば、より大きな単位である、人生に生きがいを見出そう。人生に喜びが見出だせないならば、この現状から逃れて人生を変えよう。大事なのは、仕事そのものではなく、自分の人生である。そのようにポジティブに考えることで、マイナスの連鎖から逃れられる。絶望ではなく、幸福に目を向けられるのである。

 再度いいたい。会社に行きたくない朝は、せめてインド人のように踊ろうじゃないか。人生の目的を見出し、それに邁進できる日のために。

参考記事

会社に行きたくない朝は、インド人のように踊ろうじゃないか

経験者として言わせてもらうと、過労は人間から人間らしさを失わせる

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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