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中国共産党「第二のゴルバチョフにだけはなるな!」

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
ゴルバチョフ元大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 ゴルバチョフにより中ソ対立は解消したが、同時にゴルバチョフは世界最大の共産主義国家・ソ連を崩壊させた人物として中国の指導者は「第二のゴルバチョフにだけはなってはならない」ということを大原則にしてきた。

◆天安門事件進行中に訪中したゴルバチョフ

 中国と旧ソ連は1950年代半ばのフルシチョフ(第一書記)によるスターリン批判以来険悪な関係となり、長きにわたって中ソ対立が続いていたが、1985年3月にゴルバチョフ政権がソ連に誕生すると、事態は一変した。1986年7月、ゴルバチョフ書記長はウラジオストックで演説した際に、中国に関係改善を呼びかけ、鄧小平もそれを受け入れる準備があると意思表示した

 こうして1989年5月15日にゴルバチョフは北京入りするのだが、折しも天安門広場にはその年4月15日に憤死した胡耀邦元総書記を追悼する若者が集まり、胡耀邦を憤死に追いやった鄧小平の「横暴と非民主性」を糾弾していた。

 だから民主を求める若者たちは、ゴルバチョフに会わせろと激しく叫んだのだが、その要求は鄧小平によって拒絶され、天安門広場における民主化運動は激化の一途をたどっていく。

 特にこのとき胡耀邦の代わりに中共中央総書記にさせられていた趙紫陽がゴルバチョフと会談した際に、趙紫陽がうっかり「最終的な決定権は鄧小平にある」と言ってしまったため、胡耀邦だけでなく、今度は趙紫陽までが鄧小平の逆鱗に触れ失脚してしまった(詳細は『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』第六章p.301)。

 この時点で、中国におけるゴルバチョフ評価は決まってしまったが、1991年8月、ゴルバチョフがソ連共産党を解党し、12月にソ連の崩壊を招いてしまうと、中国でのゴルバチョフ評価は決定的なものとなる。

 中ソ対立を解消したことよりも、ソ連という世界最大の共産主義国家を崩壊させたという「恐怖」は、世界第二の共産主義国家であった中国の運命を決定づけた。

 もちろん、4月30日のコラム<無血でソ連を崩壊させたレーガンと他国の流血によりロシアを潰したいバイデン そのとき中国は?>に書いたように、ソ連崩壊と同時に中国はウクライナや中央アジア5ヵ国などを一気に歴訪して国交を樹立したという経緯はある。

 しかし、もう一つの側面を見るならば、「共産党による一党支配体制を維持するには、どうすればいいのか」という衝撃と教訓の方が大きい。

◆絶対に「第二のゴルバチョフ」になってはならない!

 ソ連崩壊から中国が学び取ったものは数々あるが、その中で最大のものは「西側の外部勢力が他国を平和的手段で民主国家に持っていこうとする試みと扇動に騙されるな」ということで、それを警戒しなければならないという決意は強烈だ。

 実は、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』の原型で1980年代に既に絶版になってしまった『卡子 出口なき大地』の中国語版を何としても中国大陸で出版させたいと長年にわたって努力してきたのだが、どの出版社も社長の段階までは「実に素晴らしい。公平に書かれていて感動的だ」と肯定してくれるものの、その上の地元政府当局の審査段階に入ると、必ず「今はまだ時期が適当ではない」という回答が戻ってきていた。

 最後には中国中央政府の元高官に相談したところ、以下のような回答が戻ってきた。

 ――ゴルバチョフのように、ひとたび言論を自由に解き放ったが最後、共産党の支配は一瞬にして崩壊してしまいます。共産党の支配が緩めば、中国はソ連以上に多くの少数民族から成り立っているので、たちまち各民族が自治区を中心に独立を主張して中華人民共和国も崩壊してしまうでしょう。それが最終的に中国人民の幸せにつながるかと言えば、そうとも限らない。それに、1921年以来、これだけ苦労して、多くの犠牲者を出しながら持ちこたえてきた中国共産党による統治を、ここで手放そうとする中国の国家指導者はいません。中国のリーダーが最も恐れるのは、「この自分が第二のゴルバチョフになりはしないか」ということです。どのリーダーも、絶対に「第二のゴルバチョフ」にだけはなりたくないのです。

 この言葉を聞いて以来、筆者は中国に見切りをつけてしまった。

◆中国で強まる「西側の甘い言葉に騙されるな」という警戒心

 8月30日にゴルバチョフが逝去すると、中国でも多くの報道が見られたが、そのほとんどは「第二のゴルバチョフになるな」という精神を軸としたものに偏っている。

 たとえば8月31日の環球時報英語版は<西側と仲良くなるというゴルバチョフの未熟な政策から教訓を>という趣旨の見出しで、哀悼の意を表しながらも、「ゴルバチョフは世間知らずで騙されやすく未熟だ」と批判している。「欧米体制を安易に崇拝することで、ソ連は独立を失い、ロシア国民は政治的不安定と深刻な経済的苦境に苦しんだが、中国はそれを自国の統治のための大きな警告や教訓とすべきだ」とも書いている。特にソ連崩壊後の1997年にゴルバチョフがピザハットのコマーシャルに出演したことへの嫌悪感を隠さない。

 また1955年にソ連とその友好国を中心として結ばれていた安全保障に関するワルシャワ条約機構は、1989年の東欧諸国における民主化革命で共産党政権が相次いで崩壊した結果、1991年7月1日にすべての政治・軍事機構が廃止・解体されたが、それに対する「原則なしの妥協」が悲劇を生んでいると、中国の他の多くの知識人などが解説を試みている。

 それによれば、ワルシャワ条約機構解体と同時に、「NATOの東方拡大を禁止する」ことが約束されていたはずなのに、そのことに対する詰めが甘かったことが、こんにちのウクライナ問題を生んでいると、厳しい。

 環球時報の解説委員だった胡錫進氏も<ゴルバチョフはソ連を裏切ることによって西側の賞賛を得た>という評論の中で、「それでもロシア社会はソ連社会よりも自由で、複数政党の選挙により西側陣営への統合を望んでいた。そのためG8のメンバーになったこともあったが、しかし、ワシントンの戦略的目標は、ロシアをさえ弱体化させ続けることであり、NATOの東方への拡大は、一歩一歩前進した。その全てが、結局、ロシアからの対抗措置の勃発につながり、ロシアが望んだ西側陣営への統合は隅に追いやられた」と書いている。そして以下のように続けている。

 ――振り返ってみると、ソ連は非常に強力で、かなりの技術革新能力を持っていた。最初の人工衛星と最初の原子力発電所はソ連で生まれた。当時の問題は農業の弱さと軽工業であった。資源の豊富なソ連がこれらの問題を解決するのは簡単だったはずだ。しかし、ゴルバチョフは問題を誤って判断し、間違った改革の道を選択し、政治的リーダーシップを欠いていた。彼自身は明らかに西洋文化の崇拝者であり、当時西洋の世論が彼に与えた賞賛を気にかけ、楽しんでさえいた。彼は欧米に騙されたのだ。(一部引用ここまで)

 習近平の戦略を、この「第二のゴルバチョフにだけはなるな」という中国が得た教訓という角度から分析するのは、興味深い作業である。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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