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「令和」に関して炎上する中国ネット

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
新元号「令和」(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 清王朝以来「年号」を失ってしまった中国の民の、日本の新元号「令和」に対する関心の熱さは尋常ではない。元号発表の数分後からネットは反応し、「令和」の由来が東漢の張衡の『帰田賦』にあると燃え上がった。

◆『帰田賦』と「万葉集」巻五「梅花三二首の序」の類似点

 中国のネットユーザーたちが書いている内容からご紹介する。

 まず、張衡(ちょう・こう)(西暦78年~139年)は東漢時代の天文学者・数学者であると同時に文学者・歴史学者・思想家でもあり、中国では、学校教育で必ず学ぶ偉人の一人である。彼に関する映画もあればテレビドラマもあり、また多くの伝記も著されている。そのため、中国の多くのネットユーザーは張衡の『帰田賦』に馴染みが深く、詳細に知っているのである。

 日本で4月1日午前11時41分ごろに菅官房長官が、新年号が「令和」に決まったと発表し、典拠は日本最古の古典「万葉集」(西暦780年頃)の「梅花三二首」の序文であると述べた。具体的には「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(かぜやわら)ぎ、梅(うめ)は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」という文言から引用したという説明があった。

 口頭では「ひらがな」を交えて説明があったが、万葉集の「梅花三二首」の序文は漢字だけで書かれており、漢字だけを並べると以下のようになる。

    ――初春令月、気淑風和。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後香。

 これを見た瞬間、中国のネットユーザーが反射的に連想したのが張衡の『帰田賦』にある次の句だ。

    ――仲春令月、時和気清。原湿郁茂、百草滋栄。

 さて、前半の8文字を見てみよう。

    万葉集:初春月、気淑風

    帰田賦:仲春月、時気清。

 最初の2文字は万葉集より遥か前にあった『帰田賦』における「仲春」が「初春」に置き換えられているだけだ。「仲春」は「春半ば」の意味で、それが「初春」と表現されているが、「令月」=「佳い月(2月)」であることに変わりはない。

 次に「気淑風和」と「時和気清」を比較してみよう。

 「気淑」は「気(き)淑(よ)く」(=きよく)と、ひらがなを交えて菅官房長官も安倍首相も説明しているが、「気淑」は「気清」に対応しており、「清く」(=きよく)なのである。

 残りの2文字は、万葉集では「風和」となり、「帰田賦」では「時和」となっている。

 「風和」は「風(かぜ)和(やわ)らぎ」と説明されている一方、張衡が用いた「時和」の意味は「時(とき)和(やわ)らぎ」なので、万葉集では張衡の「時」「風」に置き換えたことになる。「時」は「流れゆく時間」「流れゆく季節」でもあるので、それは「流れる風」と対応させることは容易だろう。

 以上は、何万とも言える中国におけるネットユーザーたちのコメントをまとめたものだ。

◆省略された「於是」に相当する「于(於)時」

 菅官房長官の発表や安倍首相の説明において、意図的か否かは分からないが、省略された文字がある。

 それは万葉集の「初春令月、気淑風和」の前にある「于時」という2文字だ。

 原典では「于時、初春令月、気淑風和」となっているようで、この「于時」は日本では「時(とき)に」と読まれているようだ。

 この「于」は「於」と同じ文字で、「于」は「於」の、中国における現在の簡体字。中国では今では「于」という文字しか使わないが、昔は「於」を用い、時に簡略的に「于」を用いることもあった。

 張衡の『帰田賦』では、「仲春令月、時和気清」の前に同様に「於是」という2文字がある。

 中国人なら誰でもわかるが、「于時」も「於是」も発音は [yu shi]だ。

 同じ発音なのである。[yu]は同じ文字でもある。

 万葉集を詠んでいた頃の歌人は中国語の発音や漢文を非常によく理解していたことだろう。だから『帰田賦』の「於是(yu shi)」を万葉集では同じ発音の「于時(yu shi)」に置き換えたのかもしれない。

 中国のネットユーザーの多くは、1980年より後に生まれた「80后(バーリンホウ)」たちで、彼らは日本のアニメと漫画で育った世代である。日本語を読める者が多い。

 多くのネットユーザーが、菅官房長官の発表や安倍首相の説明において、この「于時」を省いたことを指摘している。

 万葉集に関してあまり知らない筆者は、後追いで当該部分の原文を画像などで検索してみたところ、たしかに「初春令月、気淑風和」の前に「于時(時に)」があるのを発見した。

 すなわち、

    万葉集:于時(yu shi)、初春令月、気淑風和。

    帰田賦:於是(yu shi)、仲春令月、時和気清。

と、10文字がきれいな対を成しており、明らかに「本歌取り」であったことは否めないだろう(中国のネットでは「盗作」とか「剽窃」という言葉が目立つ)。残りの文字も、内容的にはほぼ類似の趣旨である。詳細は省く。

◆「脱中国と言いながら」という批判

 日本では一言も、「脱中国」などと言ってはいないが、中国では中国共産党の機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」がこの度の新元号「令和」に関して「去中国化(脱中国)」という言葉を使ったのである。

 というのも、安倍首相などの説明では「初めて日本の国書(日本古典)を典拠とした」ことが強調されたため、中国では、これまで漢籍(中国古典)から採用されてきたのに「なぜ初めて日本の国書なのか?」という議論が湧きあがっていた。結果、「日本のオリジナルな古典などというものが存在するのか」という視点が中国のネットユーザーを刺激し、張衡に依拠しているという議論が炎上したものと考えられる。

 コメントの中には「日本には、平成時代に初めて中国に追い越されたという焦りがあり、漢籍などを典拠にしてなるものかというナショナリズムが、日本の国書に典拠を求める動きへと向かわせていったのだろう」という類の分析が数多く見られた。

 「環球時報」の「多かれ少なかれ、中国の影響から逃れることは出来ない」という趣旨の論評も、ネットユーザーを刺激している。

 菅官房長官にしても安倍首相にしても、「日本の国書」に典拠したと言っただけで、中国古典を排除したとは言ってないのだから、こういった中国側の批判的コメントは迷惑ではある。

 中国政府あるいは中国共産党側が「脱中国化」と自ら言っておきながら「脱中国化なんてできるものか!」と日本を誹謗するのは、少々滑稽な構図と映る。

 それでも、中国のネットユーザーが指摘する、「なぜ『于時』をカットして発表したのか?」というコメントには、日本国民の一人としても「知りたい」という気持ちがあるのを否定することはできない。まさか、新元号に関する有識者懇談会のメンバーが、張衡の『帰田賦』には「於是」があり、万葉集の当該部分には同じ発音の「于時」があるのをご存じなかったわけではあるまい。ご存じの見識者たちであると信じている。

 となれば、「于時」まで入れて典拠を公表すれば、あまりに『帰田賦』との類似性が明瞭になってくるから、わざと省略したのだろうという、中国のネットユーザーたちの批判的指摘が、多少の正当性を持ってしまう。

 中国人が何と言おうと気にすべきではないのは言うまでもないが、不愉快ではないか。神聖な新年号であるだけに、そういう疑念は残したくないので、元号選定に関わった関係者が明らかにして下さるとありがたい。

 特に4月3日に共同通信が、<「令和」最終段階で追加 政府要請で中西氏提出か>という見出しで、以下のような記事を報道している。

 ――政府が新元号に決定した「令和」は、選定作業が最終段階を迎えた3月中旬以降、候補名に追加されたことが分かった。(中略)政府は有識者懇談会で国書(日本古典)の採用を事実上促し、令和に決定した。複数の関係者が3日、明らかにした。(中略)政府関係者によると、令和は3月上旬の段階では候補名になかった。(ここまで引用)

 このような報道を見ると、なおさらのこと、ここに書いた疑念を晴らしてほしいという気持ちが強くなる。筆者は個人的には「令和」は良い年号だと思っているし、この音の響きが好きだ。しかし、4月3日の共同通信のこの報道が事実なら、それは多くの日本国民が抱いているであろう「清々しく、澄んでいた純粋な気持ち」に水を差すのではないだろうか。

◆年号を失った民の喪失感か

 もっとも、中国のネットユーザーのコメントを、かなり時間をかけて考察したのだが、どうやら、清王朝以来「年号」を失ってしまった民の喪失感が、逆に、まだ元号を持っている日本への羨望として暗く渦巻いているのを感じないでもない。

 「昭和」に対して同じ発音[zhao he]の「招核」(核兵器を招く)と揶揄したり、「令和」に対しては同じ発音[ling he]である「領核」(核兵器を領有する)という文字を当てはめるなど、そこまでひねくれるのかと思われるほど、日本を誹謗したがっている。

 ただし、数少ないが「韓国よりはいいんじゃないか」というコメントがあり、笑いを誘った。「だってさ、韓国だったら、中国の歴史さえ、それは韓国のものだって言うんだから、まあ、日本はそのレベルに行っているわけではないから、いいんじゃないのか」ということらしい。

 たしかに「年号」という概念自身、中国から始まったものであり、漢字も中国から来たものである。日本はそのようなことを否定したりはしていない。

 ただ、拙著『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』(2008年)に書いたように、日本が長年にわたって育んできた日本独自の文化に、中国の若者は夢中になり、酔いしれてきた。「80后」の中で、日本のアニメと漫画を見ずに育った者はまずいないと言っていいほど、1980年代初期には「日本の文化」が中国を席巻したのである。

 暗くて長い鎖国状況と殺気に満ちた文化大革命を終えて、遂に改革開放が始まったとき、日本の映画や歌、テレビドラマやアニメ・漫画は、怒涛のように中国大陸に上陸し、子供から大人までを魅了した。その事実を否定できる中国人は一人もいないだろう。

 文化というのは、もともとの起源や発祥地がどこであったかも地政学的あるいは人類学的には重要だろうが、いかなる体制の中で、どれだけの自由度を以て精神を育んでいくことができるのかによって、その価値や豊かさが決まってくるものだ。

 たしかに悠久の歴史を持つ、かつての「古き良き時代」の中国には、注目に値する精神的豊かさがあったかもしれないが、中華人民共和国が誕生した1949年以来、中国共産党による一党支配体制で言論を弾圧され統一されてきた中国では、精神的自由度の高い「文化」が育まれてきたとは決して言えない。

 「令和」に対する中国のネットユーザーによる膨大なコメントの中に、その「哀しさ」が滲み出ているようにも感ぜられた。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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