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習近平のブレーンは誰だ?――7人の「影軍団」から読み解く

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
帝王師「影軍団」を持つ<紅い皇帝>習近平(写真:ロイター/アフロ)

習近平には7人の影のブレーンがいる。中でも突出しているのは王滬寧(おうこねい)だ。江沢民、胡錦濤と三代続けてブレーンを担ってきた。その王滬寧が、会議室の狭さから座席に関して劉鶴(りゅうかく)に便宜を図ったことが、あらぬ流言飛語となり物議をかもしている。真相は?

(以下、敬称はすべて省略する。)

◆習近平の「影軍団」――7人の「帝王師」たち

習近平には中共中央政策研究室主任の王滬寧というブレーンがいることは、中共中央で知らない者はいない。しかし、実はそれ以外にも、王滬寧を含めた「7人の影軍団」(7人のブレーン)がいることを知っている者は、そう多くはない。中国の巷では「影軍団」のことを「帝王師(ていおうし)」とささやく者もいる。「帝王師」とは「皇帝の老師(ろうし)」のことだ。皇帝を創りあげるための賢者で、控え目で目立たず、信頼のできる「切れ者」であることが要求される。これは中国古来からの習わしと言っていいだろう。

では以下に7人の「習近平の帝王師たち」の名前を書いてみよう。

1. 王滬寧(おう・こねい)(1955年生まれ):中共中央政治局委員、中共中央政策研究室主任。江沢民政権の「三つの代表」、胡錦濤政権の「科学的発展観」の起草者。習近平の最高ブレーン。総設計師的役割をしている。

2. 栗戦書(りつ・せんしょ)(1950年生まれ):中共中央政治局委員、中共中央弁公庁主任、中共中央書記処書記。2012年9月、まだ胡錦濤時代だったときに令計画の失脚にともない昇格。

3. 劉鶴(りゅう・かく)(1952年生まれ):中共中央委員(政治局委員ではない)。中共中央財経領導小組弁公室主任、国家発展改革委員会副主任。習近平(1953年生まれ)が北京101中学で勉学していたときのクラスメート。胡錦濤時代から中共中央財経領導小組弁公室の副主任をしていて(2003年~2013年3月)、習近平政権になってから主任(2013年3月)になっただけで、そう飛び級的な出世をしているわけではない。しかし、幼馴染みということがあり、経済領域を裏でコントロールしていると言われている。かつてハーバード大学で公共管理修士取得。

4. 何毅亭(か・きてい)(1952年生まれ):中共中央委員会委員、中共中央党校常務副校長。校長の劉雲山に睨みを利かしている。

5. 丁薛祥(てい・せつしょう)(1962年生まれ):中共中央弁公庁常務副主任、総書記弁公室主任。2006年に上海市書記だった陳良宇が胡錦濤政権により逮捕投獄されたあと、2007年に習近平が上海市書記になったのだが、そのときに組織部部長だった丁薛祥は、陳良宇支持者が多い中国共産党上海市委員会の中で窮地に立たされている習近平を支え、上海市の政権を安定させた(このときの窮地に関しては『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』で詳述した)。そのため習近平の覚えめでたく、出世して中央にいる。

6. 李書磊(り・しょらい)(1964年生まれ):中国共産党北京市委員会常務委員、北京市紀律検査委員会書記。14歳で北京大学に入学した神童。習近平の政治秘書。

7. 鐘紹軍(しょう・しょうぐん)(生年月日不詳 ):中共中央軍事委員会弁公室主任。中国のネットには、彼に関するいかなる情報もない。皆無だ。すべて削除されている。いつから削除され始めたのか、うっかりダウンロードしていなかったので定かでない。従って彼に関しては、たとえばアメリカにある複数の中文情報などに一部準拠して書くことにする。中国のネット空間で情報が「ゼロ」というのは異常事態で、「何かある」としか考えられないので、少し詳細に書くことをお許し願いたい。

鐘紹軍は習近平が浙江省に移動したときに中国共産党浙江省委員会組織部の副組織部長をしていた。このとき習近平は鐘紹軍を気に入って、2007年に上海市の書記になった時にも彼を連れて行き、中国共産党上海市委員会弁公庁副主任という職位を彼に与え、自分の最も身近な「秘書」として常にそばに置いていた。2007年秋に習近平がチャイナ・ナイン(胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員9人)入りして北京の中南海に行くと、鐘紹軍もまた北京に行き中共中央弁公庁調研室政治組組長になる。習近平政権になってから、中共中央軍事員会弁公庁副主任になり、2015年に中共中央軍事員会弁公室主任になっている。

香港の雑誌『前哨』(2015年9月号)によれば、腐敗問題ですでに死刑判決を受けている元中国人民解放軍后勤部副部長・谷俊山を告発したのは劉源ということになっているが、実はその背後には鐘紹軍がおり、彼が劉源に証拠を渡したのだという(筆者が2012年に著した『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』では、筆者も劉源と書いた)。胡錦濤政権から習近平政権に移る直前に、郭伯雄および徐才厚という二人の中央軍事委員会副主席は下野しているが、このときすでに、「2012年財政年度の軍事費6700億元の半分以上は軍幹部腐敗分子のポケットに入っている」ことを突き止めたのも鐘紹軍で、習近平の腐敗撲滅運動と軍事大改革に陰で大いに貢献していたことになる。反腐敗運動で表面に出てくるのは中央紀律検査委員会書記としての王岐山だが、影では鐘紹軍が動いていたということになろうか。

◆劉鶴に「席を譲った」とされる王滬寧

あまりに鐘紹軍のことが興味深く、つい前置きが長くなってしまい、申し訳ない。本来言いたかったのは、劉鶴に「席を譲った」とされる王滬寧の話だ。

今年4月3日に書いた本コラムの記事「ワシントン米中首脳会談、中国での報道」の冒頭にある写真を見て頂きたい。左側の米側は、一列に並んで座っている。右側の中国側は、この写真ではよく見えないが、やや2列に並んで座っている形になっている。中国側の座り方が見える写真があるので、これをクリックしてみていただきたい。王滬寧が第二列目にいるように見える。一番右の端にメガネをかけている男性が王滬寧だ。

このときの会議室はものすごく狭くて、左右の間に隙間がなく、人数も多いので真っ直ぐに横一列に並ぶと、自分の列の端の人の顔は見えない。

関係者の周辺から直接聞いた話によれば、このとき習近平は会議開始前の雑談の中でオバマに言おうとしたあるデータに関して数値が思い出せず、劉鶴に聞いたという。劉鶴は一番奥に座っていたので、間に人が多すぎて声が遠い。すると、習近平のすぐ隣に座っていた王滬寧が咄嗟に椅子を後ろに引き、劉鶴と習近平の間を縮めようとした。それを見た国務委員の楊潔チ(よう・けっち)もあわてて自分の椅子を後ろに引き、習近平が劉鶴に聞きやすいようにしてあげたという。その結果、王滬寧と楊潔チが第二列にいるような形になってしまったとのことだ。

ところが、この座席の位置に根拠を置いて、「王滬寧が第二線に退いた」として、次期チャイナ・セブン(習近平政権における中共中央政治局常務委委員7人)の座席を占う分析が現れ始めた。

2017年に開催される第19回党大会で、習近平と李克強の2人を除いた5人のチャイナ・セブンが停年で退き、新しい5人が入ってくるが、その中に劉鶴が入るかもしれないという予測を、この「座席」を根拠に論議しているのである。王滬寧が第一線から退いて、上記3の劉鶴にその「席」を譲るのではないかと分析しているのだ。

劉鶴は、中共中央政治局委員は言うに及ばず、中共中央委員でさえ、まだなったばかり。2012年の第18回党大会で、初めて平の共産党員から中央委員に選ばれた。しかも中共中央財経領導小組の弁公室の主任でしかない。小組の方には権威があるが、弁公室というのは、その小組の事務局に過ぎない。弁公室には決定権などないのに、劉鶴のことを最高決定機関の主任と書いている日本の報道があるのを知って驚いた。筆者はかつて中国政府の国務院西部開発領導小組の弁公室の一部局の人材開発顧問に就いていたことがあるが、弁公室(事務局)と小組では雲泥の差。弁公室は「小組で決まった事務を遂行する」だけの事務組織にすぎないのである。

習近平はもちろん劉鶴を重んじているが、劉鶴の身分から言えば、来年の第19回党大会でせいぜい入って中共中央政治局委員といったところだろう。王滬寧ならいざ知らず、劉鶴がチャイナ・セブンに入る可能性は非常に低い。もっとも、王滬寧がチャイナ・セブン入りして空いたポストに、後継者として劉鶴が(中共中央政治局委員として)滑り込むという構図は十分に考えられる。

中央テレビ局CCTVでは出席者の名前をいつも通り「習近平、王滬寧、栗戦書、楊潔チ……」の順番で読み上げていた。

◆「帝王師」として別格の王滬寧

そもそも「帝王師」というのは、本来隠れているものだ。

王滬寧は復旦大学時代(1978年~95年)に数多くの論文を発表した。中でも趙紫陽の政治体制改革に関する論文が多く、「趙紫陽の政治辞典」とまで称された。95年になると江沢民に目をつけられて中央政策研究室政治組の組長になり、「三つの代表」論の論理的根拠を執筆。胡錦濤政権になっても中央政策研究室主任(2002年~2012年)、中央書記処主任(2007年~2012年)などを歴任し、胡錦濤の「科学的発展観」の原稿も執筆している。

しかし習近平がまだ国家副主席だったときに、王滬寧は習近平に対して「あなたは何もわかってない! 不用意に喋らないでくれ!」と面と向かって怒鳴ったことがある(詳細は『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』)。激怒した習近平は「辞めてやる!」と言って周りを困らせたが、ことほどさように、王滬寧には出世欲がない。政治的野心は皆無だ。

まさに「帝王師」の極意を地で行く、本物のブレーンなのである。

習近平は王滬寧の頭の良さと論理性の高さに屈服し、結局、最高ブレーンとして位置づけている。「中華民族の偉大なる復興」や「中国の夢」という政権スローガンを練り出してあげたのも王滬寧だ。習近平政権の中心軸を成している。

◆習近平と王滬寧の仲

今年の全人代が開催された人民大会堂の会場を出るときに、王岐山が習近平の肩を後ろからつついただけで、「衆人環視」の中で「肩をつつけるような仲」あるいは「習近平をしのぐ大物」などとして日本では大騒動していた情報があったが、少々見当違いだろう。そのようなことはよくある風景。

習近平と王滬寧の衆人環視の前での談笑をご覧いただきたい。これは2014年3月5日から開催された全人代第二回全体会議(3月9日)退場の際の風景だ。習近平を先頭として退場するので、王滬寧がかなり後ろから追いかけて習近平を呼び止め振り返らせたものと思われる。王滬寧はまだ背広のボタンをはめ終わってないのがわかる。

これを見て王滬寧が習近平をしのぐ大物などと言えるだろうか?

「帝王師」の基本ルールに従えば、「目立たないこと」が最優先される。その意味での真のブレーンは、あるいは習近平が完全に隠させた7番目の鐘紹軍なのかもしれない。彼こそが「皇帝の黒幕」なのか……。

(チャイナ・セブンの次期メンバーに関しては、まだ1年以上もあるので、じっくり時間をかけて楽しみながら分析していきたい。)

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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