3月1日、ウィリアム王子が中国に向かった。昨年の香港デモにおいても顕在化したように、英中間には複雑な問題が横たわっている。30年ぶりのイギリス王室の訪中には、英中双方の思惑があるが、中国側の狙いを見てみよう。

◆チャールズ皇太子と中国の「危ない?」関係

ウィリアム王子の父親であるチャールズ皇太子は、1997年7月1日、香港の中国返還式典に出席し、当時の国家主席だった江沢民と肩を並べたことがある。

そのときチャールズ皇太子は江沢民のことを「なんとおぞましい、まるで古びた蝋人形のようだ」と日記に書いていたことが、のちに分かった。そうでなくともプライドの高い江沢民は激怒。危うく外交問題にまで発展しそうだった。

さらにチャールズ皇太子は、中国が憎むべき(邪悪な?)敵としているチベット仏教のダライ・ラマ14世と長い付き合いがあり、2008年8月に開催された北京オリンピックには出席しない旨、「フリー・チベット運動」に書簡を送付したことさえある。

フリー・チベット運動は、中国のチベット自治区における人権弾圧などに抗議して中国政府を非難している団体だが、チャールズ皇太子はこの団体の支援者でもある。

また2012年6月にはダライ・ラマ14世が訪英して、ロンドンでチャールズ皇太子と面談した。チャールズ皇太子はダライ・ラマを自宅であるクラレンス・ハウスに招き、カミラ夫人とともに歓待した。

まるで導火線に火をつけるような危ない(?)動きをしている人物だと、中国はチャールズ皇太子を警戒してきた。

そうでなくとも1986年、エリザベス女王は夫妻で訪中したことがあるのだが、夫君であるエディンバラ公フィリップ王配は、西安市を訪れた際に、そこにいたイギリス人留学生に「君もね、こんなところに長くいたら、(中国人みたいに)目が細くなるよ」と言ったことがある。

まだ改革開放を始めたばかりの中国は貧乏で、この言葉は人種差別として物議を醸しだしたものだ。

1986年にイギリス王室が訪中したのは、1984年に英中共同声明が発表されて、1997年の香港中国返還が決定したからである。1982年には当時のイギリスのサッチャー首相が訪中し、トウ小平と返還交渉のための会談をしている。フォークランド戦争勝利によって意気揚々としていた「鉄の女」サッチャーは美しい金髪をなびかせながら堂々の北京入りをしたのだったが、「鋼(はがね)の男」トウ小平の威圧的態度に負け、会談を終えた人民大会堂の石段でつまずき、地面にひれ伏してしまった(詳細は『香港バリケード 若者はなぜ立ち上がったのか』(3月12日発売)第一章:「鉄の女」サッチャーと「鋼の男」トウ小平との一騎打ち)。

サッチャーはその後、「私の政治的生涯における最大の失敗は、英中共同声明にサインしてしまったことだ」と言っているが、イギリス王室は、そのサッチャーを説き伏せた男、トウ小平に会ってみたかったのだろう。

しかし、これら一連の気まずいできごとにより、英中は必ずしも親密な仲ではなかった。

決定的だったのは、2012年5月にイギリスのキャメロン首相が中国政府の猛反対を押し切ってダライ・ラマ14世と会談したことだ。これにより同年秋に予定されていたキャメロン首相の訪中も延期された。イギリス国内でも一部批判が出たが、自由や人権を重んずべきというイギリス国民の声も強く、キャメロン首相は板挟みとなっていた。

◆キャメロン首相の訪中と李克強の強引なエリザベス女王との会見

それをようやく打ち破ったのは2013年12月のキャメロン首相訪中だった。リーマン・ショック以降、イギリス経済は困窮し、貧富の格差が増大して経済破綻の危機に喘(あえ)いでいた。だから対中政策に対して大転換を迫られていたのだ。キャメロン首相は訪中に先立って「イギリスはチベットの独立を認めない。その姿勢はずっと前から変わっていない」とまで誓いを立てる。中国政府に対して「二度とダライ・ラマ14世とは会わない」と宣誓し、ようやく訪中が叶ったわけだ。

今度は「キャメロンは金のためにチベットを売るのか?」という批判が渦巻いた。

しかし、この流れの中で中国の態度は途端に大きくなる。

2014年6月、李克強首相がヨーロッパ訪問に際して、エリザベス女王との面会を申し出たのだ。それも「もし応じないのなら、訪英を取りやめる」と、まるで恫喝まがいの要求までしていたことが分かった。

結果、エリザベス女王の接見は叶ったのだが、全世界のひんしゅくを買っている。

なぜならキャメロン首相の訪中によって英中貿易は一気に成長し、中国の対英投資も史上最高額になっていたため、中国は金で権威を買い、イギリスは金のために中国にひれ伏したのか、と批判を受けたからだ。

◆香港「雨傘革命」ではパウウェル卿を利用

2014年12月6日付の本コラム「英上院パウウェル卿、香港デモで中国擁護」で、薄熙来(はくきらい)の息子の元後見人であったイギリス上院(貴族院)議員のパウウェル卿が、中国政府のために証言していることを書いた。

パウウェル卿は1982年、「鉄の女」サッチャーが、「鋼の男」トウ小平と会談した際。サッチャー首相の隣にぴったり寄り添って座っていた人物だ。だから香港の「雨傘革命」に関して、それがいかに不当であり、中国政府がいかに正当であるかを強調した。

パウウェル卿は昨年、「イギリスが統治していたときに比べて、中国が統治している香港は、どんなに民主的になったことか!」と、何度も何度も中央テレビCCTVで語気を強めて断言している。

上院は元貴族が終身制で議員を務めているので、実権は持っていない。実権を持っているのは、選挙で議員が選ばれる下院だ。しかし下院議員や外相などが少しでも香港に関して口出しすると、内政干渉だとして抗議し香港訪問へのビザも絶対に下さない中国政府は、王室に連なる元貴族院議員たちを優遇する傾向にある。

いや、より正確に言えば、相手の足元を見て、金の力を使って「権威」を「買い」、「親中的言動」を「買う」のである。

上院は選挙で選ばれるのではないので、自由とか人権とかを叫ばなくとも議員でいられるために、その違いを中国は鋭敏にキャッチして「活用」しているのだ。

中国の狙いはここにあり、米中関係よりも、英中関係がいかに緊密であるかを、世界に見せていくことだろう。

2014年3月末にオランダのハーグで開催された核セキュリティ・サミット(NSS)に参加したあと、習近平はフランスやドイツ、ベルギーなど、ヨーロッパ諸国を歴訪した。3月29日にドイツのデュースブルグ(Duisburg)に習近平が着いた瞬間に合わせて、貨物を満載した重慶市発の列車が、終点であるデュー スブルグに到着。このとき習近平は、重慶市とドイツのデュースブルグを直結する「渝新欧(ゆしんおう)」(渝は重慶の意味)路線を象徴と位置付けて、「中国と欧州連合(EU)をつなぐ、巨大な新シルクロード構想」に関して演説をした。

この欧州歴訪において、習近平はイギリスを訪問していない。

それはさらにイギリスをじらす効果をもたらし、巨大な新シルクロード経済ベルトの一員になりたかったら、それ相応のことを考えるように促したものと見ることもできる。

だからこそ、なおさら、2014年6月の李克強の訪英に際し、中国は強気でエリザベス女王との面談を要求することができたのだ。

イギリスの弱みにつけ込んで、ウィリアム王子に香港問題に関しても中国に有利な発言をさせる可能性がある。

2日には習近平と面会するものと思われるが、どうか、あの美しいウィリアム王子が、このような「手段」として使われないことを祈るのみだ。