周永康、北朝鮮に国家機密漏えいか?――張成沢処刑は周永康が原因

昨年公開された周永康の罪状の中に「国家機密漏えい罪」があったが、その漏洩先は北朝鮮だという情報が中国語ネット空間に溢れている。香港紙「東方日報」のウェブサイトから始まったスクープの真偽を検証する。

◆胡錦濤と張成沢(チャン・ソンテク)の密談を盗聴し北朝鮮に流した周永康

2015年2月22日、親中派香港紙「東方日報」のウェブサイト「東網」が、張成沢氏の公開処刑は、周永康の盗聴と国家機密漏えいがもたらしたものだという情報をスクープした。

2012年8月13日に中国を訪問した張成沢は、8月17日に人民大会堂で、当時の国家主席・胡錦濤と会談した。その写真は公開されているが、会談内容は極秘で、実際上は密談であった。その場には胡錦濤と張成沢以外は、中国人通訳一人しかいなかったが、周永康はこの密談の内容を全て盗聴し、それを北朝鮮に密告していたとのこと。

張成沢はこのとき胡錦濤に「金正日の跡継ぎは、金正恩(キム・ジョンウン)ではなく、中国寄りで改革開放を進めるであろう金正男(キム・ジョンナム)にさせるべきだ」と話していた。胡錦濤は黙っていて、何も答えなかったという。

ここまでは東網の情報で、以下は筆者の推理である。

このような密談を盗聴して、周永康にとっていかなるメリットがあるのか?

それは、おそらく中国が最も頭を悩ましている「北朝鮮」を利用して、中国の指導層トップを攪乱(かくらん)させ、周永康に危険が及んだときに北朝鮮を動かそうと考えていたのではないかと推測される。

中国の指導層と言っても、胡錦濤時代のチャイナ・ナイン(中共中央政治局常務委員会委員9人)の中に周永康自身も入っている。周永康は党内序列ナンバー9で、トップ指導層の一人だった。2007年に江沢民が無理やりにチャイナ・ナインに押し込んだのだが、その役割は胡錦濤に対して江沢民が送り込んだ刺客である。

チャイナ・ナインは集団指導体制を執っているので、9人で多数決議決をするときに、江沢民に不利にならないように江沢民派を大量に送りこんでいた。習近平(当時、国家副主席)もその中の一人だった。

胡錦濤を支持する側は温家宝、李克強くらいのもので、薄熙来事件(2012年3月15日)が起きる終盤戦になると他のチャイナ・ナインも突然、胡錦濤側に付き始めている。最後まで胡錦濤の意見に賛成票を投じなかったのは周永康のみだった。

◆金正日(キム・ジョンイル)と緊密だった周永康

ところで、2010年10月9日~11日、周永康は北朝鮮を訪問し、その間に4回も金正日(1941年2月~2011年12月17日)と会っている。そして金正日と並んで謁見台の上から手を振った。この間、金正日が自分の後継者として金正恩を周永康に託したものと考えられる。

金正日が金正恩を後継者指名したのは、周永康訪朝の直前の2010年9月27日だ。

周永康は国家主席級の扱いを受けて、熱烈歓迎されている。

周永康と金正日との親密ぶりに関しては、ほぼ誰もが知っている事実で、二人の関係には疑問を挟む余地はない。

問題は、それ故に、国家機密を漏えいするところまで、チャイナ・ナインともあろう者がやるのか、ということだ。

その動機を考察するために、盗聴をした時期を考えてみよう。

2012年8月17日というのは、元重慶市書記であった薄熙来が失脚した後のことである。同年3月15日、全人代(全国人民代表大会)が閉幕した翌日に書記を罷免することが発表されたが、この決議は全人代開催中の3月8日に開催された中共中央政治局会議で出されている。チャイナ・ナインの中で反対したのは、周永康一人であった。

このときから周永康は身の危険を覚え、いざとなったら武装警察を使ってクーデターを起こすか、北朝鮮に逃げるか、あるいは北朝鮮にミサイルを発射させるとか核実験をさせるなど、いずれにしても北を使って中国政局を混乱させる方法を考えていた可能性がある。

そのため親中派の張正沢が訪中したとき、周永康は張成沢と胡錦濤との密談を盗聴して、張成沢が何を考えているかを金正恩に密告したものと考えられる。

このとき金正日はすでに他界しており、この報告は直接、金正恩になされていただろう。

盗聴操作をしたのは周永康の腹心で、国家安全部にいた馬建・副部長だと考えて間違いない。国家安全部はスパイ摘発のための国家中央行政省庁の一つで、周永康は薄熙来のためにも国家安全部を通して盗聴を行わせている。

なお、馬建はすでに逮捕されている。

◆中朝ともに相手を暫く泳がせた

胡錦濤も習近平も、ともにしばらくの間、周永康を泳がせていた。周永康は、いたるところで「晴れ姿」を見せていた。

これは中共が昔から使う手で、薄熙来など、失脚する2カ月ほど前は、むしろ頻繁に人民日報が「晴れ姿」を載せているほどだ。目つぶしをくらわすのが、国共内戦時代からの手法である。

周永康を取り調べる決議をしたのは「2013年12月1日」に開催されたチャイナ・セブン(習近平時代の中共中央政治局常務委員会委員7名)が開催した常務委員会会議においてであった。

一方、北朝鮮側も、この「2013年12月1日」まで、張成沢を泳がせ、金正恩政権が誕生したあとも、しばらくは北朝鮮のナンバー2として金正恩に次ぐ身分を保っていた。

失脚を伝えたのは、周永康の取り調べをチャイナ・セブンが決定した2日後の2013年12月3日である。12月8日に粛清し、12日に公開処刑し、13日にその事実を公開した。

まず、ここで明確なのは、周永康の盗聴と国家機密漏えいにより、張成沢が処刑されたという事実だ。

この関連性は明らかだと言っていいだろう。

つぎに以上の検証から何が言えるのかを、中国側に現れている、もう一つの事象から考察したい。

◆「人民日報」が周永康を、中共史上最大のスパイにたとえた

2013年12月10日、中国共産党(中共)の機関紙「人民日報」は「周永康のあらゆる行為は、反逆者・顧章順と同じだ」という文章を掲載した。

顧章順(1903~1935年)は、中共が誕生した初期のころの地下スパイ機関のトップで、中共中央委員の一人だった。ところが彼は1931年に中共と敵対する国民党に寝返り、中共の地下組織のすべてとスパイ活動の拠点すべてを国民党側に密告してしまう。

きっかけは、国民党側の「白い帽子に白いハイヒールと白いスーツ」を身にまとった女スパイに惚れ込んでしまったからだった。

顧章順が国民党側に寝返ったことがばれたのは、中共側スパイが国民党側に潜り込んでいて、国民党側における顧章順の動きを、逐一、中共側の毛沢東や周恩来に知らせていたからである。

顧章順の密告により、国民党が中共の拠点を急襲したときには、拠点はすでに、もぬけの殻であった。国民党側に潜り込んでいた中共スパイが、事前に知らせていたからである。顧章順はなんと、国民党側の蒋介石の命令で暗殺されている。

中国の歴史は「スパイの歴史」と言っても過言ではないほど、中共誕生時(1921年)からスパイに血塗られている。

同じ民族が国民党と共産党に分かれて長期にわたる日常戦を戦ってきた歴史のある中国では、「スパイ」というのは、日本では想像できないほどの日常的できごとだ。スパイ活動を管轄するトップが敵に寝返ったという顧章順にたとえて、周永康を名指しで批判した人民日報の記事は、「国家安全部を管轄下に置いていた中共中央政法委員会書記=周永康」が国家機密を北朝鮮に流していたことを、チャイナ・セブンが知っていたことを裏付けていると考えていいだろう。

2015年2月17日の記者会見で中国の外交部副部長が、「5月9日にロシアで開催される式典で中朝首脳会談があるか否か」という会場からの質問に対して「状況を見てから判断する」と回答したのには、こういう背景があるからである。

日中首脳会談さえ行ったのに、習近平政権誕生以来、中朝首脳会談はまだ実現されていないという、この異常な事態に注目したい。