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中国のパクリ文化はどこから?――日本アニメ大好き人間を育てたのも海賊版

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

中国のパクリ文化はどこから?――日本アニメ大好き人間を育てたのも海賊版

中国の知的財産権侵害が止まらない。しかし日本アニメがかつて中国を席巻し日本アニメが大好きな若者を育てたのも、実は日本アニメの海賊版があったからだ。それなら中国のこのパクリ文化という精神土壌はどこから来たのか?

◆魯迅が唱えた拿来(だらい)主義copinism

実は中国のコピー精神は、あの著名な文学者で思想家でもある、魯迅(ろじん)(1881年~1936年)から来ている。1934年6月7日、魯迅は雑誌『中華日報・動向』に「拿来主義」という文章を載せている。

「拿来」は中国語では「ナーライ」、日本語では「だらい」と読み、「どこかから持ってくる」という意味だ。英語で表現すると“copinism”(コピー主義)とか“by borrowed method”(借りた方法で)などとなると、中国では定義されている。

魯迅が言ったのは、「立ち遅れた中国の文化や技術を前進させるには、すでに存在する海外の優れた文化や技術を取り入れた方が早い」という趣旨だ。

1934年と言えば、1912年に「中華民国」が誕生してからまだ20年ほどしか経っておらず、アヘン戦争以来、列強の植民地政策の中で衰退した清王朝の頽廃した文化が淀んでいる次期だった。

魯迅は一時期、東京新宿の牛込にあった日本語学校で学んだことがあり、1904年からは仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)で勉学した。そのようなことから中国を「窓もドアもない鉄部屋」とみなし、この鉄部屋から抜け出すには海外の優れたものを模倣してでも取り入れるべきだと考えた。ゼロから生み出すには、中国と外国との間には、あまりに埋められないギャップがあると思ったからだ。

以来、中国には「模倣(コピー)」は悪いことではないという考えが根付いていった。

その考え方は、1978年末の改革開放までは、それほど悪い精神文化として存在していたわけではない。

ところが改革開放以降、トウ小平の「先富論」(先に富める者から富め)によって金儲けが許されるようになり人民が「銭に向かって進む」ようになると、事情は一変した。

ともかく金になるのならどんなことでも抜け目なく「取り(盗り?)入れ」、やがてあらゆる分野で「山寨(さんさい)文化」が生まれるようになる。「山寨」とは人目に付かない山奥の柵に囲まれた砦で、(山賊たちが)こっそり製品を製造することから来ている。

以降、日本人はこれを「パクリ」と呼ぶようになった。

日本の電子機器、電気製品、自動車、バイクから始まり、テレビ番組、キャラクター商品、何でもかんでも手当たり次第のパクリぶりだ。

特許や登録商標、果ては観光地名までがパクられるに到り、先般東京で「悪意の商標出願」を食い止めようと、国際会議が開催された。

ところがこのパクリ文化、意外なところでは効果を発揮している側面もある。

◆日本アニメ大好き人間を生んだ海賊版

それは日本の動漫(動画=アニメ、漫画)だ。

改革開放とともに中国に上陸した日本のアニメや漫画、映画などは、文化大革命で抑圧されていたサブカルチャーへの渇望を刺激した。まるで乾ききったスポンジが水を吸い込むように、中国人民の間に浸透していった。

特に日本の動漫の中にある、いかなる制限もない自由な発想と幼児向けではない青春ものは、若者を魅了して離さなかった。日本の動漫ブームは中国全土を席巻し、80后(バーリンホウ)(1980年以降に生まれた者)で日本の動漫を見ずに育った者はいないと言っても過言ではないほど、若者のすべてが日本動漫の洗礼を受けている。

それを可能にしたのは、実は「海賊版」の存在である。

80年代から90年代半ばまで、中国はまだ貧乏だった。高価な日本の動漫の正規版など手が届くはずがない。この庶民のニーズを嗅ぎ取った山寨族は、せっせと海賊版を増産することに励んだ。だからその日暮らしの貧乏な若者たちも、安い海賊版を買うことができ、自らの手で自分の欲しいサブカルチャーを選び取る「ボトムアップ」の精神文化が形成されるに至る。

これは「民主の萌芽」を形成しつつあった。

90年代後半にネット革命が起きると、今度は日本のアニメを日本での発売と同時にネットにアップして観るようになった。日本アニメで日本語を覚えたエリートの若者たちは、「字幕組」を結成して、ボランティアで瞬時にして中国語スーパーを画面に貼り付けて無料で全国に配信した。

「たかがアニメ」とタカをくくっていた中国政府は慌てた。

中国では動漫は子供向けであり、まさかそれが青年たちを魅了して若者の精神文化を形成するに至るとは思ってもみなかったのだ。

◆魯迅が泣いている

魯迅が「拿来主義」を提唱したとき、「日本との間にはいろいろあるが、日本の良いところは学ぶべきだ」という考え方が根本にあった。魯迅は日本が好きだった。日本も魯迅が好きだった。

ところが今はどうだろう?

94年から江沢民が始めた愛国主義教育は、95年から始まった「反ファシスト戦争」観点に染まっていき、反日教育の色合いを濃くしていく。

「反ファシスト」は第二次世界大戦のときに聯合国側に付いた国を指すのであって、その意味での国名は「中華民国」である。終戦のとき(1945年)、現在の中国(中華人民共和国)はまだこの世に存在していない。中国が誕生したのは終戦後4年経った1949年だ。しかし中国はこの4年間(1949-1945=4)をデリートしてしまい、来年は「反ファシスト戦勝70周年記念」を盛大に開催すると宣言している(「抗日戦争勝利」なら、まだ理解できるが)。

2006年には日本アニメの上映を制限し、日本アニメが普及する手段であったアニメの海賊版の取締りにも乗り出した。

それでいながら、相変わらずパクリ商法は後を絶っていない。

昨日、筆者の手元に『ウルトラマンと著作権』という本が作者の一人である大家氏から送られてきた。日頃から多くの献本を頂いているので、大変申し訳ないが中身を拝読することは滅多にない。しかし、ちょうどこのコラムを書こうとしていたので、表紙を開いてみると、「はじめに」に「ウルトラマンが泣いている」という言葉が目に飛び込んできた。

このあまりにキャッチ―なコピーに誘われ、いくつか拾い読みをした。「ウルトラマンが泣いている」の内容は、このコラムに書いた種類の事象ではなく、円谷(つぶらや)プロの内部の話だが、筆者も魯迅の良い意味での「拿来主義」をお借りして、「魯人が泣いている」と言いたい。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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