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中国人にも愛された高倉健――改革開放に利用した日本映画と日本アニメ

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

中国人にも愛された高倉健――改革開放に利用した日本映画と日本アニメ

1978年、中国では改革開放が始まったが、怖気づく人民を励ますためにトウ小平が利用したのは高倉健であり、鉄腕アトムだった。10年にわたる文化大革命という殺伐とした中で生きていた人民の心を、高倉健は魅了した。

◆改革開放――日本に学べ

1978年、日中平和友好条約締結のために来日したトウ小平は新幹線に乗ってショックを受けた。「まるで背中を鞭打たれているようだ」と叫び、中国に帰国するや否や「改革開放」を宣言した。「自由に金儲けをしてもいい」と言ったのである。

しかし1949年10月1日の建国以来、中国は計画経済を実施してきたし、特に文化大革命(文革)期には金儲けに走る者を「走資派」と糾弾して投獄してきた。だから人民はひたすら恐怖におびえ、いくら「金儲けをしてもいい」などと言われても「騙されないぞ」「そうやって、また投獄する気だろう」と疑う者が多かった。

そのため初期のころ、改革開放は進まなかった。

そこでトウ小平は日本の映画やテレビドラマあるいはアニメを利用し始めたのである。

テレビを持っている家庭など非常に少なかったので、最初に導入したのは映画館で見られる映画やアニメだ。

映画の中で典型的なのは高倉健の『君よ 憤怒の河を渉れ』。同名の小説(西村寿行、1974年)を映画化したサスペンス・アクションものだ。

中国語では『追捕』というタイトルで公開され、中国人民を魅了した。

文革期間、思想教育的な革命映画以外は上演されず、一般の映画に餓えていた中国にあって、映画館は連日満員の大盛況。前夜から並んで入場券を求めるほどの人気ぶりだった。特に高倉健が演じる主役は中国の多くの若い女性をしびれさせ、男性は高倉健のようになりたいと、ファッションやしぐさ、そしてあの渋い表情を真似たものだ。

北京大学の教授であった筆者の友人は、周りの人に「高倉健に似ている」と言われて嬉しくなり、いつも高倉健が映画の中で着ていた服装を真似たり、しぐさを真似るようになった。しゃべり方や顔の表情も渋くして、おしゃべり好きだった彼が「寡黙」を装うという熱の入れよう。

中国語では高倉健は「ガオ・ツァン・ジェン」と読む。

そこで筆者がこの教授のことを本名で呼ばず「ガオ・ツァン・ジェン」と呼ぶと彼はひどく喜び、高倉健の服装と似たような皮ジャンパーまで購入し、「ガオ・ツァン・ジェン!」と呼ばれるたびにポーズを取ったりなどしたものだ。

映画館に長蛇の列を作らせた、もう一つの日本映画には『サンダカン八番娼館 望郷』(中国名は「望郷」)というのがある。「娼館」という言葉からも分かるように、いわゆる「娼婦」をテーマとした映画で、とてもとても、文革が終わったばかりのあの中国で放映されるような内容ではない。文革の時期は意中の女性を見つめただけで「非革命的」として批判されたほどなのだから。

その閉ざされた禁欲的世界で生きてきた中国人民にとって、これらの映画は天変地異のようなインパクトを与えた。

高倉健とて、サンダカンほどではないが、やはり中野良子とのそれなりの男女が抱き合う場面がある。見てはならないものを「見せてくれる」日本の映画に、若い男女も中年の男女も、心中穏やかならぬ魅力に惹かれて何度も通い詰めた。日本映画を放映する映画館はいつも満員御礼で、前夜から並ばないと入れないような賑わいを見せていた。

手塚治虫の『鉄腕アトム』は子供たちだけでなく、中国の老若男女すべてを魅了したと言っていいだろう。

文革で友人を裏切り周りを誰も信じることができなくなっていた中国人民にとって、小さくて愛くるしいアトムが愛と友情のために死力を尽くす姿に、子供だけでなく大人までが魅了され涙した。「科学の子」「正義の子」であるアトムは、たちまち中国人民が心から愛するマスコットになっていく。

それからというもの、日本のアニメは雪崩を打ったように大陸に上陸していき、やがて中国の全土を席巻するようになる。

トウ小平の戦略は、みごとに成功。

「ほらね、改革開放をすると、こんなに楽しいことがあるんだよ」

トウ小平は日本の文化を用いて中国人民が改革開放の一歩を踏む勇気を与えたのだ。

科学技術や企業経営に関しては松下幸之助を手本とした。

78年10月に訪日したトウ小平は、10月28日に松下電器産業を視察して、経営の神様と言われた松下幸之助に会っている。

トウ小平は松下幸之助に「教えを乞う姿勢で参りました」と頭を下げ、松下幸之助は「全力で支援します」と快く協力を快諾している。

こうして科学技術と経営を日本から学び、中国は飛躍的な経済発展を遂げるに至ったのである。

改革開放は、「日本に学べ」から始まり、中国はそれによって、こんにちの繁栄を手にしている。(この詳細は『チャイナ・ギャップ 噛み合わない日中の歯車』に書いた。)

◆政治や軍事より強いソフトパワー

このたび高倉健の訃報を知った中国の国営テレビCCTVは、すぐに全国ニュースの「新聞聯播」で報道しただけでなく、外交部の洪磊(ホンレイ、こうらい)報道官が「彼は日中友好に尽くした」と高倉健の功績を讃えた。

いつも「絶対許すまじ!」という表情で日本を非難する、あの報道官が、である。

1994年から始まった愛国主義教育と95年から強化された反日的要素により、若者の心にはトップダウンで反日的情緒が培われているものの、実は改革開放の窓から飛び込んできた日本アニメや日本映画に魅了され、自ら選ぶというボトムアップの力で、日本のサブカルチャーに酔いしれて育ってきたのである。

少なくとも2000年ごろまでは、日本アニメを見ずに育った若者はいないと言っても過言ではないほど、日本のサブカルチャーは若者の心にしみわたり、日本への憧れを抱かせた。

このままでは若者の精神文化が日本流に「自由闊達」に形成されてしまうことにハッとした中国政府は、2006年から日本アニメの放映を厳しく制限し、中国の国産アニメ基地を設置して「中華の文化」を奨励してきたが、「自由奔放な思想」の中からでないと、若者を虜にする作品は生まれない。

洪磊報道官に象徴されるように、ソフトパワーは政治や軍事力よりも強く、そして「銭」よりも強い力を持っている。

中国は、改革開放を始めたころの、日本の中国への熱意と貢献を思い出してほしい。あのときの日本の全面的な協力が無かったら、果たして改革開放は成功しただろうか? 1989年の天安門事件後の西側諸国による経済制裁を最初に解除して中国を応援したのも日本だ。それらがなかったら、こんにちの世界第二の経済大国・中国はなかったはずである。(ソフトパワーに関する詳細は『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』に書いた。)

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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