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日本の気候変動対策に欠けているもの ―我々は若者の声に学べるか

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
(写真:ロイター/アフロ)

昨年10月、菅首相が2050年までに温室効果ガス排出実質ゼロの脱炭素社会を目指すことを宣言して以来、日本でも脱炭素化に向けた気候変動対策の議論が急速に進んでいる。

政府は複数の審議会の議論を通じてエネルギー基本計画や2030年排出削減目標(NDC)の見直しを急ぐ。多くの企業や自治体も次々に2050年の脱炭素化を宣言し、行動計画などを作成・公表し始めている。

外交日程も目白押しだ。今月16日には日米首脳会談、同22~23日には米大統領主催の気候サミット、6月にG7、10月にG20、そして11月に国連のCOP26があり、その都度に日本の本気度が世界から問われることになる。

未だに保守的な勢力との綱引きが多少はあるものの、日本でも多くの主体が脱炭素化に本気になってきたようにみえる。しかし、筆者にはそこに肝心なものが欠けているように思えてならない。

若者が指摘した「静かな暴力」

先日、それを鋭く指摘されたと感じた場面があった。

気候変動対策を検討する審議会の一つである、中央環境審議会と産業構造審議会の合同会合の第3回が2月26日にオンラインで開催され、筆者も委員として出席した。この回の主な議題は「将来世代からのヒアリング」であった(この議題は画期的である)。

気候変動問題等に関する活動を行う高校生や大学生のyouth(若者)世代3団体、Climate Youth Japan、Fridays for Future Japan(FFFJ)、Japan Youth Platform for Sustainabilityから意見を聞いた。

どの団体の発表も意義深いと感じるものだったが、ここでは特にFFFJの発表を取り上げたい。

審議会でのFFFJの発表(FFFJ YouTubeチャンネルより)

彼らが明確に主張したのは「気候正義」(Climate Justice)であった。彼らの一人は「気候変動に加担していない人々が最も影響を受ける不条理」への憤りを感じたことから声を上げ始めたという。

すなわち、気候変動で激化する災害により生活の基盤を失い難民化する発展途上国の人々は、我々に比べてほとんどCO2を排出していない。CO2を排出しながら暮らす先進国の我々の生活は、彼らの犠牲の上に成り立っているというのである。FFFJはこれを「静かな暴力」と呼んだ。

同様な格差の構造は、一国内での所得水準や性別の違いによっても生じる。例えば貧しい人や女性ほど災害時に被害を受けやすいからだ。

そして、FFFJの彼ら自身が直面するのが世代の違いによる格差である。気候変動でより深刻な被害を受けるのは将来世代であるにもかかわらず、対策の意思決定は上の世代によって行われている。

我々の多くは、これらの格差構造から恩恵を受け、自分が他者に対して振るう「静かな暴力」から目を背け続けている。

FFFJの若者たちは、このことをえぐるように指摘した。

気候正義の専門家の見解

この考え方は始めて聞く人にも理解しやすいものだと思うが、これを「気候正義」と呼ぶことについては少し注釈が必要かもしれない。

日本語で「正義」というと「正義の味方」を思い浮かべ、反対語は「悪」であり、絶対的で排他的な正しさが主張されていると感じる人が多いのではないか。

しかし、英語のjusticeは、just、つまり丁度よいことが語源で、裁判で量刑が丁度よく決められるように、釣り合いの取れた正しさを指す。日本語では「公正」と訳す方が理解しやすいかもしれない。ちなみにjusticeを「正義」と訳す場合、反対語は「悪」ではなく「不正義」(injustice)である。

正義は本来、倫理学や哲学の概念であり、筆者にはこれ以上の解説はできないので、法哲学の専門家で編著書に『気候正義 地球温暖化に立ち向かう規範理論』のある、京都大学の宇佐美誠教授に、今回のFFFJの発表についてコメントを頂いた。

環境省と経産省の審議会の合同部会におけるFFFJの発表を閲覧し、大いに説得力を感じた。

特に注目されるのは、気候変動のインパクトが2つの意味で不平等に表れることを強調している点である。

若年層は壮年層・老年層よりも、また将来世代は現在世代よりも深刻なインパクトを受けるだろうことについては、最近には社会的認知が広がりつつあるように見受けられる。

他方、同一世代内でも、家父長制的社会での女性や、社会を問わず低所得層・先住民族など、社会的経済的に不利な人々が、気候変動のインパクトを集中的に受けつつあり、今後はいっそう受けるだろうという傾向は、日本ではいまなお知られていない。

これら2つの意味での不平等を正面から受け止め、事態の改善をめざす際の理念が、〈気候正義〉に他ならない。

これを訴えるFFFJの主張に、大人世代は真摯に耳を傾けるべきだろう。

(京都大学 大学院地球環境学堂 宇佐美 誠)

FFFJの主張の意義が専門家からも裏付けされたといえるだろう。

海外と日本の認識の隔たり

このClimate Justiceという言葉は、パリ協定の条文の前文にも登場する。

アイルランド元大統領のメアリー・ロビンソンはClimate Justiceの唱道者としてよく知られている。

そして何よりも今のタイミングで重要なのは、同様の概念である"Environmental Justice"(環境正義)を、米国のバイデン政権が大きく掲げていることだろう。

バイデンとハリスは大統領選期間中から、企業による乱開発や汚染に長く苦しんできた貧困地域、有色人種、先住民族などへの不正義を是正するという環境正義の公約を掲げてきた。公約には気候正義もセットで登場する。バイデン政権は司法省内に「環境・気候正義部門」を設置して汚染企業への住民の訴訟を支援するとともに、連邦政府全体で環境・気候正義に優先的に取り組む方針である。

このように、気候正義は欧米ではかなりメジャーな概念であるが、日本では若者や環境NGOの主張の中でしか耳にすることがない。

日本で脱炭素に取り組む動機は、企業においても政府の産業政策においても金融やサプライチェーンなどの外圧の影響が大きいようにみえるし、自主的な動機を挙げたとしても自身への異常気象被害への危機感が主なものだろう(それももちろん大事だが)。世界の脱炭素化が必要な理由を問われたときに気候正義を挙げられる人は、日本の政治や企業のリーダーにほとんどいないのではないか。

気候正義をどれだけ重視するかは各人の価値観や信条によるとしても、少なくともそのような議論についての理解がなければ、欧米のリーダーからは脱炭素化の理念の底の浅さを見透かされてしまうおそれがあると思う。

日本の外務省がこのことを理解していないはずはないので、おそらく菅首相は16日の日米首脳会談で、環境正義や気候正義を口にするだろう。そうであるならば、菅首相や小泉気候変動担当相が、ぜひご自身の言葉で、気候正義についてのお考えを国内外に発信してくださることを切に願う。

若者の声に謙虚に学べるかが問われている

審議会での将来世代からのヒアリングに話を戻そう。当日は最初に事務局(環境省)から温室効果ガス排出の現状等についての説明があり、続いて上述の若者3団体の発表があった後、委員が意見を一巡述べた。

少なくない委員が若者に発表への感謝を伝え、若者に質問する委員もいたが、「静かな暴力」といった彼らの主張の核心を正面から受け止めた応答は委員からほとんど聞かれなかった。若者の意見に全く言及しない委員もいた。

最後に、3団体の若者が委員からの質問に応答したが、途中で事務局の通信トラブルがあったり割当時間を超過して発言した委員が多かったために会議の残り時間は短く、彼らは急かされて話した。(時間が足りないのは彼らのせいではなく、ここにも小さな不正義の構造がみられた)

審議会でのFFFJから委員への応答(FFFJ YouTubeチャンネルより)

後日、FFFJは彼らのウェブサイトに審議会への提言を発表した。要点は以下のとおりである。

  1. 現状の審議会は各委員が一方的にポジショントークをする場になっている。双方向的に議論するプロセスが必要。
  2. 審議会の委員に倫理的な分野の専門家が必要。また、当事者である若者の継続的な参画が必要。
  3. 環境省と経産省の省益のすり合わせでなく、省庁を超えたビジョンや問題意識の共有が必要。
  4. 複数の審議会間の関連性が国民にとってわかりにくい。政策決定プロセスの可視化が必要。

筆者はどの点にも首がもげるほど同意する。特に1は「王様は裸じゃないか」と指摘された気分だ。審議会はこういうものだから仕方がないと思っていた自分が恥ずかしく感じられる。

さらにFFFJは、当日の各委員の発言に対するコメントを発表している。委員の中には、若者の発表を上から目線で論評した人もいただろう。しかし、これを見ると逆で、各委員がその発言を彼ら若者をはじめ関心のある国民の目から厳しく評価される立場にあることを思い知らされる。

彼らの声に対して、プライドを取り繕うために無視したりマウントを取り返しに行くのではなく、自分たちが学ぶ機会ととらえて謙虚に耳を傾ける関係者が多く現れることを願う。

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最後に少し先回りして論じておくが、FFFJのような倫理的な主張に対して、ネット上では冷笑的な反応が多いだろう。

「誰かの犠牲の上に成り立つ生活が嫌なら、原始人みたいに生活して下さい」というような反応がきっとたくさんある。

確かに、気候変動に限らず、我々の社会は様々な格差構造の上に成り立っており、それをすべて解消しようとするのは理想主義的に過ぎるのかもしれない。

しかし、だからといって現実を受け入れて諦めましょうというのは、古い常識にとらわれた考え方だと思う。我々は少なくとも、格差が一つ一つ是正されていく社会の変化を望むことができる。

特に気候変動の場合は、それを止めることが格差の是正につながると同時に人類全体にとっての安全保障でもあり、かつ出口の方向性(=社会の脱炭素化)が見えている。出口を目指すことが既に世界のトレンドにもなっている。

人類は奴隷制も植民地主義も卒業したのだから、化石燃料文明も卒業するに違いないと筆者は信じている。

若者は臆することなく倫理的な主張をしてほしい。

きっと時代が後からついてくるのだから。

(本稿で紹介した2021年2月26日(金)開催「中央環境審議会地球環境部会中長期の気候変動対策検討小委員会・産業構造審議会産業技術環境分科会地球環境小委員会地球温暖化対策検討ワーキンググループ合同会合(第3回)」のYouTubeライブ配信の録画は全体をこちらからご覧頂けますが、議事録公開時点で削除される見込みです。それ以降はこちらから議事録をご覧ください。)

東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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