採算の悪い工事を、地元業界の責任者という立場上、仕方なく引き受けたら罪に問われた――東京都青梅市が発注した公共工事の指名競争入札で談合があったとして、同市内の土木建設会社「酒井組」の元代表取締役の酒井政修さん(63)が公契約関係競売入札妨害(談合)罪に問われた裁判で、東京地裁立川支部(野口佳子裁判長、鎌田咲子裁判官、荻原惇裁判官)は9月20日、被告人を無罪とする判決を言い渡した。

論点は「公正な価格を害する目的」の有無

 この事件では、工事の入札について、酒井さんが他の業者と電話と話をしていたことについて、「公正な価格を害する目的」がある「談合」に当たるかどうかが争点となった。

 検察側は、酒井氏が自社の利益のために、より高い価格で応札して受注しようとし、他の業者に「うちにやらせてもらいたい」などと働きかけを行った、と主張。

 一方被告弁護側によれば、本件工事は利益が見込めず、同社内でも受注意欲は低く、他の業者も同様だった。しかし酒井さんは、長年にわたって同市の建設業協会の会長を務め、市に対して公共工事はできるだけ市内の業者に発注するよう依頼してきたことなどもあり、不調になれば工事が遅れて市に迷惑がかかるなどと気にかけた。そして、いくつかの業者の意向を聞くと、どこも受注意欲がないようなので、自分が引き受けるしかないと考えたに過ぎず、「公正な価格を害する目的などない」と主張した。

東京地裁立川支部
東京地裁立川支部

判決は「公正な価格を害する目的はない」

 判決は、検察側が設定した論点についての主張を「積極的受注意欲に結びつくか疑問」「積極的受注意欲を推認させない」などと、ことごとく退けた。一方、被告側の主張は、工事を巡る状況に「整合」し、「自然」であると理解を示した。

 そのうえで、「積極的な受注意欲を持っていたとは言えないから、もともと低い価格で入札することは考えておらず、他の業者の動向を確認することで高い価格での入札ができたわけではない。他の業者がより低い価格で落札することを排除する意図もない」と認定。こう結論づけた。

「被告人には、自由な競争により形成される落札価格を引き上げているとの認識はなく、公正な価格を害する目的があったとは認められない

出典:判決要旨より

 そして、談合罪の成立を否定した。

人質司法の弊害がここでも

 

 この事件には、日本の刑事司法の問題点や司法改革による変化が凝縮して現れているように思う。

 問題点の1つは、被疑者・被告人が否認していると身柄拘束が長期化する「人質司法」の弊害だ。

会社で事件について語る酒井さん
会社で事件について語る酒井さん

 酒井さんは、昨年5月27日から任意の事情聴取を受け、会社のパソコンなども任意提出した。しかし、7月5日に警視庁捜査2課に逮捕され、警察と検察から「他の業者は全て認めている」などと言われて追及を受けた。

 それでも、捜査段階では否認していたが起訴され、その後も勾留が続いた。弁護人以外とは面会も手紙のやりとりもできない「接見禁止」の処分がついたため、家族と接触もできなかった。当時、ついていた弁護人に、家族との接見禁止解除の申し立てをしてもらったが、家族も会社に関与していることもあって、認められなかった。保釈の申請も却下された。

 酒井氏は前年にがんの手術を受けており、逮捕された当時も体調が万全ではなかった。孤独な状態での身柄拘束が続き、体調は悪化。精神的にも追い詰められた。保釈を認めてもらいたい一心で、昨年9月19日に行われた初公判は「間違いありません」と起訴事実を認めた。当時の弁護人は、検察側が請求した証拠の採用にすべて同意した。

 当時の心境を、酒井さんは「これで外に出してもらえるなら、仕方がない、と思った。体力の限界だった」と語る。

 実際、初公判の後、すぐに保釈が認められた。その後、弁護人が郷原信郎弁護士に代わって、同年10月10日の第2回公判で全面否認に転じた。

 しかし通常、裁判官は自らの面前で認めた被告人が、後に供述を翻しても、なかなか信用しようとしない。弁護人の交代がなければ、早々に有罪となっていただろう。約80日に及ぶ身柄拘束が、自らの主張を行う自由を奪ったのは、まさに「人質司法」の弊害そのものと言えよう。

今なお続く「作文調書」

記者会見する酒井さん(左)と郷原弁護士=東京・霞が関の司法記者クラブで
記者会見する酒井さん(左)と郷原弁護士=東京・霞が関の司法記者クラブで

 もう1つは、密室での取り調べにおいて、自白の強要や本人が言ってもいないことを書く「作文調書」のように、以前から指摘されていた検察側の問題が改善されていないことだ。

 酒井さん自身は、捜査段階で否認を続けていた。検察官が繰り返し言葉を換えながら追及したが、酒井さんが粘り強く説明を繰り返した、という。ところが、他の業者に「他が良ければうちでやりたい」などと言って、自社に落札させてもらいたいと頼んだことや、「会社の売り上げや利益を考え…工事を受注したかったという気持ちがあったことは否定しません」などと受注意欲を認める調書が1通だけ作成された。署名を拒んだが、最終的に「根負けしてしまった」(酒井さん)という。

 検察は、この調書をタテに、酒井さんには受注意欲があり、他の業者に働きかけを行った、と主張した。

可視化が事実を見極めた

 ただ、検察官の取り調べは録音録画がされていた。郷原弁護士が長時間の録音録画記録を精査し、その反訳書を作成するなどして、入札当時の酒井さんの内心は、否認している別の日付の調書や公判で述べた通りであると主張した。

 裁判所は、録音録画の証拠を重視。次のように説示している。

「被告人は、積極的に取りたいと思ったのではないかとの検察官に対して、最後まで抵抗感を示していたのであって、その取り調べで作成された検察官調書の内容は、取り調べにおける被告人の供述とはそぐわない」

出典:判決要旨より

 要するに、供述調書には、本人が言ってないことが書かれている、という判断である。そして、酒井さんの内心を正しく示しているのは否認調書や公判供述であると認定した。

 郷原弁護士は記者会見で、次のように述べた。

録音録画は、(調書と公判供述が食い違う)こういう場合に、何が事実か見極めるのに、非常に有力な資料になることが示された」

 録音録画している状態でも、当人が言ってもいないことを調書に書く検察官の感覚には驚かされるが、検察官の取り調べの多くが録音録画されることになったため、弁護人が手間を惜しみさえしなければ、「言った」「言わない」の水掛け論にならず、裁判所に真相を理解してもらいやすくなった。これは、司法改革の成果が現れた一面といってよいだろう。

村木事件の教訓はどこへ……

 その一方で、こんな問題もある。

 本件では、初公判で検察側の請求証拠はすべて採用されていたにも関わらず、裁判の展開が不利と見た検察は、後になって多数の補充証拠を出してきた。

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 郷原弁護士によれば、当初は今年3月に判決言い渡しの予定で進められていた裁判が、検察官が補充証拠をいくつも出し、挙げ句に年度が替わると転任してしまい、事情が分かっていない検事が後任となったために、裁判が長引いた。

「酒井さんの会社は公共工事を指名停止になって、非常に大変な状態となり、一刻も早く救済しなければならない状況なのに、検察は引き延ばしをした挙げ句に、その担当検事がいなくなった、というのは本当に無責任で許しがたい」(郷原弁護士)

 検察は、裁判を長引かせるのではなく、本当はもっと前に立ち止まり、引き返すべきだったのではないか。起訴不起訴を決める時点、業者の証人尋問が行われた後など、立ち止まり、判断を改める機会はいくつもあったように思える。

 村木厚子さんが冤罪に巻き込まれた事件で検察官の不正が発覚した時、当時の伊藤鉄男次長検事は「引き返す勇気」の大切さを語った。この時の教訓は、少なくともこの青梅の事件に関しては、まったく生かされていないようである。

業者たちの証言が転機

 本件は前述のように、完全な「自白事件」として始まり、検察側の証拠がすべて採用された。その中には、酒井さんが電話などで話した他の業者5人の調書も含まれていた。彼らは、「共犯者」として取り調べを受け、検察側の主張にほぼ沿う調書の作成に応じ、起訴猶予となった。

 第2回公判から弁護人となった郷原弁護士が、業者に事情を聞いたところ、これらの調書の多くが、やはり本人の意思や供述とは異なることが書かれていることが分かった。そのため、このうち3人について陳述書を作成してもらい、刑事訴訟法328条に基づき、彼らの検察官証拠が信用できないことを立証する「証明力を争うための証拠」として提出。証人申請も行った。

 ここが、本件の最大の転機だったろう。

 相反する書面を受け取った裁判所は、「直接聞きましょう」として、結局4人の業者の証人尋問を認めた。それを含めて、10人の弁護側証人が採用されている(うち2人は検察側と双方の申請)。2度も呼ばれた証人もいた。

 今回の野口コートには、法廷で直に証言を聞いて判断しようという姿勢があった。裁判員制度の導入によって、かつての書面中心から「直接主義・口頭主義」の重視が言われるようになり、そうした文化が裁判官に根付きつつあるのかもしれない、とも思った。

裁判長からのねぎらい

 野口裁判長は、判決理由を読み上げた後、「長い間、お疲れさまでございました」と酒井さんをねぎらい、「酒井組がこれからも社会貢献できる会社であって欲しいと思います」と励ました。

 これについて酒井さんは、記者会見でこう語った。

「最初は、第2回公判で結審ということになっていたのに、ちゃんと話を聞いてくださって、裁判長もだんだん(事件への)見方が変わって、最後にそういう言葉をかけていただいて、本当にありがたかった」

その分野に精通した弁護人を選ぶことの重要性

 途中から郷原弁護士がついたのは、酒井さんの妻が「わらにもすがる思いで」メールで相談をしたことがきっかけだった。郷原弁護士は、検事時代にも入札関連犯罪の研究を行い、著書もあるなど、いわば談合事件の専門家。自身で裁判所を説得するだけでなく、入札関連の制度に詳しい学者を証人として呼ぶなどして、裁判官の法理解を深めるよう努めた。やはり事件によって、その分野に精通した弁護士に弁護を依頼する、というのは、本当に重要だと改めて思う。その点、酒井さんは不幸中の幸いだったと言えよう。

「こういうことが2度と起こらないように

 ただ、酒井さんが今回の事件で失ったものは大きい。酒井組は、それまで仕事の8割ほどが公共工事だったが、それが事件によって突然失われた。社長職からは引かざるをえず、次女が引き継いだ。建設業協会の会長職も退いた。

 酒井さんは、時折こみ上げるものをこらえながら、こう語った。

思いが込み上げて言葉に詰まる酒井さん
思いが込み上げて言葉に詰まる酒井さん

「それでも、地域の皆さんから民間工事を発注していただいたり、他の業者が民間工事の下請けの仕事を出してくれたり、地元の皆さんの支えのおかげで、社員も一人もやめず、なんとか食いつないできました。次女にも、社員にも苦労をかけた。こういうことが、2度と起こらないようにしていただきたい」