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自殺対策にみる統計の効用と信頼度

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 警察庁が発表した集計(速報値)によると、昨年1年間の全国の自殺者は2万598人だった。前年から723人減り、9年連続で減少となる。

 1日平均56人以上が自殺している計算であり、自殺率は先進国(G7)の中ではまだダントツに高い。19歳以下の若者が2年連続で増加しているなど、新たな課題もある。

 また、地域によっては前年より自殺者が増えているところもある。特に、東京都は一昨年の確定値2145人から昨年速報値は2248人と100人以上も増えた。千葉県も985人から1016人と1000人台に戻ってしまった。

 とはいえ、総じていえば、年に3万人を超えた時期を考えれば改善であり、よい傾向を保っていると言えるだろう。

地域レベルの実効性ある対策

 日本の自殺者が急増したのは、バブル経済終焉後。1998年に3万人を超え、2003年には3万4427人に達した。3万人超えは14年間も続いた。

 06年に議員立法で「自殺対策基本法」が制定され、09年に「地域自殺対策緊急強化基金」が作られるなどの対策が始まった。減少に転じたのは、10年からだ。

 自殺対策に取り組むNPO「ライフリンク」代表の清水康之さんは、このところの自殺者減少の背景をこう説明する。

「経済的な指標が改善し、急な失業で生活が立ちゆかなくなる人が減っていることもあるが、地域レベルで実効性のある対策が広がっていることが大きい」

 その対策の基礎になっているのが、統計だ。

NPOライフリンク代表の清水康之さん
NPOライフリンク代表の清水康之さん

「生きる道」を示す対策の基本は統計

 09年分から市町村別の自殺者に関するデータが公表されるようになった。

「以前は、自治体にとって、自殺対策の必要性はどこか他人事だった。ところが、男女別、年代、職業や立場など、どういう人が亡くなったのかを毎月、市町村別に明らかにされると、もはや『関係ない』とは言えなくなってきた」

 清水さんによれば、自殺する人も、ほとんどは本当は死にたくない、という。生活に困窮し、借金を抱え、家族との間に不和が生じ、どうしようもなくなって死を選ぶ。あるいは介護に疲れ果て、心中する。生きていたいけれど、問題を抱え込んで生きられない、生きているのが辛い、という状況に陥っているのだ。

「そういう人たちに、問題を解決して『生きる道』を示せば、たいていは『生きる道』を選びます。生きるための支援が地域に行き届けば、自殺者は減ります

 自殺リスクの高い人は、全国一様ではない。たとえば、A市では40~60代の無職男性で同居人がいない人の自殺が多い。B町では20代女性の勤め人で1人暮らしの自殺が増えている。このようなデータに基づき、それぞれの地域でリスクの高い層をターゲットにした対策に力を入れることが求められる。

 16年の自殺対策基本法改正で、市町村にも自殺対策の計画策定が義務付けられた。市町村の担当者を支援するため、国は警察の資料から各自治体のハイリスク層を分析した資料を提供するなど、データを活用した対策を進めている。

 さらに、同年9月から、都道府県が市町村長を集め、自殺対策のトップセミナーが行われた。そこでも、各市町村長にそれぞれの自治体での自殺者に関するデータを提供。自殺対策は、福祉や労働、教育などいくつもの分野の連携が必要なため、トップが問題意識を持ち、旗振り役になってもらうおうという作戦だ。セミナーは、すでに全都道府県で実施した、という。

 昨年の速報値で増加となった自治体は、分析を急ぎ、より効果的な対策を立案することになるだろう。

自殺統計はなぜ信頼できるか

 こうした対策の基本になる統計が、いい加減だったり、間違っていたりしたら……。

「すべての対策が無意味になってしまう。違う的に矢を放つことになりますから」と清水さん。

 自殺に関する警察の統計は信頼できる、と清水さんは考えている。その理由はこうだ。

「政府の自殺対策は厚労省がまとめます。自殺の統計を同じ厚労省が行っていれば、都合のいい情報しか集めない、都合のいいようにデータを改ざんすることもありうるかもしれない。一方、警察は自殺対策に責任を負っていません。しかも、捜査資料から抜き出したデータなので信頼性は高い」

 ただ、警察の捜査は、死因が自殺と分かり、事件性がないと判断されると、そこで調査は終わってしまう。そのため、自殺の原因・動機などは掘り下げられていない難はある。検死官などが詳しい調査を引き継ぐイギリスなどの制度を参考に、改善が必要だ、と清水さん。

「それでも、自殺した人の数や年齢、性別、家族の有無や地域など客観的なデータは、高い信頼性を置ける」

軽く見られる統計の誤り

 現在、厚労省の勤労統計に不正があり、基礎データが廃棄されていたことが問題になっている。同省では昨年も、裁量労働制に関する調査データの誤りが指摘されたばかりだ。

 自殺対策の例でも分かるように、統計調査は政策立案の基礎になると同時に、その政策の結果を評価する際のデータにもなる。対策の効果が現れたかどうかは、実施前の数値と比べれば歴然である。

 毎月勤労統計の意義を、同省のホームページでは次のように説明している。

〈毎月勤労統計調査の結果は、経済指標の一つとして景気判断や、都道府県の各種政策決定に際しての指針とされるほか、雇用保険や労災保険の給付額を改定する際の資料として、また、民間企業等における給与改正や人件費の算定、人事院勧告の資料とされるなど、国民生活に深く関わっています。さらに、日本の労働事情を表す資料として海外にも紹介されており、その重要性は高いものとなっています〉

 そんな重要なものなのに、何重にも不適切な処理が行われたうえ、同省は慌ただしく特別監察委員会の調査を行って「組織的隠ぺいはない」と結論付けて幕引きを図ろうとした。しかし、その調査には同省の職員が関わり、報告書のたたき台も同省職員が作っていたことが明らかになった。

 それなのに、自民党の森山裕国会対策委員長は、「今回はさほど大きな問題はないように思う」などと述べている。

 大丈夫なのだろうか。

 さらに、総務省が調査したところ、政府が特に重要と位置づける56の基幹統計のうち、半数近い22統計で不適切な問題がみつかった、という。人手不足も一因らしい。統計が軽視されているのではないか。

 この体たらくでは、日本に対する海外の信頼すら揺らぎかねない。

政策立案と統計を分離する案

 厚労省の問題は、国会でも取り上げられているし、同省は特別監察委員会の調査をやり直すという。それだけでなく、様々な統計がこれだけ不適切な状況となっている原因を徹底的に究明してもらいたい。

 その際、こういう指摘にも耳を傾けたらどうか、と思う。

「いろいろと問題が起きるのは、政策立案をする省庁が統計調査も行う、というのも一因ではないか」(清水さん)

 ならば統計調査をになう部門を独立させる、という方法も考えてみたらどうだろう。そこで統計に関する専門官を採用・養成し、基本的な統計調査を行うほか、省庁に行わせるものについても関与・監督する。正確性や信頼性の問題だけでなく、各省庁で別々に統計調査を行うより、効率的かもしれない。

韓国の場合

 こうしたやり方を採用している国もある。韓国では、1990年に独立した統計庁を設置。05年にトップを次官級に格上げし、現在では職員数が3000人以上の組織になっている。同庁自身が統計調査を行うほか、その監督の下で各省庁や地方自治体に作成させるものもあり、一千種類以上の統計に関わっている、とのことだ。

 韓国紙「朝鮮日報」の昨年8月29日付のコラムは、かつては韓国の統計は国際的な信頼度が低かったが、「今や海外の国際機関も韓国統計庁が示す資料やデータの信頼性を問題視することはない」と胸を張っている。

 もっとも、だからまったく問題はなくなったというわけではないようで、昨年8月には統計庁の長官が、突然、理由も明らかにされないまま更迭された。野党などから「文在寅政権が、所得や分配に関する指標の悪化を示す統計資料に不満だったため」などと批判され、大統領府は「統計庁の独立性に介入するとか、干渉する考えなど全くない」と弁明に追われた。

抜本的な改善策を

 日本の統計部門を独立機関にしても、トップの人事権を韓国のように政府が握っていれば、政権に対する「忖度」がなされる懸念は残る。それでも、自分たち組織のために不適切な操作が行われるような事態は防げるのではないか。本当は、会計検査院くらい独立性を高めればよいのかもしれない。

 国の統計に信頼が持てなくなれば、弊害は限りなく大きい。問題の根を掘り起こし、徹底した議論で、組織改編を含めた、抜本的な改善策をまとめてもらいたい。

(1月25日付熊本日日新聞掲載の『江川紹子の視界良好』に加筆しました)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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