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「今回のことを胸に刻み、治療に励んで、信頼回復に努めたい」~元女子マラソン選手、法廷での誓い

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

 女子マラソンの元日本代表で世界選手権での入賞経験もある原裕美子さんが、コンビニで化粧品(ボディミルク)など8点2673円相当を万引きしたとして起訴された事件の裁判が8日、宇都宮地裁足利支部(中村海山裁判官)で行われた。

宇都宮地裁足利支部
宇都宮地裁足利支部

 原さんは、黒いパンツスーツ姿で出廷。「間違いありません」と起訴事実を認め、「家族やお店、職場、その他沢山の方々に迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ありません」と謝罪した。

「辛い思いがぐるぐると……」

 被告人質問などによれば、原さんは選手時代、厳しい体重制限によるストレスから摂食障害を発症。引退後も様々なストレスを、食べ物を大量に食べては吐くことで解消していた。

 万引きは、摂食障害患者にしばしば見られる症状の一つ。原さんがそれまで万引きしたのは食べ物ばかりで、それ以外の品物をとるのは、今回が初めてだった。

 当時の彼女は、結婚するはずだった相手の婚約不履行と、それによって結婚資金として貯めていた400万円をすべて失ったことで悩んでいた、という。「月々の収入を考えると、どれだけかかって取り戻せるか…」という将来への不安や、そのために「お金を使うことが惜しい」といった気持ちもあったが、それ以上に「辛い思いがぐるぐる回っていて、この悩みから解消されたいという気持ち」でいっぱいだった、と語った。

「捕まったら、解放される、早く楽になりたいと思っていた。防犯カメラがあるのは分かっていた。店員さんと目もあった。でも、早く楽になりたいという思いばかりで、どれだけの人に迷惑をかけるのかを考えなかった」

欲求を抑制するための治療中

 そのうえで、次のような反省の弁を述べた。

「あの時に戻れるなら、あの時の自分に『やっちゃダメだよ』と言い聞かせたい。このような大事になってしまったことを、胸に深く刻んで、一生忘れないようにし、治療に励み、再犯防止に努めて、失った信頼を回復させたい。家族にもこんな辛い思いをさせないようにしたい」

 原さんは、現在、食べ吐きや万引きへの欲求を抑える治療のため、入院中。

「今まではストレスがたまると食べ吐きで気持ちを紛らわしていたが、作業療法の中で、編み物をしていたら無心になれて気持ちが落ち着くことが分かった。食べ吐き以外で自分がリラックスできる方法をもっともっとみつけて、ストレス解消法を探したい」

家族も「支える」と

 退院後も、通院治療を続けることを誓った。被告人質問に先立って証人尋問が行われた原さんの父親も、通院や買い物などには、自分か妻が付きそうなど、家族として支えながら再犯防止に努めることを約束した。その証言の間、原さんは被告人席で何度も涙をぬぐっていた。

被害を受けたコンビニからは、寛大な処分を求める嘆願書が出された
被害を受けたコンビニからは、寛大な処分を求める嘆願書が出された

 被害者のコンビニ側は、すでに示談に応じただけでなく、被害届を取り下げ、寛大な処分を求める嘆願書も作成。これらを弁護側が証拠として裁判所に提出した。

 検察官は、これまで同種の前歴があり2度罰金刑に処せられていることなどから、「規範意識が鈍麻しており常習性は顕著」「再犯防止のためには厳しい処罰が必要」などとして、懲役1年を求刑。一方、弁護側は「これまでは、どうしたら摂食障害による盗癖を止められるのか分からず、暗闇の中で苦しんでいたが、今は専門病院で治療を受け、光を見いだしている」と述べ、執行猶予のついた判決を求めた。

「今回に限り社会内で更正を」

 この後、1時間あまりの休廷をはさんで、判決が言い渡された。

 主文は、懲役1年に処する、ただし3年間刑の執行を猶予する、というものだった。量刑の理由について中村裁判官は、「大胆で手慣れた犯行」と非難しながらも、背景に摂食障害があり、将来への不安などから投げやりな気持ちになって犯行に及んだことは「単なる利欲的な動機とはいえない」と述べた。その他の情状も酌んで、「刑事責任を明らかにしたうえで、今回に限り社会内で更生させる」とした。

判決に本人は「期待を裏切らないようにしたい」と

 法廷を傍聴して、摂食障害が背景にある窃盗事件の弁護経験が豊富な弁護人だけでなく、検察官も裁判官も、摂食障害についてよく理解していて、それぞれの立場で被告人を立ち直らせようとしているのが印象的だった。検察官からは、診断名が「摂食障害」と明記された、原さんが以前通っていた病院の診断書なども証拠提出された。裁判官は、情状証人である父親に対して「摂食障害は簡単に治る病気ではない。退院後もちゃんと通院しているか確認し、必ず同行していただけるか」などと確認していた。

判決の後、報道陣の質問に答える林大悟弁護士
判決の後、報道陣の質問に答える林大悟弁護士

 弁護人の林大悟弁護士は、「病気のことを理解しつつ、刑事責任を認定しており、非常にバランスのいい判決」と受け止めている。「犯罪だからけしからん、と言うだけでは再犯防止にはつながらない。彼女の場合、今回の事件が報道され、注目されたこともあって、女子マラソン界など多くの人に迷惑をかけてしまったという自責の念が強く、真面目に治療に取り組んで、幸い効果も出てきている」と語った。

 原さんは判決後、林弁護士に「重く受け止めている。(嘆願書を書いてくれた被害者や執行猶予をつけた裁判官の)期待を裏切らないようにしたい」と語った、という。原さん側は、この判決を早期に確定させ、治療に専念する方針だ。

 裁判官も指摘したように、短期間で容易に治せる病気ではない、しかし、いつか状態がよくなった時、同じように摂食障害による盗癖に苦しむ人達やこの問題をよく知らない人々のために、自身の負の体験を生かしていくのも一つの生き方ではないか。自分の体験を語ることで、ギャンブル依存症の問題に関する啓発活動に大きく貢献している貴闘力さんの例もある。そんな期待もしつつ、今は静かに彼女の立ち直りの時を待ちたい。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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