〈第一部「ヨルダン渓谷」〉・1

 2020年7月1日、世界の目は、イスラエル政府のネタニヤフ首相の動向を注視した。

 この日、イスラエル政府がヨルダン川西岸地区の30%に相当するヨルダン渓谷とユダヤ人入植地の「併合」を宣言するのではないか予想したからである。それはネタニヤフ氏の選挙公約であり、1月に公表された「西岸のユダヤ人入植地にイスラエルの主権を認める」とするトランプ政権の中東和平案にも促された。

 しかしその日の「併合宣言」は延期された。国際社会の大きな反発、イスラエル国内の一部から抵抗などが予想されたからだ。

 そして2020年8月13日、突然のイスラエルとUAE(アラブ首長国連邦)との国交正常化宣言によって、その「併合」は凍結された。それが「国交正常化」の前提条件だったからである。

 しかし「パレスチナ国家建設」を阻止するために不可欠な「ヨルダン渓谷の併合」をイスラエルが完全に放棄したわけではない。将来、イスラエルは再び、「併合」へ動き出すことだろう。

 

 イスラエルが「併合」しようとした「ヨルダン渓谷」とはいったいどういう地域なのか。そこでどういう人たちが暮らし、彼らにいま何が起こっているのか。

【水の収奪】

 ヨルダン渓谷第二の町アウジャの農民、サラハ・フレジャートは私たちをビニールハウスの中へ案内した。

 ムッとする暑い空気が吹き寄せてきた。細い通路の両側には、天井からビニール糸がつるされ、それに巻き付いて成長したキュウリが、もう人間の背丈ほど伸び、黄色い花と実をつけていた。それが数十メートルはあるハウスの奥までずらっと並んでいる。根元には黒いホースが通っていて、そこから水が供給される仕組みだ。

サラハ・フレジャートのキュウリ栽培ハウス
サラハ・フレジャートのキュウリ栽培ハウス

 「私と苗木とはギブ・アンド・テイクの関係です」とサラハが言った。

 「『何がほしい?』と苗に聞くと、『昨日は水をくれたから、今日はここを結んでほしい』

 『いい実をつけるから、市場で売って子供を育ててね』と答えます。毎朝見に来て、こうやってキュウリと対話するんです。共同作業でお互いの利益になるように。これが人生への愛、仕事への愛です。私と植物、私と土は通じ合っているのです。土に与えれば、作物を返してくれる。母親の子宮と同じです。これが私たちが守るべき神聖な土地です」

 サラハは自宅に戻ると、大きな木の日陰に座り、アウジャの農業について語り始めた。

 「アウジャは農業の土地で、住民は真の農民で、荒れた土地を削り出し、農業用地にしました。(占領される)1967年以前は水が豊富にあったからです。バナナ、柑橘類が名産でした。1967年にイスラエルが占領し、水源に手を付けました。イスラエルは徐々に私たちの水源の貯水量を減らしていったんです。

 井戸を一つ、また一つと造り、毎時200立方メートル給水するポンプを1,000立法メートルのポンプに取り替えて地下から水を汲み上げました。そのため土地は砂漠化しました。冬は水があっても 夏は不足します」

 「アウジャの泉が涸れてしまった一番の理由は、イスラエルの井戸が高い土木技術で掘られているからです。アウジャの泉はパレスチナ東部の集水域にあります。イスラエルはポンプで水を汲み上げるためにどこに井戸を掘るべきか、わかっていたのです。

 アウジャの泉の水位は集水域よりも高いです。水を汲み上げると、泉の水位が下がります。地下1,200mから一気に水をポンプで汲み上げて、パイプラインでイスラエルの入植地やイスラエル北部や南部に送ります。その証拠に、1967年の占領以前はアウジャの農地が干上がることはありませんでした。名前も今のアウジャ運河ではなく、アウジャ川と呼ばれていたんです。なぜ占領とともに、水不足になったのでしょうか?」

イスラエルの水会社の井戸(アウジャ町郊外)
イスラエルの水会社の井戸(アウジャ町郊外)

 「イスラエルはアウジャの泉を接収するなら、私たちに代替案を与えるべきです。国際協定によれば 私には井戸を掘る権利があります。ヨルダンとヨルダン川西岸が分かれていなかった1967年以前、ここには井戸が六つありました。しかし、1967年以降は一つも掘られていません。

 私は土地を売りたくないし、砂漠化させたくはありません。4年前から当局に個人的に井戸を掘るための申請をしています。この辺りは私の土地ですが、水がないため砂漠化しています。井戸を掘るための申請書類をパレスチナ政府に提出し、その承認を得るため イスラエルとの合同委員会に回されました。しかし今日まで回答はありません」

サラハ・フレジャート
サラハ・フレジャート

 パレスチナ自治政府が管理するA地区なのに、なぜイスラエルが水を管理できるのだろうか?

 「メディアでA地区とされていても、実質はC地区、イスラエルの管轄下です。イスラエルはダムに水が溜まるのを阻むため、ワディの流路ごと変えてしまいました。土地の権利証にも都市計画図にもパレスチナ政府管轄のA地区だと書いてあります。

 しかし実情は違います。5年前、パレスチナ初のダム事業が持ち上がりました。ダムにワディ(川)の水が流れ込むよう適切な場所を決めました。白ワディというワディにはラマラ地域の水がすべて集まります。4年か5年でダムを一杯にするのに、十分な水量です。しかしイスラエルはダムに水が溜まるのを阻止するために、ワディ(川)の流路ごと変えてしまいました。天から降る雨を、私たちが使うことさえ禁じるのです」

 エリコ市近郊のナツメヤシ農家イブラヒム・デークは、広大なナツメヤシ畑に導いた。

 「ここの土壌は塩分濃度が高いんです。だから木が塩を吸収しないように水を多く与えています。井戸や川の真水を混ぜて塩分を薄めています」とイブラヒム言う。

 「ただし必要な水の量の3分の1しか与えていません。本来、1ドナムに1,700〜2,000立方メートルが必要ですが、700立方メートルしか与えていません」

エリコ市郊外のナツメヤシ畑
エリコ市郊外のナツメヤシ畑

 イブラヒムは、以前は野菜を栽培する農家だった。しかしある事情によってナツメヤシ栽培に作物転換せざるをえなくなった。

 その事情の一つは“市場の混乱”だった。イスラエルがユダヤ人入植地の生産する安価な野菜をヨルダン川西岸の市場に溢れさせたため、パレスチナ人の農家は安値で野菜を販売せざるをえなくなり、経費を賄うのが難しくなった。さらにエリコ市周辺では水不足のために真水のほとんどが飲料水用に使われるようになり、塩水では質のよい野菜が作れなくなったのである。

 「イスラエルに占領される1967年以前は十分な量の水がありました。しかしヨルダン渓谷の湧水は1967年以降にイスラエルが掘った井戸のせいで涸れました。

 1967年以降、イスラエルは二つのことをしました。まず接収した土地の一部を『軍事閉鎖地域』にすることです。地雷があるため、ヨルダン川まで行くことができなくなりました。残りの土地は入植地にし、私たちの農地は減りました。

 次は、エリコの山々とヨルダン渓谷に井戸を掘り、12基の井戸で約45,000立方メートルの水を汲み上げています。パレスチナ人が西岸全体で使っている量に等しい量です。このため自然の泉の多くが涸れ、私たちの井戸も影響を受けました。イスラエルの井戸は深さ400〜500mですが、私たちは90mまでしか認められていません。

 1967年以前に掘った井戸にも(イスラエルが)水量計をつけました。ほとんどの井戸は涸れました。地中の水位が90〜100mよりさらに下がったからです」

イブラヒム・デーク
イブラヒム・デーク

 「一方、イスラエル管轄のC地区(ヨルダン渓谷や南ヘブロンなど)では、井戸を掘ると、すぐに塞がれます。1967年の占領以降、特にC地区では、井戸を掘る許可が一つも出されていません。飲料水用の井戸は村落でいくつか認められましたが、灌漑用はゼロです

 パリ協定(「オスロ合意」での経済に関する取り決め)の水に関するパレスチナとイスラエルの合意はパレスチナの市民や農民の利益に全くなりませんでした。残念ながら、水の管理権がイスラエルに残ったからです。次の戦いは土地だけでなく、水をめぐるものになるでしょう」

【農業破壊】

 イスラエルによる水の接収はヨルダン渓谷の農業の崩壊に直結する。アウジャ町の農民、サラハ・フレジャートはその実態を説明した。

 「以前50ドナム(5ヘクタール)で生産していた農家が、今は2ドナムの農地もありません。バナナを5,000本持っていた農家は2,000本、1,000本と減らし、最後にはすべて失いました。水の問題はとても深刻でエリコ周辺のナツメヤシ農園はすべて危機に瀕しています。バナナは塩分濃度の高い地下水では育ちません。1990年までにバナナ栽培は終わりました」

 ナツメヤシ農家、イブラヒム・デークもこう説明する。

 「ユダヤ人入植地ではナツメヤシ農園1ドナムに毎年2,500立方メートルの水を消費します。私たちは700立方メートル以下です。これはもちろん生産プロセスと生産高に影響します。

 私たちは内外の市場で、入植地の農産物と競っています。水の制限はイスラエルが私たちの生産高を減らす方法でもあるのです。3年以内に代替案が見つからなければ大部分が枯れてしまいます」

 さらにイブラヒムは、イスラエルの水資源の接収の目的をこう語った。

 「アウジャの人間を飢えさせること、さらに私たちの農業規模を拡大させないことです。井戸を深く掘れば農業に使えますから。水不足にしておくことが拡大を阻む鍵なのです」(続く)