Yahoo!ニュース

「湯浅の1球」その手にあったグラブのヒミツとは 日本シリーズで甦った湯浅京己(阪神)が明かす秘話

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
阪神タイガース・湯浅京己が明かす日本シリーズでのグラブのヒミツとは?

■語り継がれる「湯浅の1球」

 「湯浅の1球」―。

 今年の日本シリーズを振り返るとき、絶対に欠かせないシーンだ。10月1日の第4戦、同点の八回。2死一、二塁でその名がコールされると、甲子園球場は割れんばかりの拍手と歓声にわいた。ブルペンから「よっしゃ!」とばかりに飛び出した。

 球場の空気に後押しされるように、わずか1球で中川圭太選手をセカンドフライに打ち取ると、湯浅京己投手は右拳を握って笑顔を弾けさせた。

 シーズン中、度重なる負傷で離脱していた右腕の劇的な復活。そして見事な火消し。完全に流れを変え、チームはサヨナラ勝ちで星を五分に戻した。

 38年ぶりの日本一への大きな分岐点だった。

このグラブは…?
このグラブは…?

■ニューグラブで背中を押すはずが・・・

 このとき、湯浅投手が手にしていたグラブに気づいた人はどれくらいいただろうか。おなじみのネームロゴの刺繍が入っていない黒のグラブ。実は一般のスポーツ用品店で販売されている“湯浅モデル”のグラブだった。

 なぜこの市販品を使っていたのか。湯浅投手がアドバイザーを務める野球用具メーカー・ザナックス社の丸井悠平氏が、そのわけを明かす。

 「優勝するときにもう一度(1軍に)戻ってほしいという思いがあって、登録抹消中の8月25日に『新しいグラブを作りましょう』と会社に来てもらった。新しいグラブで背中を押したかったので。そのとき、市販品をたまたまサンプルとして置いていたんです」。

 なにげなくそのグラブを手に取った湯浅投手は「キュンとしました(笑)」と、“ひと目ぼれ”したという。

 もともと小さめのグラブが好きで、今年のグラブがやや大きいと感じていたのだ。その市販品は自身のオリジナルグラブに比べて指の長さが1cmほど小さめだった。

 「はめた瞬間、めちゃくちゃいいやんって思って、『これでいきます』って。自分はもともとのグラブでいくつもりだったけど、『これ、もらっていいですか』って言いました」。

球児が使う市販品のグラブ オーダーのオリジナルグラブには親指あたりにネームロゴ、平裏には青いクマと「雲外蒼天」の、それぞれ刺繍が入っている
球児が使う市販品のグラブ オーダーのオリジナルグラブには親指あたりにネームロゴ、平裏には青いクマと「雲外蒼天」の、それぞれ刺繍が入っている

 ザナックス社のグラブの特徴は、市販品もプロ用と同じ仔牛の革(キップレザー)を使用していることだ。キップは繊維が細かく柔らかい。また、張りがあって握ったときの復元力が高い上質な革だ。さらに、市販品もプロと同じ職人さんの手作りである。

 つまりプロのオーダー品と遜色なく、そのままプロの試合で使えるというわけだ。

 丸井氏としては予想外だった。湯浅投手のリクエストに応えて一から制作するつもりで、職人さんにもスケジュール調整をお願い済みだった。

 しかし、「このグラブで投げたいって思いました。自分たちのと同じ革で作られているってなかなかないし、このグラブ自体に価値がある。これをたくさんの人に知ってもらいたい」と、湯浅投手の意志は揺るがなかった。

 「はめた瞬間にしっくりきた」とフィット感がよかったのが一番の理由ではあるが、この機会にグラブの良さを周知できるとも考えたのだ。

 「これでいけます!これで復活します!」

 そう力を込めた。

甲子園球場での練習
甲子園球場での練習

ウエスタン・リーグ最終戦で実戦復帰
ウエスタン・リーグ最終戦で実戦復帰

■湯浅京己のオリジナリティ

 ただ、少しアレンジを加えた。ちょうどそこにあった今年のオールスター用に作られたピンクのグラブに目を留め、「黒とピンク、合うやん」とオシャレな湯浅投手らしくひらめき、市販品の黒の紐をそのピンクの紐に替えてほしいとリクエストした。

 ファン投票で選出されながらも負傷により辞退せざるを得なかった2度目のオールスター。日の目を見なかったグラブの一部が生かされる形になった。

 職人さんにバランスを整えてもらって手元に届くと、すぐにファームで使いはじめた。丸井氏の当初の計画とは変わったが、それでも背中を押したことには変わりなかった。いや、考えていた以上になったのかもしれない。

 湯浅投手は「すごくモチベーションが上がった」とポストシーズンに向け、より気合いを入れて復帰を目指した。

 黒にピンクの紐、そしてネームロゴや青いクマ、「雲外蒼天」の刺繍のないグラブ。そこには湯浅投手と丸井氏の思いが詰まっていた。

グラブを見るとき触るとき、本当に嬉しそう
グラブを見るとき触るとき、本当に嬉しそう

■岡田監督、そして安藤、久保田両投手コーチの言葉

 もう一つ、湯浅投手のモチベーションを上げたできごとがあった。リーグ優勝の胴上げ直後だ。その輪が解け、マウンド付近で選手や関係者が入り乱れていたところ、岡田彰布監督が目の前に現れた。

 とっさに「すみません…」と口にしていた。クローザーとしてスタートしながら、チームの力になれなかったことを常々申し訳なく思っていたからだ。

 すると岡田監督は一言、「まだ終わりじゃないからな」と発した。「うわってなった。泣きそうになったっす」。思わぬ指揮官の言葉に心が震えた。たまらなく嬉しかった。

 続いて安藤優也コーチと久保田智之コーチも二人して駆け寄ってきてくれ、「待ってるからな」と声をかけてくれた。「あそこに行けてよかったな…」。しみじみと感じ入った。

 湯浅投手は「たまたま」と言ったのだが、岡田監督が目の前にいたのは偶然ではなく、野球の神様が差配した必然だったのだろう。

 「今まで以上に、最後なんとか力になりたいという思いは強くなった」。

 当初からポストシーズンに復帰するつもりでリハビリに励んでいたが、その闘志に薪がくべられた。そして、その炎はどんどん燃え盛っていった。

ウエスタン・リーグ最終戦は広島東洋カープ戦
ウエスタン・リーグ最終戦は広島東洋カープ戦

■宮崎で招集を待った

 それから約半月後の10月1日にウエスタン・リーグで実戦復帰を果たし、練習試合やシート打撃登板を経て、フェニックス・リーグに飛んだ。順調に登板を重ねている間、チームはクライマックスシリーズを勝ち抜き、日本シリーズ出場を決めていた。だが、その40人枠に名前は入ったものの、なかなかお呼びがかからない。

 フェニックスで投げているときに日本シリーズが開幕し、「もう、俺ないんかなって、一瞬思ったっすよ」とはいうものの、「何があるかわからんな」とも思い直した。

 そしていよいよ、宮崎の地で福原忍ファーム投手コーチから「甲子園から合流や」と告げられた。「やっと来たか…」。湯浅投手は腕をぶした。

鳴尾浜球場での練習
鳴尾浜球場での練習

■おばあちゃんの誕生日に登板

 10月31日に合流すると、翌11月1日の朝、三重県に住む母・衣子さんから「今日、投げる気がする」と電話越しに言われた。そう、その日は10月24日に逝去した父方の祖母・さんの誕生日だったのだ。忍さんは生前、孫の登板をそれは楽しみにしていた。

 「そのときは『あ、そうなんや』くらいだったけど、でもやっぱずっと頭に残ってるから『ベンチ入るんかなぁ』と思いながら練習に行ったら、集合したときにベンチ入りを言われて。そしたら、『うわぁ~、ほんまに投げるんちゃうかな』って、だんだん思いだした」。

 そして、実際に登板した。

 リリーフカーに乗っているときは「あー!すげぇ!すげぇ!」と胸が高鳴り、マウンドで投球練習を始めると「わっ!ほんまに投げてるわ」と驚きが勝った。と同時に、「おかあさん、さすがやな」とも思った。

 そして、1球で抑えてベンチに帰るとき、「うわ!すごいわ!」と感動するともに、「ありがとう。力くれたんやな」と、おばあちゃんに感謝した。

 「久しぶりやから自分の気持ち自体がどうなるんやろうっていうのはあったけど、めっちゃ楽しかったっす。少しでも力になれたんじゃないかって思えたから、そこはホッとした」。

 雄姿はきっと、おばあちゃんにも届いたことだろう。

杉本商事バファローズスタジアム舞洲での練習試合
杉本商事バファローズスタジアム舞洲での練習試合

 この日のことを丸井氏も振り返る。

 「あの日、たまたま試合前に会いに行ってて、京己が『今日、僕投げます』って言ったんです。お母さんの話も聞いて、そのときのオーラと笑顔を見たとき、『絶対に投げて抑えるな』と感じました」。

 そのとおりになり、担当者としても無上の喜びを感じた。

 湯浅投手も今でも思い出し、岡田監督への感謝を口にする。

 「あんなとこで使ってくれるなんて誰も思ってないし、監督はほんまにシンプルにすごいと思う。ありがたいっす」。

 チームメイトですら驚く起用に、頭が下がるばかりだ。

鳴尾浜球場での練習
鳴尾浜球場での練習

■村上頌樹と繰り広げる仁義なき戦い

 さらに後日談を、湯浅投手は笑いを交えて語る。

 翌日の第5戦は2点ビハインドの八回に登板した。ゴンザレス選手をセカンドゴロに、紅林弘太郎選手、若月健矢選手はともに空振り三振に斬って、三者凡退に抑えた。そのリズムが打線に火をつけ逆転、湯浅投手に勝ちがついた。

 これが自身、日本シリーズ初勝利となり、“球団最年少”というオマケもついた。

 それを知るや湯浅投手、第1戦の先発で白星を挙げた村上頌樹投手に即言った。

 「最年少記録、奪っといた(笑)。塗り替えたらしいわ(笑)」。

 湯浅投手は村上投手の1つ年下だ。日本シリーズ初勝利の“球団最年少記録保持者”だった村上投手は、三日天下に終わったのだ。

 「『おい、獲んなや~』って言ってました。でもそのあと、契約更改で自分の記録(昇給率)を抜かされたから、『なんやねん、このやり合い』って言ってて…(笑)」。

 普段から仲のいい二人のやり取りが微笑ましい。この「獲って、獲られて」の戦いは来年も「あるかもしれないですね」と、何らかの形で続きそうではある。それはつまり、お互い活躍しているということだ。楽しみにしたい。

甲子園球場での練習
甲子園球場での練習

■ザナックスのグラブを広めたい

 さて、グラブの話に戻るが、道具がいかに選手のテンションを上げるか、さまざまな選手と接してきた丸井氏はよく知っている。中でも湯浅投手は無類の“お道具好き”だ。これまでもデザインを自ら考え、提案してきた。そんな湯浅投手の言葉に、丸井氏は感激する。

 「京己自身が常々、『ザナックスを広めていきたい』と口にしてくれている。子どものころに『〇〇選手モデル』のグラブに憧れたこともあって、『僕が使うことでザナックスを使いたいって思ってもらえるような影響力のある選手になっていきたい』って言ってくれるんです」。

 もうすでに、そういう球児は増えているだろう。日本シリーズで使ったグラブと同じものが限定販売されたが、これも即完売した。

 2024年用のグラブもすでに完成している。年をまたいで次回は、湯浅投手のニューグラブを紹介する。

(ニューグラブの記事⇒「今年こそチームに貢献して連覇を達成する!」 湯浅京己(阪神)は守護神に返り咲いてタイトル奪取を誓う

「湯浅の1球」のグラブを手にニコニコ顔
「湯浅の1球」のグラブを手にニコニコ顔

(写真の撮影はすべて筆者)

【湯浅京己とザナックス社*関連記事】

4月13日から始まった阪神・湯浅の〝球宴初出場計画〟 その裏にある職人たちのドラマとは…

侍ジャパン・湯浅京己とともに- 契約するザナックス社の思い

フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

土井麻由実の最近の記事