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理想の実現のためならば、パワハラは正当化されるのか?映画『オーバー・ザ・リミット』

渥美志保映画ライター

今回は度肝抜くドキュメンタリー『オーバー・ザ・リミット 新体操の女王リタ・マムーンの軌跡』の監督マルタ・プルスさんのインタビューをお届けします。謎のベールに包まれたロシア新体操の最強オリンピックチーム、そのエースであるリタ・マムーン選手(めちゃくちゃ美しい…)への初の密着取材を敢行したこの作品。どんな努力が……?と思いながら見始めるのですが、そのあまりに強烈なパワハラ指導の実態に衝撃をうけます。

近年は日本でもトップアスリートのパワハラ指導が取りざたされていますが、監督の話を伺うと、もっと一般的なパワハラ、モラハラの構造とすごく似ているようにも思えます。「女性の映画監督が増えてほしいな~」という思いを込めつつ、ELLEオンラインで連載中の【撮る女子!】の番外編、yahoo!ver.でお届けします。

映画を撮る以前、ロシアの体操界の指導者イリーナ・ヴィネルさんによる、こうした指導の仕方をご存知だったんですか?

何も知りませんでした。ロシアのスポーツセンターというのは外部の人に閉じられていますから、こうした世界を知っていたのは関係者だけだと思います。逆に言えば、何も知らなかったから撮りたかった、ということです。私が映画を撮ることの意義は、内容に関わらず、世界に知られていない世界を、世に示すことにありましたから。入ってみて最初に気がついたのは、この集団をものすごい緊張感が支配しているということです--イリーナさんという独裁者のような存在のもとで。他にはない世界だと感じましたし、ますます撮らなければと思いました。

ロシア新体操の伝説的指導者イリーナ・ヴィネルさん。五輪ではシドニー、アテネ、ペキンの三大会の金メダリストを育成。
ロシア新体操の伝説的指導者イリーナ・ヴィネルさん。五輪ではシドニー、アテネ、ペキンの三大会の金メダリストを育成。

緊張感がガッと高まる瞬間というのは、具体的にご覧になりましたか?

一番大きいのは、オリンピックが近づいてくることによる、段階的な緊張の高まりです。選手やトレーナーの個々の中で高まってきて、それがお互いに影響してくるわけですよね。もちろんオリンピック直前の試合でリタさんの演技がうまくいかない、というようなことがあると、さらに緊張が高まるということはありました。でもあくまで根底にあるのは、オリンピックが近づいたと言う緊張感だと思います。

映画では独裁者のようなイリーナさんとリタ・マムーン選手の対立関係が描かれていますが、その間で揺れるコーチのアミーナ・ザリボアさんの存在も興味深く見ました。彼女はどんな風に考えていたと思いますか?

リタとアミーナの距離感は、一見、近く見えますよね。実際にリタは家族よりも長い時間をアミーナと過ごしているし、母親の代わりのようにも思えます。でも同時にアミーナはトレーナーであり、リタに必要以上の親近感を抱かせてはいけないから、近づいていいのか距離をおいていいのかわからない。そうした不安感が、アミーナのリタに対する思いの本質だと思います。

リタ・マムーン選手に最も近いコーチのアミーナさん。かつて新体操の選手として、リタと同じような指導を受けてきた。
リタ・マムーン選手に最も近いコーチのアミーナさん。かつて新体操の選手として、リタと同じような指導を受けてきた。

イリーナさんとアミーナさんはどんな関係なのでしょう?

アミーナはかつて新体操の選手として活躍していたのですが、彼女は地方都市の出身だったので、イリーナの家に下宿しながら、いまリタが受けているような指導をイリーナから受けていたんです。だからイリーナに歯向かうことは難しいんですよね。彼女自身は必ずしもああした指導をいいとは思っていない。でもなかなか変えることはできないんだと思います。

こうした状況を見ると、オリンピックはもはやスポーツではなく、国の威信やビジネスを守るための別のもののようにも思えます。

外の人間から見ると、リタは政治的な道具にされているようにも思えますが、本人はそうした政治的・商業的なプレッシャーみたいなものは感じていないと思います。彼女が感じているのは、これまでロシアが築いてきた新体操王国としての成功、それを自分が途切れさせるわけにはいかない、成功して伝統を継承していかなければいけないというプレッシャーです。あくまで自分のために戦っていると思いますよ。

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高い目的のためならば、パワハラ指導も仕方ないのか?

この映画は欧米で公開されていると思います。どのような反応がありましたか?

中国やロシアで公開した時には、こうした強いリーダーが集団を導くべきだという理解がありました。でもやっぱり西側の人たちは、トレーナーによるリタの扱いには、非常に強いショックを受けていたと思います。

この映画を観た時のイリーナさんの反応は?

テルアビブの自宅で見てもらったのですが、いくつかのシーンでは上映を中断しました。選手に対して「クソ」と言っている場面に動揺して、「スキャンダルをかき立てようとしているの?そんなシーンは使えないわよ」と言ってきたんです。

焦りましたよ。作品の中には「クソ」以上にひどい言葉もあったし、これから再編集したら3日後に予定していた映画祭でのワールドプレミアに間に合わないし。

私は「騒動を起こすつもりではない、映画全体を見てほしい」と説得しました。彼女はロシアのテレビ局の友人と電話で話した上で、汚い言葉には全て自主規制音をつけるよう言ってきました。最悪の事態は回避できたなと思いましたね。彼女は自身の汚い言葉を聞き流しながら映画を最後まで見て、最終的にはとても喜んでくれました。「モスクワ映画祭で上映してほしい」と。

私の感覚では「公開されたら非難されるのでは」と危惧しこそすれ、喜ぶという感覚は、ちょっとよく分からなかいのですが…

彼女が見たのはリタが金メダルをとったという結論、ロシアの勝利です。つまり「自分の指導の方法論は正しいと、証明された」という風に理解したんだと思います。

リタさんが表彰台で金メダルを手にするラストシーンでは、銀メダルに終わったチームメイト、ヤナ・クドリャフツェワさんの表情も、画面の片隅にあえてとらえていますよね。

あの場面で写したかったのは、ヤナの表情にある失望感です。彼女は前半に「ロシアが勝つことが重要で、自分とリタのどちらが勝つかは重要でない」と言っていたんだけれど、実際はそうでなく、みんな金メダルを取りたかったということですよね。

もう一つは、もちろんリタさんの表情です。彼女は決して幸せな顔はしていないと思います。勝利の多義性と言うのでしょうか。勝ったとしてももろ手を挙げて万歳ができるわけではない。決してハッピーエンドではないということです。そうはしたくなかったし、何かしらの問いを投げかけたかったんです。

リタ選手(左)とチームメイトのヤナ選手。リタが金メダルを獲得したリオ五輪で、ヤナは銀メダルに終わった。
リタ選手(左)とチームメイトのヤナ選手。リタが金メダルを獲得したリオ五輪で、ヤナは銀メダルに終わった。

監督個人の感想で構いません。ああした指導は適切だと思いますか?

上手く答えられるかどうかわかりませんが、まさにその問いは、私がこの映画を通じて観客から引き出したかった疑問です。ああした指導は、ややもすれば人間そのものを壊してしまう物だと思います。たとえその時はどうにか我慢したとしても、後々の人生に影響が現れかねません。

でもその一方で、成功するためには我慢のつきものです。なんの我慢もせずに成功できる人なんていないんですから。リタの場合、金メダルを獲得できたからいいようなものの……とも思いますが、同時に「目的は手段を正当化するのか?」という大きな問題があると思います。

「服従しなければ、この世界で生きていけない」と思わせる構造

映画の中で本人のコメントを使わなかったのは、撮影の許可を出すロシア側の要請ですか?それとも何か監督ご自身の意図でしょうか?

これは私が自分で決めたことで「インタビューをとるな」と言われたわけではありません。理由は、観察し映した映像の方がインタビューよりもずっと多くのことを語ってくれると思ったし、人物の行動を追いかける劇映画のように作りたかったんです。インタビューが入るとそのタッチが壊れてしまうので、最初から入れるつもりはありませんでした。

監督ご自身は直接お話もされていると思いますが、リタさんは実際はどんな方なんですか?

彼女は個人的には非常に親切で丁重な方です。最初彼女はスポーツの場面は撮影していいけれど、個人的な生活、家で休んでいるところや恋人とのやり取りなどは撮影して欲しくないと言っていたんですね。実際そういう撮影の場面ではちょっと嫌がっていました。そういう部分からも分かるのは彼女は嫌なことは嫌と言えるタイプ、そういう強さのあるタイプなんですよね。そういう部分からも感じたのは、彼女は血の繋がった親に育てられたというよりは、トレーナーに育てられた子なんだなという印象を持ちました。

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アミーナさんに育てられたと?

アミーナだけではなく、イリーナとアミーナの二人に育てられたんだと思います。どちらのトレーナーも、ある意味では似たタイプですよね。でも映画の中ではおとなしく従順なタイプに見えるリタも、私生活においてはかなり自分の主張がある人です。

ちなみにリタさんの現在というのはご存じですか?

仮に私がそれを知っていたとしても、私生活を描かないことは映画の中でも彼女意向でしたし、今も言いたくはありません。ここで言えることがあるとすれば、映画の中に出てきた恋人と結婚して子供が生まれ、幸せにやっていること。そして新体操以外の世界で生きていきたいと思っていて、今はその道を探っているようです。

リタさんはトレーナーに育てられたとおっしゃっていましたが、スポーツにおける英才教育では指導者と選手が疑似家族的な関係になってしまう、そういう方法論だからこそ、ああいう指導が容認されてしまうのかなと。それについてどうお考えですか?

おっしゃる通りだと思います。子供の頃からそうした疑似家族の中にいることで、「指導者の言うことは絶対である」ということを学ぶようになるわけです。もしそういう環境でなかったら、つまりある年齢から厳しい指導者がつくという環境であれば、果たしてこれだけ指導者に従順でいられるかどうか。ある意味で彼ら彼女らは、外の世界から切り離されたところで「これが全てだ」と思い込み、忠実になっていくんですね。他の世界と比較ができないまま、「スポーツでの成功を目指すなら、これが唯一の方法だ」と考えてしまうというのがまず一点。

もう一点は、モスクワのスポーツセンターに所属することは、スポーツ的成功を目指す選手たちの夢なんです。そこに入ったのに結局辞めてしまった 選手は聞いたことがありません。誰もがそこでなんとかトレーナーに気に入られようと必死なんです。選手側のそういう精神状態が、ああした指導の裏にはあるのだと思います。

『オーバー・ザ・リミット 新体操の女王リタ・マムーンの軌跡』

公式サイト

6月26日(金)より公開

(C)Telemark,2018

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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