「殺意と愛情が同時に湧き上がり、こらえきれずに瑛太の首を締めてしまいました」『光』
今回は本日公開の衝撃作『光』に主演の井浦新さんのインタビューをお送りします。
『光』と言えば、今年のカンヌ映画祭で話題になった河瀬直美監督の作品を思い出しますか、こちらはまた別の作品。人気の直木賞作家・三浦しをんさんの原作をもとに、大森立嗣監督が撮った作品です。
この2人のダッグ(さらに瑛太が出演!)と聞けば、『まほろ駅前多田便利軒』を思い出す方が多いかもしれませんが、今回の作品はがらりと雰囲気を変えたインモラルな作品なのです〜!ということでまずはこちらをどうぞ!
小さな島で起きた殺人事件から物語が始まります。中学生・信之(井浦新)は、幼なじみの美花(長谷川京子)が大人の男達の慰みものになっていることが我慢できず、ある日森で彼女を犯す男を殺害。ところが折り悪く島を襲った津波によって事件は闇に葬られてしまいます。
島を出て20年後、すべてを忘れて平凡な家庭人として暮らす信之のもとに現れたのは、幼い頃から彼を慕っていた輔(たすく・瑛太)。最底辺で暮らす輔は、事件をネタに信之を脅し始めます。
信之というキャラクターを作る時、どんなことを考えましたか?すごく難しい役だったのではないかなと。
ほんとうに難しい役で、いつもと同じ文法での役作りはできませんでした。考えたのはやっぱり信之にとって「光」が何かということ。僕が考えたのは 、彼の故郷の島にあった「生きている実感=生命感」ではないかと――良し悪しは別にして。
子供の頃に人を殺めてしまった記憶、それを封印した時点から、信之は「人間」ではなくなってしまっている。普通に学校を出て、普通に結婚して、普通に子供ができて、普通に家庭人としての日常を生きていることは、信之にとっては不自然な時間だったんじゃないか。人間が自分を押し殺して日々を送れば、心は死んだも同然――「闇」の中に生きているようなものなんですよね。
そこに瑛太くん演じる幼馴染みの輔(たすく)が現れ、信之はようやく以前の、本当の自分を取り戻すというか。もちろん彼のその後の行動は倫理にもとることばかりなのですが、信之としては自分らしく生きている実感が蘇ってきたのではないかなと。
演じている時は、自分の中にある「野生」みたいなものをとにかく解放することを意識しました。頭で考えなくなっていたので、現場で起きたこと、現場で感じてしまったら、そのままに動くという感じで。
これは私のイメージですが、よく東南アジアのジャングルなどで文明が植物に飲み込まれてしまった場所がありますよね。そうした自然の獰猛さや、恐怖というより畏怖のようなものを、故郷の島のジャングルや津波、そこに通じる信之に感じました。
そういう感じだと思います。原作者の三浦しをんさんに「“光”って何の光ですか?」という愚問はしませでしたし、説明してもらうのは野暮でしかない。それぞれが捉えた「光」でいいんだと思います。
でもそれは、太陽のように「みんなを照らす暖かくてポジティブな光」というより、月の光の「静かで冷たく、闇の中に一筋、ほの暗く何かを映し出す光」なのかなとは思います。もしかしたら信之の生きている実感を蘇らせてくれた輔(たすく)の存在が、彼にとっての一筋の光だったのかもしれません。
大森監督とは今回で3度目のお仕事ですが、その信頼感とはどんなものですか?
大森監督は、芝居でもプライベートでも、お互いのダメなところを見せあえる人。監督自身が、すごく個性的な先輩たちやご家族の中で、そういうふうに生きてきた方だから。時にめちゃくちゃな人たちを愛することができる、そういう人だから信用できるんです。
僕も世の中から「面倒くさい」と思われている人のほうが好き、人間らしいなと思ってしまうし、自分自身もダメな人間なので、それを素直にさらけ出せる相手が好きなんです。そういう関係性を持たせていただける監督って、やっぱりなかなか多くはいらっしゃいません。
でもそういう人だからこそ、頭で考えた芝居をそのままやっても通用しないんです。大森監督を面白がらせるのは結構大変で、普通に芝居ができた上で、内側から出てくるものをちゃんと見せないとダメなんですよね。
この映画で、そういう部分が出た場面はありましたか?
信之が輔の首を絞める場面です。あそこで信之的に、どうしてもそうしたくなってしまって「首絞めたいです」と僕からお願いしたんです。大森監督は「話変わっちゃうじゃん!」と言いながらも、最終的には「やっちゃって」と(笑)。
信之の人生を壊すために現れた輔を、信之は逆にハメようとして、芝居をしています。でも輔との再会で野生化した彼の心には、自分を脅かす輔への殺意と同時に、本来の自分に戻してくれた輔を抱きしめたいような気持も沸き上がり、目まぐるしい激動が起こっているんです。
さっき言ったように、この作品では現場で感じたままに動きたかったので、そういうことになったのですが、そうした下手をすれば作品をぶち壊しかねないことでも相談できる、一緒に楽しみ一緒に考えてくれる、大森監督はそういう監督なんです。
突然首を絞められた瑛太さんはびっくりしたでしょうね。
そういう想定外の展開でも、「驚く」という素の反応をしつつ、ちゃんと芝居で受けて返してくれるのが瑛太くんのすごいところ。
そもそも僕は瑛太くんと芝居がしたくて、大森監督に「もし共演できる作品があればぜひやらせてほしい」とずいぶん前からお願いしていて、ようやく実現した作品なんです。だから瑛太くんとでなければできないことに、ルールを超えて挑戦したい、という気持ちはありました。
どの場面もそんなふうに?
瑛太くんとの場面は、特にそうでした。口裏合わせると全部予定調和になってしまうから、本番で何をするのかわからないという前提で。
僕らは普段はすごく仲がいいんですが、現場での関係はすごく不思議な感じでしたね。お互い手の内知りたくないし、分かり合いたくないから、会話も本当にどうでもいい話だけ、それもたいして広がらないから、話さない方が楽だよね、みたいな。
台本はここで場面が終わっていても、そこからまた何かが始まるかもしれない、途中で変わるかもしれないという状況だったので、二人ともすごく緊張してました。もう後には引けないねって。まだ撮影がある僕を残して瑛太くんが先にクランクアップしたのですが、その解放感に満ちた様子は本当に楽しそうでしたね(笑)。
井浦さんが観客の方に見てほしい、感じてほしいと思うのはどんなことでしょうか?
映画監督のクリストファー・ノーランが「映画には、観客が共感できる物語と役が必要」と言っていたのを何かの記事で読んだんですが、この作品はまったくの逆方向だなと(笑)。
これまでの大森作品は、突き放す残酷さがありつつも、最終的には観客に共感の余地を残してくれていたと思うんです。そうしたセオリーのすべてをひっくり返したのがこの作品。ある意味、観客への挑戦状みたいなものになっている気がします。監督ご自身も「この映画を説明するのは難しい」っておっしゃっているし、僕らも観客がこれをどう受け止めるかぜんぜんわかりません。
でもどういう反応がくるのか、すごく楽しみではあるんです。まったく共感しないという意見が出れば、それはそれで「よし!」と思うし。逆に「共感する」という人がいたら「ホントに?」って思うかもしれない(笑)。どういうものであれ、何かを感じてもらえたら嬉しいです。
『光』
(C)三浦しをん/集英社 (C)2017「光」製作委員会