1989年、ワシントン近郊で起きたエボラのアウトブレイク(後編)
2週間ほど前に、リベリアから第3国経由で日本に入国した人物が高熱を発したというニュースが大きく報道されましたね。大事には至りませんでしたが、本当にエボラだったらどうなっていたか、ひやりとしました。そこで気になるのは、実際にエボラに対してどんな対処をすべきなのか。『ホットゾーン 「エボラ出血熱」制圧に命を懸けた人々』では、前々回、前回でご紹介した1989年のワシントン近郊の町レストンの、実験動物の輸入販売を手掛ける会社の倉庫「モンキー・ハウス」で起きたアウトブレイク、その制圧作戦での対処を描いてゆきます。450頭の大型類人猿を処分するという恐ろしい作戦です。
さてまず本書は、この事態に対処したユーサムリッド(アメリカ陸軍伝染病医学研究所)のバイオハザードゾーン「レベル4」(極めて感染力の強い病原体を扱うエリア)に入る、その手順を描いています。まずはロッカーで全裸になり、いわゆる手術着のような上下を身に着け、紫外線シャワー室へ。用意された靴下とラテックスゴムの手袋をし、手袋と袖口、ソックスとズボンの裾を、それぞれ粘着テープで固定。その上に、つま先から手の指先までオールインワンのバイオハザード用防護服。頭にはビニール製のヘルメット。レベル4の手前にあるエアロックは行きは素通りですが、帰りは数種類の化学薬品からなる「汚染除去シャワー」を7分間浴びます。さらにレベル4の施設内から外につながる電気系統の線の周辺は、「すべての隙間や穴を密封して、危険な病原体が電気の導管伝いに外に出ないようにするため」に、粘ついた物質で固められています。当たり前ですがものすごい徹底ぶり!
レストンのエボラ制圧作戦にあたりユーサムリッドは、「モンキー・ハウス」の付随施設を利用しながらこれと似たような環境を作り上げます。作戦に携わる軍人たちはもちろん、ほぼ同じ手順で野外用防護服を着用。作業の流れは「麻酔→運び出し→洗浄→血液と内臓の採取→安楽死→死体の処分」。加えて「モンキー・ハウス」においては、そのあと数日間かけて内部を完全に無菌化しなければなりません。そのために徹底的に掃除して、ホルムアルデヒドのガスを3日間充満させます。
言うは易し――でもないけれど、これは文字で想像する以上に大変な作業です。研究室はある程度清潔に保たれた場所だしウィルスもある程度制御されていますが、「モンキー・ハウス」内部は病死した猿の血や汚物にまみれています。ぼてっと厚い防護服は体の自由がきかず、内部は汗だくになるほどの暑さ。そんなものを着ながら、自分たちより力も強く俊敏で牙のある霊長類を安楽死させるのです。集中力が途切れれば注射器やメスで自分を傷つけてしまいかねないし、人間に最も近い大きな類人猿を450匹も殺すことの精神的負担は相当なもの。肉体的に精神的に疲弊した現場で、若い軍人たちが時折パニックに陥ります。外気を浄化して防護服内に取り込むフィルターの電池が切れかかる。防護服に小さな穴が見つかる。猿が一頭、檻から逃げた。次々と降って湧く事態の恐ろしさ。現場はまさに戦場です。
さて。現代の日本に移して、でこれができるのかなあと想像してみましょう。日本にはレベル4の設備を備えた研究所が、どうやら2つあるらしいのですが、実際はレベル3までのウィルスしか扱っていません。ウィキペディアによれば「住民の反対で」とあり、これが本当かどうかは定かではありませんが、なんか「ありそうな話」という印象ではありますよね。周辺住民の気持ちは十分に理解できますが、逆から見た事実を言えば、レベル4のウィルスの扱いに慣れた人はほとんどいないということでもあります。
また原発事故の時も感じたことですが、日本の組織には批判の矢面に立つ覚悟のある人がいないため、「住民の理解が得られない」と決定を先延ばしにし、他に選択肢がなくなった頃を見計らって「住民の理解」を完全無視した決定を下す、というパターンが多いような気がします。そんな中で最終的にホルムアルデヒドのガスで3日間って……これ、相当ハードル高いんじゃないでしょうか。もちろんこの流れは本が書かれた約20年前のものなので、現在は別の方法があるのかもしれません。が、日本の組織の決定スピードの遅さは、20年前とほとんど全然変わってはいません。
さて事態のとりあえずの収拾を見た本書の著者、リチャード・プレストンは、最終章ではエボラ兄弟の末息子、マールブルグ・ウィルスの発生源として最も「クサい場所」である、ケニアのキタム洞窟を訪ねます。そこは「地球の裂け目」とも呼ばれるアフリカの大地溝帯に沿ってザイールに向かう途中にある「エルゴン山の東面、高度8000フィートの、樹木の生い茂った渓谷に」あります。本来なら人間が入っていくことなんて到底できない場所ですが、人間はテクノロジーを駆使して入っていったわけです。
この章を読んで、私は「日本の里山に下りてきたクマ」を思いました。山が開発されて食べ物がなくなり、生き延びるために里山に下りてきたクマは、時に人間を襲ってしまいます。人間はすぐ「生きる目的」を考えますが、人間以外の生き物は「生きのびることがそれ自体目的」で、そのためには常に利己的な最善策をとるだけ。ウィルスも同じです。作者は本書の中で「エボラ」とのある種の類似性という観点で、「エイズ」について言及していますが、その中で示唆に富んだ一説を引用し、この文章を終わりにしましょう。
「私が深甚な興味を誘われるのは、(エイズの宿主だと考えられている)チンパンジーという動物が絶滅の脅威にさらされた熱帯雨林の動物である、というのは事実であり、そのチンパンジーから人間に乗り換えたウィルスのほうはいまや絶滅の危機を免れた、という事実である」。
さて、みなさんは何を感じるでしょうか?