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いよいよ「なんば線シリーズ」始まる。同一エリア球団による頂上決戦を振り返る

阿佐智ベースボールジャーナリスト
オリックスの本拠、阪神の準本拠として使用されている京セラドーム大阪(写真:イメージマート)

 土曜からいよいよ日本シリーズが始まる。74回目を数える日本プロ野球の頂上決戦だが、今年は59年ぶりの関西の球団同士の争い。出場するオリックス、阪神両球団の本拠地球場の距離が約15キロ。両球場は阪神電車で結ばれており、40分もあれば移動できることから、路線名にちなんで「なんば線シリーズ」とも呼ばれている。野球の本場、アメリカでは、2000年のヤンキース対メッツのワールドシリーズが、両者の本拠地球場が地下鉄で結ばれているため、「サブウェイシリーズ」と名付けられたことにちなんでいるのだろう。ヤンキースタジアム(現在は新球場)とメッツの本拠シェイスタジアム(現在はシティフィールド)の距離も甲子園・京セラドーム間とほぼ同じ。ただしこの間を各駅停車の地下鉄で移動すると、1時間以上かかる。

空前の盛り上がりを見せた2000年のワールドシリーズ
空前の盛り上がりを見せた2000年のワールドシリーズ写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

過去にもあった「ダービーシリーズ」

 同一エリアチーム同士の対戦をサッカーの世界ではダービーマッチと呼ぶが、野球の世界での「ダービーマッチ」が頂上決戦として行われたことは、数え方にもよるだろうが、日本ではこれまで4回あった。

 1960年のシリーズはセ・大洋(現DeNA)、パ・大毎(現ロッテ)の間で行われた。当時の大洋のホームグラウンドは川崎球場。大毎はのちロッテとなってこの川崎球場を本拠とするが、当時は東京の後楽園球場を使用していた。両球場間の距離は22キロ。電車を使うと1時間ほどかかる。

 そして東京オリンピックの年、1964年に行われたのが、前の関西シリーズ、南海対阪神の対戦だった。両チームの親会社である電鉄会社のターミナル駅を結ぶ大阪のメインストリートにちなんで「御堂筋シリーズ」と呼ばれた。両ターミナル駅間は地下鉄で10分ほどだが、阪神の甲子園球場と、南海の本拠だった大阪球場間は約17キロ、当時の経路である地下鉄御堂筋線と阪神電車を使うと最短で40分ほどかかる。旧大阪球場と京セラドームは3キロ弱しか離れていないから、今年のシリーズはある意味御堂筋シリーズの再来と言っていいかもしれない。

 1970年のシリーズもダービーマッチだった。V9真っただ中の巨人に挑んだのはロッテ。当時は都内・南千住にチームの親会社・大映(ロッテが正式に親会社となったのは翌年)が建てた東京球場を本拠としていた。巨人の本拠、後楽園球場との距離は、わずか6キロ。両者間は地下鉄を使って移動できるので、日本版「サブウェイシリーズ」と言えるのだが、当時はそんなネーミングをされることはもちろんなかった。

下町の「光の球場」として親しまれた東京球場
下町の「光の球場」として親しまれた東京球場写真:Natsuki Sakai/アフロ

 究極の「ダービーシリーズ」は、1981年に実現した。その移動距離はゼロ。後楽園球場に本拠を置いていた巨人と日本ハムとの間で行われた。その名もまさに「後楽園シリーズ」。今年のシリーズも、圧倒的な人気を誇る阪神のファンがオリックスの本拠である京セラドームを埋め尽くすのではとささやかれているが、当時はジャイアンツ人気の絶頂期。このシリーズも、連日スタンドは巨人ファンで埋め尽くされ、全ゲームが巨人のホームゲームのようだったという。両チームは、28年の時を経て再び相まみえているが、この時、日本ハムはすでに本拠地を北海道に移したあとであった。

 この1980年代に入ると、かつて九州の雄として君臨していたライオンズが西武となって度々東京に本拠を置く、巨人、ヤクルトと対戦するが、同じ関東圏にあるとは言え、埼玉の所沢にホームグラウンドをもつ西武と東京のチームの戦いはさすがにダービーマッチとはいいにくいだろう。現在では前述のように日本ハムが北海道に移転するなど、パ・リーグのチームの本拠が全国に分散してしまったため、シリーズでのダービーマッチは、今回のオリックスと阪神の組み合わせ以外にはお目にかかれないようになった。

アメリカの「ダービーシリーズ」

 日本のNPBより長い歴史を誇るメジャーリーグでは、同一都市圏のチームによるワールドシリーズは、当然のごとく数多く行われている。球団の配置そのものが、分散されているため、可能性としては、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルスでのそれに限られるが、そのうちのいくつかを見ていこう。

 ニューヨークには、現在アメリカンリーグのヤンキースとナショナルリーグのメッツが本拠を置いているが、かつては、ナショナルリーグにジャイアンツと、ブルックリン・ドジャースが存在した。この3つ巴時代、実に13回ものサブウェイシリーズが行われた。とくにヤンキースタジアムとジャイアンツのポログラウンズはハーレム川を挟んで反対側にあり、1.5キロ程しか離れていなかった。

 最初の「サブウェイシリーズ」が行われたのは、シカゴでのことだった。日本にようやく野球が伝わった時代の1906年に行われた第3回目の頂上決戦では、ホワイトソックスカブスが対戦している。ただし、この当時は両チームとも現在とは違う球場を使用していた。両者の本拠地、サウスサイド・パークウエストサイド・パークは約7キロ離れており、両球場間を現在地下鉄で移動すると、30分強かかる。現在、両チームの本拠地、ホワイトソックスのギャランティードレート・フィールドとカブスのリグレー・フィールドは、地下鉄レッドラインで結ばれ、わずか30分で両球場間を移動できる。この究極の「サブウェイシリーズ」は交流戦の人気カードにはなっているが、いまだワールドシリーズの舞台になったことはない。

 かつてニューヨークに本拠を置いていた名門球団、ジャイアンツとドジャースは、1958年にそれぞれ西海岸のサンフランシスコとロサンゼルスへ移転するが、ジャイアンツは1989年、当時全盛期を迎えていたオークランド・アスレチックスとのダービーシリーズを実現している。

 サンフランシスコ都市圏、いわゆるベイエリアにあるサンフランシスコとオークランドは、ベイブリッジで結ばれ、また、BARTという高速地下鉄でも移動できる。アスレチックスのホームグラウンド、オークランド・コロシアムはそのBARTの駅前にあり、そのため「BARTシリーズ」、「ベイブリッジ・シリーズ」とも呼ばれたこの対戦だが、当時のジャイアンツのホームグラウンドは、サンフランシスコ郊外にあったキャンドルスティック・パークだった。両球場はサンフランシスコ湾をはさんで向かい合ってはいたが、ベイブリッジを使って車で移動しても40分、BARTとバスを乗り継ぐと1時間半ほどかかった。現在、ジャイアンツはダウンタウンの端にあるオクラル・パークを本拠とし、ここからオークランド・コロシアムまで電車使って40分ほどで移動できるが、近年のアスレチックスの低迷と、数年後にはラスベガスへ移転するという状況下では、BARTシリーズの再来は難しそうだ。

何度もワールドシリーズの舞台となってきたオークランド・コロシアム。アスレチックスがここでプレーするのは来シーズン限りとも言われている。(筆者撮影)
何度もワールドシリーズの舞台となってきたオークランド・コロシアム。アスレチックスがここでプレーするのは来シーズン限りとも言われている。(筆者撮影)

 一方のロサンゼルスに移転したドジャースの方だが、こちらにもエンゼルスという「相方」がいる。しかし、ドジャースが移転後実に12回のリーグ優勝を成し遂げ、ワールドシリーズへ駒を進めたのに対し、エンゼルスの方は2002年の1回のみ。この時の頂上決戦の相手はドジャースではなく、ジャイアンツだった。ドジャースとエンゼルスとの関係は、なんだか、前身の阪急時代を含めると日本シリーズ出場14回を誇るオリックスと7回のみの阪神の関係を思い起こさせる。阪急・オリックスを含め、関西パ・リーグ球団の日本シリーズ進出は28回を数えるが、これに合わせて阪神が日本シリーズの舞台に登場したのは、先述の1964年一度きりだったのである。

エンゼル・スタジアム。ロサンゼルスからの道のりは遠い。列車を逃してバスを乗り継いでいくと、ロサンゼルスのダウンタウンまで3時間近くかかった。(筆者撮影)
エンゼル・スタジアム。ロサンゼルスからの道のりは遠い。列車を逃してバスを乗り継いでいくと、ロサンゼルスのダウンタウンまで3時間近くかかった。(筆者撮影)

 もっとも、同じ都市圏にあると言っても、エンゼルスの本拠、エンゼル・スタジアムは、ロサンゼルスから50キロ離れた郊外の町、アナハイムにある。ロサンゼルスのダウンタウンにあるユニオン駅からは球場横まで線路が通じているものの、コミュータートレインで小一時間かかる。ロサンゼルスからの観客のほとんどはハイウェイを飛ばして行くのだろうが、日本人の感覚では「ダービー」とは言いにくい対戦だろう。

春、夏の高校野球に続く「秋のビッグゲーム」を待つ甲子園球場
春、夏の高校野球に続く「秋のビッグゲーム」を待つ甲子園球場写真:岡沢克郎/アフロ

 関西以外は盛り上がりに欠けるなどという報道も見受けられるが、ここ2年、手に汗握る熱いシリーズを野球ファンに見せてきたオリックスと世界でも指折りの人気球団・阪神が相まみえる日本版「サブウェイシリーズ」には世界中の野球ファンが注目している。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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