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プロ野球、ポストシーズンへ。毎年あり方が議論されるこの制度を考えるのに、他国事情を調べてみた(1)

阿佐智ベースボールジャーナリスト
2011年シーズンのワイルドカードを手にしたタンパベイ・レイズの面々(写真:ロイター/アフロ)

 9月もいよいよ終わりに近づき、プロ野球もレギュラーシーズンを終了する。ふた昔前は10月と言えば、前半は退屈な消化試合が延々と続いたものだったが、近年はクライマックスシリーズに始まるポストシーズンで毎年盛り上がっている。この制度が導入されて早12年、今ではすっかり球界の秋の風物詩となった、年度チャンピオンを決めるこの制度だが、ぶっちぎりでレギュラーシーズンを制したチームが出場できない、勝率5割に満たないチームが「日本一」になる可能性がある、今年のパ・リーグのようにデッドヒートを演じたチームが、もう一度勝負することに意味があるの?、そもそも「リーグチャンピオン」でもないチームが「日本一」ってどういうこと?と様々な批判も渦巻いている。

 しかしながら、例年、クライマックスシリーズは、一発逆転を狙う下位チームのファンと覇者の意地を見せたい上位チームのファンによってスタンドは満員になり、メディアの露出度も高い。両リーグのレギュラーシーズンの覇者がオール・デーゲームで相まみれるかつての日本シリーズに郷愁を感じるオールドファンもいるだろうが、残念ながらレギュラーシーズン後にポストシーズンを行うのは世界的な潮流でもある。

 そこで、今回から2回に分けて、世界のポストシーズン事情を見ていきたいと思う。

スポーツビジネス発祥の地、アメリカ

1995年の2Aイースタンリーグのプレーオフ。バックネット下のフェンスには飾りが付けられている。この試合、先発投手は無安打無失点のまま5回で交代していた。やはりポストシーズンはチームの勝利最優先になる
1995年の2Aイースタンリーグのプレーオフ。バックネット下のフェンスには飾りが付けられている。この試合、先発投手は無安打無失点のまま5回で交代していた。やはりポストシーズンはチームの勝利最優先になる

 野球の本場、アメリカでは20世紀を迎える前からのポストシーズンの歴史があるということで、シーズン終わりの一発逆転という発想に疑問を感じる声は小さいようだ。独立リーグで過ごしたある選手は、シーズン終了直前に首位のチームから、プレーオフ圏内ぎりぎりの4位のチームにトレードされたのだが、このリーグのポストシーズンは、1位対4位、2位対3位の一発勝負の勝者が3戦制のファイナルに進むというものだった。

 彼は、古巣である1位チームとプレーオフを戦ったのだが、その時のベンチの様子は、「ここで一発、首位チームに一泡吹かせてやる」とポジティブな空気に満ち溢れていたという。結局、接戦の末、彼のいた4位チームは敗れたのだが、彼も「よくよく考えれば、1位のチームがもし負けてしまったら、やってられないですよね」と率直な感想を述べてくれた。

 メジャーリーグのポストシーズンは、球団数がまだ少なかったころは、かつての日本と同じ、ナショナル、アメリカン両リーグのシーズンの覇者がワールドシリーズで相まみえるというシンプルなものだった。しかし、1969年の球団数拡大により、両リーグとも12球団となると、地区制が導入され、両リーグの地区優勝チームによるプレーオフでリーグ優勝を決定し、リーグチャンピオンがワールドシリーズを争うという方式が採用された。この制度はファンからも好評で、1985年からはそれまで5戦制だったリーグ優勝決定プレーオフは7戦制に改められている。

 各地区優勝チームが、チャンピオンを目指すという、万人が受け入れやすいフォーマットに手が加えられたのは、1994年のことだ。この頃のメジャーリーグは、人気低迷と選手の報酬高騰により財政難に陥る球団が出てくるなど危機的な状況にあり、これを脱するための起爆剤として、ポストシーズンを充実すべく3地区制を導入したのだ。しかし、これでは地区優勝は各リーグ3チームとなってしまう。そこで、ポストシーズン出場チームの頭数をそろえ、優勝チームより勝率が高くなる2位チームの出現というあらかじめ想定された矛盾に対応するため、各地区2位チームのうち最高勝率チームにポストシーズン進出権を与えるというワイルドカード制を導入したのだ。興行上のライバルであるアメリカンフットボールのNFLを参考にしたこの制度だが、導入初年度の1994年はストライキによるシーズン中断で実施されず、翌95年から実行に移されたものの、当初はあまりファンの賛同を得ることはできなかったようだ。当時の野球専門誌には、ナ・リーグ中地区チャンピオンのシンシナティ・レッズと同西地区チャンピオンのロサンゼルス・ドジャースによるディビジョンシリーズでの閑古鳥の鳴くスタンドと「こんなプレーオフシーンは初めてだ」という古くからのファンの声が掲載されていた。

 それでもポストシーズン進出チームを増加させたこのシステムは、徐々にファンに受け入れられるようになり、2012年からは、ワイルドカードの対象を拡大し、各リーグ各地区2位以下の勝率上位2チームによる一発勝負の「ワイルドカードゲーム」を皮切りに、各地区優勝チームにワイルドカードゲームの勝者を加えたディビジョンシリーズを経て、リーグチャンピオンシップでリーグ優勝を決め、ワールドシリーズに突入するという、4段階、約1か月にわたるポストシーズン制をメジャーは現在採用している。

 ちなみに、地区優勝していないワイルドカードのチームがリーグ制覇を果たしたのはこれまで11回。うち、2002年のサンフランシスコ・ジャイアンツ対アナハイム・エンゼルス、14年のジャイアンツ対カンザスシティ・ロイヤルズは、ワイルドカードチームどうしの対戦となった。この2度の対戦では、当然ワールドチャンピオンもワイルドカードチームということになり、これに1997年と2003年のフロリダ・マーリンズ、2004年のボストン・レッドソックスを合わせると、計5度、地区優勝を果たしていないチームがワールドチャンピオンになっている。

 現在の制度では、全球団数の3分の1ものチームが年度チャンピオンになる可能性がある。これは長いレギュラーシーズンの価値を損ねかねないシステムではあるが、根本的に、アメリカではペナントレースそのものが条件の平等性という点において矛盾をはらんでいる。地区制を採用している以上、各チームの対戦相手との試合数はそもそも統一できないし、インターリーグは集客の見込めるカードを優先して行い、すべてのチームと行うわけではないので(そもそも30球団もあるので、そんなことは不可能)、単に勝率を比べることじたいに大きな矛盾を抱えているのである。マイナーではその傾向は一層強く、同じリーグでも地区別の勝率があまりに違うために、他地区ならば優勝にはほど遠いチームが勝率の低い地区で優勝したり、そもそも地区別のチーム数がまったく違ったりなどの平等性とは縁の遠いところでペナントレースを争い、だからこそポストシーズンは必ずと言っていいほど行う。ルーキー級の最下層では、集客などしていないので、別にプレーオフなどしなくてもいいのではないかとも思うのだが、そもそものペナントレースにおける条件面の矛盾を短期決戦で清算しようということなのかもしれない。

 ともかくも、もはやアメリカではレギュラーシーズンとは、ポストシーズンのための予選という感がある。観客動員を考えても、ファンの方も、これがあるために長いシーズンの終盤、大勢が決した後でも、退屈せず、それゆえ最後の大逆転に望みがつなげることにおおむね同意していると言えるのではないか。プロ野球がエンタテイメント産業であることを考えると、ポストシーズンは今や欠かせないものになっていると言えよう。

アジアの新興リーグ、台湾のポストシーズン

台湾シリーズ出場最多の14回、台湾チャンピオンも最多の9回を誇る統一セブンイレブン・ライオンズ
台湾シリーズ出場最多の14回、台湾チャンピオンも最多の9回を誇る統一セブンイレブン・ライオンズ

 そのような事情は、他の国でも同様だ。アジアには韓国と台湾、それに中国にプロリーグがあるが、それぞれ1リーグ制にもかかわらず、ポストシーズンを実施している。 

 台湾のプロリーグ・中華職棒(CPBL)では、1990年の4球団の発足時からプレーオフを採用している。当初は前後期制を採用し、前後期それぞれの優勝チームにより、ファイナルシリーズである総冠軍戦(現・台湾シリーズ)を実施していた。1997年までは、かつてのパ・リーグ同様、前後期をともに制覇するチームが出るとシリーズはなしというルールで、実際に1992, 94年シーズンは兄弟エレファンツが、1995年シーズンは統一ライオンズが「完全優勝」を果たし、ポストシーズンは実施されなかった。

 しかし、1996年に7球団制となり、その翌年にライバルリーグである台湾大連盟が発足すると、CPBLはポストシーズンを充実させるべく、シーズンを通期とし、勝率2位3位チームによるプレーオフの後、その勝者がレギュラーシーズン1位チームと総冠軍戦を行うという方式に改めた。この方式は1998年と99年の2年にわたって採用されたが、この間、味全ドラゴンズが1997年の後期優勝からのシリーズ制覇を含めて3連覇を成し遂げている。この3シーズン、味全のシーズン通算成績は全て3位だった。

 さすがにシーズン通期の3位チームが3年連続でリーグ優勝ということでは、長いレギュラーシーズンの存在意義が問われる。そこで、4球団制に戻った2000年からは、再び前後期制を採用した上で、ポストシーズンを必ず行えるよう、前後期をともに制覇したチームが現れた際は、そのチームに1勝のアドバンテージを与えた上で、年間勝率2位チームがシリーズに出場するということにした。この制度の間、兄弟エレファンツは、2002年に前後期制覇を成し遂げ、年間勝率2位の中信ホエールズとシリーズを戦ったが、アドバンテージを含め4連勝で「下剋上」を阻止している。

 CPBLは2003年に台湾大連盟を吸収し、6球団制となるが、この方式は2004年シーズンまで続いた。しかし、この前後期優勝チームによるプレーオフという制度は、実は重大な矛盾を孕んでいる。シーズン通算勝率1位チームが、前期後期とも優勝できないということが起こりえるからだ。つまり、各々の半期優勝チームと、シーズン全体の勝率1位チームがそれぞれ違うというケースがありうるのだ。

 そこで、CPBLは、2005年以降、前後期それぞれの優勝チームの他、その半期優勝チーム以外で最も勝率の高い「ワイルドカード」チーム(このチームが年間勝率1位の可能性がある)の3チームがポストシーズンへの切符を手にし、半期優勝チームのうち、シーズン勝率の低い方が、ワイルドカードチームとプレーオフを行い、その勝者がシリーズに進むという方式に改められた。

 実際、2007年には通期勝率1位の統一ライオンズが前後期とも2位に終わり、この制度のおかげでプレーオフ進出を果たしている。シーズンを通じて安定した強さを発揮した統一は、シリーズも制し、この年から3連覇を果たし、2005年に始まった国際的ポストシーズンゲームである、アジアシリーズ2008年大会では準優勝に輝いている。

 2008年まで採用されたこのシステムの下では、前後期をともに制したチームが出た場合、このチームが当然シーズン勝率も1位となり、こうなるとポストシーズンの必要はなくなる。それでも、興行的な観点では、やはりポストシーズンをなくすわけにはいかない。そこで、そのような場合には、年間勝率2,3位チームによるプレーオフの後、シリーズを行うということになったが、勝率1位チームにはアドバンテージが設定されず、「下剋上」が起こりやすい制度となった。2006年にはLa Newベアーズが、「完全制覇」を果たし、レギュラーシーズン通算2位の統一がプレーオフを勝ち抜き下剋上を狙った。しかし、La Newは4連勝で意地を見せている。

 ところが、2009年シーズンに三度4球団制となると、このうち3チームがポストシーズンに出場となってしまうのは、さすがにまずいと考えたのか、この年からは、前後期それぞれの優勝チームを年間勝率で上回るチームがない場合は、前後期優勝チームによるシリーズのみを開催、半期の優勝チームを年間勝率で上回るチームが出た際や、前後期制覇のチームが現れた場合は、旧制度に順じ2位3位チームによるプレーオフを行うこととし、その勝者が進む台湾シリーズでは、レギュラーシーズンの重みに配慮し、前後期制覇チームには1勝のアドバンテージを与えるということで現在に至っている。

 現行制度に移行してからは、シリーズ前のプレーオフが実施されたのは昨年の1度のみ。Lamigoモンキーズが前後期制覇を果たし、シリーズでは、シーズン勝率.412で3位ながら2位の統一を破った中信ブラザーズと相まみえたが、1敗を献上しただけでここでも下剋上を阻止している。

 台湾のファンもまた、ポストシーズンをおおむね受け入れている。CPBL広報部の劉東洋氏によれば、ポストシーズン制に対し、これまであまり反対論は起こっていないらしい。その理由として劉氏は、台湾では下剋上はほとんど起こっていないこと、現行制度ではアドバンテージも考慮されていることを挙げている。(文中の写真は筆者撮影)

(続く)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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