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修士号を取りながらも見果てぬ夢を追い世界中を旅する「野球放浪人(ベースボールトロッター)」(後編)

阿佐智ベースボールジャーナリスト
スイスリーグでもプレーしていた返田岳選手(本人提供)

 先月終わりから今月初めに日本ではさしたる実績がないにもかかわらず、「メジャーリーガーになる」という壮大な夢を抱いて野球の本場・アメリカに渡る若者についての記事を書いた。

「Bチーム」から目指す「プロ野球選手」:「トライアウトリーグ」という若者の夢の巣箱(前編)

https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20190630-00132247/

「Bチーム」から目指す「プロ野球選手」:「トライアウトリーグ」という若者の夢の巣箱(後編)

https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20190704-00132424/

 そこにあったのは、華やいだメジャーリーグの世界とは真逆の一見「やりがい搾取」にも思える厳しい現実だが、そこに身を投じる若者は、そのことを半ば自覚しながらも、「若さ」を資本に夢を消費していた。

 ここでもまた、そのような若者を取り上げているのだが、今回はその後編である。

大学院修了後、独立リーグへ

 返田が身を投じたベースボール・ファースト・リーグとは、2008年に発足した日本第3の独立リーグ・関西独立リーグの後継リーグである。

 関西独立リーグは2009年、最初のシーズンが始まってひと月程で運営会社の資金不足が発覚、加盟4球団よって設立された新会社によってリーグ戦は継続したものの、その後も、運営母体がNPO法人に変ったり、所属選手、指導者による不祥事が相次いだりなど、なにかと問題が多いリーグだった。その上、2年目シーズン途中に選手への報酬がなくなったことで実力のある選手が去っていったため、プレーレベルも下がり、結局、2013年シーズン後に、加盟全3球団が脱退するというかたちで消滅してしまった。その後、脱退したうちの2球団によって結成されたのがベースボール・ファースト・リーグで、今シーズンから前身リーグの「関西独立リーグ」に名を戻し、4球団で活動している。現在も「プロ野球」の看板は掲げているようだが、選手が原則無給(収益が出れば支払うことになっているようだが、毎試合200人にも満たない観客しか集まっていない状況ではその見込みはない)という現実を考えると、クラブチームによる地域リーグと考えるべきであろう。

 現役から5年遠ざかっていた返田だったが、冬場にトレーニングを積んでいたこともあり、きついとは感じながらも練習にはなんとかついていった。野球では給料が出ず、ほとんどの選手は午後からアルバイトに励むという事情のため、日々の練習は午前中だけだったこともある意味、返田には良かったのかもしれない。

 リーグのレベルは、選手間の実力差が大きく、東京六大学リーグを経験してきた彼の目からも決して高いものとは言えなかったが、実戦から離れていた返田にはなかなかチャンスを与えられず、5試合ほどの出場で打率.230に終わった。

 無給の代わりに、このリーグでは基本「クビ」もない。返田もプレーを続けようと思えば続けることができたが、試合に出ることができねば、不完全燃焼だった野球への思いも燃焼させることができない。返田は次の場を模索し、日本を出ることにした。

ドイツ、スイス、ベルギー、そしてオーストラリア。世界には野球を続けるところはたくさんある

 つてをたどり、元独立リーガーからドイツのトップリーグ、「ブンデスリーガ」を紹介してもらった。クラブの指導者が中学生チームを率いて来日したついでに日本人選手を探しているという。それを聞きつけた返田は、トライアウト受験し、合格した。

 2015年シーズンを返田はドイツで過ごすことになった。無報酬、渡航費も自弁という条件であったが、現地での簡単な労働も可能なワーキングホリデービザを取得し、現地の日本人の子弟を教えて生活の足しにした。コミュニケーションは「高校以来」という英語だったが、それも次第に慣れていった。

 ドイツのトップリーグのレベルは、前年にプレーしたベースボール・ファースト・リーグ未満、高校野球レベルと言ってよかった。一部には、アメリカでプロ経験をもつ者や、メジャーリーグから声がかかる選手もおり、彼らはメンバーやスポンサーから集めた球団の運営資金から報酬を手にしたが、基本はアマチュアリーグだ。返田にはそんなことよりも、高校時代以来、レギュラーとしてゲームに出場し続けることができることが何にも代えがたかった。数字的には、独立リーグ時代と同じ.230しか残せなかったが、野球選手としてチームから必要とされる感覚は、自分は野球選手なんだというアイデンティティを呼び起こしてくれた。

 

 その後、現在に至るまで、返田はバットとミットを携えて世界中を旅している。

 2016年はスイス、その翌年はベルギー。その間のオフシーズンには、北半球とは季節が逆のオーストラリアにもプレーしに行った。日本を飛び出してわかったことだが、多少の野球経験さえあれば、観客席のある球場でプレーする場は世界中にいくらでもある。そういう場をあっせんするウェブサイトも立ち上がり、返田はそれも使いながら自分で行き先を探し、世界を渡り歩いている。その資金はオフシーズンに帰国している間に稼ぐ。いつまで夢を見ているんだという人もいるかもしれないが、返田は意に介さない。アルバイトや派遣社員も彼にとっては、セカンドキャリア構築の一環なのだ。

「これからメジャーリーガーになれるとは思ってません。だから、この先、何をやって行くんだという時に役に立つようなキャリアだったりスキルだったりを、いろんなことをしてオフの間に付けたいと思って働いています。そこでいろいろなつながりもできますし」

そしてアメリカ「プロ」独立リーグへ

 そして、30歳にして、返田はついに「プロ野球選手」の夢をかなえる。

 2017年シーズンをベルギーで送った返田は帰国後、アメリカ独立リーグのトライアウトが行われるのを知った。受験してみると、見事合格。新興のエンパイア・リーグでプレーすることになった。

 しかし、「プロリーグ」とは言っても、寮とリーグ戦が行われるニューヨーク・プエルトリコ間の航空券だけが提供され、現地での交通費、日本からの渡航費は自弁、シーズン前のトライアウトを兼ねた(但し日本人選手は事前のトライアウトに合格しているのでここで振り落とされることはない)キャンプには有料で参加など、現実はそれまでプレーしていたリーグと条件はさしてかわることはない。それでも、このリーグはれっきとしたプロリーグだと返田は胸を張る。

「エンパイア・リーグでは、日本人選手だけでなく、試合に出場できていない選手は、ほぼ報酬はもらってないのではと思います。でも、詳しい金額は知りませんが、ある程度試合に出ている選手は、その活躍度によってギャラをもらっているようです。いいピッチャーだと、すぐにアメリカ独立リーグ最高峰のアトランティック・リーグにピックアップされていきました。彼はスピードも155キロぐらい出してましたよ。だから、エンパイア・リーグはプロリーグですよ。プロフェッショナルリーグと名乗っていますし。だから、エンパイアでやっていたら、プロだと思います。日本では、『プロ野球』って言えば、NPBのことですけど、アメリカだと、トップリーグのメジャーリーグとは別のプロ野球選手という括りがあって、だから僕らも恥ずかしげもなく、自分たちのことをプロと言います。メジャーリーガーとはまた違うプロ野球選手ということです。プレーレベルもヨーロッパより断然上でした」

 キャンプ後のドラフトでニューヨーク・バックスというチームにピックアップされた返田は、日本人投手の井神力とバッテリーを組むことになった。レベルが上がった分、出番も半分くらいに減ったが、「さらに上」を目指して懸命にプレーする「プロ選手」とのプレーにはこれまでにない充実感があった。シーズン終盤にトレードも経験したが、それも「プロ野球」を実感させた。

初めてプレーしたアメリカの独立リーグではマウンドにも立った(本人提供)
初めてプレーしたアメリカの独立リーグではマウンドにも立った(本人提供)

「夜、寮で寝てたら、井神と叩き起こされて、通告されたんですよ。『お前らトレードになった』って。それで、井神といろいろ話をして、また寝て、朝起きたら、井神の方はもう1回別のチームにトレードされていたんです」

 2018年シーズン、初めてのアメリカでのプレーで返田は25試合に出場、13安打に終わったものの、打率は3割をクリアした。シーズン終了後は帰国し、プレーを続けるべく、例年と同じく派遣社員として働き始めた。昨年秋のインタビュー時、彼はアメリカに渡った理由、そして、今後の目標をこう口にしていた。

 「アメリカに渡ったのは、少しでも自分の可能性を追求したい、完全燃焼したいという気持ちからです。海外で3シーズンプレーして、自分の中で少しずつ成長を感じることができました。その上でのアメリカ挑戦です。やはり上のリーグに行きたいという気持ちが強いですね。エンパイア・リーグをステップにして、少しでも上のリーグに進みたいですね。だから来年もぜひエンパイア・リーグにチャレンジしたいと思っています」

 インタビュー後、返田は再び旅立った。メキシコ南部で行われるプロアマ混合の地域リーグに自ら売り込み、オファーを受けたのだ。

選手から「収入」を得るという「プロ野球」

 返田らがプレーしたエンパイア・リーグは、「プロリーグ」を名乗っている。全てではないにせよ、選手には報酬を支払い、試合興行を行っているからだ。

 しかし、このリーグでプレーするには、日本円にして10万円近くする参加費を支払ってシーズン前のキャンプに参加せねばならない。このキャンプは入団テストも兼ねているというから、この参加費は受験料のようなものだ。このキャンプには前年シーズンで好成績を残した選手でも、翌年シーズンに臨む際にはやはり有料で参加せねばならない。これを「初期投資」と考えることもできるが、シーズンが2か月半しかないこのミニリーグで回収することは難しいだろう。別の言い方をすれば、この「プロ野球」は、プレーする選手からのトライアウトキャンプ参加費を収入の柱にしている。これを果たして「プロリーグ」と言っていいのだろうか。

 それでも返田はそのようなリーグの収支モデルも理解した上で、アメリカに渡ったと言う。

「トライアウトの費用が、リーグの運営費にはなるということはわかっています。でも、スカウトの目に留まらない限り契約を結べない、冬の間に行われる他のトライアウトリーグは30万、40万円とかかりますから。エンパイア・リーグの場合、200人キャンプに参加して120人は選手契約を結べます。半分以上、6割ぐらい受かって、実際試合にも出場できますから。要は自分がうまくなればいい話ですよ。待遇に文句があったら自分で探して、より良い条件のリーグに行けばいい話ですから。そういう条件でしかできないのが自分の実力だということです。日本人だと、なんか本当にプロ(MLBやNPBプレーヤー)になるためにやっていて、だからトライアウトを落ちたら引退するとか、ドラフトにかからなかったら野球を辞めるみたいな感じなんです。アメリカやヨーロッパでは、あんまりそういう考え方はしませんよね。結構、海外の選手は、メジャーリーガーになるためにプレーするというよりは、今自分ができるところで全力を尽くした結果、メジャーリーグになる人もいるという感じですね」

 このリーグでは、シーズン中、参加費を支払った者を一定期間受け入れる制度もある。シーズン途中から元プロ(NPB)選手を含む当初の4人に加えて、もうひとり日本人大学生が参加した。彼は参加費を支払い、期限を限り、1試合最低1打席は保証されてチームに加わったという。つまりはこのリーグは「プロ野球体験」までも商品としていたのである。

 但し、これはアメリカの独立リーグでは決して珍しいことではなく、過去には日本のテレビ局がこの枠を購入し、タレントや俳優に「プロ野球挑戦」させ、ドキュメンタリー番組を仕立てあげている。

 返田は、そういう事実も含んだ上で私の疑問を受け、こう続けた。

「ともかく、そういうかたちで(トライアウトキャンプを収入源のひとつとして)、エンパイア・リーグは、ようやく3年続いています(2018年時点)。多分、もう少しこのかたちで続くと思うんです。でも、リーグの経営者は、今後少しずつレベルを上げていきたいという考えをもっています。(独立リーグ最高峰の)アトランティック・リーグだって最初は、かなりひどい運営だったと聞いています。だから、10年後にはそういうリーグに肩を並べるような存在になるというビジョンはあるみたいです」

体験型ツーリズムとしての「野球放浪」

 このようなリーグでプレーする彼らは果たして「プロ野球選手」なのだろうか?

 大学トップレベルでプレーしていたとは言え、道半ばにして選手としては引導を渡された返田がMLBやNPBといった我々が念頭に置く「プロ野球」でこの先プレーすることは現実にはあり得ないだろう。このような独立リーグで汗を流しているほとんどの若者にとっても同様だと考えられる。それでも、彼らはより上のレベルのリーグでプレーすることを夢見て本来職業キャリアを構築すべき期間を野球に費やしている。

 母国や第三国で働き、ある程度金が貯まれば世界を放浪する者のことを「グローブ・トロッター(世界漫遊者)」という。こういう若者のライフスタイルの波が起こったのは1990年代頃だっただろうか。はじめは「なんでも見て聞いてやろう」という精神だった彼らの世界放浪のスタイルもやがて、行き先で様々な体験をするものに変ってきた。それは、テレビの世界体験番組や、巷間あふれているもはやひとつの旅行パッケージと化している「留学」からも見て取れる。

 プレー先で手にする報酬(無報酬であることも多い)よりプレー先を手に入れる際の費用の方が高いというアメリカ底辺独立リーグの現実は、まさに体験型ツーリズムという「消費」であるのだが、返田はそのことさえもわかりながら、「ベースボール・トロッター」を続けている。彼は私の考えを聞いた後、一拍置いてこう返してきた。

「そう言われればそのとおりだと思います。大多数の選手はわかっていないと思いますが、むしろ他の人はどうしてそれをわからずにやっているのかなと思います。こういうことをやっていると、節目、節目に、紹介料を取るような人がいるんですよ、いっぱい。そういう人たちに対する疑問を抱く選手もいるんですけど、やっぱりプレーする場所が欲しいから、結局世話になるんですね。そのうちにそういうお金を取る人たちと支払ってプレーする選手との間に連帯意識が芽生えて強くなるんですね。僕は見ていて、危うさを感じますが」

 今年31歳になる返田だが、将来に対する焦りや不安はないと言う。

「元々メディアデザインを学んでいましたから、最終的にはフリーランスを念頭に置いているんです。だから、新卒一括で大企業に入るというのは、僕のキャリアの中ではそんなに重要じゃないと思っているんです。大学の同期とかで、いわゆる『いいところ』に就職している人たちというのは、そこでいいお給料もらって、ということに興味があるんでしょうけど、それは僕の価値観とは違うなという感じです」

 

 あと2、3年はこの生活を続けるつもりでいる。

「毎年成長できているなという実感があるうちは、続けようかなと思っているんです。やめる時は、そうするべきなのだなと、その時に分かるかなと思っています」

 この夏、返田は再びメキシコへ旅立った。「野球放浪人(ベースボール・トロッター)」、返田岳の旅はまだ当分続きそうだ。

 その旅路の先には何があるのだろう。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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