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日本の偉大なスポーツ文化である「甲子園」を「残酷ショー」と呼ばせないために

阿佐智ベースボールジャーナリスト
様々な批判もありながら人気スポーツイベントと化した「夏の甲子園」(写真:岡沢克郎/アフロ)

 今年の夏の全国高校野球選手権大会、いわゆる「夏の甲子園」は、高校野球人気が高まっている近年においてもまれな盛り上がりの中、大阪桐蔭高校の史上初となる2度目の春夏連覇で幕を閉じた。まずは優勝校の健闘をたたえたい。その一方で、この夏の「主役」は、旋風を巻き起こした吉田輝星投手率いる金足農業高校であったと言っていいだろう。

 それにしてもその人気のせいもあるのか、はたまた記録的猛暑のせいなのか、地方大会時点からこの夏の高校野球は、そのあり方に対する批判が百家争鳴のごとく渦巻いていた。

 昨今、ウェブ媒体の発達によって、書き手が自らの意見を世に出すことは、従前に比べて格段に容易になった。このようなメディアの氾濫状態の中、ページビュー(PV)至上主義がまかり通り、書き手は知らず知らず(自覚している場合もあるだろうが)のうちに、センセーショナルな見出し、既存の常識や伝統に対する極端な批判、ある種のトレンドに乗っかる記事を書く傾向を強めている。

 この夏の「甲子園批判」などはまさにそれで、「高校野球のドーム開催」、「秋開催」、「投手の球数制限」など現状を考えた場合、本当に実現可能と書き手は思っているのかと首をかしげたくなる論調や、挙句の果ては「甲子園解体」という、PV稼ぎとしか言えないような記事がネットを中心に上がった。実現性のあるオルタナティブ(代替案)なしの批判ほど空虚なものはない。私自身、現状の高校野球のあり方に疑問を抱き、批判的な意見ももっているが、日本人の悪癖とも言える既存の権威に逆うことをクールとする風潮や、いったん批判トレンドが出来上がると、それに乗っかる人間が増殖する「野党体質」に嫌気がさして、高校野球についての記事を書くのを控えていた。

 しかし、この大会が終わったのを受けて、そろそろいいかなと思い、筆を執った次第である。

あの状況で吉田の先発登板を回避できたのか?

 決勝戦があれだけ盛り上がったのは、史上初の2度目の春夏連覇を目指す、エリート集団・大阪桐蔭と初の東北勢優勝を目指す田舎の公立校(しかも斜陽産業とされる農業を専攻)と対戦という野球漫画『キャプテン』を地でいく、日本人好みのエリート対雑草集団という実にわかりやすい構図の対戦となったからであろう。とくに、全国から選手を集め、プロ候補とも言われる高校トップレベルの投手を複数擁する大阪桐蔭に対し、甲子園の決勝で途中降板するまでを吉田が予選からひとりで投げぬいた上、メンバー全員が地元秋田出身という金足農業との圧倒的な戦力差は、判官びいきの日本人の血をたぎらせるに十分であった。

 金足農業の選手層が薄いのは、投手の吉田だけでなく、大会を通じて9人で戦い切ったことにもあらわれているだろう。最高峰の舞台に立てる選手を地方の公立校にはそれ以上集めることはできなかったのだ。

 吉田の「酷使」については、決勝以前にも言われていた。決勝のマウンドは誰の目から見ても万全の状態ではなかった。「残酷ショー」派の筆が進むのも無理はない。決勝については、投げさせるべきではないという言葉が「識者」たちからは上がっていたが、私にはそのような声を上げる人々に、白河の関を初めて越えようとする優勝旗への内外の期待、盛り上がる世間の応援、選手層を考えて、あの状況でそのような決断をご自身はできるのかと問いたくなった。もし、「できる」と言う御仁がいるならば、あまりに想像力に欠ける空論の持ち主と言うしかないだろう。

「残酷ショー」という現場を無視したフレーズ

そのような論を唱える人々は、「甲子園」を将来のある選手をつぶす「残酷ショー」である、高校球児は大人の利権のために利用されている、真夏の暑い中のプレーなど正気の沙汰ではない、などと口をそろえるが、ご自身で高校野球という世界を経験されておられるのであろうか?

 彼らは高野連をそれこそ目の敵、元凶のように語るが、高野連や高校の指導者はなにも、球児たちの首に縄をつけて白球を追わせているのではない。無論、現状の高校野球の運営方法や高野連のあり方には改善すべき点は多いが、暑さ対策としてのドーム開催や秋開催という極論は、ネット受けはするのだろうが、長い歴史によって培われた現場・ファンの心情を無視したものと言わざるを得ない。「聖地」に対する関係者の思いは、あの大会を「高校野球選手権」と呼ばず「甲子園」と誰もが呼ぶことに現れている。多くの人が大事にしてきたものを簡単に否定するような論調は、野球に多くをささげている選手をはじめとする関係者へのリスペクトに欠けるし、そこからリアリティを感じることはない。

 秋開催について言えば、これを唱える「甲子園批判派」の方々は、この時期が、学生である選手が学業をすべき2学期に突入していることについてどうお考えなのだろうか?

 猛暑の中の試合開催については、地球温暖化が進行していると言われる中、午後の試合をナイター開催に移行する(しかし、これにしても、勝者の翌日以降のスケジュールを考えると難題山積ではあるが)などなんらかの対策は必要であるが、ドーム開催、秋開催などというのは、批判ありきの机上の空論以上のものではないように私には思える。そもそも、こと選手に関しては、彼らは普段から猛暑の中練習に打ち込んでいる。冷房の効いた部屋でワープロに向かっている(現場取材もされてはいるのだろうが)視点だけで、「残酷」と表現することは的を射ていないように思う。そもそも、真夏に全国大会をするのは、野球だけではない。その理由はごくごく単純で学校が夏季休業期間だからである。

 ある種のアイロニーではあるが、全国高校野球選手権が甲子園以外の場所で行いにくいのは、その人気の高さゆえのことである。その人気を支え、また乗っかっているのが、他ならぬ高校野球を飯の種にしているライターであり、「識者」なのではなかろうか。高校野球人気がこれらの人々が扱うに足らない存在にまで落ち込んでしまえば、ドーム開催、分散開催もやりやすくなるだろうが、そのような状況は誰も望んでいないだろう。アメリカの高校野球がどちらかと言えば、勝利より育成を優先できるのは、さほど注目されていないからでもある。

 無論、選手の負担ということについては、今後考えていかねばならないことではある。あの決勝、吉田投手の降板には私も正直ほっとしたが、彼の「酷使」なしには、今回のようなドラマはなかった。投手の球数制限うんぬんの議論も出ているが、それをするならば、全国からスカウティングをする私学のあり方にもメスを入れねば、エース級をひとり確保できれば御の字という公立校と、有望株をブルペンにそろえることのできる強豪私学との格差は決定的なものとなり、スカウティングで勝負が決まる(現在でもその傾向は高い)ことになりかねないだろう。

 吉田らの連投について、プロに行けば何億と稼げる才能を消耗している、との批判があるが、それこそ高校球児を商品としか見ていない論ではないか。忘れてはならないのは、青春を野球にささげ、ひと夏を甲子園で燃焼させている若者たちの大半は、その夏が終わるとバットとグラブを置き、それぞれの進路に進んでいくことである。「甲子園」はプロ予備軍のためだけにあるのではない。「〇億の才能をつぶすな」という論調は、それこそ「木を見て山を見ない」ものではないか。

 日本のプロ野球選手、とくに投手が故障すると、高校野球と結びつける論調があるが、では、アメリカのプロ投手と比べ日本の投手は故障になる確率が明らかに高いというデータはあるのだろうか。寡聞にして私は知らない。私も「肩は消耗品」という意見に反論するつもりもないし、現状の高校野球の投手起用についても改善の余地はあるとは思う。しかし、アマチュアの投手は、年中連投をしているわけではない。吉田投手を決勝のマウンドに送る指導者を批判する論調もあったが、あのマウンドに彼を送ったら100%故障するわけでもないだろう。これもまた批判ありきの冷静さを欠いたものと言わざるを得ない。

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良き伝統を守るために==

 私は、一野球ファンとしてこの夏の甲子園を見て素直に感動した。これはおそらく多くの国民が共有している感情だろう。今一度言うが、このようなスポーツが本来持つチカラを全否定するような論調は、PVを稼げても世論を動かすことはないだろう。

 しかし、現状を改革する必要があることは間違いない。予選から決勝のノックアウトまでひとりで投げぬいた吉田投手の体が相当のダメージを受けたことは間違いないだろうし、そのようなダメージは極力回避する方向にもっていかねばならない。

 私は、直前で「ノックアウト」という言葉を使った。まさにあの吉田の姿はノックアウトであり、タオルを投げ、彼を試合途中にマウンドから下ろした監督の判断は妥当だったと思う。しかし、一方で、「絶対的エース」をマウンドから下ろすには相当の覚悟が必要である。まず、ブルペンの層が薄い(大半のチームがそうだろう)チームにとっては半ば勝負を諦めることになり、それ以上に、決勝などでのレベルの高いチーム相手だと、試合を終わらせることができるのかという問題にも直面する。いくら実力差があっても時が過ぎれば試合が終わるサッカーと違い、野球は少なくとも24個(8イニング分)のアウトを取らねば試合は終わらない。ある地方大会の決勝で、大差がつきながら負けチームのエースがマウンドを降りない場面に遭遇したことがあるが、はるかに力の落ちる2番手投手を考えると監督も変えるに変えれなかったのだろう。「ノックアウト」が現実にあるボクシングの場合、一方的な展開を放置すれば、その場で、選手の生命に重篤な危機が生じるが、野球の場合、その場では、そこまでの危機は顕在化しない。しかし、消耗品と言われる肩をはじめとする肉体は確実にむしばまれているだろう。それについては私も否定しない。

 だから、私は、決勝であろうが、一定の点差がつけば「甲子園」でもコールドゲームを導入すべきだと考える。あの決勝で、5点差がついた時点、あるいは、大阪桐蔭に10点目が入った時点で、金足農業が逆転すると思った(「期待する」ではなく)人は誰もいないだろう。つまりはその時点で事実上のノックアウトなのだ。「酷使」された吉田のダメージを少しでも和らげるには、指導者はその時点でタオルを投げるべきなのだが、2番手投手が試合を作れないリスクを考えると二の足を踏んでしまうのだ。コールド制度さえあれば、選手の将来を考えた前向きな投手交代も迷わずできるだろう。仮に2番手が四球連発をしても試合は遠からず終わるのだから(但しこれも当該イニングは終わらせる必要はあるが)。

 この他、私としては、現状で採るべき対策は、先述したナイター開催のほか、余裕をもったスケジュールだろうと考える。個人的には8月いっぱいを高校野球に使うくらいのことはすべきではないだろうかと思う。しかし、これにしても、そもそものこの球場の主であるプロ球団、阪神タイガースや予選の日程との兼ね合い、それに日程の延びに伴って増大する各校の滞在費の問題が立ちはだかる。

 阪神との問題については、現在、大阪に京セラドームがあるおかげでクリアできる部分は大きいのではないだろうか(阪神ファンの方ごめんなさい!)。加えて、兵庫県には現在プロのフランチャイズではなくなったほっともっとスタジアム神戸という立派な球場もある。

 滞在費用の問題については、それこそ主催者と高野連が「甲子園」のビジネス化をクリアなかたちでもっと進めて収入を増やし、各校の応援団(無論人数制限は設けないわけにはいかないだろうが)の分も含めて、負担すればいい話である。そもそも、入場料や放送権、物販など収入のコンテンツを持ちながら、出場する選手は無報酬(アマチュアなのだから当然ではあるのだが、常識的に考えても、交通費・滞在費は主催者側が負担してしかるべき)、おまけにチケットの購入者である出場各校の教職員をあたかも球場スタッフのように使用している現状は、異常としかいいようがない。アマチュアスポーツと言えども、大会の運営に必要な収入を得ることは当然のことではないだろうか。

 そして予選との兼ね合いだが、これについては、投手の負担を減らすという意味でも、地方大会はランク分けしたリーグ戦形式にするのはどうだろうか?正直、現状において、甲子園を現実の目標としている学校と、同好会的に活動を行っている学校との実力の格差は大きすぎるものがある。参加校が多い都道府県では、強豪校は、やる前から結果が分かっているような相手に時間と労力を割かねばならず、それに費やす選手の身体的負担、日程の延びは大きなロスになっている。また、あまりに実力差が大きいと、金属バットから放たれるプロ顔負けの鋭い打球による弱小校の選手の怪我の心配もある。

 ただ、同じ球児である以上は、弱小校の選手にも「甲子園」は開かれたものである必要もある。そこで、春の大会をなくし、これを夏の地方大会の一部と一体化させてランク別のリーグ戦に改組し、例えば、トップリーグの所属校は全て夏の甲子園の予選に当たる地方大会出場、2部リーグからは上位2校、3部からはトップ校のみ参加というふうにすれば、すべての学校に全国大会への道は開けることになり、かつ、地方大会のトーナメントは縮小できるのではないか。それでできたスケジュール的余裕は甲子園での全国大会に回すのだ。そして、現実には甲子園など夢のまた夢という弱小校にとっても、公式戦の試合数を増やすことができる。

 無論、この案にしても、実際に実行に移すとなれば、様々な問題が山積しているだろう。しかし、社会が変容していく中、「甲子園の伝統」を守っていくためには、大きな改革は必要ではないか。

 最後になるが、「批判派」に「酷使」のレッテルを張られた吉田投手には、ぜひとも次のステージで活躍して欲しい。そのためにも、しっかりとしたメディカルチェックと休養を取って欲しい。そして、再びマウンドに上がった時には、喧々諤々の議論を外野で繰り広げていた私を含めた大人たちの前に、あの雄姿を現して。こう言って欲しい。

「僕は、こんなに元気です」と。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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