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中根英登インタビュー「不安も気負いも消えた。まだ壁には当たっていない。もっと強くなれる」

宮本あさか自転車ロードレースジャーナリスト
中根英登 (photo: jeep.vidon)

2018年のNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニに所属する日本人選手7人全員にインタビューを行った。第二弾は中根英登。チーム合流1年目の昨季はツール・ド・ランカウイでアジア人選手最高位、ツアー・オブ・アゼルバイジャンで総合8位と目に見える結果を残した。なにより心身両面での確実な成長を感じた。入団2シーズン目には、リラックスした笑顔で、走り出した。

1年前にチームに合流したばかりの時の自分と、今の自分とを比べてみて、なにか違いは感じますか?

やっぱり今の自分には気持ちの余裕があります。すごく。去年は色々なことに必死でした。国も違うし、言葉も覚えなくちゃならないし、チームメイトともがんばってコミュニケーション取らなきゃならないし、移籍したばっかりだから早く結果も欲しかったし……。余裕がまったくなくて、だから、すごく疲れました。今はかなりリラックスできています。そういった気持ちの面での違いが大きいですね。

NIPPOへの入団を打診されて、それこそ「即答」でオファーを受けた……とおっしゃってましたけど、実は不安があったんですね?

もちろん。即答はしましたけど、不安しかなかったです。ステップアップしたチームで、果たしてどこまで自分が走れるのか、まるで分からない状態でしたから。それに加えて、移籍を決めたシーズン(2016年)が、ひどかったですからね。結果が全然なかったし、体調も大きく崩していた。だからすごく不安があったんです。変な「気負い」みたいなものもありました。「ジャパンプロサイクリング」の一環で、愛三工業の後押しによる入団でしたから、「まあチームからはそんなに期待されていないだろうな」って自分の中で思っていたところがあって。だから逆に「じゃあ結果出してやる!」という気負いが、すごく強かったんです。

どのあたりから、どのように、不安や気負いが消えて、今こうしてリラックスできるまでに気持ちが変化していったんでしょうか?

開幕前からツール・ド・ランカウイに出ることが決まっていて、そこで結果を残したいと強く思っていました。それがちゃんと形になった。すごくほっとしましたね。トラブルさえなかったらもっと行けたんじゃないか……という気持ちもあるんですけど、ちょっと変わった形で手に入れることになったアジアンリーダーの座も最後まで守り切れた。そうですね、あのレースは大きかったです。そこから少しずつ、変な気負いのようなものが取れていきました。それにチームから必要としてもらえてるのかな、期待してもらえてるかな、となんとなく感じられるようになりました。シーズン終わってみたら、いい結果もいくつか出せましたしね。気負った分が、変な風に転ばなくて本当に良かったです。

走りの面ではどうですか?入団時に自分が期待していた走りは、1年を経て、実現できているでしょうか?

それ以上の走りができています。想像していた以上に、自分の体が変わりましたね。チーム自体が1つ上のクラスですから、もちろん出るレースもハイレベルなモノばかりで、当然苦しいんです。でも、その苦しさを重ねて行ったおかげで、なんというか「一皮むけた」感があります。去年とは、2年前とは、フィジカルが全然違う。こう強く感じています。特に去年は2月から怒涛の2か月を過ごしました。ハイレベルなレースを立て続けに走ったんです。初レースがトロフェオ・ライグエリア(2月12日)で、その後にランカウイ(2月22日〜3月1日)。それが終わったら、ほんの数日でティレーノ〜アドリアティコ(3月8日〜14日)へ。いきなりワールドツアーのレースに放り込まれて、「うわー、きついなー」っと思いながらもなんとか走り終えたら、すぐ4日後にはミラノ~サンレモ(3月18日)で。「うわーーーー」っと。そのまた数日後にはセッティマーナ・コッピ・エ・バルタリ(3月23日〜26日)で、終わってすぐにタイに飛んで。そこからツアー・オブ・タイランドが始まって(4月1日〜6日)。もうタイでは死んでました。人生で一番疲れてました。ママチャリに乗っている高校生より、僕のほうが遅いんじゃないか……ってくらい疲れてました。タイではなにもできなくて、ただ毎日、時間が早く過ぎてくれるよう祈ってました。「早く終わってくれ、早く終わってくれ」って。それくらい体が動かなかったんですよね。でも、それで、一皮むけたかな。まるで突貫工事のような感じでした。下手したら潰れていたかもしれない……、と今更ながらに思いますけど、でも、あのおかげで体が強くなった。前に比べてずっと強くなったし、自分はもっと強くなっていける、とも思ったんです。

チームの専属コーチがトレーニングメニューを立てていますが、それによる成果は感じますか?

去年NIPPOに入るまで、僕はそもそも、パワーメータを使ったことがありませんでした。その違いは大きいです。愛三時代も一応チームから練習メニューが出されてはいたんですけど、パワーメータで管理するほどのモノではなかった。あとは練習メニューを自分で考えたりもしていました。でも今は、専門のトレーナーが、「疲れすぎない」程度のトレーニングメニューを組み立ててくれます。練習で疲労困憊になることはなく、レースに向けて仕上がっていくような、そんなメニューが組まれています。ただ根本的なフィジカルに関しては、どうあがいても、欧米系の選手とはそもそもの体つきや筋肉の質が違います。僕は特に体が小さい。だからフィジカル的に劣ってしまうのは、仕方がないことなんです。ただある程度なら、きちんとしたトレーニングでカバーできることが分かりました。「ましになった」という表現が正しいのか分かりませんが、少なくとも欧州で走れる体にはなりました。もちろん僕はまだまだですし、上を見たらきりがない話です。でも、トレーニングのやり方次第では、僕のような体型の劣る選手だって、チームの歯車のひとつになれるくらいのフィジカルは持つことができるのかなと。しかもレースによっては、ごくたまに、自分で勝負できる位置に残れることもありましたから。

2017年ジャパンカップではマルコ・カノラの優勝をアシスト。(photo: jeep.vidon)
2017年ジャパンカップではマルコ・カノラの優勝をアシスト。(photo: jeep.vidon)

去年はチームメイトの勝利に立ち会う場面も多かったですが、その勝利を作り上げる過程に自分が携われたというのも、大きな糧になったんじゃないですか?

大きいですね。カノラがツアー・オブ・ジャパンで3回勝って、ジャパンカップでも勝って。クネゴがチンハイ・レイクで勝った時も、僕は一緒にレースに行ってました。彼らから学ぶことは本当に多いです。レースの走り方、勝つ選手のメンタル、さらにはレース前の雰囲気とかも。ハイレベルのレースでぽんぽんって勝てる選手なんて、なかなか周りにはいませんでしたからね。やっぱり真似できるところは真似していきたいです。実はレース前も彼らは凄くリラックスしているんですよ。全然気負っていない。レース中はもちろん彼らも集中しているんですけど、なにより勝負所をちゃんと分かっていますよね。どこで勝負の時間帯が来るのか、ということをきっと彼らは分かっている。僕はまだその辺が曖昧なんです。偶然に「はまる」こともあるけど、全然はまらないこともある。でも彼らはそれを外さない。まあ、その辺は、真似ようと思っても難しいんですけれど。でもそういう姿を間近で見せてもらえるのは、本当にありがたいですね。そんな彼らからは、去年よく、「休むときはしっかり休めよ」と言われたものです。やっぱり端から見ても、去年の僕は、まるでリラックスしていないように見えたんですかね? とにかく彼ら、いつもすごくリラックスしているんです。

するとご自身もリラックスした状態で、2年目に入れるわけですけど……。

たしかにリラックスはしていますけど、でも、やっぱり2年目は2年目で、緊張感は持っています。勝負の年だと思っていますから。1年目の時は、もしも結果が出なくてもちょっとは面倒見てもらえるかな……という思いもあったんですけど、2年目はちゃんと結果を残していかなければと考えています。その辺は自分で自分にプレッシャーをかけてます。

「結果」というのは具体的になにを指すのでしょうか?

分かりやすく言えば、UCIポイントです。ポイントを取らなければならない。自分のためだけでなく、日本という国のためにも。それが世界選やオリンピックの出場枠につながるので、まずはできるだけ多くポイントを稼ぐことですね。もちろんアジアのレースでは、表彰台に乗れる結果を出さなきゃいけないとも思っています。去年はヨーロッパのハイクラスの大会でも、もっと頑張ればトップ10に入れるかもしれない、と思えたレースがありました。そういう大会では、ちゃんと前に残っていけるように走りたいですね。

大きな野心を抱いたりもするんですか?たとえば「ジロに出てやる」とか?

うーん、今はあまり意識しないですね。たとえばジロはとても大きいレースですし、もちろん出られたら光栄だと思っています。でも、それを、自分の第一目標にすえることはないです。ワールドツアーのレースははるかにレベルが高い。トップ10に入れたらいいな〜、とかそんな甘い考え持てるようなレースではないんです。去年ティレーノを走って、それをすごく感じましたね。それまではワールドツアーのステージレースというものが、どれほど厳しいのかを知らなかった。だから「知らなかった」時代は、正直に言えばやっぱり、「ジロに出てみたいな」なんていう気持ちもありました。ただティレーノに出て、「こんな世界なのか!」と気が付かされて。トップレベルのレースは甘くはないな、今の自分じゃまだまだ全然太刀打ちできないんだな、というのが素直な感想でした。だからといって出場前に「まあ行けるだろう」って軽く考えていたわけじゃないんですよ。でも、実際に走ってみたら、スピードも、フィジカルも、全然別物だった。だから、まずはもっと強くならなきゃ、って感じたんです。与えられたレースでしっかり結果を出せるようにならなきゃダメなんだ、という気持ちを強く持つようになりました。ただ世界のトップがどんなレベルなのかを見せてもらえたのは大きいです。最終的には「あの場」でちゃんと走れるような選手にならなきゃならないんだ、とは分かっています。

東京オリンピックについてはどう考えていますか?

僕も色々な人から教えてもらっただけで、はっきりとした情報は知らないんですけど……東京オリンピックでは上りの多いコースが使われると聞いています。だから、もちろん、オリンピックも目標のひとつです。それが全てではない。でも狙える年齢でもありますし、そもそも地元開催のオリンピックなんて、生きているうちに何回もあるわけじゃないので、やっぱり狙っていきたいですね。出場して、ちゃんと結果を出せる選手に仕上げておきたいです。

NIPPOがプロコンチネンタル登録になって4年目のシーズンですが、現体制で「3年目」を迎えた日本選手はいません。中根選手が3年目を勝ち取るためには、なにが必要でしょうか?

自分のミッションをクリアすること。チームから与えられる仕事を着実にこなすこと。たとえば僕の場合だったら、UCIポイントを取りこぼさない。1点でも多く取ってくること、でしょうか。この目標を達成できなかったら、もちろん次はないと思っています。そもそも現状ではプロコンチネンタルチームに入ること自体が、非常に難しいことなんです。でもメインスポンサーであるNIPPOを始め、たくさんの日本企業が出資してくださるおかげで、こうして日本人選手が在籍できている。これはすごく大きなことです。選手にとっては幸せなことであり、チャンスですよね。もしも日本の会社がスポンサーを全くしていない状態で、自分の実力だけでプロコンチネンタルチームに入れるか、って言われたらそこはクエスチョンだと思うので。だからこそ今、僕らはもっと強くならなきゃいけないんです。このありがたい環境を活かすためにも、本気で、もっともっと強くなりたいと思います。

仲良しの小林海(左)からは、学ぶことも多いという。(photo: jeep.vidon)
仲良しの小林海(左)からは、学ぶことも多いという。(photo: jeep.vidon)

日本人選手7人はみんな仲良しですけど、心の奥にはライバル心もあるんですか?

みんなそれなりに持っているんじゃないですか?「ああ、あいつがあのレースで結果出したから、次は俺がんばらないと」っていう思いはやっぱりあります。僕も去年はそうでしたし。いい意味でのライバル心ですね。相乗効果で、みんなで一緒に強くなって行きたいですね。それに彼らから学ぶこともたくさんありました。年齢は関係ありません。たとえば(小林)マリノなんか若いけれど、しっかりしていて、びっくりするほど色々なことを考えている。「お前は本当に24歳かよ」っていつもからかっているんですけど(笑)、それくらい大人ですもん。やっぱり日本人選手はライバルであり、比較対象であり、自分が成長して行けているかどうかの基準みたいなものでもありますね。

自分としてはこの先どこを伸ばしていきたいと思っていますか?

レース勘です。もっと研ぎ澄ましていきたいです。さもないと常にトップ10に入っていくというのは難しいですから。フィジカル面に関しては、僕としては、まだまだ伸びる気がしています。まだ壁には当たっていない。もっと強くなれる。まだまだ伸びるんじゃないか、もっといけるんじゃないか、と確信しています。

(2018年1月16日、スペイン・カルペにてインタビュー)

NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニ 2018年日本人インタビュー

初山翔中根英登内間康平

自転車ロードレースジャーナリスト

フランス・パリを拠点に、サイクルロードレース(自転車競技)を中心とした取材活動を行っている。「CICLISSIMO」「サイクルスポーツ」誌(八重洲出版)、サイクルスポーツ.jp、J SPORTSサイクルロードレースWeb等々にレースレポートやインタビュー記事を寄稿。

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