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初山翔インタビュー「同じミスは繰り返さない。東京五輪に向けて、ステップをひとつひとつ上がっていく」

宮本あさか自転車ロードレースジャーナリスト
初山翔 (photo: jeep.vidon)

2018年のNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニに所属する日本人選手7人全員にインタビューを行った。第一弾は今季新加入の初山翔。2016年のナショナルチャンピオンは、アンダー時代の苦い失敗を糧に、もう一度ヨーロッパのハイレベルな戦いへと飛び込んだ。2年半後の東京オリンピックで、「ただ参加する」のではなく、「しっかり戦える」ポテンシャルを身につけるために。

まずはNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニへの入団経緯を教えてください。

おととし(2016年)の全日本選手権で優勝した時に、なんとかヨーロッパのプロチームに入ることはできないか、と考えました。色々と手段を探したんですけど、やっぱり難しくて。とうとうシーズンの最終盤、もう本当に終わりの終わり……というところまで来てしまった時に、ダメもと覚悟で大門さん(日本側代表・大門宏)に相談してみたんです。ただ、その時は、「さすがに時期的に遅すぎるから、今からお前をチームに入れるのは無理だ」と言われて、「そうですよね~」みたいな感じで終わりました。そして昨年のツアー・オブ・ジャパンの後に、大門さんから「まだそういう気持ちがあるんだったら、うちに来るか?」という連絡をいただいて。すぐに「よろしくお願いします」と答えました。

チームリーダーであるマルコ・カノラからの後押しもあったと聞きましたが?

昨年のツアー・オブ・ジャパンで、カノラはそれこそ毎日のようにステージ優勝していて、一方の僕は山岳ジャージを毎日着ていました。だから連日表彰台の裏で顔を合わせました。同い年ということもあったし、僕がイタリア語が話せるというのもあって、結構仲良くおしゃべりをしてたんですね。その時に、まあ、冗談半分だったと思いますけど、僕の前でカノラが「来年、彼を獲ろうよ」って大門さんに言ってくれたんです。まあ本当にたまたまですけど、カノラが日本で勝ったレースでは、いつも僕は逃げていた。そういう意味でも、僕の走り方に対して、彼はいい印象を持ってくれていたかもしれません。

イタリア語がお上手ですが、すでに1度、イタリアでレース活動をしていたんですね?

イタリアにはアンダー2年目の19歳から22歳まで、2年半くらい住んでいました。やっぱり大門さんの口利きです。当時は大門さんがアンダー日本代表の監督をやっていました。僕はアンダー1年目の時に日本代表に選ばれて、フランスとイタリアに遠征に行ったんです。その時に、少しいい走りができた。そしたら大門さんが声をかけてくれたんです。「もうちょっとイタリアで走りたいだろう?」って。その通り、すごく走りたいと思ったので、「お願いします」と。イタリアのアマチュアチームを紹介してもらって、そこで走りました。

どうして2年半で日本に帰ったんですか?

当時はイタリア生活が上手くいかなかったし、なにより「いつまでここにいても僕はこれ以上は成長しないだろう」と感じるくらい最悪の精神状態でした。生活の面でも、レースの面でも、まるで上手くいかなかったんです。おそらく生活の面が上手くいかなかったからこそ、レースの方も全然上手くいかなかったんでしょうね。自転車を止めようかな……と思いつめたほどだったので、アンダー最後の年というのもあって日本にいったん帰りました。

生活が上手くいかなかったというのは?

生活のリズムが上手くつかめなかったんです。何か具体的な原因がひとつあるわけではなく、なんというか全体的なリズムがズレていったというか。例えばあの当時はイタリア人と共同生活をしていたんですが、そういうところで本当に些細なストレスを感じたりして……。もちろん、たくさんの人が、僕にとてもよくしてくれました。でも僕自身に知識が足りなかったし、やりくりの仕方も下手だったんでしょう。ただあの時に苦労したからこそ、こうして今は、多少なりともイタリア語が話せるわけなんです。それに同じミスを繰り返さぬためにはどうすべきなのか、今は何となくですが分かります。やっぱりあの苦労があってこそだと思っています。

スペイン・カルペでのチームトレーニングキャンプにて。(photo: jeep.vidon)
スペイン・カルペでのチームトレーニングキャンプにて。(photo: jeep.vidon)

すると「自転車を止めたい」とまで思いつめたんですね?

やっぱり「プロになりたい」と思ってイタリアに渡ったんです。でも、アンダー4年間のうちにプロになる、という王道的な手段を僕は踏み外してしまった。だから自転車を止めよう、と。別に自転車を止めたからって死ぬわけじゃないし、若いうちに止めればその後の人生の可能性はいっぱいある。23歳までにプロにたどり着けなかったから止める、という選択肢もそれはそれでいいんじゃないかと思うんです。僕も実際にそんな風に考えて、止めることにしたんです。ただ「止める」と心に決めはしたものの、やっぱり悩んでいた部分もあったんですよね。そんな時に、昔からよく知っている栗村さん(栗村修、当時は宇都宮ブリッツェンの監督)に、「来年どうするの?」と声をかけてもらえた。で、「就職活動しています」って言ったら、ブリッツェンに誘っていただけたんです。だから僕は自転車を続けることに決めました。栗村さんが「お前が必要だ」と言ってくれたから。

日本の自転車界では「できるだけ若いうちに欧州へ渡るべきだ」という考えが主流です。ただ若くして欧州に渡ったけれど失敗した人間のひとりとして、それでもやはり若いうちに欧州に渡るべきだと思いますか?それとも、もう少し成熟してから欧州に渡ってもいいんじゃないか、と思いますか?

当時の僕は「頭の中」では分かっていたつもりだったんですけど、やっぱりヨーロッパの空気を吸ったからといって、強い選手になれるわけではないんですよね。だから無暗矢鱈に早く早く、と急かすべきではない。準備がちゃんとできていない選手が欧州に渡るべきではないと思ってます。もちろん理想を言うなら、いち早く準備を済ませて、いち早く欧州に渡るほうがいい。つまり重要なのは、その準備をどれだけ早く済ませられるか、ということ。果たして日本国内でどれだけ準備ができるのか、という問題もありますけれど、とにかく準備をできるだけ早く済ませることが大切だと思います。

すると今回の初山選手は準備が済んでいる状態でしょうか。前回の失敗を踏まえて、もはや今回の移籍前にはなんの不安もなかったですか?

不安はなかったですね。日本で十分に経験や知識を身につけてきましたし、もはや同じミスを繰り返さない自信もあります。あの後、自分なりにやってきて、自分の中に染みついているやり方というのがあって、それで問題ないだろうと思ってます。もちろんレースのレベルが上がるわけですから、前回とは違う問題は出てくるでしょう。でも同じミスは繰り返しません。

逆に焦りなどはありますか?29歳での再挑戦となるわけですが。

早く結果を出したいとはもちろん思っています。でもこれは僕だけじゃなく、選手というのはみんなそんなものですよ。でも焦って失敗した経験がすでにありますし、そこから試行錯誤で積み重ねてきましたから、今は一歩一歩、焦らず前に行けると信じています。それに、何かこうしてやろう、なんて気負っている感覚もないんです。

チームからは今季どんなことを期待されていますか?

まだまだ先の話なんですけど、具体的に言われているのは、イタリアの秋の連戦です。そこでいい走りをしてチームに貢献してほしい、と大門さんには指示されています。上りが多いレースですし、なによりチームが重要視しているイタリアのチクリズモ・カップ(イタリアで開催される計18レースの成績により個人・チーム年間総合順位を決定する)の認定レースでもあります。ただ秋までなにもできなかったらそれはそれでダメだと思いますので、秋の前に、どこかで一山作って活躍しなければいけないと思っています。

自分ではチームのために何ができると思っていますか?

チームはアジアツアーのUCIポイント獲得もすごく重要視していますし、アジアでなら、自分にも個人総合上位を狙っていくことが十分に可能です。とにかくアジアのレースでは、UCIポイント収集を真剣に狙って走りたいと思います。ヨーロッパのレースに関しては、正直走ってみないと分かりません。今の時点では想像することくらいしかできないので……。ただ上りの多いレースの機会に、チームの大事な選手を助けたり、最後の最後まで残ってアシストしたりができたらと思っています。

想像しかしたことのないレースに実際に出る、というのは楽しみなものですか?

楽しみです。恐ろしい気持ちも半分ありますけど、でもやっぱり、楽しみの方が勝ってます。出たいレース?そうですね……テレビで見るなら、という条件付きでなら好きなレースはたくさんありますよ。サンレモもリエージュもフランドルも、みんな面白いです。ただ実際に走るとなると、どうでしょうね。たとえば僕は体重が軽いから、フランドルで自分がどうこうしたいという夢は全くないです。テレビで見るのは好きですけど。もちろんワールドツアーの中でも、できる限りレベルの高いレースに出たい気持ちもあります。でもまずは自分がどのくらい走れるのか把握できないと、こういうレースでこうしたい、という具体的な考えは出てこないですね。むしろ今は与えられたレースを、精一杯走ることだけを考えます。年齢的にはもう若くはないですけど、それでもチームの中では新人の下っ端という立場なので、まずは自分のできることをひとつずつこなしていって、チームからの信頼を勝ち取っていかなければなりません。

2月上旬にはクネゴ(左)と共に、フランスのツール・ラ・プロヴァンスに出場。スプリンターのグロス(右)を山でしっかりサポートした。(photo: jeep.vidon)
2月上旬にはクネゴ(左)と共に、フランスのツール・ラ・プロヴァンスに出場。スプリンターのグロス(右)を山でしっかりサポートした。(photo: jeep.vidon)

それでもなにか「キャリアの目標」と呼べるモノはありますか?

目の前のことをひとつひとつ、というのが大切なんです。たとえ大きな目標を持っていたとしても、そこにたどり着くまでにはたくさんステップがあり、そのステップをひとつひとつ着実に上がっていかなければならない。とにかく絶対に後退だけはしない、と心に決めています。そうですね、東京オリンピックまでには、レベルの高いレースに対応できるようなフィジカルを身につけていたいと思っています。

すると東京オリンピックが大きな目標ということでしょうか?

東京オリンピックは分かりやすい目印のようなものです。年齢的にも僕は、一番脂がのっていると言われる30代前半になっています。だからまずは東京オリンピックを意識して走っていきたい。もちろん出場したいですし、仮に選ばれたとしたら、全然どうにもならないようなレベルではなくて、ある程度は……さすがに「優勝します」とは言えないですけど、ある程度はレースに対応できる、レース展開に参加できるような立場で走っていたい。もしもそれが可能になっていれば、もはやオリンピックだけではなく、ヨーロッパのトップカテゴリーでもある程度走れるようになっているはずですから。そういう意味で、分かりやすく「東京オリンピック」という言い方をしています。

その2020年に大きなピークを持ってくるために、今後強化すべきところは?

フィジカル面では、根本的なパワーをまだまだ高めていかなければなりません。ただ、レースの走り方ひとつで、フィジカルの使い方も変わって来ると思っています。いまさら、ではあるんですけど、プロトンの中での身の置き方なんかも改めて勉強しなきゃならないと思っています。レースのレベルが変われば、レースのやりかたも変わってきます。そういう意味でもオリンピックという大きなイベントに対応するためには、やはりニッポのような、レベルの高いレースを常に転戦しているチームに身を置きたいと思ったんです。

10年前に初めてイタリアに渡った時と、今とでは、目標や野心などは変わったんじゃないですか?

当時は本当に右も左も分からない状態でしたから。でもまさか10年たって、こうしてまたイタリアに戻ってこられるとは思ってもいませんでした。まあ、あの頃に比べたら、目標が小さくなったかもしれないですね。こう言うとネガティヴに聞こえるかもしれないですけど、もっと今は身の程をわきまえているというか。自分にとって必要なモノがはっきり分かっているし、自分の現在のレベルがこれくらいで、あそこにたどり着くためにはステップをあと何段上がる必要があるのか、というのも見えています。10年前は「自分があとどれくらい強くなればヨーロッパでプロになれるのか」ということさえ具体的に想像できませんでした。でも、それができないと、そもそもが無理なんですけど……。今はそういうことが多少なりとも想像できるようになっています。どの方向に、どう進んでいけばいいのか、具体的に考えられるようになった。自ずと目標も「現実的」に考えられる範囲のものになりました。

生活の不安もなく、現実も見えている。あとはレースをしっかり走るだけですね?

生活面の余計な不安がかなり減ったので、レースだけに集中して行けると思います。この先が楽しみです。早くレースに出たいですが、やっぱり、ちゃんと準備をしてから、レースに出たいです。10年前はひたすら「レース数をとにかく多くこなしたい」とか考えていましたけど、今はそういうところでも考え方が変わりましたね。数をこなせばいいわけじゃない。ちゃんと準備をして、このレースはこう走るんだ、と現実的に考えられる状態に持っていって、その上でレースをしっかり走りたいと思っています。

(2018年1月15日、スペイン・カルペにてインタビュー)

NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニ 2018年日本人インタビュー

初山翔中根英登内間康平

自転車ロードレースジャーナリスト

フランス・パリを拠点に、サイクルロードレース(自転車競技)を中心とした取材活動を行っている。「CICLISSIMO」「サイクルスポーツ」誌(八重洲出版)、サイクルスポーツ.jp、J SPORTSサイクルロードレースWeb等々にレースレポートやインタビュー記事を寄稿。

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