Yahoo!ニュース

レストア決定! 伊藤かずえさんの愛車・初代日産シーマと、その時代背景を振り返る

安藤眞自動車ジャーナリスト(元開発者)
1988年に発売された初代シーマは、まさに「時代の申し子」と呼べるクルマだった。

 女優の伊藤かずえさんが30年間/約27万km乗り続けている初代日産シーマが、日産の厚意でフルレストアされることになりました。「レストア」とは、すべての部品をいったん取り外し、ボディの錆やへこみ、溶接部の亀裂などを補修したり、塗装をし直したり、シート生地の張り替えを行ったりなどをして、新車に近い状態に戻すことをいいます。

オーナーの伊藤かずえさんは、日産本社のある神奈川県横浜市出身。1979年のデビュー以来、学園ものから戦隊もの、時代劇からNHK朝の連ドラまで、幅広いジャンルで活躍してきた。
オーナーの伊藤かずえさんは、日産本社のある神奈川県横浜市出身。1979年のデビュー以来、学園ものから戦隊もの、時代劇からNHK朝の連ドラまで、幅広いジャンルで活躍してきた。

 伊藤さんの愛車は、1990年式の最上級グレード“タイプIIリミテッド(車両本体価格510万円)”。3.0LのV型6気筒エンジンにターボチャージャーを装着し、最高出力255ps(188kW)、最大トルク35.0kg-m(343Nm)というパフォーマンスを発揮する高性能ユニットを搭載していました(今でこそ2.0Lターボでも出せるような数値ですが、当時は国産車最高のパワーでした)。

名機の誉れ高いVG30DET型エンジン。ターボチャージャーのタービンホイールには、耐熱合金より軽いセラミックを採用し、回転慣性モーメントを約2/3に縮小。ターボラグの小さい俊敏な加速を実現した。
名機の誉れ高いVG30DET型エンジン。ターボチャージャーのタービンホイールには、耐熱合金より軽いセラミックを採用し、回転慣性モーメントを約2/3に縮小。ターボラグの小さい俊敏な加速を実現した。

「技術の日産」を象徴するV6ターボエンジンと電子制御エアサスを搭載!

 ターボエンジンといえば、現在では排気量を小さくして燃費を良くし、必要なときだけターボを働かせてパワーを引き出す「ダウンサイジング」というエコ技術に使われていますが、当時はターボなしでも十分に走る排気量のエンジンにターボを上乗せし、付加価値としてパワーを引き出すという使いかたが主流。シーマも量販グレードにはターボ無しの3.0Lエンジンを搭載しており、こちらも200ps(147kW)/26.5kg-m(250Nm)と十分な性能を持っていました。

 サスペンションはフロントがマクファーソン・ストラット式、リヤがセミトレーリングリンク式という構成で、タイプIIリミテッドには、金属スプリングの代わりに空気バネを使用する電子制御エアサスペンションが装備されていました。空気バネの柔らかさを利用して乗り心地を良くするのが狙いでしたが、急発進時には強力なエンジンパワーを柔らかいバネが受け止めきれず、長いテールを深く沈ませて豪快に加速する姿が、シーマを語る上で欠かせない特徴になりました。

やや尻下がりの長いテールを深々と沈ませて加速する姿を見せつけられた人も多いのではないか。前後ドアガラスの間にボディの柱(Bピラー)がないハードトップスタイルも印象的だった。
やや尻下がりの長いテールを深々と沈ませて加速する姿を見せつけられた人も多いのではないか。前後ドアガラスの間にボディの柱(Bピラー)がないハードトップスタイルも印象的だった。

 ボディデザインは長く伸びやかで、英国のジャガーXJにも通じる雰囲気。ボディ寸法は、全長4890mm×全幅1770mm×全高1380mmと、実際に細長いプロポーションをしていました。特に、後席ドアを支える柱が窓の下で終わっている「ハードトップ」というスタイルを採用しており、前後ドアガラスの間から柱をなくすことで、流麗さにいっそう磨きをかけていました。衝突安全基準が厳しくなった現在では、とても考えられない設計です。

シート生地やドアトリムには、100%ウールを採用。本革シートはオプションで用意されていたが、冬は冷たく夏は汗ばむ皮革より、冬温かく夏は吸湿性があるウールのほうが、日本には適していると考えたのだろうか。
シート生地やドアトリムには、100%ウールを採用。本革シートはオプションで用意されていたが、冬は冷たく夏は汗ばむ皮革より、冬温かく夏は吸湿性があるウールのほうが、日本には適していると考えたのだろうか。

 そんなシーマが登場したのは、1988年。それ以前の日産パーソナルカーの最上級モデルはセドリック/グロリアでしたが(※)、シーマはその上に位置するモデルとして誕生しました。ただし完全専用設計ではなく、Y31型セドリック/グロリアのプラットフォーム(床から下の部分)を利用していたため、当初はセドリックシーマ/グロリアシーマと名乗っていました。

※:法人向けに「プレジデント」というモデルが存在。

貿易黒字の拡大とバブル経済が「シーマ現象」を巻き起こす

 では、シーマがどのような理由で誕生したのかを振り返ってみましょう。

 ひとつは、日本経済が拡大期にあったことです。第二次オイルショックから立ち直った1980年代前半は、日本の輸出産業が伸長して貿易黒字が急拡大していた時期。トヨタのソアラや、マークII/クレスタ/チェイサー3兄弟など、いわゆる“ハイソカー”と呼ばれた高級セダンが人気を博しており、さらなる高級車を待望する空気が醸成されつつありました。

 もうひとつは、自動車税制の改定を控えていたこと。それまでの自動車税は、5ナンバーの上限が3万9500円だったのに対し、3ナンバーになると8万1500円と、いきなり2倍以上に増額されていました。これが欧米から「非関税障壁(GAT違反)である」と批判されたため、1989年度から現在のような500cc刻みの排気量別へと改訂されることが決まっていました。こうした内容は検討段階で自動車メーカーにも伝わりますので、各社ともそれを見込んだ開発を改訂前から始めていたのです。

 さらに、1985年のプラザ合意で外為市場が円高に振れると、その反動で不景気になることを嫌った政府が公共投資の増額と金融緩和を実施。これをきっかけに株式や不動産への投機が拡大し、“バブル経済”へとまっしぐらに進んでいく時期でした。シーマが登場した1988年末には、東証平均株価が史上初めて3万円を突破し、証券・金融関係の会社からは「ボーナスが3回出た」などという噂も漏れ伝わるほど経済が活性化していました。

 そんな時代背景に後押しされ、シーマは発売直後から売れに売れ、最初の1年で約3万6400台を記録します。現在の販売ランキングでは20位前後に相当しますが、ハイエンドモデルとしては異例の台数です。同時に、潤沢な可処分所得がブランドもののスーツや高級腕時計などにも向かったため、高価格商品が尋常でない売れかたをすることを「シーマ現象」と呼ぶようになりました。

 一方で、不動産が高騰しすぎてマイホームの購入が困難になり、その資金が高級車の購入に回るという現実的な側面もあったようです。

 このように初代シーマは「時代の申し子」というべき存在であり、自動車史を越えて風俗史にまで名前を残しています。ぜひきれいにレストアされ、さらに30年以上の歴史を刻んでいただきたいと思います(政府も13年超車の増税などやめて、自動車文化遺産の保存に協力すべきでしょう)。

 レストア作業は4月から開始され、約半年かかるとのこと。「フル」レストアですから、すでに在庫のない部品も、一品製作されるのではないかと思います。レストアの進捗状況は、日産の公式Twitter(@NissanJP)で随時発信されるとのこと。興味のあるかたは、ぜひフォローしてください。

自動車ジャーナリスト(元開発者)

国内自動車メーカー設計部門に約5年間勤務した後、地域タブロイド新聞でジャーナリスト活動を開始。同時に自動車雑誌にも寄稿を始め、難しい技術を分かりやすく解説した記事が好評となる。環境技術には1990年代から取り組み、ディーゼルNOx法改正を審議した第151通常国会では参考人として意見陳述を行ったほか、ドイツ車メーカーの環境報告書日本語版の翻訳査読なども担当。道路行政に関しても、国会に質問主意書を提出するなど、積極的に関わっている。自動車技術会会員。

安藤眞の最近の記事