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楽天モバイルが出資する地上・衛星共用携帯「スペースモバイル」にNASAが示す衛星衝突の懸念

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
Credit: AST & Science

日ごろ手にしている携帯電話(スマートフォン)から、衛星を経由した通信が可能になればどれほど便利だろうか。現在の日本でも、山間部や離島など携帯電話の利用できない地域はまだあり、事故や災害の際にも通信手段の冗長化が求められる。こうした要望に応える、地上・衛星共用携帯(スペースセルラー)の事業へ楽天が参入を発表したのは2020年3月のことだった。

昨年の発表によれば、楽天は米テキサス州に本拠を置くAST & Science(以下、AST)へ出資し、市販のスマートフォンを用いて直接接続できるASTの衛星通信ネットワーク「SpaceMobile(スペースモバイル)」を通じて電波が届きにくい地域や災害発生時の携帯電話サービスを目指すとした。

出典:総務省「スペースセルラー検討タスクグループ」報告より
出典:総務省「スペースセルラー検討タスクグループ」報告より

2021年2月22日~26日の日程で、総務省の情報通信審議会下の第43回衛星通信システム委員会では、日本でのスペースモバイルの展開について検討する「スペースセルラー検討タスクグループ」(参加者は楽天モバイルおよび大手携帯キャリア3社、衛星通信企業、有識者ら)からの報告が行われた。タスクグループ報告資料によると、2020年中のASTの活動状況として、

  • AST社からFCCに、当該衛星システムの周波数使用を求めるマーケットアクセスの申請実施(2020年4月)
  • FCC国際局及び無線局との調整を実施(2020年6月~9月)
  • FCCが、AST社申請に関する30日間のパブリックコメントを開始(2020年10月)
  • 受領したコメントに対する回答をAST社がFCCへ提出(2020年11月)

とある。2020年中にASTが米連邦通信委員会(FCC)へ衛星システムの概要を提出し、FCCの通告に対してパブリックコメントが実施されたという内容だ。だが、FCCでのシステム概要公表から総務省の資料にいたるまで、スペースモバイルのシステムには大きな変化が見られる。まずはその変遷を整理してみる。

SpaceMobileを経由したスマートフォンから衛星への通信イメージ。Credit: AST & Science
SpaceMobileを経由したスマートフォンから衛星への通信イメージ。Credit: AST & Science

FCC提出資料

2020年4月段階でのAST提出資料によれば、スペースモバイルの衛星は全243機。1万2000機を擁するスペースXのスターリンク衛星網よりは規模が小さいものの、メガコンステレーションと呼ばれる大型の衛星網の部類に入る。22.5度ずつの角度で地球を取り巻く16の軌道にそれぞれ15機の衛星を配置し、高度730キロメートル(近地点)から740キロメートル(遠地点)のほぼ円形の軌道を周回する。衛星は直径24メートルの大口径アレイアンテナを備え、ミッション期間は打ち上げから10年間となる。運用終了後に軌道から離脱するまでの時間は、推進装置が正常に機能する場合は13年、機器の不具合によって推進装置を利用できない場合は、21.14年と推定されている。

投資家向け公表資料

2020年12月16日、ASTは特別買収目的会社New Providence Acquisition Corp. を通じて株式上場する計画を発表した。その際に公開された投資家向け資料によれば、スペースモバイルは2023年に赤道地域の49カ国でサービスを開始する目標で、赤道地域向けの「フェーズ1」では20機、北米、欧州、アジア地域でサービスを開始する「フェーズ2」では45機、と段階的にフェーズ4まで衛星数を増加させていく方針を示した。2024年には168機まで衛星数を増加させ、2027年に233機、2028年には336機とさらに衛星数を増やす方針だという。2021年に10メートルのアンテナ展開試験を行う実証機「BlueWalker 3」を打ち上げ、2022年からフェーズ1の衛星打ち上げを開始する。

総務省公表資料

2021年2月3日付の総務省公表資料「スペースセルラー検討タスクグループ報告」によれば、スペースモバイルは日本国内で山岳地帯や離島など携帯電話の非カバレッジエリアや災害時の通信手段として機能することを目指している。衛星総数は168機で、サービスリンク(スマートフォン等のユーザー端末と衛星間の通信)にはBand3を、フィーダリンク(地上局と衛星間の通信)にはQ/Vバンドを用いる。1サービスリンクあたりのビーム径(地上で1ビームが通信可能な範囲)は直径24キロメートルとなる。スペースセルラーと呼ばれる地上・衛星共用携帯が機能するための技術的要件のひとつに「限られたリードタイムの中で、実用の衛星が十分に機能する保証はあるか」という論点が挙げられ、「24mサイズのアンテナの実現可能性が課題であり、これについて一定の検討がされていることを確認した。実証などにより更なる検証が必要な点は残るものの、現時点で実現可能性が乏しいとまでは言えない。」とのタスクグループの考え方が示された。2021年中に行う10メートルフェーズドアレイアンテナ実証機BlueWalker 3の試験結果を反映し、設計変更などが生じた場合はスケジュールが最大9カ月程度遅延する見込みだという。

「AST衛星の高度はスペースデブリ危険地帯、JAXA衛星にも影響」NASAが寄せた懸念

スペースモバイルが衛星システム概要を公表してから約1年、打ち上げ衛星数の目標が243機→168機→336機(将来構想)と大きく変化している。なぜこうした変化が生じたのだろうか? ASTは明らかにしていないものの、その鍵は2020年10月に実施されたFCCパブリックコメント期間中にNASAから示された懸念にある。

FCCは米国で通信衛星などの無線通信を利用するシステムの事業者に対して周波数調整の役割を担っており、衛星事業者がFCCに情報を送信するのはその手続きのためだ。同時にFCCは、スペースデブリによる軌道上の事故を防ぐための規制当局としての役割を持ち、評価内容にスペースデブリ対策が含まれる。NASAのコメントは、ASTの衛星群(コンステレーション)構築により、衛星とスペースデブリとが接触するリスクが大幅に増える懸念を示している。

NASAの懸念は、スペースモバイル衛星が周回する軌道に起因している。高度730~740キロメートルの軌道は、NASAの衛星が協調して地球観測を行うA-Train衛星群の直上だ。A-TrainにはJAXAの水循環変動観測衛星「しずく(GCOM-W)」が含まれており、日本にとっても他人事ではない領域で、そこに240機以上と大幅に衛星が増加することになる。また、高度700キロメートル付近は2007年の中国による衛星破壊実験、2009年の米ロ衛星の衝突事故の影響でスペースデブリの数が5000個以上と非常に多い危険な領域でもある。

NASAの試算によれば、「AST衛星は面積900平方メートルのアンテナを持つ」ことから、AST衛星群は「スペースデブリからの回避行動計画を年間で1万5000回策定し、実際の回避行動を年間1500回実施しなくてはならない可能性がある」という。これは、1日にスペースデブリ回避計画を40回近く立てるということを意味する。毎時1、2回は衝突対策に追われている通信衛星が、果たして正常に運用できるものだろうか。

また、A-Train衛星は高度690~700キロメートル付近を周回しており、AST衛星はこのすぐ上を通過する。AST衛星が何らかの理由で高度が下がった場合、A-Train衛星群の軌道と交差する可能性がある。A-Train衛星は最初の打ち上げから20年近く経過しており、エンジンを噴射するなど能動的な衝突回避を行うことはほぼ不可能だ。NASAはAST衛星側で衝突回避を自動化するといった管制システムが必要になるとも指摘し、衛星の軌道高度を下げる計画変更を推奨した。さらに、非営利シンクタンクTechFreedomは、NASAの挙げた「900平方メートル」というアンテナサイズを引用した上で、経験に乏しい新興企業が新規な衛星システムを運用する場合、衛星の故障確率をより高く見積もるべきと指摘した。

パブリックコメント終了後にASTは、NASAコメントを引用したTechFreedomのコメントに反論する形で、「TechFreedom社の懸念は誤った情報に基づいており、スペースモバイル衛星はフリスビーのような状態で(※筆者注:伏せた皿のように)飛行し、進行方向に対する専有面積は3平方メートルである。衛星"プラットフォーム"の面積は450平方メートルである」と回答した。またNASAには衛星の技術的詳細を提供し、スペースデブリ対策に努めるという。

ASTが当初の資料で示したように衛星のアンテナが直径24メートルならば、面積は450平方メートル程度になると考えられる。もしアンテナ面積が900平方メートルならば、直径は34メートルという資料に登場しない直径のアンテナが存在することになる。直接NASAへの反論は避けたものの、「アンテナ面積が900平方メートル」という推定に誤りがあると指摘したようだ。ただし、NASA、TechFreedom、ASTの3者でそれぞれ「アンテナ」「衛星プラットフォーム」のように表現が異なっていたり、「衛星の進行方向に対する専有面積」という数字が急に登場したりとやや議論が噛み合っていない印象も受ける。

軌道上の安全に関する議論を日本は検討しなくてもよいのか

ASTが回答を示し、NASAは情報提供の努力を受け入れ、連携して検討を続けるとしたものの、AST衛星の「サイズと位置に関する技術的懸念を撤回することはできない」と応答した。衛星の進行方向に対する面積が小さい場合、衝突事故の可能性が現実的なレベルまで低減されうるかどうかは不明だが、スペースモバイルの衛星数が2020年4月と2021年2月の段階で大きく異なっているのは、こうした検討が反映されたものとも考えられる。

NASAとASTの議論は長く複雑だが、総務省のタスクグループ資料は周波数調整に関する記載がほとんどで、軌道上の安全については言及されていない点が非常に気になる。「しずく」を運用する日本にとってもこれは懸念される部分ではないのだろうか。総務省はFCCと異なり、衛星のスペースデブリ対策を所管する機関ではないものの、資料中の「1.スペースセルラーサービスの実現可能性 -1-5 限られたリードタイムの中で、実用の衛星が十分に機能する保証はあるか。」という論点とは関わりがあるともいえる。

現在、楽天モバイルに対しFCCパブリックコメントで示された懸念について問い合わせ中であり、今後の情報公開などについて回答があれば開示したい。総務省での検討は、外国の衛星事業が安全に機能し、モバイル通信という社会インフラを増強させることがどうか議論できる限られた機会だ。2021年度に実施される作業部会での検討では、包括的で透明性を持った議論を望みたい。

筆者注:文中のFCC、NASAおよび各組織のコメントはすべて筆者による日本語要約です。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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