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西岡良仁が主催。選手自ら立ち上げたテニスイベントに携わる、三者三様の想いと「プロアスリート」の価値

内田暁フリーランスライター
右から西岡良仁、沼尻啓介、斎藤貴史。著者撮影

12月上旬、世界を舞台に活躍するトッププロテニスプレーヤーの西岡良仁は、両親が経営するテニスクラブ開催のクリニックで、子どもや愛好家たちにテニスを教えていた。それは、同期の二人の選手たちと共に自ら企画し、スポンサー集めから運営まで手がけた選手主催のイベントである。『地域活性化プロジェクト』と銘打たれたそのイベントに携わる3人の選手たちは、みなが同じ目的の下に集いながらも、それぞれが異なる願いや想いを、この『プロジェクト』に投影していた。

■歓待してくれた人々の姿が、西岡良仁にイベント主催を決意させた■

「本当に、来てくれるんですか!?」

 その言葉が思い返せば、自らイベントを立ち上げる、一つの起点にあったという。

 前十字靭帯損傷により長期の戦線離脱を余儀なくされ、その間に日本で、テニスの普及や人気向上のため何かをしたいと思っていた昨年のこと。“テニスの日”である9月23日に日本各地で行われるイベントで、西岡良仁は仙台行きを希望した。仙台という土地に、特別な意味やゆかりがあった訳ではない。ただ、自身も三重県津市の郊外に育った西岡には、せっかくのテニス普及のための活動なら、東京や大阪などの大都市以外でやりたいとの思いがあった。そこで仙台に出向くと伝えた時、先方から返ってきたリアクションが、冒頭の言葉だったという。

「そんな風に喜んでもらえたことは嬉しいけれど、ただ逆に言えば、向こうは、来てくれると思ってなかった訳ですよね。それって残念だなと思って」

 昨年3月に世界ランキング58位に達し、21歳にして錦織圭に次ぐ日本のトップランカーになった西岡は、自分が足を運ぶことにより、多くの子どもたちの瞳が輝くことを知る。

 その光を一過性で消さないためにも、より多くの土地でファンや愛好家たちと交流したい。ただ企業等が主催するイベントは、どうしても都心部に集中しがちだ。ならば、自分たちでイベントそのものを企画し、行きたい場所に出向けば良いのではないだろうか?

 そう思い立った時から彼は、実現に向け走り出す。志を共にしてくれそうな仲間には、すぐに2人の選手の顔が思い浮かんだ。いずれも、小学生時代から大会会場で顔を合わせ、時にはライバルとして対戦し、10代の頃にはジュニアデビスカップやワールドジュニアなどの国別対抗戦で、チームメイトとして戦った同志たちである。

「同じ歳なので、お互い好きなことも言える。3人で意見を出し合えばより良いイベントになるだろうし、色んなことをやりたいという意識もある」

 その2人に声を掛けるところから、『地域活性化プロジェクト』と銘打った企画は、本格的に動き始めた。

■一度は引退も考えた斎藤貴史が、自ら確立する“プロテニスプレーヤー”の価値■

「良仁が、イベントとかやらないかって言ってきて。やっぱ友達なので。友達が言うなら、やろうぜって僕も言って」

 朴訥ながら熱のこもった口ぶりで、斎藤貴史は“きっかけ”の時を振り返った。

 イベントのレッスン時には、子どもたちに「気合でボールをねじ込め!」と声を掛け、大人たちには「遠征でタイとかに行くと、僕、あっち方面の人にモテるみたいなんですよね」と話して笑いを取る。プロ転向5年目、現在の世界ランキングは575位。斎藤の語り口調や立ち居振る舞いからは、どこか昔気質の男臭さが漂う。

 斎藤が西岡の想いに同調したのは、ケガによる戦線離脱と、それに伴う「プロとは何か?」という逡巡を共有したからかもしれない。プロ転向から1年以上経った頃、斎藤は両手首にメスを入れ、2年間で4大会ほどしか出られぬ日々を過ごした。

「時間ができるので、僕も色々と考えたし、良仁が考えていたこともなんとなくわかった」

 その「色々と考えた」ことには、引退も含んでいたという。実際に、支援してくれた人々や親に、引退の意志を伝えもした。その時に主に返ってきたのは、「もっと続けるべきだ」との声。今ならばそれらの言葉を、エールだと受け取れる。だが、5歳から始めたテニスの目的地である「グランドスラム出場」が視界から消えかけた当時の彼には、続ける意義が見いだせなかった。引退を止める声が、テニスをやらないお前には価値がないと言われているように響く。

「なんでみんな、プロテニスプレーヤーの貴史じゃなくても良いと言ってくれないのか? プロテニスプレーヤーじゃなくても、がんばっている俺で許してくれないのか?」

 反発心が渦巻く胸を抱え、テニス以外の生き方もできると自身や周囲に説くように、引越しセンターで日雇いのバイトをしたこともある。ただ、そのような日々を過ごす中で「テニスで培ったものって、すごく大きかったんだ」と気づいた時、彼は再び、プロテニスプレーヤーであることを選び取った。

 斎藤がこの『地域活性化プロジェクト』に見出した最大の価値は、「僕らが企画し、声をかけて周りを巻き込んでやっている」点にあるという。

「僕らのレベルのプロ選手だと、金銭面や待遇面では厳しいことがたくさんあります。でも、そこを愚痴ってもしょうがない。プロは、自分で需要を作っていくくらいの覚悟でいかないと」。

 観客もまばらな下部大会を転戦していると、自分は果たしてプロと言えるのかと、自問自答することも多い。それは斎藤だけでなく、多くの選手が一度は抱える、ある種の胸の空洞だ。

 だが斎藤は、そんな周囲を目の隅にかすめながら「愚痴っていてもしょうがないじゃん。だったら俺は、自分の価値や需要を自分たちで作っていくよ」と動き出した。

「こういうイベントで、直接的に人と接するのはすごい大事ですね。僕らもプロなんだから、人に喜んでもらってなんぼ。誰も見ていないところで勝った負けただけやっていても、魅力ないっすよね」。

 ケガから復帰し、再びグランドスラム出場という目的地が視野に入るところまで来た今、彼は自覚的に「プロテニスプレーヤー」であろうとしている。

■テニスを通じて社会に何かを還元したい――その想いを体現するために■

 

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 イベント参加者の一人ひとりに、「ボレーを打つ時は、ラケットを視界に入る場所で構えてください」「今の良いですね! さっきの言ったことが出来てましたよ」と声を掛けていく。柔らかな物腰と爽やかな笑顔に、迅速で的確な分析と助言。若くして発揮するコーチ的資質に驚かされるが、両親が経営するテニスクラブで時折指導にあたっていると聞けば、それも納得だ。

 幼少期から、コーチである両親の手ほどきを受けてきた沼尻啓介は、流麗な片手バックハンドに代表される、端正なテニスの体現者だ。だがプロ転向後はケガにも悩まされ、ランキング的には1000位台に留まっている。そんな彼も斎藤同様に、自分がテニスをする意義とは何かと、自問自答を繰り返してきた。特に最近では、大学を卒業し、就職という形で社会に羽ばたく友人たちも増えてくる。仕事を介し社会に貢献するそれら友人たちの姿は、「自分はこれでいいのか?」との焦燥を、彼の胸に産み落とした。

 西岡から「イベントを主催しないか?」と声が掛かったのは、そのような折である。しかも、第1回目となる昨年のイベントは、つくば市にある両親のテニスクラブで開催の運びとなった。自分が育ったコートで子どもたちやテニスファンに直にふれあい、その瞳の輝きを目にし、さらにはチャリティとして、グッズ販売の収益金全てを地元の養護施設に寄付した。何かを伝えられた、社会に還元できた――その充実感こそが、このイベントで沼尻が得た最大の収穫だったという。

 

 小学生時代の沼尻は、西岡が「凄く上手い。試合では自分が勝っているが、負ける可能性があるとしたら彼だろう」と目した程の成熟度を既に誇っていたという。そしてまた沼尻も、小学生や中学生時代には「良仁はグリップの握りも独特だし、自分の方が正しいことをやっているという自信もあった」と言った。だが今、当時の自分たちの動画を見てみると、如何に西岡のプレーが理に適っているかを理解できるという。

 「あの当時から良仁は、やるべきことをしっかりやっていた。そこは素直に尊敬できます」

 それは、コーチとしての経験も積み、指導者的な視点も獲得した今だからこそ見定められた、かつてのライバルの強さだった。

■フロントランナーの西岡が抱く、もうひとつの願い■

 

 今、西岡良仁が主戦場とするグランドスラムやATPツアー大会は、世界中に数多く居るテニスプレーヤーのほんの一握りのみが立てる、綺羅びやかな表舞台だ。そのステージを既に日常とし、来季は自己最高位を更新して「トップ40入り」を目指す西岡には、自身の成績やイベントの主旨であるテニスの普及に加えて、もうひとつの願いがあると言った。

「貴史も啓介も仲間で、数少ない同期のプロ。なので、早く同じ大会で会いたいですね。同じ舞台で戦いたいし、なんなら試合で当たるくらいになってほしい」。

 そんな、無垢な希望である。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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